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第四話

 そもそも、この世界における魔法の制約は多い。日本を生きた身から考えると何でもできそうだけれど、そうでもなかった。RPGの呪文のように、地水火風を操る攻撃や変形魔術が主で、他は回復と特定の場所へ飛ぶ移動魔術くらいしかない。でも、その移動も風を原理として、一度行ったことがある「その場所」を明確にイメージできなければ発動しない仕様だった。どこへでも飛べるわけではなく、壁を透視したり通り抜けたりできるわけでもない。未来型ロボットや映画のヒーローのような万能さはなかった。


 つまり、財宝は「現実に存在する場所」にしか隠せない。そして、隠す側も探す側も、物理的な制約の中で行動しなければならない。魔術的な力を使って壁を補強して隠すことや、ものを壊して扉を開くようなことはできても、中身だけを簡単に移動したり、テレポートさせることはできない。

そう思いながら、図面を眺めていると、王子が時計を確認した。

「そろそろ議会の時間なんだ。午後までちょっと抜けるね」

「では、私は図面を見た後、視察に行って参ります」

「僕も議会が終わり次第そちらに向かうから」


 私は、カイル王子が午前中の国会に出ている間、先に王子の部屋で「本物の設計図」を脳裏に焼き付けた。図面はノートに書き写すことすら許されない秘匿情報。気になる点について簡単なメモをして、図面を暗記する。その後、私は地図の通りに秘密の地下を引き返し、さっきの自分の泊まっていた部屋に戻った。そこから、城壁や門、宮殿内を巡って構造を確かめることにした。


 山の上にある宮殿は、滝や森を背に、深い山林に囲まれている。王宮の城壁を出てすぐの場所に、議会や裁判所、そして私がいた建設省などの国家機関が密集していた。そこから山の中腹まで、街が続いていてこの国の首都のような役割をしていた。


 私は一度、王宮の外へ出て、ゆっくりと外壁を確認する。正面は小規模に見えるが、後方へ向かって長く伸びるその造りは、前世で見たノイシュバンシュタイン城を彷彿とさせる奥行きがあった。門、見張り台、分厚い城壁――それらは以前の図面通り。でも、その「普通」の中にこそ違和感が潜んでいるはず。 壁の質感を指先で確かめていた、その時だった。

「レティ! 何してんだ?」

 聞き慣れた、けれど今の私には毒のように響く声。後ろから乱暴に腕を引かれた。

「シャオン……っ」

「お前、王宮で何を企んでるんだ? もしかして、建設省の様子が気になって出てきたのか?」  

シャオンは当然のように私の肩に腕を回してきた。

(重い。……それに、苦しい……)  


避けようとしても、彼の腕は鎖のように私を固定する。その不快感に身を竦ませた瞬間――。

「バイオレット、お待たせ」

 凛とした声と共に、温かな熱が私の指先を包み込んだ。カイル王子が、ふわりと私の手を引き、鮮やかにシャオンから引き離してくれたのだ。

「ごきげんよう、シャオン・ブリュ。彼女は今日から私と散歩したり本を読んだり、悠々自適に過ごすことになったんですよ」  

王子は完璧な微笑みを崩さず、シャオンへ挨拶を投げた。

「そ、そうですか。王子ともあろうお方が、公務でお忙しいでしょうに……」  

シャオンの声は昨日と打って変わって、どこか反抗的な響きが混じっていた。

「シャオンったら、王子になんてことを」  

私は苦笑いを作りながら、二人の間に割って入る。

「心配には及ばないよ。私は仕事がものすごく的確で早いんだ」  

王子は余裕たっぷりに笑うと、「じゃあ、僕たちはこれで」と私の手を引いて奥へと歩き出した。


 呆然と立ち尽くすシャオンの姿が、みるみる遠ざかっていく。王子は一度だけ背後を一瞥すると、私の耳元に顔を寄せた。

「彼に察せられると危険だから、しばらくは距離を置いてね」

「はい……」  

王子は安心したように微笑んでくれた。

(綺麗な長い睫毛。……まるで、天使のような笑顔)


 その横顔を見つめながら、ふと、違和感が胸をよぎる。そもそも、前世の記憶にあるアニメの中で、カイル王子の出番はほんの一瞬だったはず。この世界に来てからも、彼と接点があったのは数回。それなのに、どうして声をかけられたのだろう?

