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きなこ餅ブルース

作者: ひろりん

なんとなくきな粉餅の気分をかきたくなりました。

少しだけお付き合いください。

私は真っ白な生まれたての餅だった。


皆で集まって伸びたりひっついたりしながら、立ち上る湯気がしっとりと肌に馴染む。

小さく小分けに分けられ、並べられた器の上できな粉を万遍なく体につけて行く。

そして、黄金色のきな粉もちとなる。


満足な仕上がりに私はほっとした。

引き立ての大豆の香ばしい香りが肌になじみ、

全身を高級国産きな粉の粉で着飾った私は、

社交界に出る前の貴婦人の様な装いだ。

優雅な動作で緩く膝を揺らして余分な粉を落とす。

とんとんと形を整えて並べられたら、

どこからどう見ても誰にも引けを取らない立派なきな粉餅ぶりだ。

実に素晴らしい。


だが、隣りに鎮座するAはそうは思わなかったようだ。


「諸君、俺達はこのままではいけないと思わないか?」


いきなりAは腕をみにょーんと伸ばしながら演説を始めた。

その手にはきな粉と砂糖の塊が握られていた。


ああ、旨く混ざっていない場所にAは被ったのだと解り、

それではこのままではいけないだろうと私は頷いた。


塊を潰して均等に着けてこそ最良のきな粉餅となるのだ。

空いた場所で今から存分に転がるがいいだろう。

そう思ってAの周りに転がれるだけのスペースを作った。


だが、他の仲間はAの主張に何か気にかかることがあるらしい。

彼の演説に唇を突き出して文句を言い始めた。


「え~いきなりなに~」

「このままでなんでいけないの?」

「そりゃあ、俺だってあべかわ餅の方がいいような気がするけど、

 もうきな粉に転がったんだから諦めようよ」


方々から仲間の声が飛ぶ。

なるほど、あべかわ餅かあ。

確かに、あちらの方が高級な粉を使っている分お高い傾向にある。

きな粉餅が庶民派だとすると、あべかわ餅は大名家か貴族という感じだろか。


「いや、そうではない。もっと根本的な問題について語ろうではないか。

 最近の日本人には和の心が欠けていると先日テレビで言っていた。

 和の心が欠けるということは、我々に対する愛着が薄れてきているということだ。

 あの衝撃的な発言を憶えている者もいるだろう」


先日というか、さっきだよね。

私達がつきたての餅状態の時に、すぐそこのテレビでしていた番組で、

どこかのレポーターが確かにそう言っていましたね。


「そうだね~言ってたね~」

「和の心って、また大雑把に纏めたもんだよね」

「でもまあ、和を日本食として言うならば、仕方ないんじゃないの」

「そうそう、だって世の中は洋食が溢れているし」

「日本人の朝食の大半が米よりパンだって」

「口に入りやすいと言う点でも、和は時流に置いて行かれた感は否めないよね」

「そうそう。だってケーキ屋は沢山あってもお餅屋はないもの」

「食べる日本人がそういう傾向なんだから仕方ないんじゃない」


そういわれてみればそうだ。

そう考えると黄金色のきな粉が薄茶色に見えてくるような気がした。


「そうだ、なんと情けない。

 日本人の古来からのおやつとして名高い、

 我等『餅』の地位が脅かされているのだ」


ええ、そこまで言う?

