表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/23

12 戦乙女、運命を追う

 興奮も冷めないまま帰宅したヴァレリアは、自室に入るなり視線を巡らせた。

 侍女たちが着替えの準備をしているのを横目に、愛犬フェンリルを探す。


「フェンリルは?」

「お部屋にはいらっしゃいませんよ。お庭では?」


 窓辺に寄り、庭を見渡す。しかし姿は見えない。

 いつもなら、ヴァレリアが帰宅した瞬間に駆け寄ってくる子だ。


「フェンリルを探してくるわ」

「お嬢様、お着替えだけでも済ませてしまいましょう」

「……翡翠のワンピースがいいわ。今日はセドリック様にお会いできないもの……」


 侍女がにこやかに微笑み、翡翠色のコレクションの中から季節に合う一着を選んだ。



---


 ヴァレリアは庭を駆け回った。

 厩舎も、庭師小屋ものぞいて回る。だがフェンリルの姿はどこにもない。


 裏庭で素振りをしているラインハルトを見つけた。

「お兄様! フェンリルがいませんの。見かけませんでしたか?」

「見てないな! 元軍用犬だ。訓練されてる。そのうち戻ってくるだろう!」


 素振りを続けながら答える兄に、ヴァレリアはため息をついた。

 足がわずかに震える。

 セドリックを失いかけている今、フェンリルまでいなくなるのでは――そんな恐怖が胸の奥で膨らんでいく。


 ヴァレリアは踵を返し、駆け出した。

「おい! ヴァレリア! どこへ行く!」

 兄の声にも振り返らず、彼女は本能のまま屋敷を飛び出した。



---


 セドリック・ヴァーミリオンは、魔導飛空船から雲の上の飛行港へ降り立った。

 ここからは小型の魔導空陸両用車で陸へ戻る。

 大きなトランクを持ち上げ、並んだ魔導車の中から一台を選ぶ。


 御者が荷台にトランクを積む間、セドリックは座席に腰を下ろし、鞄からノートを取り出した。


 ――隣国アークメル王国の師の研究所で、新型兵装の共同研究契約について話を聞いてきた。

 待遇は悪くない。いや、今よりもはるかに恵まれている。

 何より、あの国では彼が歓迎された。技術も理想も、理解されたのだ。


 魔導車のエンジンが唸りを上げる。

 ピストンが忙しく動き、背後の魔導管から白い蒸気が噴き出す。

 窓の外では、街の黒い尖塔群が灰色の煙を吐きながら近づいてきた。


 ――帰りたくない。

 ――けれど、帰らなければ。


 心の中でせめぎ合う声が、雲の間に溶けていく。


「……婚約は、いつ解消されるだろう」


 解消され次第、師に連絡して契約を結ぶ。

 後継者を指名し、引き継ぎを済ませ、新しい住まいも探さなければ。


「忙しくなるな……」


 小さなつぶやきは、魔導エンジンの音にかき消された。



---


 飛行港駅に降り立ったセドリックがトランクを持ち上げた瞬間、背後から強い衝撃を受けて前につんのめった。


 次の刹那、背中に重みがのしかかり、しゃがみ込んだセドリックの頬を温かいものが舐める。

「こらこら、やめなさい」


 笑いながら振り返ると、白銀の巨犬――フェンリルがいた。

 息を荒げ、舌を出し、セドリックの顔をまた舐めようとする。

 両手でその巨大な頭を押さえて距離をとる。

「やめてって」


 駅の人々は驚きつつも、彼の穏やかな笑みに安心したのか、何も言わずに通り過ぎた。


 立ち上がったセドリックは、フェンリルの頭を撫でる。

「どうしてここに? 君のご主人様は?」

 フェンリルは小さく「くぅん」と鳴いた。


 ――この犬、初対面で僕を噛んだのに。

 それ以来、犬は少し苦手なんだけどな……。


 なぜか、今日はやけに懐いている。


「困ったな……」

 セドリックは髪をかき上げ、ため息をついた。

「一緒に、ハルトマン家に行こうか」


 フェンリルは嬉しそうに尻尾を振り、彼の足の上にどっかり座った。

「えぇ……」



---


 その様子を、柱の陰から見ていたヴァレリアは、息をのんだ。


 ――セドリック様のあの優しい微笑み!

 ――よだれが出てしまいますわ!


 ヴァレリアは首を左右に振る。


 ――いえ、こんなことしている場合ではありませんわ!


 呼吸を整え、震える手を握りしめ、一歩前へ踏み出す。


 フェンリルが彼女に気づいて立ち上がり、走り出す。

 その動きを目で追い、セドリックは驚いて肩を揺らした。


「セドリック様」

「ヴァレリア嬢……? なぜここに?」


 翡翠のワンピースの裾と金の髪が風に舞う。


「セドリック様、突然で申し訳ありませんが――

 わたくしは決闘で勝ちたいのです!

 どうか、一ヶ月間、わたくしの師となっていただけませんでしょうか!」


 ヴァレリアは腰を直角に折り、深々と頭を下げた。


「け……決闘!?」


 セドリックはただ立ち尽くす。

 その間を、蒸気を含んだぬるい風が静かに通り抜けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