 確か、彼は亡きお妃様の一人息子で、直系の王位継承者は彼しかいないはず。お妃様が王家の一人娘だったために父王は婿養子として迎えられたが、十年ほど前に彼女が亡くなった後、父王は別のお妃様を迎えられた。……そうだ、その新しい母親に男の子が産まれ、カイル王子は常に命を狙われる状況に置かれていたはず……。


 私は、はっとして彼の隣顔を仰ぎ見た。過酷で、一息つく暇もない状況にありながら、彼はこうも悠然と振る舞っている。お心の強さへ感嘆すると同時に、彼が孤独に過ごしてきたことを思うと、胸が締め付けられる。

(できるだけカイル王子の助けになりたい。……この方こそが、誰よりも国民のことを考えておられるはずだわ)

 私は心の奥底で、昨日よりもさらに深く、熱を帯びた誓いを立てたのだった。



--------


(カイル王子視点)

 シャオン・ブリュがバイオレットの肩に腕を回しているのが見えた瞬間。カイルの腹の底で、焼け付くような不快感が爆発した。

(放せ。お前のような男が、気安く触れていい女性ではない)

 剥き出しの感情をそのまま叩きつけられたら、どんなにいいだろう。だがカイルは、煮えたぎるその熱を、仮面の裏に完全に封じ込めた。彼の願いは、ただ一つ。バイオレットの信頼を勝ち取り、彼女を驚かせないよう、慎重に距離を縮めることだった。


遠ざかるシャオンの背を見送りながら、カイルは二年前、彼女を初めて知ったあの日のことを思い出していた。


--大学の卒業直前。政治学と経済学を専攻していたカイルは、亡き母と懇意にしていた教授の計らいで、建築学部の『新建築デザイン』卒業論文発表会に潜り込んでいた。そこで、バイオレット・ローズ・アザールという可憐な女性が常識を覆したのだ。

「現在、王宮のすぐ側にある滝は、飲み水や食用以外にも、多くの利用が考えらる量だとわかりました。滝からの生活用水路と同時に、自然に還元できる排水路も設備し、全ての生活の衛生管理を徹底できると考えています。そうすることで、伝染病や食中毒の被害を防ぎ、多くの人々の安全と健康が保たれることで、国の発展へつながると思います」


 華奢で妖精のような女の子が放つ、力強い言葉。慈愛に満ちた視点と、国家単位の経済戦略。そのすべてを論理的に語る彼女に、カイルは一瞬で目を奪われた。

(可愛く、甘い声で……なんて優しくて理知的な提案力だろう)

 今までの彼は、国政も外交も経済も、ただこなすべき「無機質な課題」として突きつけられてきた。だが、彼女の語る細部にまで行き届いた思いやりは、それらすべてを「血の通ったもの」としてカイルに感じさせた。国民の生活。働きやすい環境。生きやすい街づくり。


(ああ、そうか。国を動かすということは、こういうことだったのか……)

 気づけば、彼はすっかり彼女のファンになっていた。

(発表に感動しました、と話しかけに行こうか。……いや、あまりに唐突すぎて引かれるだろうか)

 そんな青臭い迷いを抱え、終業のチャイムと共に彼女へ駆け寄ろうとした時――。  目に飛び込んできたのは、最悪の光景だった。割り込んできたシャオン・ブリュが、バイオレットの長いポニーテールを乱暴に引っ張り、不遜に言い放ったのだ。

「おい、レティ。次の物理学の最終レポート見せろよ」

「い、痛い……っ。ええ、またやってこなかったの?」

シャオンは彼女の肩に肘を乗せ、自分の所有物のように覗き込んでいる。


(彼女をこれほど雑に扱う男が、隣にいるのか……)  

バイオレットは小さな身体をさらに縮こませ、逃げるように身を引いていた。  

その様子を見て、周囲の学生たちが無責任に囁き合うのが聞こえてくる。

『またあのカップルがいちゃついてるぜ』

『でも聞いた話じゃ、恋人でも婚約者でもないはずだが』

『シャオンが言ってたよ。レティは自分にベタ惚れだから何でも言うこと聞くってさ』

『はは、あの成績もあの身体も、やりたい放題ってわけか。羨ましいね』


 身の毛がよだつような怒りが、全身を駆け巡った。

(やりたい放題……?)

