第十五話
建設省が百人規模の体制で大規模な改修を進め始めてから、数週間が経った。王宮が深い眠りにつく頃、私たちは「真の仕事」を開始する。表向きは建築省のシャオンとブルーノによる噴水設備工事が華々しく進んでいたし、ルカと私も水道塔や玄関ホールの施工作業をしていた。その喧騒を隠れ蓑に、私たちは夜な夜な地下一階の隠し部屋へと集まっていた。
「さあ、今日も始めましょうか」
ルカの号令で、密やかな作業が始まる。王の間の直下が崩落しないよう石柱の周囲を補強し、その底部から一気に黄金を導くための巨大な受け皿と、黒鉛の配管を張り巡らせていく。前世の知識にある重機や溶炉作業が、この世界では「魔術」で鮮やかに代替できてしまう。巨大な設備が必要になることもないし、大きな音を立てることもなく、闇に紛れて黄金の道が形作られていった。
「ちょっとー、ここ、どうしたらいいんだっけ?うまく曲がらない」
キリアンが手を離しそうになったところに私とルカがすぐに入り込み、黒鉛のパイプを90度に曲げた。
「まあこんなもんでしょ、多分火と風の分量が違ってたのよ」
ルカはキリアンの前で、魔法の掛け方をおさらいしていた。私が自分の場所に戻ってくると、その様子を見ていた王子は、にっこりして頷きながら声をかけてくれた。
「前から思ってたけど、バイオレットもルカも、どんな汚れた場所でもどんどん手を突っ込んで魔法かけて、ものづくりしていくんだからほんとすごいよ」
「手が自由に動くだけでもありがたいし――昔は、思うように動かせない時間の方が長かったから」
私の言葉に、王子は首を傾げながら笑顔になる。
「バイオレットはそんな風に思ってるのか……」
そんな王子の、滅多に見ることができない作業着姿が、私には眩しく見えて仕方なかった。
(肩や首のラインがいつもよりイカつく見える。ギャップ萌え……)
私たちが穏やかに話しながら作業を進めている横で、ルカとキリアンは対照的に高い声を上げていた。
「――キリアン、そっちの耐熱パイプの先、もうちょっと右っしょ。あと5ミリくらい」
「ええっ、またやり直し!? ……これか? 意外と力仕事だな」
「文句言わない! ほら、カイル王子だって泥だらけでやり直してるんだから。ホールド力が変わると命取りだから」
「ルカって……なんだか人使い荒くない?」
職人気質のルカと、軽妙ながら手際の良いキリアン。二人はまだ出会って間もないとは思えないほど、遠慮なく言い合い、まるで昔馴染みのような見事な連携を見せていた。ルカの腕前は期待通り確かで、王子の前でも物怖じせず、いつの間にか四人は背中を預け合う「仲間」になっていた。
私とカイル王子も、二人の騒がしくも微笑ましいやり取りに思わず目を合わせ、吹き出してしまう。
「……なんだか、不思議な気分だ。ずっと静まり返っていた王宮の地下で、こんなに泥だらけになって、誰かと笑いながら何かを造る日が来るなんて」
配管で埋め尽くされていく部屋を見渡し、カイルが目を細めた。 灯りに照らされた横顔が、どこか眩しく見える。
「ちょっと王子様! 勝手に無駄話していいなんて言ってないから! 手を動かして!」
すかさず飛んできたルカの叱咤に、キリアンは思い切り顔を顰めた。
「ルカ、恐れ多くも王子になんつー態度だ」
「いいんだ。ルカ、本当に、『仲間』になりたいから、カイルって呼び捨てしてほしいな。キリアンも二人の時はそう呼んでいる。バイオレットにもそう呼んでほしいと言っているんだけど」
王子の提案に、ルカは目を丸くして、こちらを見た。
「えーっと、本当にいいのかな? 私、すぐ調子に乗るけど……」
ルカと王子の会話に、キリアンはすぐ口を挟んできた。
「ルカも、ちゃんと立場わきまえて外では王子って呼べよ?そういうの忘れちゃいそうだから俺的には微妙だけど……」
「そりゃあんたと違って私はちゃんとしてるから、大丈夫」
ルカはキリアンに舌を出して睨みつけた。王子はその様子を楽しそうに見て笑う。長い間、ひっそりと誰もいなかった地下空間の、この閉ざされていた場所に、小さくても明るい声が飛び交う日が来るなんて。彼の目を見て、私の心まで温かくなる。
「人目は気にしなくていいから。それよりもルカがバイオレットのことも説得してね」
「うーん。でもカイルが言って聞かないなら、私が言っても聞くかわかんないけど……ほら、あんたもカイルって呼びなさいよ」
ルカがさらりとその名を呼んだ瞬間、私の胸がチクリと騒いだ。それを見透かしたかのように、カイルは作業用手袋をした手で、そっと私の指先に触れた。手袋越しでも、そのぎゅっと握られた指先が震えそうになる。
「バイオレットも、よろしくね」
先日、私は彼を拒んだ。「身分が違いすぎる」と。けれど、この熱い手に触れると、理性のブレーキが甘くなってしまう。
「……はい。……カイル」
ぼんやりとした頭のまま、細い声でつぶやいた。彼はひまわりが咲いたような満面の笑みで応えてくれた。
黒鉛のパイプを組み立てながら、地下室に響く笑い声と、魔導の光。四人の絆は、流し込まれる黄金よりも固く結ばれつつあった。――けれど、その輝きの裏で、音もなく不穏な影が忍び寄っていた。
