8 彼の答え
もう決めた。一之瀬に怒られて全部分かった。あたしは彼に惹かれてた。あたしの事を理解して、それでも優先してくれる彼にどうしようもなく惹かれてた。
もしかしたら石原もあたしの精神疾患の話を聞いても見捨てないかもしれない。でもそれでも手を差し伸べてくれた、あの人がどうしても欲しい。きっとこれが最後の恋愛になったとしても欲しかった。
8 彼の答え
「やっぱ駄目、だったんだよな……」
そう言って悲しそうに顔を伏せた石原に胸が痛んだ。
次の日、学校に言ったあたしは机に鞄を置いてすぐ、石原に声をかけた。あたしから声をかける事なんて滅多に無かったから、石原は顔を赤くして驚いていた。そしてそれが申し訳なかった。
自分から話しかけるのに、それが振る時だなんて。
石原を呼び出して人の少ない所で返事をした。貴方とは付き合えないって。石原は傷ついた表情を浮かべながらも、どこかしら諦めたような表情をしていた。もしかしたらもう分かってたのかもしれない。
ズルズル返事を長引かせてたあたしに、なんて言って振るんだろうと考えてると思われてたのかもしれない。
改めて自分の石原にしてしまった行いの最低さを身を持って実感した。
頭を下げたら謝らなくていいって言われて顔を上げた先には、やはり悲しそうな石原の姿があった。
「最後に教えてくんね?」
「何を?」
「俺が駄目な理由。ただ単に俺がタイプじゃなかった?それとも他に好きな奴いる?」
石原は多分気付いてる。だから聞いてきたんだろう。そしてそれを聞いて完全にあたしを諦める。
石原に酷い事をした分、正直に答えたい。
「……好きな人がいる。どうしてもその人以外は考えられない」
「そっか……頑張って。応援するよ」
そう言って笑った石原はやっぱり一般の類で言われる格好いい部類に入る。
しかもこんな性格のいい人に好かれて、あたしは幸せ者すぎる。こんなに性格ひん曲がってるのに……
そのまま踵を返して歩いていく石原を見ていれば振りかえって声をかけられた。
「帰んねぇの?授業始まるよ」
「……一緒に帰ったら迷惑だから」
「何だよ今更。友達なんだから気にする事ねぇって」
……あんたどこまでいい人?あたしを友達って言ってくれんの?
なんだか泣きそうになった顔を見られたくなくて、あたしはただ黙って石原の元に足を動かした。
2人で一緒に教室に戻って、そのまま授業を受ける。でも全然集中できなくて、意識は一之瀬に向かうばかり。やっぱり今日中に何とかしなきゃいけない。
そう思ったあたしは授業中にもかかわらず、こっそりメールを打って一之瀬に送信した。
どうか一之瀬がケータイをマナーにし忘れていませんように。没収されたら申し訳なさすぎる!
でも10分後に返信が帰ってきて、それが杞憂に終わったことに安心した。
“いいよ”
短いメールに少しだけ怖くなったけど、でも今日全部決着をつけたいんだ。
早く放課後になればいい。いや、ならないでほしい。
矛盾した気持ちを抱えて、あたしはただ授業の内容をノートに書き込んだ。
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やっとHRが終わった。何で今日に限ってあの先生は話が長いんだろう。
急いで一之瀬のクラスにいかないと。下手したらかなり待ってるかもしれない。
教室を出る前に石原の方をちらっと見たら、石原はクラスメイト達と笑いながら会話をしていた。その姿を見て少しだけ安心した。
急いで一之瀬のクラスに行ったけど、案の定早くHRが終わっていたらしくて、教室には一之瀬しか残って無かった。自分の席で無表情でケータイをいじる一之瀬は、どこか機嫌が悪いように感じた。
それに少し怯えながらも、勇気を出してクラスの扉に手をかける。
「……ごめん、遅くなって」
「あ、いや平気だけど」
あたしが話しかけたら一之瀬は視線を向けてケータイを閉じた。
いつもなら一之瀬が何か話を振ってくれるのに何も喋ってくれない。痛いくらいの沈黙が襲いかかる。
でもあたしから呼び出した。あたしが話さないといけないんだ。思い切って、石原を振った事を一之瀬に打ち明けた。
「さっき、さ……石原に返事してきたんだよね」