餅に高い地位って、鏡餅ぐらいしか高坏に乗せられないんだけど。


「まあねえ、お餅ってお正月しか食べないものだって思っている人も多いから」

「でも、それだけでも我慢すべきじゃない?」

「そうだよね。食べてくれるのを待つしか俺達には出来ることないし」


仲間たちは諦めを含んだ態度で、再度きな粉に転がっていた。

きな粉が十分についていないと硬くなりやすい。


まあ、皆の言うことも解る。

私は、きな粉をみにょーんと伸ばしながら言った。

冷えてきたようで伸びが硬くなってきた。ちょっと切ない。

私も再度きな粉に転がった。


「人は知ってるのかなあ。お餅はパンと違って日持ちするし、

 いろんな料理にも加工しやすく腹もちもいい。

 それに、きな粉だって大豆の粉で美容にも健康にもいいのにね」


でも食べてくれなければ、硬くなるのを待つのみだ。

それはとても切なく哀しい。

もっと人間に解ってもらえたらいいのに。

そうしたら、私たちは皆幸せなのに。

どうして食べて貰えないのだろうか。


そんな私のため息を含んだ声に全員が頷いた。


「そういえば大豆って女性ホルモンを活性化して老化を防ぐ働きがあるのよ」

「そうだ。大豆は畑のお肉と言われ、良質なたんぱく質で筋力の低下も防ぐ」

「きな粉は、牛乳と一緒に取ればカルシウムの蓄積にも効果的なんだ」

「餅は古来から母乳促進剤としても優秀な食べ物なんだ」

「そうだ、パンよりもカロリーも低いぞ」



おお、専門的な用語が沢山。そうだもっと言え。

なんとなく気分が高揚する。

Aが頷きながらも腕を振って声をあげる。


「そうだ。諸君。我等餅は、和と代表するに相応しい食材なのだ。

 そして今の我々は餅の中でも、最高に体に良いきな粉を纏う最高菓子なのだ。

 なのに、口にしてもらえなければ、固くなってカビが生えてゴミ箱入り。

 なんという体たらくだ。 それを甘んじて受け入れてはならないと俺は思う」


確かに食べてもらいたいと切に願うのは誰しもが一緒だ。

全員が顔を見合わせて頷きながらも、同時に首を傾げた。


ええっと、ならどうしろと。


「口にしてもらえるように、お願いする~?」

「どうやってだよ。人間は俺達の言葉を解らないぞ」

「伸びてみるとか。こう、みにょーんと」

「転がるとか?きな粉大目で増量中ですとか」

「砂糖大目でもいいかもよ」


皆思い思いにパフォーマンスに勢を出すが、あまり建設的だとは思わない。

行き成り一部が伸びて形崩れても、伸びきった餅にしか見えない。

多すぎるきな粉も砂糖過多も、

美味しさと言う点では食べる人よって軍配が微妙になる。

ヘタしたら動作も味も意味不明としか思われないし、

餅の心は永遠に人間の心に届かない。


Aは、ふふふと両手を広げて怪人二十面相のように不気味に笑った。

きな粉が舞って目に入る。やめるがいい。


「ふふふ、そこで俺は考えた。最高のアイデアだ。

 口に入らないなら入るように我々が動けばいいと」


全員が首をひねる。

一瞬、全員がひねりきな粉餅となる。


「どうするのかしら?」

「動くって、僕らは基本動けないよ。餅だからね」

「うん、引っ付く伸びるは出来るけど、あとは転がる?」

「床に落ちたらゴミ箱行だよ。危険すぎる試みだ。

 床に落ちたら衛生上問題ありになるからね」


そんな仲間たちの答えに、Aは高らかに宣言する。


「聞け!俺の考えを! 我々は、洋菓子とコラボするのだ」


は?


「コラボってなに?」

「洋菓子に鞍替えってこと?」

「和の心関係ないじゃん」


Aは一斉に湧き上がる批難の声に、こほんと息を整え誇らしそうに答えた。


「え~、静粛に。

 最近、人間の間ではロールケーキなるものが流行っている」


だが、その答えに対する反応は低いものだ。


「え~最近じゃないじゃん」

「今はバームクーヘンだろ」

「それも違うと思うけど~ラスクじゃなかった?」

「おっくれてる~」


うん、そういわれてみればそうかも。

私も隣で残念視線を止められず目を伏せた。

そして、二の句を告げられないでいる。


「う、煩い。根回しが済んだのがやっと今だったのだ。

 仕方ないだろう」


根回しって何の?


「コラボ企画だ。すでにロールケーキとは話を付けた」


なんと。


「話を付けたってなあに?」

「ロールケーキとコラボってどうやって?」

「ありえない~」


うんうん、そういいたい気分は解るよ。

そういえば、Aは餅米時代から、何やらひそひそやっていたことを思い出した。


だが、Aは二十面相な顔を崩さず、芝居がかった仕草でばさりときな粉を散らす。

多少固くなりつつあるその手は、微妙に伸びが少なくなってきた。

今のAの仕草はクリオネの羽ばたきと大差ない。


「わははは。凡餅には考えもつかない企画だろう。流石俺!

 これは世紀の大発見だ。

 いいか? ロールケーキといったら中に具を巻くものだろう。

 その具に俺達きな粉餅が入るのさ。

 つまり、きな粉餅ロールケーキとなるのだ」


……あの、それって美味しいの?


「俺達が美味しいのだ。美味しいに決まっている。

 すでにロールケーキと人間である主人には了承済みだ。

 ということで、本日、俺達はこのままケーキに巻かれる。

 そして、新作きな粉餅ロールケーキとして大々的に売り出されるのだ」


へえ、そうなんだ。

まあ、新しい取り組みだと思えば、食文化の発展にもつながるし、

いいんじゃない。


「おお、流石Bよ。お前は俺の大親友だけある」


あれ?Bって私? あの、大親友っていつから?


