最終話
病室のドアに手をかけた。
「ちょっと待ってください、颯太さん。今日はゆめのお父さんお母さんに許可をもらって、お二人を連れてきました。入る前に……何でゆめがここにいるのか説明しておきます」
「うん」
「あの……学校が早く終わった日がありましたよね? その日、学校が終わって私とゆめはこの病院の近くに遊びに来ていたんです。カラオケに行こうと思って移動していて、横断歩道を渡っていたら、ゆめが車にはねられて……それからずっと眠っています。色々調べてもどこも悪いところがないのに……」
莉子が俯いている。手が震えている。
「そうだったんだ……話してくれてありがとう」
「莉子、落ち着くまでデイルームにいようか?」と優馬が言う。
莉子が頷いた。
「じゃあ颯太、あとで行くわ」
「分かった」
俺は再びドアに手をかけた。心臓の鼓動が速くなっていく。深呼吸をして、ゆっくりとドアを開けた。
すぐにベッドの足元が見えた。ゆっくりとベッドに近づく。
ベッドの上には、穏やかに眠るゆめがいた。
ゆめだ。ゆめが目の前にいる。
ベッド横に置いている椅子に座り、ゆめの手を取った。
ゆめに触れることができた。でも、ゆめが握り返してくれることはない。
ゆめの手の甲を見ると、青紫のあざがあった。
痛かったよな。
手を握ったまま、「ゆめ」と声をかけた。
「ゆめ、颯太だよ! 会いにきたよ!」
何も反応がない。
「ゆめ! みんな待ってるよ」
どうしたら起きてくれるんだ。
夢の中では話せるのに……
目を開けると、ゆめが目の前に立っていた。
「ゆめ! 起きたのか?」
「颯太くん。これ、夢の中だよ」
「あれ? 俺いつの間に寝たんだ?」
「颯太くん。会いに来てくれたんだよね? 颯太くんの声が聞こえてたよ」
「俺の声聞こえたんだ……」
「うん」
「何で目を覚まさないんだろう……」
「起きようと頑張るんだけど、起きようとすると怖くなって夢の世界へ引き戻されるの」
「怖い? 何が怖い?」
「起きて、また記憶がなくなったらどうしようとか、起きて現実が思ったよりもひどい世界だったらどうしようとか、怖いの」
「大丈夫だよ。君には、君のことを大切に思ってくれる親友がいる。俺もいるし、俺の親友の優馬もいる。それにもし記憶がなくなったとしても、君が俺のことを忘れたとしても、俺がゆめのことを覚えているから。みんなが、ゆめのこと覚えているから大丈夫」
「本当?」
「うん。だから一緒に起きよう」
俺はゆめの手を取った。ギュッと握った。
「颯太くんが一緒に起きてくれるなら怖くないかも」
「そうだろ? じゃあ目を閉じて、せーので目を開けてみよう」
ゆめが目を閉じ、「分かった」と言った。
俺も目を閉じた。
「いくよ。せーの」
目を開けると、ゆめの手が目の前にあった。
ゆめの手が、ピクッと動いた。
俺は体を起こし、ゆめの顔を見た。
目は開いていないが、眉間に皺を寄せている。手もまだ動いている。
俺は病室のドアを開けて、「優馬! 莉子! 来て!」と叫んだ。
優馬と莉子が少し離れたところから走ってくる。
病室に来た優馬が、「どうした?」と言う。
「ゆめ、たぶん起きようとしてる! 莉子も優馬も声かけて!」
「ゆめ! 莉子だよ! 起きて……」
莉子が涙を流している。
ゆめの口が少し動いた。
「ゆめ! 颯太の親友の優馬! 颯太が待ってるぞ!」
「ゆめ! みんな来てくれてるよ! 大丈夫、怖くないよ! 安心して起きて!」
ゆめの瞼がピクピクっと動いたあと、ゆっくりと目が開いた。
「ゆめ! 良かったぁ」と莉子が言う。
「ゆめ、颯太だけど分かる?」
「俺は颯太の親友の優馬です」
ゆめが優馬を見たあと、莉子と俺の顔を交互に見て頷いた。
ゆめは少し微笑んで涙を流していた。
ドアが開く音がして振り向くと、看護師が立っていた。
「どうかされました? 他の患者さんもいるので静かにしてくださいね」
「すみません。ゆめが目を覚ましたんです」と莉子が言う。
「えっ? 先生呼んできますね」
看護師が去っていったあと、「りっちゃん……颯太くん……」と言うか細い声が聞こえてきた。
