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1.リア充爆発しろとか考えたから罰が当たったんですかね






 こんな生活、いつまでも続けられないけど……



 真澄は気付かれないようにそっとため息を落とし、借りていた緑色のスリッパから自分のヒールに足を移した。

 足首の細いバックルを止めて視線を上げる。愛想の良い職員が、大層晴れやかな笑顔でまた一つ礼をくれた。

「本当にありがとうございました。いつもごめんなさいね、気持ちばかりしかお渡しできなくて」

 心底申し訳なさそうに、年配の職員が言う。

 彼女とは知れた仲だ。真澄がこの老人ホームに慰問演奏に訪れるようになってから、もう三年になる。人の入れ替わりが激しいこの介護業界において、彼女は珍しく一つ所に長く勤めている人だ。

 理由を訊いたことはない。

 それなりに打ち解けたとはいえ、内情に踏み込むほどではない。ただ、その物腰を見ていると、優しい人なのだろうなと自然に思う。

「いえ、こちらこそ。弾かせてもらえる場所があるだけでも有難いので」

「藤堂さんがそう言ってくれるから、所長もつい甘えてしまうのよね」

 眉を八の字にして職員が頬に手を当てる。考え込むような仕草は言葉の通りで、どうしたものかと言いつつも権限のない彼女には何をどうすることもできないのだ。

 ただ、真澄としてはこうしていつも見送りに出てきてくれるし、柔らかい言葉をかけてくれる彼女を好ましいと思っている。

「それじゃあ私はこれで。次は三月か四月に」

「ええ、宜しくお願いしますね。また連絡しますから」

 緩やかな約束は、次の慰問演奏のことを指している。春に合う曲は何がいいだろう、そんなことをぼんやりと考えながら、真澄はすっかり通い慣れてしまった老人ホームを後にした。






 外に出ると、漆黒の闇に粉雪がちらついていた。

 吐く息は白く、星が瞬く夜空に溶けるように消えていく。今日は聖夜。クリスマスイブだ。ゆっくりと舞い落ちる雪は綺麗で、特別な夜に相応しい。


 どうせ自分には関係ないけど。


 寒さに襟をかき寄せ、真澄は思わず呟いていた。

 いわゆる人生の落第組というヤツだ。ドロップアウトした、とも言う。そうなってしまった理由は色々あるが、過程はどうあれ二十八歳にもなってバイトで食い繋いでいるという状況が歓迎されないということくらい、分かっている。

 定期的な収入はコンビニのバイト、それも女性であるが故に日中だけで、雀の涙にしかならない。下手な学生とおっつかっつだ。

 一芸と呼んで差支えない程度にヴァイオリンは弾ける。先ほどの慰問演奏もまさにそれだ。が、その道を諦めた自分にとっては不定期のあくまで小遣い稼ぎにしかならず、雀の涙にも及ばない。

 そういうわけで、冒頭の呟きに戻るのだ。


 こんな生活いつまでも続けられないよなあ、と。


 だが先の人生を考える度に、それほどやりたい何かがあるわけでもないことに同時に気付くのだ。ヴァイオリンは好きだった。だからずっとそれに携われればいいと思っていたし、演奏家を目指していた時期もある。しかし自分の演奏には感情がないと指摘されてからというもの、あまりヴァイオリンが好きではなくなった。本気で弾くのが怖い、と言ってもいい。

 だから今は、小遣い稼ぎ程度にしか弾いていない。

 新卒の時にはいわゆる一芸採用というヤツで、奇跡的に名の知れた大企業から内定をもらった。そのまま事務系で頑張ったが、色々な部分であまり馴染めず、結局四年目に入った頃に体調を崩して退職する羽目になった。

 それから先はあっという間に社会から弾き出されて今に至る。落ちる時は一瞬だ、社会って怖い。

 両親は傍にいない。

 母は中学生の時に亡くなった。父は存命だが、今は新しい家庭を持っていて真澄の方から連絡を取ることもない。だからうるさく言われる煩わしさもなければ、心配をかけて申し訳ないと思いもしない。

 だがしかし、こんなんじゃ社会人としてダメだという自覚は一応ある。この状態を「社会人です」と胸を張れるのかどうかは甚だ疑問だが。

 考えても結局それは堂々巡りにしかならず、起死回生の一発逆転アイディアなど浮かびもしない。



 考え事をしながら歩いても、真冬の寒さはしっかりと伝わってくる。特にストッキングの足元が心許ない。おまけにコートを着ているとはいえ、その下は薄い膝丈の演奏用ドレスだ。キャミソールのせいで、袖口から入る風も中々侮れないレベルで体温を奪いにかかってくる。

「寒い……お腹減った……鳥足にかぶりつきたい……」

 欲望に任せて独り言が口から滑り出てくる。慎みなど知ったことか。どうせ彼氏も年単位でいない。開き直るほどに残念だが、やはりこれもどうしようもないというのが現実だ。

 やがて最寄の駅に着いた。

 元々小さな駅だが、今日はいつにも増して人が少ない。クリスマスイブだし日にちのせいだろうなあ、と薄らぼんやり予想しつつ、ヤケクソになって真澄は小走りにホームへの階段を駆け下りた。


 ちくしょう。

 どうせ皆、夜景の綺麗なレストランで「美味しいね」「そうだね」「綺麗ね」「君の方が綺麗だよ」とか囁き合ってんでしょ。こちとらそのディナー代一人前にも足りない謝金の為に、こんな寒くてひもじい思いまでしてんのに。

 こんちくしょうリア充爆発しろ!


 聖夜に罰当たりなことをうっかり考えたのが悪かったのだろうか。人を呪わば穴二つ、最上段から五段ほど下りたところで、真澄は思いっきり足を踏み外した。

「う、……そっ……!」

 嘘でも夢でもなく、その時ばかりは景色がスローモーションになった。


 周囲には誰もいない。

 よって助けてくれそうな人は皆無。

 階段の残りはまだそれなりにある。

 どう転んでもダメージは大きい。


 いわゆる走馬灯を見る、という状態に近いのだろうか。ゆっくりと迫ってくる階段を見ながら、真澄の思考は大変に冷静な状態を保っていた。そして、自然と身体が動く。

 右手に持っていたヴァイオリンケースをしっかりと胸に両手で抱える。そのまま前のめりになっている身体を反転させる。背中から落ちれば、自分が頭を打ったとしてもヴァイオリンは助かるはずだ。


 入院しても、三日くらいで退院できますように!

 南無三!

 

 最後の掛け声まで脳内で叫ぶ余裕を残しつつ、真澄は来たるべき衝撃に備えて目を瞑った。



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