「へぇ……そう」
一之瀬の無愛想な声が怖くて、少しだけ肩がはねた。一之瀬は間違いなく今の状況を快く思ってない。
そうだ、だって一之瀬は昨日あたしに怒ってきたから。
迷惑な奴に今更話しかけられたくないだろう。でも聞いて、少しだけでいいから。
「あ、あのさ、結局付き合わなかったんだ。友達としてはいい奴だけど、恋愛的にはやっぱ好きになれなくってさ……」
「え?」
今度の反応は違った。完全に驚いた反応だった。これで1つ目の報告はできた。後もう1つの報告……あたしを嫌わないで。そう言いたいのに上手く言いだせない。
顔に熱が集まっていって、自分でも恥ずかしいくらい真っ赤になってると思う。でも目だけは逸らしたくなかったから、一之瀬の目を見つめた。一之瀬がどんな表情をしてるかは逆光で良く見えない。でも顔の角度からして逸らしてないって事は分かる。
あたしはそのままボソボソと語りかけた。
「今更言える立場じゃないけど、さ……石原は多分もう一之瀬にキレたりしないと思うからさ、もう怒らないでよ」
お願い、何か言ってよ。無言とかあり得ないんだけど。
何か言ってくれないと……あたし……
「こ、今度はちゃんとハッキリするから怒らないでよぉ……」
その言葉と共に零れたのは涙。みっともないくらい声が情けないものに変わっていき、代わりに出てきたのは嗚咽だけ。でもその時、黙って座っていた一之瀬が急に立ち上がった。
驚いて固まってしまったあたしに一之瀬はガバッと勢い良く頭を下げてくる。
「ごめん!そんなんじゃなくて……なくて……俺も調子に乗ってたんだ」
「一之瀬?」
何言ってんの?調子に乗ってたのはあたしで、一之瀬は被害者なのに。
一之瀬が謝る事なんて1つもないのに……
「倉田さんが話しかける男子は俺しかいないって調子乗ってた。自分が特別なんだって優越感に浸ってた。だから石原と仲良くなってく倉田さんに苛々した」
「……」
「ごめん、俺最低だよ」
最低じゃないよ。その言葉だけで、あたしは期待してしまったから。まだ自分は特別なんだって思ってしまいそうだから。
無意識のうちに首を振り、一之瀬の行った事を否定する。一之瀬が顔を上げて、今度こそハッキリ目が合った感覚がした。また泣きそうになって、鼻をすすりながら思った事を口にした。
「あ、あたし初めてだったよ。家族以外にキレられて悲しくなったの……」
「うん……」
「でも悪いのはあたしで、一之瀬はもうあたしの事嫌いになったんだなって思って……」
その言葉が言い終わる前に視界が一之瀬の髪の毛しか見えなくなった。
ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、一之瀬はあたしの肩に頭を埋めている。今の状況を冷静になって考えた途端、一気に顔が赤くなって固まってしまったけど、どうにか体を動かして一之瀬の顔を見つめた。
一之瀬は辛そうな、泣きそうな顔をしてる。
「ごめん倉田さん、俺まだ倉田さんの事好きだ。嫌なら突き飛ばしてくれればいい。ごめん、友達って言ってたのに結局俺はこんな奴だったんだよ」
嫌だなんて一言も言ってない。そんな事思うはずがない。
嬉しすぎて何も言えなかった。今の顔を見られるのが恥ずかしくて、一之瀬の肩に頭を埋めて、図々しいかな?って思いながらも背中に手をまわした。男の子ってこんなに大きいんだな。抱きしめられたのなんて初めてだから知らなかった。一之瀬の心臓もあたしの心臓も破裂しそうなくらい動いてる。もういっそこのまま破裂したら、きっと幸せにあたしは死ねる気がする。
でも今死んでる場合じゃない。死ぬほど嬉しいこの状況を逃すほど、あたしは馬鹿じゃない。
「い、一之瀬がいいって言うなら、あたしと……つ、付き合って下さ……い」
情けないくらい掠れた声が教室内に響いて、恥ずかしすぎて死にたくなった。
でもその直後、更に強い力で抱きしめられて、小さく「お願いします」って聞こえた。
その後、一之瀬の小さな笑い声が聞こえて、夢じゃないんだって実感して、嬉しくてあたしも笑った。
生を受けてから、ずっと……ずっと恋愛に憧れてた。
きっと今なら嬉しさだけで死ねる。そう思った。