2 優しい貴方に
家に帰ったらやっぱり思った通りだった。
リビングの電気は消えて、寝室の電気しか付いていなかった。テーブルに置かれたご飯は既に冷たくなっており、なんだか食べる気も起らなかった。
2 優しい貴方に
結局ご飯も食べずに風呂に入って寝たあたしは、次の日の朝は空腹に見舞われた。母さんに最低限の事を話して、作ってくれたご飯を食べて家を出た。
朝も少ししか食べなかったし、昼まで持つかな?弁当買うついでにお菓子も買おうかな、お昼は冷麺にしようかな。なんて考えながらコンビニによるために少し早く家を出る。この時間、通学路に面してるコンビニにはあたしと同じ制服の学生や、同じ通学路にある違う高校の生徒が多い。
冷麺をジッと見てると、不意に誰かとぶつかって持っていたポッキーを落としてしまった。
「あっ……」
「あーすいません!」
少し大きな声で謝ってポッキーを拾って渡してきた男の子、オレンジに近い茶髪に耳に開けられたピアス。少しだけ幼く見えるから多分高校1年生なんだろう。制服が違うから桜ケ丘の生徒だ。
小さく頭を下げてポッキーを受け取ったあたしに、その子はもう1度頭を下げて冷麺を選び出した。
「広瀬ー何してんだよ~お前マジでドジだよなー」
「うっせ。お前から言われたくねぇっつーの。大体お前今日部活どうした」
どうやら友達と来ていたようだ。会話をしだしたふたりを横目に冷麺を手に取ると隣にいるせいで嫌でも会話が耳に入ってくる。
「今日は朝連ないんだよな~。でもまさかここで広瀬に会うって思わなかったし」
「お前がコンビニでジャンプ読んでるの見た時、マジ俺だってびびったわ。ジャンプどうだった?」
「え、やばいんですけど。エース死んだんですけど」
「マジ!?でもなんかあれ死亡フラグ立ってたもんなぁ……ちょっと中谷なんとかしろよ」
「俺がルフィだったらきっと助けられてたのに……っ」
「いやお前ウソップ程度がお似合いだって」
「じゃあお前はチョッパーだな」
「……俺は既に人外か」
何だか少し微笑ましい会話をしながら隣の子も冷麺を選んでいる。その横ではエナメル製のスポーツバッグを抱えている短髪の男の子。野球部が背負ってるバットを入れる鞄も持ってるから、多分野球部の子なんだろう。
隣の子は冷麺を1つ手にとって、その子と一緒にレジに向かって行った。特に食べたいって冷麺もなかったし、今日はあの子と同じのにしてみようかな。
そう思って、同じのを取ってあの子たちの後ろに並んだ。
「Lチキとから揚げ君のレッド1つお願いしまぁす!」
「中谷お前どんだけ食うんだよ。お前いつもデケェ2段弁当食ってんじゃん。パンも買うんだろ」
「え?Lチキとから揚げ君はHRが始まる前に食って、このパンは2限目が終わって食うんだ。だってもたねぇし……あ、会計はこいつのと一緒で!」
「待て!俺に奢れって言うのかよ!」
「だって俺小遣い前で金ねえんだよー全財産今400円で3日間乗り切らなきゃなんねぇから」
「知るか!最初から払わす気だったな……てめぇ覚えとけよ」
あたしだって持ってないのに、ポケットからGUCCIの財布を取り出して、その子が自分の冷麺と友達の分のお金を払う。店員はおばちゃんだったから、2人のやり取りを微笑ましそうに見ていた。
奢ってもらった子は勢いよく頭を下げてお礼を言った。少しげんきんだけど、明るくて面白そうな男の子だ。
「よぉし!朝の食糧は調達!昼は桜井達にすこーし払ってもらってー部活行く前に池上に売店でお菓子買ってもらってー部活帰りは栄太達にコンビニでなんか奢ってもーらお!」
「お前どんだけたかる気だ……」
「いやいや俺もちゃんと奢ってんだよ?早く行こうぜー!から揚げ君が冷めちゃう」
「奢ったんだから1つ寄越せよな」
「いーよー」
2人は笑って話をしながら自転車に乗って行ってしまった。
楽しそう、あたしとは大違い。あんな風に笑いあえる人がいたら、きっと学校も楽しいだろうに……