「ゆめ……」
莉子がゆめの手を握った。
「心配……かけてごめんね」
息を漏らすようにゆめが言った。
俺の目の奥がじわっと熱くなった。
「そんなこと言わなくていいよ。大丈夫だよ」と莉子が言って泣いている。
俺は何か喋ると涙が出てしまいそうで何も言えなかった。
横で鼻をすする音が聞こえて見ると、優馬がポロポロと涙を流していた。
「莉子がぁ、泣いてたらぁ、俺も泣いちゃうぅ」
「何でお前が泣いてんだよ」
優馬の背中を思いっきり叩いてさすった。
莉子も優馬も号泣していた。
俺は泣かないように目にぐっと力を入れた。
落ち着いてから、話を聞くと、ゆめは今までのことも俺のこともちゃんと覚えていた。
それから退院するまで毎日お見舞いに行った。
病室で四人で学校のことを話して、優馬の冗談で笑った。ゆめは涙を流すほど笑っていた。
時々二人で病院の屋上で風を感じたりもした。ゆめが気持ちよさそうに風を感じている姿を、俺はずっと見ていた。
俺達は、夢の中ではできないことをした。
ゆめはたまに、「事故のことを思い出して怖い」と言っていた。
退院の日、俺と優馬と莉子は病院の玄関口で待っていた。
俺の手の中には小さな花束がある。花束を持っている自分の姿を想像すると、どこかに隠れたくなるが、それよりもゆめの喜ぶ顔が見たかった。
視線を感じて横を見ると、優馬が鼻の下を伸ばして俺を見ている。
「優馬なんだよ! そんな見るな!」
「いやぁ。いいですなぁ。青春ですなぁ。なぁ莉子?」
「え? ごめん。聞いてなかった」
「え〜颯太が青春してるなって話」
「あーそうだね。ゆめと颯太さん上手くいくといいですね!」
「親友の莉子が応援してくれるなら心強いわ。ありがとう」
「いえいえ」と言って莉子が微笑む。
「莉子! 俺達も青春してるもんなぁ?」と優馬が言う。
莉子の顔が赤くなっていく。
え、この二人今どんな関係なんだ?
「し、してないし!」と莉子が言う。
「照れちゃって」
優馬が愛おしそうな目で莉子を見ている。
前を見ると、ゆめが歩いてこちらに向かってくる。
三人で手を振ると、ゆめが手を振りかえしてくれた。
ゆめが俺達のところに来て、「みんなありがとう」と言う。
「退院おめでとう」と三人で言って、俺は小さな花束を渡した。
「えっ! ありがとう」
「これ、颯太からだから」と優馬が言う。
そこ強調して言わなくていいのに。
「うん。嬉しい。ありがとう」
「ゆめ、お母さんは?」と莉子が言う。
「車を正面に持ってくるって」
「そうなんだ。じゃあ外で待つ?」
「うん」
俺達は自動ドアを通り抜けようとした。
「待って!」とゆめの声がして振り向く。
ゆめは息が荒くなり、手足が震えていた。
俺が、「大丈夫?」と言うと、「怖い」とゆめが言った。
「もしかして、事故のこと思い出して?」
「うん。道を歩くのが怖いかも。また車にはねられたら……」
俺はゆめの震える手を握った。
「俺がそばにいるから大丈夫。少しずつ慣れていこう。慣れるまで俺、一緒に歩くよ」
「うん……」
ゆめがぎゅっと手を握り返してくれた。
「俺もその時は一緒に行くよ。ゆめ」
優馬がゆめの手を握っていた。
俺はとっさに優馬の手をはたいた。
「お前は行かなくていいし、手を繋ぐな!」
莉子が横で優馬を睨んでいる。
「優馬くーん。この前私のこと好きって言ったよねぇ?」
「莉子、ごめんって。冗談だって分かるだろ? 莉子、愛してる」
優馬がやたら真剣な顔で言っている。
「優馬くん、こんなところで言わないで!」
「じゃあ二人の時にいっぱい言うね」
優馬と莉子が手を繋いだ。
莉子の顔が真っ赤だ。
優馬が俺の手を握ってきた。
「俺とは手を繋がないでいいだろ!」
「え、いいじゃーん! 颯太も愛してる」
「優馬くーん」と莉子が言ってまた優馬を睨んでいる。
「冗談だって!」
「あはは」とゆめが笑った。
手足の震えは止まっていた。
「この四人でいたら、大丈夫な気がする」とゆめが言う。
「そうだね」と言って僕達は外の世界へと歩み出した。