「さあ、いざ行かん。 前人未到の地へ」


いや、ケーキの布団の上だよね。

きな粉が落ちなきゃいいけど。


そうして、私達きな粉はロールケーキとコラボした。

ロールケーキのスポンジさんは、私達と対面した途端に、

お互い大変だねえとため息をついた。

本当にAは一体何をやったんだか。



******




がーっと自動ドアの開く音がした。 


「いらっしゃいませ~」


可愛い店員の甲高い声が店内に響き渡る。


小さな子供を連れた母親が入ってきてガラスケースの中を見詰める。


そんなにじろじろ見られたら照れるではないか。

きな粉の衣。ちょっと他の餅より多めなのばれたかな。


ちょっとだけ目線をずらすが、ガラスケースの向こうでは、

子供がガラスケースに体当たりして手垢と大量の涎がばっちり付いている。

今なら、指紋つけ放題だと言わんばかりの大サービスだ。

店の売り子の顔がやけに引き攣っていた。


「ええっと、ご注文はお決まりですか?」


母親は子供のすることを止めずに笑っている。

子供はのびのび元気に育てる方針なのだろう。

だが、あの子供の様子だとのびのび方向を聊か間違っている気がするのだが、

我等きな粉餅ロールケーキには何も言えない。


「沢山美味しそうなのあるわね~でも甘すぎるのが旦那が苦手で」

「お母さん、愛ちゃん、苺クリームがいい」


子供はばんばんとガラスケースを叩いた。


店員が眉間に皺を寄せながらも微笑を絶やさないテクニックを披露する。

にこにこしながら早速のおすすめを口に出した。


「でしたら、こちらの新作ロールケーキはどうでしょう。

 きな粉餅が中に入っていて甘すぎず、きな粉の香ばしさが残った一品です。

 中の餅も特別に柔らかくてしっとりスポンジとの相性も絶品です。

 ケーキの生地とクリームがきな粉とマッチして人気の和と洋コラボな商品です」


ほう、そんな風に売り込むのか。

なかなかやるな、売り子さん。

その調子だ。もっと褒めろ。

私達は心の底から店員にエールを送った。


「へえ、美味しそうねえ。でもねえ、中は餅でしょう。

 子供はまだ小さいし、喉に詰まらせたら大変だもの。やめておくわ。

 やっぱりケーキって言ったらフルーツかチョコなのよね」


母親はざっくりと否定した。

我等餅のステータスが半分以上減った気がする。

心の傷が化膿してきな粉が涙となって流れそうだ。

いや、流れないけどね。


そうして母親は苺の生クリームたっぷりなケーキを買っていった。

おい、甘さ控えめの亭主の意向はどうでもいいのかと突っ込みたい気分ではあるが、

子供は嬉しそうにスキップしている。


「楽しみだね~」

「うん。楽しみ~」


そんな会話が背中越しに聞こえた。


なんて羨ましい。


私達は苺ロールに巻かれなかったことを少しだけ後悔した。

だが、きな粉餅としての高すぎる矜持が苺クリームに嫉妬する。


いや、他人は他人だ。 私達には私達の良さがあるさ。

湧いてくる嫉妬をやり過ごして、きな粉の衣をぎゅっと抱きしめた。


だが、売り子と主人の話が聞こえてくる。


「店長~やっぱり、餅入りって斬新すぎるんじゃないですかね~」


「そうかな、わらびもち入りのロールケーキがあるなら、

 本物のきな粉餅が入ってもいいと思ったんだけど」


そうか、そんなものがあるのか。

それなら確かにあっても可笑しくないかもしれない。


「だって、さっきのお母さんの言うことも一理ありなんですよ。

 小さい子とか老人が餅を詰まらせて正月早々に昇天するって話、

 昔よく聞きましたもん」


なんて意地悪なことをいうのかこの店員は。

我々だって誰かの喉に詰まるつもりで入るはずないのだ。

美味しく味わってもらってお腹に入って幸せ気分を与えることを希望としている。


可愛い顔をしているくせに、餅に意地悪すぎる未来を突き付けるとは。

何たる鬼畜だ。渡る世間に出演依頼がくるぞ。


「嫌なことをいうね。このお餅は基本柔らかく蒸しあげているし、

 冷たくなっても硬くならない様に加工した餅粉を使っているし、

 小さく切っているから、丸飲みしない限りは喉に詰まらせるって真似ないよ」


そうだそうだ。もっと言え。


「解ってないですね店長。 小さい子は何でも丸飲みですよ。

 痴呆が進んだ老人も同じです。 手に取った物は何でも飲み込むんです。

 そんな相手に丸飲みするなって、どうやって忠告するんですか?」


うう。丸飲み注意ではだめなのか。


「そこは君が話のついでに見極めてだね」


「無理っす。お宅の家にぼけた老人か乳幼児がいたら売りませんって言うんですか?

