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第一話

--この世界に転生して、私は甘い恋をするはずだったのに。

「イリーナ国の農耕、水産の循環システムの完成に乾杯!!!」

朗々たる祝辞に続き、数多の盃が掲げられる。会場を満たすのは、穏やかで輝かしい熱気。ここは小国イリーナ王国。今日は、魔法建設省が整備した新インフラの完成披露パーティー。建設省のたくさんの仲間たち、親友のルカや幼馴染のシャオン、上司のブルーノ。そして、王様やお妃様、多くの貴賓たちが一同に会していた。その王族席の一角でグレーブルーの瞳がじっとこちらを見つめていた。

――あ、カイル王子様。

なぜかその視線は、私から逸れなかった。ふと目があったのも束の間、入れ替わり立ち替わりで、関係者と挨拶を交わす。今回のインフラの目玉となったのは、水耕栽培と養殖を組み合わせた自然循環システム。

(日本で勉強した、アクアポニックスなんだけどね)

前世の知識を魔法式へと翻訳し、この国の風土に落とし込んだその術式は、私の想像を遥かに超える評価を受けていた。

「ここにバイオレット・アザールの功績を讃える」

国王陛下から直々に名を呼ばれ、私はオパール色のドレスの裾を持ち上げて跪く。勲章を賜るなんて、本来の私には縁のない栄誉なのに。

「ありがたき幸せにございます」

「君のおかげで、この小国の農業と水産業は新たな時代を迎えるだろう」

国王から授与された勲章が、胸元で重く光る。鳴り止まない拍手の中、壇を降りる私の視界の端で、幼馴染のシャオンが苦々しい表情を浮かべていた。その歪んだ口元が、胸の奥に小さな棘を刺した。

 私は魔法建設省に勤める二級建築士、バイオレット・アザール。前世が日本人だったと思い出したのは二十歳の時だった。ここがかつて夢中になった恋愛アニメ『イリーナ国の建築家たち』の世界だと気づいた時、私は震えた。アニメのヒロイン、バイオレットと、彼女を狂おしいほど溺愛するシャオン・ブリュとの様子が、可愛くて大好きだった。

――つまり本来なら、私は甘やかされて幸せな恋をしているはずだった。

 子供の頃のシャオンは、いつも優しく、私の側にいた。 大人になり、一流建築士となった彼は、同じ職場でさらに自然に距離を詰めるようになった。当然のように手を取り、肩に触れ、時には背後から抱き寄せ、「お前は本当に俺のことが好きだな」と余裕たっぷりに笑う。そのたびに心臓が壊れそうなほど跳ねるのに、私はうまく反応できなかった。前世から引きずっている「奥手な自分」が邪魔をして、原作のバイオレットのように可愛く甘えるどころか、緊張のあまり反射的に身を引いてしまっていたのだ。

決定的な亀裂は、つい数ヶ月前。

不意に肩を抱き寄せた彼の手を、反射的に払い落としてしまった。 その瞬間、シャオンの表情が、見たこともないほど冷たく固まった。

(しまった、取り繕わなきゃ!)

慌てて「きゃっ、びっくりしちゃった」と声を上ずらせたり、アニメ通りの潤んだ瞳で見つめ返したりもしたけれど……。

――結局、彼からの告白イベントは一度も発生しなかった。

 期待していた分、落ち込んでしまった。私は、逃げるように仕事に没頭した。恋が叶わないのなら、せめてこの技術で、この国の人たちの力になろうと。

(これでよかった。私は、仕事で生きていくんだ)

その結果が、今この瞬間の勲章だった。 


 司会者が壇上で再び声を上げた。

「紳士淑女の皆様、これよりシャオン・ブリュによる重大発表を行います。静粛に!」

会場がしんと静まり返る。

「おめでとう!ついに今日こそプロポーズじゃない?」

隣で同僚のルカが、自分のことのように頬を染めてささやく。彼女は男性ばかりの職場で、唯一心を許せる大切な親友。

「そうかな……」

「そうよ! こんな最高の日に発表なんて、絶対そうに決まってるわ!」

ルカの期待とは裏腹に、私の胸の奥がざわつく。ずっと心を寄せてきた彼の気持ちを知りたいけれど――嫌な予感しかしない。

 

 シャオンはこちらへ来て私の手を取り、壇上へ二人で上がった。そして、会場中に響く声で宣言する。

「今回の一番の立役者、バイオレット・アザールに半年間の休暇を授ける!!」

(……休暇?)

