16 香るひととき
夕刻。
セドリックのラボの扉に、控えめなノックの音。
ヴァレリアが扉を開けると、向こうにいたのは美貌の騎士、アレク・フォン・リーベル。
彼は深く頭を下げた。
「……リーベル卿ではないですか。どうされたのです?」
「ご挨拶にと思いまして」
セドリックがラボの奥から駆け寄ってくる。
アレクは彼を認めると、もう一度頭を下げた。
「ヴァーミリオン主任技師殿。
アレク・フォン・リーベルと申します」
「魔導工廠主任技師、セドリック・ヴァーミリオンです。
――どういったご要件で?」
セドリックが中に入るよう手で示すが、彼は小さく首を振った。
「すぐに終わります。
――やはり、女性と打ち合うのは少々気が引けてはいるのです。
ですが、魔導兵装を纏うと予め伺っています。
俺自身は魔導兵装に忌避感はありません。
貴方の胸をお借りするつもりで、正面から戦いたいと思っています」
「……リーベル卿」
――決闘相手は彼だったのか。
彼は頭を下げた。
「それだけ、お伝えしたかった。
失礼します」
騎士は踵を返すと、音も立てずに去っていく。
その背をセドリックは見つめた。
隣りにいたヴァレリアはセドリックをチラと見上げる。
「さすが“美貌の騎士”ですわね。無駄のない動きですわ。
わたくしも頑張らなくては」
「……そうですね」
――彼こそが、ヴァレリア嬢に相応しいと言われる意味が、よく分かる。
そして同時に、胸の奥が静かに痛んだ。
セドリックは静かに扉を閉めた。
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青い火花が散った。
設計図通りにパーツを削り、組み立て、魔導溶筆で回路を繋いでいく。
ヴァレリアの手の中で、兵装は少しずつ形を成していく。
その作業を、セドリックが後ろから静かに覗き込んだ。
スイッチを切り、ツインフォーカスを外した瞬間――ヴァレリアがハッとして振り返る。
至近距離に、眼鏡を外したセドリックの顔。
彼は片手でパーツを持ち上げ、もう片方の手で細部を確かめるように目を細めていた。
指先が慎重に表面をなぞり、やがて小さく頷く。
「うん。……美しいですね。合格です」
ヴァレリアは椅子から転げ落ちそうになった。
――美しいのは貴方では!?
「少し休憩にしましょう」
「……はい」
セドリックは席に戻り、ツインフォーカスを机に置くと、いつもの瓶底眼鏡をかけ直した。
ヴァレリアは深呼吸しながら言った。
「あの……セドリック様。お湯をいただいてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろん」
「……それと、セドリック様。コーヒーを……いかがですか?」
「え?」
ヴァレリアは足元のトランクを開け、嬉しそうに中身を見せた。
「……執事に、コーヒーの淹れ方を教わりましたの。
よろしければ、召し上がっていただけますか?」
「え……えぇ、ぜひ」
彼女は湯を沸かし、器具とカップを温め、豆を丁寧に挽いた。
香ばしい香りが、研究室いっぱいに広がる。
「貴女は魔導溶筆の扱いが上手ですね。苦手な人が多いのに」
セドリックの声に、ヴァレリアは手元を見つめたまま笑った。
「初めは壊滅的でしたわ。毎日残って練習して……気づいたら好きになっていました」
「そうですか。……すごく頑張ったんですね」
優しい言葉に、ヴァレリアの胸が熱くなる。
やがて、コーヒーが一杯だけ出来上がった。
ヴァレリアはセドリックの机にそれを置き、そっと微笑んだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。……貴女の分は?」
「わたくし、コーヒーは苦くて飲めませんの」
「え? ……では、このコーヒーは……」
セドリックは湯気の立つカップを見つめた。
ヴァレリアは視線を落とし、静かに言う。
「セドリック様がコーヒーをお好きだと伺って……。
いつか淹れて差し上げたいと思って、ずっと練習していたのです」
「……僕のために?」
ヴァレリアは頬を赤く染め、小さく頷く。
セドリックも思わず目を伏せた。
そして、カップを手に取り、一口。
コーヒーの香りとともに、ゆっくりと微笑みがこぼれる。
「美味しいです。とても」
ヴァレリアは頭を抱え、床にしゃがみ込んだ。
「尊い! 死んでしまいます!」
「えっ!? そ、それは困ります!」
セドリックが慌てて立ち上がり、ヴァレリアは顔を上げた。
「……わたくし、今……声に出ていましたか?」
「え? ……ええ」
「やってしまいましたわぁ!」
セドリックは一瞬ぽかんとしたあと、ふっと笑い出した。
「ふふ……あははは! 貴女は本当に、予想外なことばかりする」
「うわぁ……笑ってる……。最高に可愛い……」
「やめてください、まったく!」
二人の笑い声が、静かなラボにやわらかく響いた。
セドリックは一息つくと、机の引き出しから小さな基盤を取り出し、ヴァレリアの前にしゃがんだ。
「これは……?」
「僕が開発した共鳴環の基盤コアです」
「こ、こんな貴重なもの……」
ヴァレリアがためらうと、セドリックは彼女の手を取り、その上にそっと置いた。
「師からの餞別です。受け取ってください」
翡翠の瞳が、やわらかく細められる。
「……はい。ありがとうございます」
ヴァレリアは胸にその基盤を抱きしめた。
セドリックはそれを静かに見守り、席へ戻る。
そしてもう一口、コーヒーを飲んだ。
――ほんの少しだけ、甘かった。