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「……そっちの工事は順調か?」
ある日の午後。昼食を終え、玄関ホールの装飾柱の基礎を整えようとしていた時だった。ルカが合流する前の、静かなホール。背後から聞こえてきたのは、あまりに聞き慣れた、けれど今は聞きたくない声だった。よりによって、一番見られたくない隠蔽工作の箇所を施工しようという直前に現れるとは……。振り返ると、やはりシャオンが真っ直ぐに立っていた。
「ええ、順調よ。そちらこそ、すごく大規模な工事になってるわね。避難所を兼ねた噴水装置、素晴らしいデザインだと噂を聞いているわ」
「ああ。莫大な資金を注ぎ込んでもらえた。俺のキャリアの中でも、一番胸を張れる代表作になりそうだ」
驚いたことに、今日のシャオンには以前のような粗暴さがなかった。肩に肘を乗せたり、髪を引っかけたりといった馴れ馴れしい振る舞いもなく、一定の距離を保って紳士的に話している。その豹変ぶりが、かえって不気味にすら感じられた。
「よかったら、テラスで少し話さないか?」
促されるまま二階のテラスへ上がると、眼下には工事中の噴水広場が見渡せた。 庭園の中央に、大きな囲いが張り巡らされていた。その内側で、石材と水が組み上がっていく光景は、確かに見事だった。
「実は……カイル王子から直接聞いたんだ。お前とルカが、俺とブルーノを推薦してくれたんだってな。それで今回の大抜擢が決まったと」
(……王子、そんなことまで話してくださったのね)
「……今まで、悪かった」
不意にシャオンから落ちてきた言葉に、思わず目を見開く。
「お前のこと、ちゃんとわかってなかったし、誤解もしてた」
唐突に頭を下げた彼に、私は呆然とした。
「建設省の男尊女卑な慣習の中で、お前が基盤のプロジェクト、俺の名前で通してきただろう」
「……」
「ずっと引っ掛かってたんだ。お前の功績を奪ってきた負い目もあって、悪かったと思ってる。だけど、俺も不本意だったからさ」
初めて聞く本音に、少しだけ言葉を失う。シャオンはそのまま、テラスの手すりに手を置いて、大きな中庭を見渡した。
「俺は、本当はもっと華やかな装飾建築がやりたかった。でもそっちはいつも企画が通らなくて。……お前のインフラ整備案を通すために組んだ仕事も、正直、割り切れてなかった」
「シャオン……そんな風に思っていたのね」私の方こそ驚きで胸が詰まった。自分だけが被害者だと思い込んでいたけれど、全然違った。彼もまた、歪な組織の中で、私の夢を叶える傍らで、やりたいことを封じ込められていたのだ。
「でも、今回初めて、心からやりたかった仕事をさせてもらえているんだ。本当に感謝してるよ、レティ」
その目は、昔のままの――まっすぐな色をしていた。
(……久しぶりに見た)
胸の奥が、ほんの少しだけ緩む。
「……私の方こそ、ごめんね。色々と分かっていなくて、あなたにも負担をさせていたなんて」
自分達が、いかに話し合えていなかったのか、お互いのことをまるでわかってなかったことを思い知る。とても長い時間、勘違いしたまま、気持ちがすれ違っていた。
「いいんだ。今の仕事は本当に充実しているから。……レティはさ、今まで自分の仕事に必死すぎて、周りが見えてなかったもんな」
「そうね」
私が短く返したあと、シャオンはふっと視線を細めた。
「たださ――」
一歩、距離が近づく。さっきまで保たれていた“安全な間合い”が、静かに崩れる。
「お前、ちょっと勘違いしてないか?」
「……何の話?」
「王子とは別に何もないんだろ?」
その言葉だけで、空気が変わる。
「え……?」
「大きな顔できてるのも今のうち--」
わずかに身を引くより早く、シャオンの手が、こちらへ伸びかけた――その瞬間。カツカツカツ---
テラスの石床を走ってくる音が、鋭く割り込んだ。
「シャオン・ブリュ! こちらにいたのか。探したぞ」
割って入ったカイル王子が、制止するようにシャオンの腕を掴んだ。空中で二人の腕が不自然に交差する。王子の瞳は笑っていたが、その奥にある氷のような冷徹さに、私は息を呑んだ。
「王子、どうされました?」
「噴水の設計で、至急確認したいことがある。直ちに広場へ戻ろう。――いいかな?」
有無を言わせぬ圧力を放ち、王子はシャオンを連れ去るように階下へ降りていった。その様子を見送っていると、入れ違いでルカが駆け寄ってきた。
「ちょっと、シャオン何しに来たの? 何か変なことされてない?」
ルカは私の腕を捕まえて、目を丸くして背中やスカートを確認した。
「ふふふ。大丈夫よ。驚いたけれど……今までのことを謝って、話をしてくれたの」
「ええっ、あのシャオンが? 急にどうしちゃったのよ」
驚くルカに経緯を話すと、彼女は複雑そうに眉を下げた。
「……あんたたち、仕事への熱量が強すぎて、ボタンを盛大に掛け違えたままここまできちゃったのね」
「そうね。でも、もう過去のことよ」
「そうよ! 私たちはこれからの、この国の未来だけを考えよう!」
ルカの明るい言葉に励まされ、私は再び現場へと戻った。けれど、あの時のカイル王子の、獲物を威嚇するような鋭い眼差しが、いつまでも脳裏に焼き付いて離れなかった。