そう思いながら、あたしはコンビニの袋をぶら下げて学校に向かった。
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昼ごはんは教室で食べてそのままのんびりしてたけど、5限目が嫌いな社会と言うのを思い出して逃げるために屋上に向かった。授業開始10分前を切っていたので、屋上に人はもう少ない。
授業なんて出なくてもいいや。親が担任にあたしは精神病って相談してるから先生たちは下手にあたしに何も言ってこない。自殺でもされたら敵わないからね。放っておかれるのは慣れっこだ。今更構われても鬱陶しいだけ。今の状態が一番楽だ。
次第に人は減っていき、ついに屋上はあたしだけが残っていた。真夏の暑い屋上で、影のある所でボーっとする。動かずにいたら、汗をかく事はないし丁度いい。
そのまま少しだけ時間が経過し屋上の扉が開く音が聞こえた。あたしと同じさぼりに来た奴かな?そう思って振り返ったら、そこには昨日の男子の姿だった。
一之瀬だ……
そう心で呟いて、彼をじっと眺めていたが、何だか気恥しくなって隠れてしまった。一之瀬はケータイを忘れたらしくて、見つけたことにホッとしていた。
このまま帰っちゃうのか。折角話そうと思ってたのに……でも話しかける勇気もないし、まぁいいか。
そう思っていたら目の前に影が見えた。顔を上げた先には一之瀬の姿があった。
「倉田さん」
「あ、あんたこないだの……また会ったね」
あくまで平静を装って知らなかった振り。あたしの返事を聞いて、一之瀬は少し困ったような顔をした。
そんなきまずそうにするなら話しかけてこなかったらよかったのに。
何か言いたい事でもあるのかな?そう思って一之瀬が話すのをジッと待った。
「授業は?もう始まるけど」
「出ない。今日はそんな気分じゃない」
どうしてもう少しオブラートに言えないのか。完全に一之瀬縮こまってんじゃん!もう聞く事がないのか、いかにもこの場から去りたいって顔をしてるのに、少しだけむっとなった。
でもあたしは話したい事がある。ねぇ、お互いに相談相手がほしくない?
あたしは遂に話を切り出すことにした。
「昨日さぁ、家族の迎えって言ってたじゃん。家族何か病気なの?」
「そう言うのはちょっと……」
「あぁ、ごめん。悪気はなかったんだけどさ、あたしとあんた同じかなぁって思って」
案の定、一之瀬は困った顔をして教えてはくれなかった。でもあたしは更に追求するように、話を引き延ばす。興味を持ってほしい。痛みに気付いてほしい。慰めてほしい。1人じゃないって実感させてほしい。
あたし達はきっと似た者同士だと思うから。
やっぱり一之瀬もあたしの精神疾患を気になっていたのか、話に食いついてきた。
「倉田さんこそ何で行ってたんだ?倉田さんも……その」
「半分あってて半分間違い。あたしは何の疾患もない」
「じゃあ……「あるのはもう1人のあたし」
分からないって顔をした一之瀬が少し可笑しい。まぁこの言い方じゃわからないよね。
あたしが二重人格だって、きっと一之瀬は思ってない。うつ病か何かだと思ってそうだから。
「昨日あんた見てさ、あたしと同じだと思ったんだよね。めんどいよね、精神病患ってる奴って」
「そんな言い方……好きでそうなってんじゃないだろ。奴とか言うなよ」
「優しいね。あたしは嫌いだよ。面倒くさいし、ムカつくし、邪魔だし」
「倉田さん!」
あんたは優しいね。あたしはそんな風に優しくなんかなれないよ。
倉田幸は憎たらしい。自分からあたしを作っておいて、平気であたしをこの残酷な世界に1人だけ投げ捨てた。おかげで今あたしがどれだけ苦しい思いをしてるかも分からずに、すやすやいつまでも寝続けやがって。あんたはそれでいいかもしれないけど、こっちは疲れてるの。少しくらいはいい思いする権利あるでしょ?