 それこそ客足が遠のきますよ」


「じゃ、じゃあ、渡すときに気をつけてねっていうとか?」


「気を付けて食べないといけないケーキって誰が買うんですか。

 怪しさ満点じゃないですか。私だったら絶対に買いません」


そ、そんなに危険物取扱みたいに言うことないじゃないか。

怪しさ満点なんて、……凹む。


「でも、でも、これ美味しいんだよ。君も食べてそういったよね」


そうだよ。美味しいって確かにこの耳で聞きましたよ、私は。

生まれてまだ数時間、まだ耳は耄碌してませんよ。


「言いましたよ。だって美味しかったから。

 でも、喉に詰った餅が死因として新聞沙汰になったら、

 店長、こんな小さな店、簡単に潰れちゃいますよ」


えええ、新聞沙汰?死因? なんて物騒なことを言うのか、この鬼畜娘。

その場合殺したのは、餅ってことになるのか。

駄目だよ、もっと頑張って粘ろうよ。餅みたいにさ。

そんなに簡単に死なないでよ、人間。

生きてこその命だよ。


「えええ。何でそんな不吉なことを言うかな、君は。

 一応、買ったお客さんには餅入りなのでちゃんと小さく切って、

 丸飲みは絶対に駄目ですよって書いた紙を渡せばいいんじゃないかな。

 ほら、事前忠告していると後は、購入者の責任ですって言えるじゃない」


「えええ、店長、それメンドクサ」


「時給50円UPするから」


「解りました。そうまでしてこの商品を売りたいんですね。

 じゃあ、注意文を書いた紙を用意しますね」


店員はさっさと意見を翻して店の奥に入っていった。

交渉は成功したらしい。店長の顔は晴れやか晴れ男の笑みだ。


どうやら店長は私達の味方らしい。

私達は心の中で店長に『餅大賞』を差し上げようと頷き合った。


なにしろ店長は世界の真理を口にしたのだ。大賞は当然だろう。

世界の真理、それは『美味しいは正義』だ。

美味しさの前では多少の不自由も不平等も押しのけられる。


店員も店長も確かに美味しいと認めたではないか。

それだけでも先程の生クリームに負けた敗北感が報われた感がする。

彼こそ大賞に相応しい。


まあ、大賞と言っても我等餅に愛される大賞と言うだけなので、

特典と言うものは何もないが。


でも、言う。 有難う店長。

私達は立派に売れたら美味しく食べられることに全力を注ぐことを誓います。

ここで、選手宣誓ののろしを派手にあげたかった。


しかし、喉に詰まらせると大変なのは昔も今も変わらないのは事実だが、

店がつぶれるまでの責任を追及されるとは思わなかった。

世間は本当に世知辛い。

恐ろしさで、頬が引き攣って硬くなりそうだ。


私達は、喉に詰まらないでと祈るしか手が無いのだ。

それが口惜しかった。



限定20個のきな粉餅ロールケーキは、店長と売り子の努力の末、

一つ売れ二つ売れ、そして、

私達が入ったロールケーキのみが残った。


ちなみに今の時間は夜6時30分。閉店まで30分を切った。

このままいくと私達は冷蔵庫の中に一晩泊まることに。


冷蔵庫。それは嫌だ。

私が言わんとすることを解ってくれるだろうか。


私達はどんなに加工されようとも、所詮餅なのだ。

きな粉を被っていようとロールケーキの布団に包まれていようと餅に違いない。

そして、餅は冷えると固まる習性を持つのだ。

幾ら加工してある餅粉を使った柔らかさが売りの我等でも、

日が立ち固まった餅は硬くて美味しさが半減する。

冷蔵庫に一晩放置された私達は不味いと捨てられる可能性が高い。


私達は焦った。

柔らかいうちに何としても誰かに食べてもらいたかった。


そこで、たった今ばたばたと慌ただしく入ってきた、

ちょっと若いとは言えないが年配とも言い難い微妙な年齢層の女性に目を付けた。

Aが焦ったように皆に声を掛けた。


「おい、B、売れる様にアピールしろ。皆も協力するんだ」


いや、どうやって?


「こう、美味いぞ~買ってくれ~っていう念を飛ばしてだな」


念を飛ばす。そんなことが出来るかどうかは解らないが、

世には背水の陣に望むと何事も叶うということわざだってある。

成せばなるものだ。


きな粉餅全員でねっとりとした視線を女性に向けた。

クリームに包まれたきな粉の衣がねとっとしているからの視線だけではない。

そして餅同士手を組んで必死に唸った。


「美味いぞ~、ここで買わないと後悔するぞ~」

「お願いだから、買って頂戴~美味しいのよ」

「買わないと呪ってやる~」


いや、最後の誰? 呪いって物騒な事いうんじゃないの。

今の最後のは無しだから。気にしないでください。

私の必死の祈りが届いたのか、その女性と目があった気がした。


女性は、ガラスケースの中を見ながら、売り子の女性に尋ねた。


「あ、新作出たんだ。これって美味しいの?」


女性はコンコンとガラスケースをノックした。


「うふふふ、やっぱり目につきましたか。

 流石近所でも評判の甘党一家にして、この店の常連さんですものね」


どうやら売り子の知り合いでこの店の常連らしい。 


「一応褒められているのよね。なら有難う。

 で、どうなの?この時間になっても売れ残っているって、問題あり?

 不味かったら暴れるけど」


あ、暴れるって。

餅は投げると危ないですよ~


「大丈夫ですよ。私も食べましたから、味は保証つきです。

 その上、今の季節だけしか作らない旬を詰め込んだ限定品でお奨めです。

 でも、中が柔らかい餅なので、老人や乳幼児が居る家庭に敬遠されたんです。

 だから今まで売れ残りましたけど、これ最後の一本ですよ」


おおっ美味いね。売り子を少しだけ見直した。


「へえ、限定品なんだあ。餅かあ、冬の旬といえば旬だよね。

 ねえ、店長が作った試作品食べたんでしょう。

 どうだった? 正直な感想を教えて頂戴。 お客さんの反応は?」


食いついた。今だ、もっと売り込め!


「お客の反応は微妙ですね。 

 そもそも、これがわらびもちなら勧めやすいのに。

 実は、店長が餅にこだわるから出来た新作でして、

 イロモノというかキワモノというか。

 あべかわ餅の方が好きな私としては、なかなかに趣向が違う美味しさと」


売り子の呟きが餅たちの心を抉る。

なんとなく解っていたが、こうまではっきりと言われるとは。


私達は、わらびもちに負けたのだ。

餅のまがい物として生まれてきた、

ゼリーや寒天と変わらないあやふやな奴に下剋上された。

その上、イロモノ、キワモノ、なんて嫌な表現だ。

売り子に呪いビームを発動したい。


Aに至っては致命傷な程傷ついている。

彼の背中にはっきりと哀愁が見えた。

言いにくいことを本人たちの前ではっきりというものだ。

売り子ならば餅の心を慮ってくれと心から言いたい。


「あら、でも店長のこだわりって美味しさを求めるがゆえでしょう。

 私はそれが気に入ってこの30年通っているんだから、

 そう無下にするものじゃないわよ。

 そうね。  ……まあ、いいか。

 店長や貴方が美味しいって言うなら信じましょう。

 じゃあ、貰って帰るわ」


おお、なんと優しい女性なのだ。

落ち込んで項垂れていたAが復活した。


彼女にはぜひ中央の一番柔らかい部分を進呈したいと目を輝かしていた。

ぜひ連れて帰ってください。お願いします。

全員で心から祈った。


「あ、餅入りなので本日中にお召し上がりください。 

 あと、さっきも言ったように、喉に詰まらせる危険がある場合は、

 お勧めしないんだけど、本当にいいの?」


こら、売り子!

