第三話
朝食を終えると、王子は温室をさらに奥へ案内してくれた。勝手に宮殿内だと思っていたけれど、ここは独立した別邸なのだろうか?王宮の中にこれほど豪華な温室があったなら、私が今まで調べた資料で目にしていないはずがない。しかも今朝から、広い敷地内を行き来しているのにも関わらず、王子以外の姿を一人も見ていないことに気づいた。
(全て、完全に外部を遮断した極秘案件のためなのね……)
温室を出て、瑞々しい緑を抜け、庭園のさらに奥へ進むと、宮殿の大きな石造りの壁と水道塔に荘厳な扉が現れた。すぐ側を通る滝の大きな音も聞こえる。
「やはり、ここは王宮だったのですね。設計図はすべて頭に入っていたつもりでしたが……こんなお庭からも宮殿に入れるなんて、資料には記載されていませんでした」
私の呟きに、王子は楽しげに目を細め、扉を開けてくれた。私が室内へ入ろうとすると、彼は不意に私の耳元へ顔を近づけ、低い声で囁いた。
「君の考えが正しいよ。このあたりは王族でも限られた者しか入れない区画なんだ」頬のすぐ横に、王子の美しい鼻先が来る。重なる影と、彼の息の温かさが伝わって、胸の奥が跳ねた。
(!!近い……でも、びっくりしたけど、なんだかお花のいい香りがしたな……)
水道塔の扉を入ると、そこは暗くて長い廊下になっていた。招かれたのは、廊下の一番奥にある王子の書斎だった。
「一度こちらへ。……まず、期間と報酬を提示するよ」
王子がテーブルに置いた資料を見て、私は息を呑んだ。
「二ヶ月でこれほどの金額を……? 破格すぎます」
報酬に加えて、母と妹へのバックアップまで提示されている。
「それだけの大変なお仕事内容だけど……?」
「なんでもありがたいです!」
「内容は二点。一つは君の建築知識で分析してもらう作業と、一つは建築知識と施工技術を最大限駆使してもらうリフォーム業務。……本当に、引き受けてくれるかな?」
「はい!」
迷いのない私の返事に、王子は少し躊躇するように視線を揺らした。
「……本当に、大丈夫?」
「はい、もちろんです!」
私の強い眼差しに射抜かれたのか、彼は一つ大きく息を吸い込むと、古い巻物をテーブルに広げた。
「では、お話を進めよう。実は古代の王家の誓約があり、それに従っていただくことになる」
王子が指をかざすと、巻物から青白い炎がふわりと立ち上がり、文字の形に燃えていた。
『汝、これより嘘偽りなく、全ての誠意を持って、国民の利益と平和のために働くことを誓うか?』
歴代王家の気高い志が、魔力となって肌を震わせる。炎の文字はチリチリと音を立てて、まるで睨みつけているようだった。
(すごい!王家に伝わるという伝説の誓約書だわ。本当にあったなんて)
私はこの巻物が見られただけでも嬉しくて、気分が高まっていたけれど、王子はとても心配そうにこちらを覗き込んだ。
「ごめんね、おどろおどろしいよね。怖がらせてしまったかな?」
私は輝かんばかりの笑顔で答えた。
「いいえ! むしろ光栄です。国家規模のお仕事に携われるなんて、建築士冥利に尽きます!」
「えっ……?」
「喜んでお引き受けします!」
その瞬間、炎の光が私の手首にぐるりと巻きつき、内側に王家の刻印が浮かび上がった。
「わあ……!」
思わず歓声を上げる私を見て、王子が呆然と目を丸くした。
「……痛くなかった?大丈夫?」
「全くです! 喜びのあまり叫び出したい気分です!!これほど重要なプロジェクトに、王子は私を選んでくださったんですね!」
嬉しすぎて、思わず飛び跳ねてしまった私の様子を見て、王子は目を丸くした。
「……ははは!」
そしてすぐに、彼はお腹を抱えて大笑いした。
「こんな怖い巻物を見て喜ぶなんて、君は本当におかしな子だ。……やっぱり、僕の勘は正しかった。君でなければ、この計画は成立しないよ」
――その一言に、胸が熱くなる。
