8 ツンデレの弊害
「セドリック! 来たぞ!」
いつものセリフと共に、勢いよく扉を開けて飛び込んできたのはラインハルト・ハルトマンだった。
書類仕事をしていたセドリックは顔を上げ、曖昧に笑う。
「ラインハルトさん、こんにちは」
ラインハルトは部屋を見渡し、すぐに違和感に気づいた。
もともと散らかってはいなかったが、個室のラボが妙にこざっぱりしている。
「……部屋、片付けた?」
「はい。少し整理しました。箱に詰めたりする程度ですが」
セドリックは首を傾げ、さらりと続ける。
「あの……お聞き及びではありませんか?」
「何を?」
きょとんとした兄に、セドリックは少し眉を下げた。
「ハルトマン家のご当主あてに、婚約解消の申し出を送ったんです。
ヴァレリア嬢にも、その旨を伝えました」
「え!?」
ラインハルトが全身を震わせて驚く。
セドリックは苦く笑った。
「いや、確かにここ数日やたら妹は落ち込んでいたような気がする!
帰ってくるとずっと犬をもふもふしてた!
父上も意味深な顔をしていたような気がしなくもない!」
「ふふ。ラインハルトさんらしいですね」
「え!? 本気で!?」
「はい。僕にはヴァレリア嬢は高嶺の花すぎました。
ところで、兵装の件なんですが――」
「待て!」
ラインハルトがセドリックの両肩を掴み、ガクガクと揺さぶる。
眼鏡がずれ落ちかける。
「待て! 落ち着け!」
「僕は落ち着いてます」
「ちょっと君、お兄さんと話をしようか」
「……はぁ」
ラインハルトはそのへんの椅子を引き寄せ、セドリックの正面に腰を下ろした。
ほとんど膝が触れそうな距離。
「なんで解消を!?」
セドリックは頬をかく。
「彼女は僕にはもったいないので」
「そんなことは絶対ない!」
ラインハルトは手を叩いて力説する。
「妹が絶世の美女だと知っていても、むしろ逆だ。
妹にとっちゃ、セドリックこそ高嶺の花だろう」
「まさか」
全く信じないセドリックの情けない笑みに、ラインハルトは一瞬言葉を失った。
「……他に好きな人ができた?」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
「じゃあ、なんでだ?」
セドリックは視線を落とし、指を組む。
「ヴァレリア嬢には、嫌われているようですし」
「嫌われてない! 絶対に嫌われてない! 本当だから信じて!」
「それに、僕の技術や考えはこの国には合わないようなので」
「えぇ!? でも、国がセドリックを離したくないからこその婚約じゃなかったか!?」
「そうですが、それは“上の人間”の考えです。
実際に兵装を扱う人たちからは、僕は忌み嫌われています」
「……」
「婚約を解消して、僕は国を出ようと思っています。
ありがたいことに、魔導力学の師から何度も声をかけていただいていたので、この機会に移住を」
「嘘だろ!?」
「ですから、何度も試用に協力してもらったのに申し訳なくて」
「俺のことはいいんだ! ヴァレリアは!? 少しも未練はないのか!?」
「未練?」
その澄んだ瞳を見て、ラインハルトは絶望した。
両手で顔を覆う。
「……ツンデレの弊害!!」
「……ツンデレって、なんですか?」
ラインハルトは指の隙間からセドリックを見た。
「いつ移住するつもりだ?」
「未定です。きちんと婚約も解消されていませんし。
ただ、近日中に一度、師のもとを訪ねるために出国します。すぐ戻りますが」
「もう連絡してるのか? お師匠様と」
「はい」
ラインハルトは勢いよく立ち上がった。
「セドリック! 落ち着け!」
「僕は落ち着いてます」
「俺は帰る! いいか? 早まるなよ!?」
「……はぁ」
ラインハルトは椅子を倒しながら、嵐のように部屋を出ていった。
セドリックは小さく首を傾げ、倒れた椅子を直す。
そして、何事もなかったかのように机に向かい、静かに書類に手を伸ばした。