「ね、あたしあんたになら色々話せる気がするんだよ」
「話せる?」
「相談できないんだよ。自分の事、誰にも。同じ悩みを持ってる奴じゃないと」
少しだけ考えて一之瀬は頷いた。
やっぱり一之瀬だって相談する人欲しかったんでしょ?こういう事、普通の友達にだって中々相談できないもんねぇ。一之瀬が腰かけたのを見て、早速本題に入ろうと促した。
「じゃあ話そ。どうせ授業ももう始まってるし、あんた入れないっしょ?」
「誰のせいだよ」
「細かい事言わないの。まずはあんたからね」
あたしがそう言えば、一之瀬はずっと我慢してたのを爆発させるかのようにマシンガントークをし出した。
母親がうつ病で辛い。進学できるかが不安だ。いつ母親が治るか分からない。今の生活が正直言ってきつい。母親を見るのが辛い。
そう言って泣きそうになって話す一之瀬には純粋に母親を心配してる。
まぁその中に少しだけ進学とか自分にかかわる事が入ってるあたり、ちゃっかりしてるんだろうけど。でも母親が治って欲しいって心から思ってる。やっぱりあんたは優しい人だよね。そんな一之瀬になんて答えたらいいか分からず、とりあえずティッシュを投げて、先生の受け売りの言葉を投げかけた。
「難しいよね。そういうの……相手の心が読めたらいいのに」
「それ思うよ。心理状態マニュアル本が欲しいよな」
「欲しい欲しい!そしたらあたしも……」
「倉田さん?次はそっちの番だぜ」
言葉に詰まったあたしに、一之瀬は首をかしげてあたしの話を待っている。
そんな一之瀬にあたしは忠告した。
「気味悪がらない事。いいね?」
「え?う、うん」
口ではそう言ったけど、なぜか一之瀬は大丈夫だと心の中で勝手に思い込んでた。なんでかは分からないけど……
「倉田幸は幼いころに父親に虐待を受けてた。身体的なものも精神的なものも性的なものも」
「……」
「母親は気付いてくれなかった。倉田幸が泣きついてもね。そして父親の虐待の恐怖から逃れる為に、倉田幸にもう1つの人格が生まれた。無意識に父親に会う時はその人格を前に押し出して隠れる事で倉田幸は平穏を得てた。結局父親と母親が離婚して母親に引き取られたから今は交流ないけどね」
「それって……二重人格……?」
ここまで言えば分かるか。
一之瀬は目を丸くしてあたしを凝視している。信じられないとでもいった顔をして。
そう、あんたの言った通り、あたしは二重人格だよ。認めたくなんかないけどね。でももう少し聞いて、話はまだ終わってないから。
「一度出た人格は消えない。無意識に作りだしたから倉田幸はもう片方の人格の存在に気づいてない。だから第2の人格が出てる間の記憶がない事に恐怖を抱きだした。記憶が抜け落ちてる自分に……」
「……」
「そして倉田幸は自殺を決意した。飛び降りをね。それを寸前の所であたしが止めたんだよ。それ以来眠ってる」
「じゃあ今の倉田さんは……」
「そう。あたしの方が第2の人格って事。本当の倉田幸は眠ってる。ずっと、何年間も」
幸、あたし初めてあんたを他人に紹介したよ。あたしの恥でもあるあんたをね。
一之瀬は難しそうな顔をしてる。あぁ、もしかして気味悪がってる?それともあたしを偽物だって思ってる?
「あんたもあたしが偽物って思う?倉田幸の偽物」
「え?」
「あたしは第2の人格、本人格じゃない。母親はあたしが二重人格だって事ももちろん知ってる。言われたの。偽物が表に出るなって。本物を返せって」
自分で言って、思い出しても胸が痛む言葉。自然と感情的になって早口になっていく。
「あたしはもう1人の倉田幸。演技なんかじゃない。本当にもう1人の自我。だけど母親はそれを分かってくれない。全てを逃げだして自殺しようとした卑怯者が本物って言うんだよ。あたしは偽物の一言で片づけられる。今は言われる事はないけど、きっとそう思われてる」
「……俺は今の倉田さんしか知らない。だから今の倉田さんが倉田さんとしか思えない」
「そう」
「俺のお袋はさ、うつになってから自分が必要じゃないと思われる事に以上に怯えてる。役に立たないって……」
「……」
「でも役に立たない人間なんている訳ないし、ましてや家族を……」
「あたしは言われた。それは本物の人格だからだよ。あたしは後から生まれた人格、母親のお腹から生まれた訳じゃない。倉田幸の精神がアメーバみたいに分裂してあたしが生まれたんだ。だから母親は自分の子供じゃないと言ってあたしを嫌う」
「じゃあ友達でも作ればいいだろ。そしたら必要としてくれる人が出来る。何で友達を避けんの?」
「倉田幸を起こさない為だよ。こいつは極度の対人恐怖症だから。起きたら泣き喚きだす。あたしなんかが抑えれる存在じゃない。だから眠らせとくんだ。ずっと静かに」
まくしたてるように言えば、一之瀬は悲しそうな顔をしながらも、どこか受け入れてくれるような顔をした。やっぱりこの人ならあたしを理解してくれる。この人の前ならあたしはあたしでいられる。そう感じた。一之瀬があたしの事をどう思ってるかなんて考えもせず。
気味悪がらないでね。
もう貴方しか頼る相手がいないの。