 バイオレットは、先ほどまでの溌剌とした姿が嘘のように、表情を消してノートを見つめていた。一言も言い返さず、ただ耐えるように。 カイルは一目で悟った。彼女がその溢れる才能を、あの男によって不当に縛られ、搾取されていることを。

 その時から、彼の中で静かな決意が形作られていった。

(彼女が、本当に自由に笑える場所を。 誰にも遠慮せずに、理想を語れる場所を私が――用意したい)


 大学を卒業してからも、カイルの視線は無意識に彼女を追っていた。意図して探しているわけではない。だが気がつけば、建築省の付近や王宮広場の石段の上、工事中の仮囲いの向こう側――そこかしこに、彼女を見つけてしまうのだ。友人のルカ・エルナンドと並び、手元のノートと建物とを何度も照らし合わせながら、目をきらきらと輝かせている姿。スカートの裾を揺らしてぴょこぴょこと跳ねたり、見えにくい場所を背伸びして覗き込んだり、床をトントンと叩いて強度を確かめたり……。一挙手一投足が、まるで光を帯びているかのように眩しかった。


(どうして、あれほど楽しそうに仕事ができるのだろう)

 王子としてのカイルは、常に責務と計算の中にある。だが彼女は、使命と情熱を両立させている。その姿を見るたびに、胸の奥に温かなものが広がると同時に、言いようのない焦燥が芽生えた。

 ――もっと、近づきたい。

 やがて、政府の命で本格的な王宮水路工事が始まると、カイルは公務として視察に行く機会を得た。シャオンがいない場所での彼女は、まるで籠から放たれた鳥のようだった。表情をくるくると変え、土や泥に足を踏み入れることも厭わない。額に汗をにじませ、顔についた砂を払いながらも、生き生きと魔法を織り上げていく。誰よりも泥まみれで、誰よりも輝いていた。


(ああ……)

 胸が締めつけられる。愛しいという感情が、こんなにも静かに、けれど確実に広がっていくものだとは知らなかった。彼女をこの手で守りたいという渇望が、日増しに強くなっていった。

 初めて言葉を交わしたのは、水路工事の現場視察だった。

「初めまして。カイル・クロースと申します」

「お初にお目にかかります、カイル王子様」

 彼女は礼儀正しく、裾を整えて深く頭を下げた。


「工程について教えてくれますか?」

「はい!現在は滝の水量に合わせた飲み水用の上水路と生活用水路を作っています。一番始めに施工が終わった排水路場所へしっかりとつなげられるよう、高さと位置を計算しながら進めています」

カイルの問いに、バイオレットは自負に満ちた、清々しい瞳で応えた。技術と魔術の融合をわかりやすく、軽やかに説明してくれる彼女が、カイルは可愛らしくて誇らしかった。

「……多くの国民の暮らしやすさを、これほど深く考えてくださって、本当にありがとう」

彼が心からの感謝を伝えると、彼女は深々と頭を下げた。

「めっそうもございません!当然のことですので」

気負いのない、可愛らしい声。けれど専門家としての自負に満ちたその言葉。彼女は、王族であるカイルの前でも、実に清々しく、生気に溢れていた。



……だが、その時間は長くは続かなかった。

「これはこれは、カイル王子! 私が開発した水道建設を視察に来てくださったのですね」

 割って入ってきたのは、やはりシャオンだった。

(私が開発した……? 何を言っているんだ。これはすべて、彼女の卒業論文に基づいたものだと私は知っているが……)

シャオンに遮られ、一歩後ろへ退いたバイオレットを盗み見る。彼女は先ほどまでの輝きを消し、俯いたまま、呆然と地面を見つめていた。

(……奪われているのか。功績も、声も、立ち位置も)