折角の購買意欲を折ろうとするな。呪うぞ!餅投げるぞ!引っ付くぞ!

全員で売り子を睨みつけたが売り子はへらりと笑うばかり。

餅の心を知れと歌いたくなった。


「いいわ。そんな場合は自己責任だもんね。

 運悪く天使様がお迎えに来た場合は、精々香典はずんで頂戴。それでいいわ」


自己責任。

それで済ませていいのかと思うが、ここはぜひとも彼女の家で、

家族全員に味わってもらって、美味しいと言ってもらいたい。


「有難うございます。ぜひ美味しく召し上がってください。

 毎度ありがとうございます」


私達は用意された箱の中でお互いに見合ってうんうんと頷いた。


売れ残らなくてよかった。

心から彼女に感謝した。


こうして、私達が入ったきな粉のロールケーキは彼女の家へと持ち帰りされた。

持ち帰りの為にと入れられた保冷剤が冷たくて硬くなりそうだったが耐えた。




********



連れて行かれた家は、普通の一軒家だったようだ。

がちゃりと玄関の扉が開くと、何とも言えない香りが鼻腔をくすぐる。


ぷう~んと香ばしいスパイスの香りが部屋中に漂う。

私達は箱の中に入っているので、何がどうと説明できないが、

箱の隙間から見える光から、誰かが机の周りにいることは把握できた。

隙間は1㎜程度の光が僅かに漏れる程度しかない。

どうにも判別が難しい状態だ。

これは、箱を開けてくれるまで大人しく待つしかない。


バタバタと足音が響き、幾人かの騒がしい声がした。


「あ、今日カレーだ。やったーカレー食べたいと思ってたんだ。

 私の御皿、大盛り希望!」


「賛成!僕も。 カレーはやっぱり大盛りだ」


「わしゃあ、カレイじゃなくて鯛がいいのう」


「お爺ちゃん、魚じゃなくて洋食のカレーだよ。

 ほら、ボンカレーと同じ匂いでしょ」


「あ、私、肉は少なくていいよ。うえ、ニンジンが大きい。嫌い~」


「あ、こら。好き嫌いしないの。好き嫌いする人はデザートなしだからね」


「ぶばあ~うぅ~ぶぅぶっ」


「あ、アンタはまだ離乳食よ。カレーはまだ早いわ。

 ほら、机叩かないで。 歯が一本でも生えてきてから主張しなさい」


「残念だなあ、ちびすけ。

 ああ、いい匂いだ。 その分父さんが食べてやるから安心しろ」


声だけでも7人いるようだ。

慌ただしく椅子を引く音、机を叩く音、かちゃかちゃと響く食器音が、

微笑ましい家族団らん風景を脳裏に浮かび上がらせる。

そして、カレー独特の香辛料の香りが部屋中に充満する。


「あ、ソース取って」


「え~ソースぅ、お父さん、高血圧は気をつけろってテレビも言ってたじゃんか」


「馬鹿だな~あれは醤油のかけ過ぎは要注意って言ったんだ。

 ウスターソースのことじゃあねえ」


「はいはい。なんでもいいから、黙って食べなさい。

 あ、お姉ちゃん、ニンジンなんで弟の皿に移してんの。

 ちゃんと食べなさい」


「食べたわよ。一個だけ。 努力はしたんだから、認めてよ」


「そう、姉ちゃんは努力したが敗退した。

 だから、あとは弟に後を託そうと決めたらしい。

 結果、僕は人参カレーに。母さん、もっと肉入れて。

 人参だらけで、肉の味がしない」


「はいはい。残すんじゃないわよ」


「おい、撤ちゃんはどうした? 呼んできてねえの?」


「なんで私を見るのよ父さん。

 アイツならカレーの匂い嗅ぎつけてくるんじゃない。

 カレーに関しては犬並の嗅覚だから」


「お姉ちゃんは撤ちゃんに最近やけに冷たいわねえ。

 撤ちゃんいい男なのに」


「父さん、母さん、姉ちゃんは素直になれない年頃なんだよ」


「そうそう、姉ちゃんはツンデレなんだから、煽るとこじれる。

 ここは黙って見守るが吉だって」


「ツンデレはロシアじゃったかのう?」


「お義父さん、それはツンドラ」


「誰がツンデレよ。幼馴染なんだから、今更でしょ」



がやがやと随分騒がしい食卓だ。

だが楽しい食卓と言う物だろう。

このような大家族に囲まれて食べられるなんて、まさに感無量だ。

その時をいまがいまかと待って、私達の心は躍った。


カレーの匂いが次第に薄くなってきて、ご馳走様の元気良い挨拶が聞こえた。