王子は笑いを含んだ瞳のまま、別の古い巻物を紐解いて、こちらに見せてくれた。
「これが、我が家に代々伝わる伝承だ。要約するとこうなる。
――四百年ほど前、初代国王はたった一人で計り知れない富を築き、この国を建国した」
「初代の伝説ですね。国民を貧困から救うために、あらゆる産業を整備されたという……」
「ああ。多くの志高い人々を集めて国を整えたんだ。初代国王の豊かな財宝の半分は運用され、半分は国家資産として、国民の大きな危機や災害、平和のために保管されることになった」
「未来を見据えてらしたんですね」
その巻物をさらにテーブルに広げて、彼は指を刺しながら教えてくれた。
「けれど、その財宝に目が眩んだ者たちが盗んで海外へ売り捌いたり、豪遊したり、ついには争いまでも始めてしまったんだ。王は嘆き、奪い合いを避けるため、王宮のどこかに『誰にも分からない形』で隠した」
王子の声が、一段と低くなる。
「そして、百年に一度。王家の第一子は、誓約魔法に魂の誓いを刻み、隠された場所の謎を解き、性急に必要な分以外は、また別の場所へ移し替えなければならないという掟ができた。財宝が、人々の欲望の対象として露呈する前にね」
「……つまり!」
「そう。今年がちょうど、その百周年の節目なんだ」
私の胸は、高揚感で打ち震えていた。
「カイル王子!」
思わず彼の腕を取り、身を乗り出す。
「私、絶対にお役に立ってみせます。その財宝、王子と共に必ず見つけ出して――今度は完璧に隠してみせます!」
力強く宣言した私の言葉に、王子は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。けれどすぐに、溶けるような優しい微笑みを私に向ける。
「ふふ、心強いよ、バイオレット。……ありがとう、本当に」
王子はそう言って席を立つと、書庫の奥から厳重に封印された革の筒を取り出してきた。そして、その表紙を魔法で解き、机の上に大きな図面を広げた。
「さあ、これが、王家しか持ち得ない本物の宮殿の図面だよ」
広げられた羊皮紙には、緻密な魔法インクで描かれた、見たこともないほど複雑な回廊と構造が浮かび上がっていた。 建築省の資料室で、指にタコができるほど模写したはずの王宮図面。それが表向きの宮殿だったことを思い知る。 壁の中に隠された謎の空間、そして魔力でしか開かない不可視の扉……。そして、今いる現在地の異様な位置に気づく。
「……王子!もしかして、私のいるここ自体が、そもそも表向きは存在していない場所ですね?」
「すぐわかったんだね」
カイル王子はにっこりと微笑んでこちらをみた。
「私はさっき、この客室から、隠し扉を通ってこちら側の地下へ来たんですね?」私は秘密の地図の上を指差して、王子の目を見た。
「ご名答。これからは外へ出る際も、同じ道を引き返して客室の方から行き来してね」
王子もその地図を指でなぞりながら、迷わないよう丁寧に動線を教えてくれた。その図面はお伽噺のような奔放な発想に基づきながらも、見れば見るほど緻密に計算された設計が施されていて、私は驚きを禁じ得なかった。
「衝撃的です。山の傾斜をうまく利用しているとはいえ、まさかこんなところに地下と、庭園まであるなんて。誰も想像すらできないと思います!」
「王宮の地上の窓からは、テラスや森の木々の影が重なって、この地下と地下庭園はちょうど死角になるように設計されてるんだ。まさに灯台下暗しだね」
「私の固定概念がひっくり返った感じがします」
「ふふふ。この地図を参考に、一緒にプロジェクトを進めていこう。よろしくね」
「はい!」
王宮の一番奥にある秘密の地下で、すでに新しい物語の奥深くに自分がいる。全身の血が、一気に沸き立つような感覚。私はその圧倒的な情報の濁流に、足の先から頭の天辺まで、歓喜で震えた。