「むさ苦しい場所ですので、設計室へご案内しましょう」

シャオンの言葉に、カイルは静かに首を振った。

「結構です」

 彼女を一人残していくのは忍びない。だが、ここで露骨に肩を持てば、後で彼女がどれほどの圧を受けるか分からない。

(守るどころか、挨拶一つで精一杯なのか……)

私は無力感に苛まれながら、その場を去るしかなかった。


 その後も、大型水道設備や循環システムなど、バイオレットの独創性を感じさせる提案が次々と魔法省から上がってきた。そのすべての発起人は「シャオン・ブリュ」。だが、カイルは現場に足を運ぶたびに、シャオンが名前だけで、バイオレットのアイディアだという確信を深めた。カイルがいつ見に行っても、バイオレットは必死で図面と睨みっこをして確認しながら、沼地や貯水池に腕まで突っ込んで直接魔法をかけ、重労働を担っていた。

 一方で、シャオンは清潔な服のまま図面を片手に立っているだけだった。指示を出している様子すら見えなかった。シャオンと同じように服も汚さず、高みから視察するだけの自分が、カイルは情けなくて仕方がなかった。せめて彼女の負担を減らそうと、王子は現場に湯室や着替え用のテントを極秘に手配した。

 そして、父王と共に新しい循環システムの視察を訪れた際。カイルは賭けに出た。王の前で、意気揚々と解説するシャオンに、彼女の論文で最も専門的だった部分を問いかけたのだ。

「この貯水池の排泄物を浄化する微生物の名を教えてください」

シャオンの顔面が、一瞬で蒼白になった。

「そ……それは……」

「魔法をお使いですか?」

「ええと、その……」

 答えられるはずがない。彼は「内容」ではなく「成果」しか見ていないのだから。


 王子は冷ややかな沈黙を置き、そのまま王を沼地のバイオレットの元へと導いた。泥にまみれて魔法を唱えていた彼女に、全く同じ質問をぶつける。バイオレットは、泥のついたスカートを払いながら、笑顔で答えた。

「お見苦しい格好で失礼いたします。……それは、ニトロバクターとニトロソモナスと申しますが、数が不足しておりましたので、火と水の魔術を併用して調整しております」

淀みなく流れる彼女の知識。王も深く感心したように頷いた。


「大変素晴らしい知識ですね。綺麗な環境づくりに、豊富な作物や水産物の養殖も期待しています」

「ありがとうございます。国王陛下様」

王の言葉に、泥だらけで満遍の笑みで答える彼女の姿は、まるで大地の女神のようだった。

 その日の帰り道も、湯上がりでさっぱりとした顔の彼女の背をカイルは遠くから見つめた。仲良しのルカと、笑顔で語り合いながら、帰路の馬車へ乗り込んでいた。あんなに可憐なバイオレットの情熱が、この国を確実に豊かに変えていっている。各所に配置されていた衛生塔は、常に水が絶えることなく流れ、大理石で美しく磨き上げられた、不浄を留めない清浄な空間となった。王宮を囲む街の衛生管理は、周辺地域からも話題となり、活気に満ちた発展を遂げていた。 


 カイルはすぐに、動くことに決めた。王や重役たちの前に、彼女の本当の経歴と論文、そして歪められた議会レポートのすべてを突き合わせて提示した。彼女に正当な勲章を授与するための準備を、何ヶ月もかけて進めた。議会で彼女への勲章授与が決定されると共に、今後の国家インフラ政策の多くのより良い議論がなされるようになった。

 

……そして今。遠ざかっていくシャオン・ブリュの背中を一瞥し、カイルは隣のバイオレットに視線を戻す。

(二度と、あのような男に彼女の翼を折らせはしない。二度と、その肌に汚らわしい指を触れさせはしない。もう君の目が曇るのを見たくないんだ。バイオレット・ローズ)

 胸の奥で静かに誓いながら、王子は彼女をエスコートし、王宮のさらに深い場所へと歩みを進めた。


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