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5 戦乙女の本音

「ヴァレリア様、お先に失礼します」

「はい、ごきげんよう」


 魔導工学技師見習い仲間に声をかけられ、ヴァレリアは穏やかに微笑んで返した。


 技師見習いたちは広い作業室に一人一台の机を与えられ、日々研鑽に励んでいる。

 ヴァレリアも例外ではなく、ただの一見習いとしてここで手を動かしていた。


「ヴァレリア様、あまりご無理されないように」

「ふふ、ありがとう。これだけ読んでしまってから、わたくしも帰ります」


 本を少し持ち上げて見せ、にこやかに返すと、同僚は安心したように笑って去っていった。


 お気づきかもしれないが、このヴァレリア・ハルトマン――

 セドリックの前でなければ、毒舌を吐くことなど決してない完璧な淑女である。


 壁に掛けられた時計を見上げる。

「急がないと、お兄様が迎えに来てしまうわ……」


 もう一度本に視線を落とす。

 業務時間外の今、部屋の明かりは落とされ、手元の魔導ランプだけが光を落としていた。

 作業中に邪魔になる金の髪は無造作にひとつに束ねられ、白魚の指には作業の傷痕が残っている。


 ヴァレリアが読んでいるのは、セドリックの著書による魔導理論書だった。

 入門書として名高いが、彼女にはまだ少し難しい。


 王立魔導工廠の見習いたちは皆、ヴァレリアより若い。

 十代前半から魔導教育を受けてきた者ばかりだ。

 ヴァレリアがこの道に進んだのは、セドリックと引き合わされてから――十七の時。


 一目惚れだった。


 若くして主任技師の立場にありながら、偉ぶるところのない青年。

 長い前髪の隙間からのぞく理知的な瞳、猫背気味の姿勢、なのに公の場での所作は意外なほどスマート。

 はにかむような笑顔も、愛犬に怯える姿も――

 その一挙手一投足が、ヴァレリアの心を掴んで離さなかった。


 はじめは不純な動機だった。

 けれど今では、彼女も魔導力学の世界に魅了されている一人だ。

 学べば学ぶほど、セドリックがいかに高みにいる研究者かを思い知らされる。


 ヴァレリアの美貌を誰もが褒め称え、父が騎士団長であるがゆえに“戦乙女”と呼ばれる。


 だが、どんなに美しくとも、彼の隣に立てないことを、ヴァレリアは痛いほど分かっていた。

 ただの飾りになどなりたくない。

 彼と信頼しあえる“対等の技術者”になりたいのだ。


 彼女の夢は――セドリックに助手として名を呼ばれること。


「はぁ……何度読んでも、ここの理屈が理解できませんわ……」

 ヴァレリアはメモ用紙をちぎってページに挟む。

 明日、先輩に尋ねるための印だ。


 その時、扉を叩く音が響いた。


「あぁ……時間切れですわね」


 ヴァレリアが扉を開けると、案の定、兄のラインハルトが立っていた。


「妹よ! 帰るぞ!」

「……はい」


 一度席に戻り、本を棚に戻して白衣を脱ぐ。

 髪を束ねていた細いリボンを外すと、ふわりと金の髪が揺れた。

 暗い部屋の中でも、わずかな光を受けてきらりと光る――まるで月光のように。


 兄が手を差し出すので、鞄を預ける。

 二人は並んで廊下を歩き出した。


「結局、あの後セドリックとは話せたのか?」

「……話せてませんわ」

「セドリックは話しやすくていいやつだぞ。どんどん話せ」

「そんなこと知ってます。お兄様ほど、わたくしはのんきではありませんの」


 ラインハルトは声を上げて笑った。

 最低限しか灯りのついていない薄暗い廊下に、彼の笑い声が響く。


「お前はあれか、“ツンデレ”ってやつだな!」

「何をおっしゃいますの?」

「お前の頭の中をセドリックに見せてやりたいな。きっと驚くぞ!」


 ヴァレリアの白い頬がぱっと紅潮する。

 彼女は口をきゅっと結んでうつむいた。


「ああ、そうだ。いい物を見せてやろう」

 ラインハルトがポケットから、くしゃくしゃになった紙片を取り出して差し出す。


「俺の身体データのメモだ。セドリックが書いた直筆だぞ。欲しいだろ?」

「欲しいですわ!!」


 ヴァレリアはメモを受け取ると、シワを丁寧に伸ばし、天に掲げた。


「走り書きだと言うのに緻密で几帳面な字……! 美しいですわ!

 なんということでしょう、ダ・ヴィンチも驚きの美しさですわ!!」


「はっはっは! 我が妹ながら気持ち悪いな!」


 壁を走る魔導管から、ぷしゅう、と蒸気が漏れた。

 廊下の窓から射す月光が、二人の笑い声を静かに照らしていた。

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