19 夢想少女
「幸、幸、起きて」
真っ暗な空間の殻の中に閉じこもって何日経ったか分からない。ここでは時間の感覚もない。お腹がすく事もない。泥のように眠っていれば、いつの間にか知らないうちに時間が立っている。
確かにこの生活は不便なんて無くて、何も考えなくて良くて、とても楽だ。
それでも、あたしには心残りしかない。
19 夢想少女
この声は幸だな。またしつこく話しかけてきて……
幸が話しかけてくるのは今に始まった事じゃない。それこそ表に追い出した時は頻繁に話しかけてきた。もう10分に1回くらいのパターンで。応えてあげないのは少し意地が悪かったかもしれないけど、あたしなりに心を鬼にして幸の事を見守ってた。って言うのは美化しすぎか。
本当は悔しかったから。幸を見たら、自分の中の汚い感情が渦を巻いて出てきそうだったから。その感情で幸を再び傷つけてしまわないかがすごく心配だった。それだけが不安だった。
だから今回も無視してやるつもりだったのに、あまりにも必死な声に応えない訳にはいかなかった。だってこれがもうずっと続いてる。時間の感覚が分からないから、どれだけ続いてるか分からないけど、ずっと続いているから。
仕方なく起き上ってまっすぐ前を見れば、全く同じ顔のあたしが立っている。泣いてるかと思ったけど、どうやら泣いてはないみたい。見た事ない様な凛とした表情をしていた。それほど何か大事な話があるんだろうか。思わず息を飲んだあたしの隣に幸は腰かけた。そのまま体育座りして、ただ俯いている。
「……人を起こしておいて何?マジ安眠妨害」
「ごめんね。でもハッキリさせなきゃって思って」
ハッキリさせる?何を?あたしたちの間に何をハッキリさせるって言うの?
もう全て終わったんじゃない。あたしはこうやって眠っている内にきっと消えていく。幸はそのまま現実世界で生きて行く。
大丈夫、現実世界では助けてくれる人がいるはずだ。母さんに春哉に後藤先生、それに石原達も。あんたが怖がる必要なんて何もないんだよ。あんたが笑って“おはよう。ありがとう。ばいばい。ごめんね”それだけ言えればいいんだよ。自分から話題出すとか難しい事はまだ考えなくていい。
挨拶と感謝と謝罪さえできれば、コミュニケーションは最低限成り立つ。まだあんたはその段階でいいんだから。何を悩む必要がある?
「幸、あたし考えたの。あたしは何のために存在してるんだって」
「え?」
「今更体を手に入れても、あたしには何もない。知能も常識も何もかも……体だけ成長して中身は小学生のままなの。感情のコントロールだってうまくできるか分からない」
「幸……」
「でもそれは全部逃げた自分のせいって分かってるから、誰を責めるまでもない。でもね、そんなあたしの為に今まで頑張ってきた貴方がこうして不幸になるのはどうかなって思った」
今日の幸は凛としてる。少し情けないのは変わらないけど、でも今までよりは格段にしっかりしてる。ううん、何かを覚悟してる。そんな感じだ。
ねぇ、幸は何が言いたいの?
「何が言いたいの?」
「……幸、ちゃんと話しあいしよう。恨みっこなしで。どっちが表に出るか、どっちが消えるか」
どっちがって……そんなの決まってる。表に出るのはあんただよ。それは確実なんだよ。だってあんたが先の本人格、あたしは後から出てきた二重人格。そんなあたしが表に出ていい訳が無いじゃない。あんたが出てこその倉田幸じゃん。あたしは倉田幸の代理を務めてただけ。あんたの代わりを帰ってくるまでやってただけ。
少しだけ好き勝手にやらせてもらったけど、そのルールはちゃんと遵守するよ。
「あんたが出なくてどうすんの?あんたが本人格じゃない」
「ねぇ、本人格って何なの?それは誰が決めるの?先に出てきたあたしが本人格なの?それとも倉田幸として過ごしてきた時間が長い貴方が本人格なの?」
「それは……」
「あたしね、貴方になりきらなきゃって思ったの。貴方になりきらなきゃ誰にも好かれないって。でも貴方と比べてしまうから、そんなことするなって怒られちゃった」
それは誰の事言ってるの?母さんに言われたの?