そしてどこからか甲高い電話のベルが鳴る音がした。


「は~い、あ、各自使ったお皿はシンクに漬け置きね」


そしてかちゃかちゃと皿を固唾ける音と、水の流れる音がした。

スリッパがパタパタと幾つも音を立てている。

同じスリッパでも、履く人が違うだけでこうも音が違うものかと、

つい感心してしまう。


私達は、まだかまだかとそわそわしていた。

あんまりそわそわしすぎてロールケーキの布団からはみ出てしまいそうだ。

そうなると悲惨な見た目になるので自嘲する。


「お母さん、今日のデザートって何? 冷蔵庫に入ってないんだけど」


心臓がどきっと音を立てた。

ドキドキしすぎて餅の体にひびが入りそうだ。


「ああ、隣りの部屋、座敷の机の上よ。いつものお店の新作ロールケーキ」


「やったあ。ケーキだ。姉ちゃん、母さん早速切って食べようよ」


誰かの手が勢いよく私達の入った箱を持ち上げた。

いよいよだ。


ぱかっと箱が開帳された。

光がまぶしいと手を翳そうとするが、人目を忍ぶ餅の姿ではそれも出来ない。

ケーキの布団の影でそっと目を慣らした。


「ねえ、これなんのロールケーキ?上に乗っている黄色はバタークリーム?

 初めて見るんだけど」


「ふふふ、聞いて驚け、見て笑え!

 これは新作、きな粉餅ロールケーキよ。絶品なんですって」


「へえ~」


眩しい光をやり過ごして見渡すと、

じっと見つめられる8人の視線に、私達はちょっと怯えた。

私達はこみ上げる不安と戦っていた。

すでに作られた当時の柔らかさはなく、我々の肌は固くなりかけていた。

本当に、美味しく食べてもらえるだろうか。

不安で顔にひびが入りそうだった。


よせやい。そんなに見るなよ。照れるじゃねえか。


だが、そんな私達の繊細な悩みを余所に、

Aはナイフを握りしめた正面に座るボブカットの若い女性の視線に、

照れまくっていた。

そしてその視線はまっすぐに彼女に向かっている。


いいぜ。お前になら、俺は全てを捧げるぜ。


Aは熱に浮かされた患者のような顔をしていた。


恋か、恋しちゃったのか、A。 相手は人間だぞ。

道ならぬ恋だ。諦めろ。


「あ、お姉ちゃん、ケーキはちゃんと7等分してね」


母親であるケーキを買ってきた女性が、ナイフを持つ若い女性に忠告した。


「えええっ6等分じゃないの?」


「もちろん撤ちゃんの分よ。

 今、帰ったみたいだからこっちにくるって、今電話あったから」


母親が差し出した皿の数は七枚。

妹であろう少女が7本のフォークを用意していた。


「それならカレーだけでいいじゃない。ケーキもだなんて、甘えすぎよ、全く」


生意気そうな坊ちゃんカットの少年が、ぷちりとテレビのスイッチを入れた。その正面に髪を長く伸ばした可愛い少女が座り込む。


「お姉ちゃん、本当は嬉しいくせに。あ、ドラマに変えて。今日最終回なの」


「全く、姉ちゃんはツンデレだ。

 嫌だ、今日はお笑い決勝戦なんだ。これを逃すと一生後悔する」


二人の子供はテレビの前でチャンネル争いを始めた。

こらこら、ケーキに埃が舞うじゃないか。大人よ、子供に注意しろ。


「だ・れ・が・ツンデレよ。

 もう、遊んでないでケーキ食べるんなら紅茶の用意して」


トドのようにソファーで転がっていた父親が口を挟んだ。


「あ、父さんはコーヒーがいい。コーヒーがいい人手を挙げて~」


爺さん以外のほぼ全員が手を挙げる。


「母さん、コーヒーに決まりだ。用意して」


「はいはい」


母親がコーヒーメーカーのスイッチを入れた。

それと同時に赤子の哺乳瓶に粉を入れ、お湯と水を適量加え蓋をして混ぜる。

残りのお湯を急須に入れてお茶の用意。

更に、カップを取り出してテーパックを乗せてお湯を注ぐ。

それで薬缶の湯が綺麗に無くなった。


母親の手は随分と手際がいい。働き者の素晴らしい主婦だ。

我らを食べる為にこんなにも飲み物を多種用意するとは、

私達は歓待されているという意識がしみじみと伝わってきて嬉しくなった。


だが、寝転がっていたとどが床に落ちていた紙を呼んで眉を顰めて言った。


「おい、これ見ろよ。餅って爺ちゃん食べれんの?