拍手が降り注ぐ中、思考だけが真っ白になる。

「レティ、本当に苦労の絶えない仕事をよく頑張ってくれたね!!お疲れ様。盛大な拍手を!!」

(休暇って……まさか、決まっていた次の仕事は?お給料は?)

思いが漏れた小さな声を聞き取ったのか、シャオンが私の耳元に顔を寄せる。

「給料なんて出るわけないだろ、愚か者が」

氷の刃のような囁きが、鼓膜をなでた。

「一生休暇にしてやってもいいんだぞ。レティ。家で反省してろ」

 シャオンは壇上で私の肩を強引に抱き、衆人環視の中で優雅に微笑んでみせた。子供の頃から私を『レティ』と呼ぶ彼の振る舞いは、傍目には幼馴染たちの仲睦まじい姿としか映らないだろう。けれど、私の肩を抱く手に宿った剥き出しの悪意に、全身の体温が奪われていくようだった。

(私が評価されたことを怒ってる?もしかしてクビってこと……?)

半年間無給だなんて。我が家の家計は私一人で支えているのに。母と妹の生活費は――?

(まただ。前世でも、頑張った人間から切り捨てられた)

過去のトラウマと、目の前の絶望が重なり、足の力が抜ける。奈落へ落ちるような感覚の中、視界が白く霞んだその時――。 

「バイオレット建築士。大丈夫ですか?」

すぐそばで、透き通るような声が響いた。シャオンの腕から、私の身体がふわりと解放される。優しいヒーリング魔術の輝きが身体を包み込む。

(だれ……?)

目を開けると――

(なんて美しい横顔……)

切れ長のグレーブルーの瞳に白い肌。透明感のある焦茶色の髪と整った鼻筋。とても温かい腕に、信じられないほど優しい眼差し。その瞳は、まるで――ずっと前から私を知っていたかのように、切なげに揺れていた。

(あれ?カイル王子?!本物の王子様にお姫様抱っこされてる?!)

「ずっと大変でしたね」

王子はそう言って、私を抱き寄せる腕にほんの少しだけ力を込めた。

「……もう、大丈夫ですよ」

耳元で囁かれたその一言で、張り詰めていたものがゆっくりと解けていく。王子は腕の中の私を守るように抱き直すと、静かにシャオンへ問いかけた。

「明日から彼女は建築省をお休みしていいのですね?」

「あ……はい」

カイル王子の放つ圧倒的な気迫に、シャオンの覇気は見る影もなく消え失せていた。

「ちょうどよかった。では彼女は、しばらく僕がお預かりします」

会場全体が、凍りついたように静まり返る。王子はシャオンに一度だけ冷ややかな微笑を向けると、私を抱いたまま壇上を降りた。


 朧げな意識の中で、必死に親友のルカを探す。彼女は目を丸くして固まっていたけれど、私の視線に気づくと、深く、力強く頷いてくれた。

(驚かせてごめんね、ルカ。……あとで必ず、連絡するから)

静寂に包まれた大広間に、

「はっはっはっは!」

迎賓席の国王陛下による豪快な笑い声だけが響き渡っていた。階段を降り切ると、王子は私を抱き上げたまま、迷いのない足取りでそのまま会場を後にした。


「一緒に、帰りましょう」

玄関を出ると、一台の豪勢な馬車が目の前にやってきた。仕事への不安と、シャオンの言葉の衝撃で、頭の中は混乱したまま。けれど、大きくて温かな腕に抱き留められ、そのぬくもりに身を委ねたまま、私は気を失うように眠りに落ちていた。このときの私は、自分の人生が根底から変わったことに、まだ気づいていなかった。

 

--夜更け。宮殿に到着すると、カイル王子は眠ったままの彼女を客室へ運んだ。ベッドに横たえられたバイオレットを見下ろし、王子は小さく息をつく。

「……こんな無防備な顔を見れるなんて。嬉しいけれど、ちょっと困るな」

頬に触れたくて、伸ばしかけた指先を引き戻し、彼は小さく「おやすみ」と告げて部屋を出た。



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