幸は悲しそうに笑ったけど、泣く事はなかった。いつもビービー泣いてたくせに、なんだか幸も大きくなったなぁ。無駄に親心でそう感じてしまう。
「それに言われたの。幸を消してまで表に出たんだからしっかりしろって。だから決めた。あたし、貴方との会話をこれで最後にする。貴方が表に出たら、あたしは綺麗さっぱり消えるし、あたしが表に出たら、貴方は綺麗さっぱり消えて。そしたらあたしは新しい倉田幸として生きる」
「それならあんたが表に……」
「それが幸の本心なの?幸は消えたくなかったんじゃないの?」
そう、消えたくなかった。まだまだ倉田幸でいたかった。春哉とたくさん笑いあいたかった。春哉といっぱいどこかに出かけたかった。母さんといっぱい話したかった。いっぱいお出かけしたかった。石原達と修学旅行を回りたかった。短い10分休みにもっとたくさん話したかった。
やり残したことはいっぱいある。でもそれを叶う日は来ない、そう思ってた。でも幸は本心を言えって言ってる。だからあたしはしまってた胸の内を露わにした。
「あたしは……まだ消えたくなかった!まだやり残した事一杯ある!まだ倉田幸でいたい!まだ、まだ……まだ母さんや春哉に幸って呼んで欲しい。あんたじゃなくて、あたしの事を!」
目に涙をためて声を荒げたあたしに、幸は表情を変えずに無言で眺めていた。初めて幸の視線が怖いと思った。幸は一体何を考えて何を思って、あたしの事を見ているんだろう。馬鹿な奴だって思ってるのかな、最低な奴だって思ってるのかもしれない。
でも返ってきた言葉は全く別の言葉だった。
「さっさと言いなよ、すごく分かりづらい」
「え?」
「幸は消えたくなかったんでしょ?なににどうしてあたしを外に出したの?」
「だってそれはあんたが本人格だからって言ったじゃん」
「そう言うの関係なくない?幸がそう思ってても本人格は皆貴方だって思ってる。あたしね、言われてるの。つまらないって、いつもみたいに突っ込んでって」
幸の目からこぼれた水滴に目が丸くなる。あたしは幸をどれだけ傷つけてたんだろう。自分ばっかり嘆いてた?幸を一方的に追い出したけど、幸を受け入れる体制を作ってなかった。その結果、目の前にいるもう1人のあたしは深く傷ついたんだろう。
「分かったんだ。10年は大きすぎた。どこにもあたしの居場所なんてない。だから作ればいいんだ、そう思った。でももういいや」
「幸?」
「なんだか今ね、すごく悲しいけど嬉しい。自由になれるのは嬉しいけど、もう少し頑張れたら結末は違ったかなって……」
幸の体が薄くなっていく。どういう事?まさか幸が消えるって言うの!?
慌てて掴んだ手を幸が握り返す。
「幸せになってね。あたしが羨むくらいに……もうなってるか」
「幸、消えたら……!」
「消えるんじゃないよ。1つになるんだよ」
“ママと一之瀬君によろしく”
そう言葉を残して目の前にいたはずの、もう1人のあたしは姿を消した。実感が全くわかない。幸が本当に消えたのか、本当にあたしが本人格になったのか。
幸の最後の言葉が胸を深く傷つけて、暫く膝に顔をうずめて泣いた。
それから何時間その場にいたか分からないけど、あたしは意を決して表に出る事にした。
目を開けた先には真っ白な天井、そして傍には後藤先生がいた。
「先生……」
「君はどっちの幸ちゃん?」
「先生が良く知ってる方」
「そうか。明るくて元気な方の幸ちゃんだね」
その言葉が嬉しくて、先生に抱きついて泣いた。先生は「お帰り」とだけ言って、ひたすらあたしをあやしてくれた。どのくらい時間が経ってたのかな。あたしはまた取り戻せるのかな?
何も分からないけど、幸がくれた残りの人生全てを悔いが無いように生きようと子供ながらに決意した。
何もかも取り戻すのが遅くなってしまった。でもまだ間に合うでしょ?
だって夢は幻想から作られる物なんだから。