 赤ん坊もダメじゃん。チビにも一口やろうと思ってたのに」


「ああ、ホントだ。注意書きもそう書いてある。

 どうする? 餅だけ引っ張り出す?」


え?と見渡すと、確かにそこには、乳幼児と年老いた老人の姿が。

あの店員め。

てめえ、老人と乳幼児がいる家だって解って売ったのかコラア。


ちょっと巻き舌チックで文句を言いたくなった。

ああ、ここでも私達餅は嫌われる。

最悪、ロールケーキから出されてゴミ箱に行くことになるのだろう。

なんてかわいそうな私達。餅に産まれたばっかりに。


そうすると老人が言った。


「だ~いじょうぶじゃあ。

 ちゃんと小さく切ってから食べるから問題ない。

 戦中は餅は貴重な食糧じゃった。

 家族全員で一つの餅を食べる為に小指ほどの大きさに刻んだもんじゃ。

 慣れておるわ」


小指大か、それなら大丈夫か。


「ほら、お義父さんもそういってるから問題ないでしょ」


母親は、湯気が程よく立っている濃い緑茶を爺さんの前に置いた。


「まあいいか。爺さんはお迎えが来ても来なくても幸せに違いないからな。

 だけど、ちびはちょっと無理だから、やめとこうな~」


なんと優しい家族なのだ。

見よ。世の中には餅の心を慮ってくれるこんな人もいるのだ。

餅大好き新人賞を授与したい。


「そうね。大きさも7人で分けて丁度いいし。

 のどに詰まらせたら自己責任だから、そのつもりで食べなさい」


「は~い」


私達は7つに切り分けられ、小さな皿に乗せられ、銀に光るフォークを添えられた。

Aが入った部分はAの念が効いたのか、聊か大きく切り分けられた上で、

ボブカットの姉の前に置かれた。

私は、机の中央に置かれる。おそらくまだ見ぬ8人目の存在の為の者であろう。


そこにコートを着た背の高いひょろりとした男が入ってきた。


「おっやった!ケーキだ!食後が楽しみ~ああ、腹減った。

 今日はカレーだろ。真奈美、俺大盛りね」


「何で私が。もう、解ったわよ」


真奈美と呼ばれた姉が、嫌々ながらも母に突かれて席を立った。

勿論ケーキには手を付けないままだ。

Aの落胆な様子は目に見えて解ったが、私はAの事をかまっている場合ではなかった。


すらりと伸びた鼻梁に元気のいい子犬を思わせる大きな目。

そして白い肌にびったりの骨っぽいが、すらりとしたスマートな体つき。

そして、カレーを食べている時の蕩ける様な顔。

そのすべてが私を魅了した。目が離せないとはこのことだ。


餅に生きて一日、こんなにドキドキしたのは餅生初めてだった。

もう、Aを笑うことは出来ない。

私は、彼に恋をしたのだ。

彼に食べられたい。彼の体の一部になって溶けてしまいたい。

狂おしい程に彼に恋をした。

余りにも熱い思いにきな粉クリームが溶けてしまいそうだった。


そんな私を見ていたAが、私にサムズアップをした。

お互い頑張ろうと言う事だろう。


幸いにして私達はその要望を叶えられることになるだろう。

我が人生悔いなしの言葉を心に刻みつつ餅生を終えるのだ。

なんて幸福な末路なんだろう。

私達は最高に幸せだったと言えるかもしれない。


だが、今はひたすら待つのみ。


私達の熱い視線を受けた二人は、カレーの香りに包まれていた。


「う~まい。真奈美、お前、腕上げたな。

 このカレー食べたら、他でカレー食べられないって」


「大袈裟。カレーなんて、どこで食べても同じでしょ」


どうやら、このカレーは真奈美さんが作ったらしい。

絶品だと彼は心から褒めていた。


「いや、カレーを馬鹿にしたらいかんよ。

 カレーは将来世界の食文化の代表に選ばれると俺は思うんだ。

 そうしたら、真奈美のカレーが世界一だって、俺が証明してやる」


「どうやってよ」


「何杯も食べられる最高のカレーだって。お代わり」


なんて羨ましい。カレーに嫉妬しそうだ。

だが、美味しそうに無邪気に食べるその笑顔にもきゅんと来る。

ぜひ、私を食べるときにも同じような顔で食べてもらいたい。


「はあ、もう3杯目よ。ケーキもあるんだから、程々にね」


「わ~かってるって。カレーとケーキは別腹だって」


私の意中の彼はいまだカレーのとりこだ。

カレーからこちらに目移りするには、

彼女の言うとおり、食べ終わるまで待たなくてはいけないだろう。

だが、その待つ時間もこうして彼を見つめていられるのなら、

こんな幸福な時間は嬉しい限りだ。

私は、熱い目付でうっとりと彼の顔を見つめていた。


「うっ」


背後で嫌な声が聞こえた。

はっと見ると、爺が喉を押えていた。

おいこら、さっきアンタなんて言ったんだ。

小指大に刻んで食べるって言ったじゃないか。


皿を見たら、ケーキの半分が爺の口に消えていた。

そして、その結果として当然のごとくに白い顔をして、喉を押えた爺がいた。

老人のくせに齧り付くなよ。自己責任だって言っただろ。


「あ、爺ちゃん、ほら飲み物。流しちゃいな」


「駄目だなあ爺ちゃんは、忘れっぽいからな」


ごくごくと緑茶でケーキを飲み込む老人。

友人は味わわれることなく老人の腹に流れて行った。

諸行無常の風がそこはかとなく吹く。


「お、これ結構いける。コーヒーとの相性もいいんじゃね」


コーヒーを飲みながら勢いよく口を動かす父親はソファに横になったまま。


「あなた!行儀が悪いわよ。 子供が真似したらどうするの。

 それに、……牛になったら肉を包丁で削ぐわよ」


ひやりとした空気が父親の背中全体を襲った様だ。

慌てて父親は起き上がり、ケーキを食べてコーヒーの味を褒める。


「さすが、母さんのコーヒーは旨いなあ。

 俺の好みドンぴしゃだ」


子供たちは我関せずでテレビに夢中だ。

どうやら、テレビはお笑いに決まったらしい。

弟の勝利だったようだ。


そうこうしているうちにマイダーリンが、カレーを食べた足で座敷に入ってきた。

ああ、もうじきだわ。私は心臓が破裂しそうなほどに胸を高鳴らせた。


Aも、真奈美さんの姿をじっと目で追っていた。

その目は、私と同じく情熱にあふれていた。


「撤ちゃん、紅茶でいい? コーヒーは終わっちゃったみたいなの」


「ああ、なんでもいいよ。サンキュー」


二人は席に着くと、お互いに見合って紅茶のカップを持ち上げた。

暗黙の了解というかいつもの合図と言うやつなのか、

親しい関係を垣間見せる二人に少しだけ心が痛んだ。


だが、私は私の想いを舌でお腹で受け止めてくれるだけで十分なのだ。

私は餅なのだ。人間ではないのだから。

種族違いの恋に身を焦がしながらもその時を待ち続けた。


苦しい思いはもうじき昇華する、いや消化する。


「なあ、これ、お前の方が大きいんじゃないか?」


は?


「何言ってんのよ。同じよ。同じ」


「い~や、お前の方が大きい。よって取り替える」


え?


「あああ、酷い。 撤ちゃんの馬鹿、アホ、間抜け、業突く張り」


「は、は、は、なんとでもいえ。もうこっちは俺の。

 お前はそっちな。サンキュー」


そういって、マイダーリンはAの入ったケーキを豪快に口に入れた。

Aは驚きを隠せない顔で固まったまま、彼の口の中で咀嚼されゴクリと落ちた。


「もう、本当に子供なんだから」


真奈美はそういいながら、慌てふためく私を口に入れた。


そんな!私の心は。

私のこの狂おしいまでの想いはどこに行けと言うのだ。


私は、嬉しそうに笑うマイダーリンの笑顔を最後に意識が無くなった。




**********



なんか、不思議な味。


真奈美は口に入れて咀嚼する度に思った。

本日のおやつは新作きな粉餅ロールケーキとやらだ。


坂の下にある昔からの馴染みのケーキ屋のお奨めだそうだ。

勿論、喜んで食べる。あそこのケーキはどれを食べても美味しい。


だが、このケーキはいつもと違った感情を真奈美に呼び起こした。


決して不味いわけではない。どちらかと言えば美味しい。

なのに、なんだか不思議に懐かしく、どこか切ない味がした。

塩分なんか舌の上には感じられないのに、泣いた後のようにもの悲しい。


紅茶を飲みながらケーキを最後まで食べた。


ふうっとため息をついて何ともなしにケーキの乗っていた皿を見詰めると、

同じ様に皿を見詰めていた幼馴染の姿が目に入った。


「なあ、このケーキって、いつもの所のだよな」


「うん、そうだよ」


そう答えた時、不意に幼馴染の視線と真奈美の視線があった。


真奈美は、昔からよく知っているはずの大きな力強い瞳に、

ドキリとして目が離せなくなった。


撤も、何を思っているのか真奈美から視線を外さない。


じっと見つめられて胸がどきどきと高鳴っていく。

頬が、耳が、喉が、段々と熱くなってくる。


なんだこれ!なんだこれ!


真奈美の脳は心臓の高まりに震えるだけで混乱し、何も考えられなくなった。


撤は視線を絡めたまま、じりじりと真奈美に近づき、

熱い視線で思わず後ずさる真奈美の手の上に自分の手を重ねた。


骨っぽくごつごつした硬い皮膚が触れる箇所に熱を伝える。

高熱を発したみたいに熱くて、触れた所から火傷しそうだ。

撤の大きく暖かい男の人の手は、真奈美の手の甲をそっと撫でながら。

真奈美の指を丁寧に、一本一本確める様に触れていく。


撤は何をしているのだろう。

そして、どうして真奈美は逃げないんだろう。

真奈美は、答を求めない問を自分自身に問いかけた。


「なあ、真奈美。今、解ったんだけど、俺、お前が好きだわ。

 嫁に来ねえ? お前となら絶対、幸せになる自信あるんだけど」


ええええええ?

真奈美の混乱する頭はぐるぐるとまわり続ける。


だが、距離を詰めた彼は真奈美を抱きしめて米神にキスした。

キスされた場所が、とても熱くて頭が沸騰しそうだった。


そのまま撤は、目じり、瞼、鼻の上、頬と、

小さなキスを落としていく。

熱い印に、真奈美は思考回路が溶けていく。


何も考えられない。考えたくない。

もう、この熱だけをずっと感じていたい。

其れだけが真奈美の心に打ちつけられた。


撤の熱い声が耳に響く。


「なあ、真奈美。返事は?」


「うん。いいよ。結婚する。」


真奈美は、真っ赤な声で呟いていた。

行き成りのことだったが、心臓の鼓動がその言葉が間違っていないと言っていた。


撤のぱあっと広がった満面の笑みが喜びを真奈美に伝える。

それを見た時、確信した。

真奈美はこの決定を絶対に後悔しないだろうと。


「やった!」


撤は私をぎゅっと抱きしめていた。

真奈美も、そっと撤の体を抱きしめる。


撤の大きな体からは、カレーと仄かにきな粉の香がしていた。

なんとなく幸せの香かもしれないとふと思った。



きな粉餅の執念は成ったかな?

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