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第10話(最終話):ファインダー越しのあなたへ

◯ドラマ撮影スタジオ(深夜)


全ての撮影が終わり、最後の「カット」の声が響いた後も、しばらく誰も動けなかった。

まるで、魔法が解けるのを惜しむかのように。

やがて、誰からともなく始まった拍手は、次第に大きな喝采となり、スタジオ全体を熱狂が包み込んだ。泣きながら抱き合うスタッフたち。健闘を称え合う共演者たち。数ヶ月に及んだ過酷な撮影の、終着点だった。


制作スタッフから花束を受け取ったあかりは、まっすぐに神宮寺のもとへ向かった。その瞳は、溢れ出る涙で潤んでいた。


あかり

「監督……本当に……ありがとうございました……!」


深く、深く頭を下げる。神宮寺は、少しだけ戸惑ったように視線を彷徨わせると、ぶっきらぼうに「……ああ」とだけ言って、彼女の差し出す花束を受け取った。その仕草には、照れが滲んでいた。


レンもまた、神宮寺の前に立った。

彼もまた、数え切れないほどの感謝の言葉が胸にあった。だが、どんな言葉も、この監督の前では陳腐に思えた。だから、彼は何も言わず、ただ、役者として、一人の人間として、心からの敬意を込めて頭を下げた。

顔を上げた時、神宮寺の静かな視線とぶつかった。その瞳には、もう昔のような冷たさはなかった。そこにあったのは、共に戦い抜いた者だけが分かち合える、確かな絆だった。


◯数ヶ月後・都内某所


ドラマ『硝子ガラスの恋』は、放送されるや否や、社会現象になった。

批評家たちは、その圧倒的なリアリティと、俳優たちの魂を揺さぶる演技を絶賛した。SNSには、毎話放送されるたびに感想が溢れ、視聴率は回を追うごとに記録を更新していく。


『西園寺レン、王子様の仮面を脱ぎ捨て、本物の役者へ!』

『新人・星野あかりに宿る奇跡の輝き! 今年度最高の発見!』


世間の評価は、二人が流した涙と、削り取った魂への、何よりの勲章だった。レンとあかりは、もはやただの人気俳優ではない、誰もが認める実力派として、新たな道を歩み始めていた。


◯都内ホテル・宴会場(夜)


ドラマの成功を祝う、盛大な打ち上げパーティー。

華やかな輪の中心で、レンとあかりは、ひっきりなしに祝福の言葉を浴びていた。

だが、二人の視線は、会場の隅で一人、グラスを傾ける男の背中を探していた。神宮寺は、こういう席が心底苦手なようだった。


二人は、喧騒を抜け出し、彼の元へと向かった。


あかり

「監督。本当におめでとうございます」


神宮寺

「……あんたたちが、頑張っただけだ」


レン

「いいえ。監督がいなければ、俺たちは、今ここにいません」

その言葉に、嘘はなかった。

「あの現場にいられて……幸せでした」


神宮寺は、少しだけ驚いたようにレンの顔を見ると、照れ隠しのように酒をあおった。

レンは、ずっと胸の中にあった、最後の問いを口にした。


レン

「一つだけ、聞いてもいいですか。監督は……もう一度、カメラの前に立とうとは思わないんですか? 監督の芝居を、もっと見たい人間は、世界中にいるはずです」


それは、あかりも、そしてこの場にいる誰もが聞きたい質問だった。

神宮寺は、グラスを置くと、遠い目をして、それから、目の前のレンとあかりの顔を、慈しむように見つめた。


神宮寺

「……もう、十分なんだよ」


彼の声は、穏やかだった。


神宮寺

「俺一人が演じるより、こうしてあんたたちみたいな才能が、俺の想像を超えて、ファインダーの向こうで羽ばたく瞬間を見る方が、よっぽど面白い。……最高の役者が、最高の芝居をするのを、特等席で見られるんだ。監督ってのは、そういう、役得な仕事なんだよ」


その顔には、20年前の過去を乗り越えた、一人の表現者としての、静かで、満ち足りた笑みが浮かんでいた。


◯数ヶ月後・オーディション会場(昼)


無機質なリノリウムの床。壁際には、緊張した面持ちの若い俳優たちが、等間隔に並んで座っている。

新作映画のオーディション会場。

審査員席の中央には、ヨレたジャケットを着た、眠そうな目の中年男が座っていた。神宮寺わたるだ。

彼は、つまらなそうに履歴書をめくりながら、一人、また一人と、若者たちの拙い芝居を眺めていた。


何十人目かの、線の細い青年が前に進み出る。

自己紹介もたどたどしく、自信のなさから視線が泳いでいる。誰もが、また一人、その他大勢が来ただけだと思った。

だが、彼が第一声を発した瞬間、神宮寺の目が、ピクリと動いた。

その声には、技術も経験もなかった。だが、誰にも見せたくない“痛み”の欠片が、ダイヤモンドの原石のように、僅かに光っていた。


それまで退屈そうにしていた神宮寺の背筋が、スッと伸びた。

彼は、傍らに置いてあった監督用のファインダーを、ゆっくりと持ち上げる。

そして、レンズを通して、その青年の瞳を、射抜くように見つめた。


その口元に、ほんの僅かな、しかし確かな笑みが浮かぶ。

それは、新たな獲物を見つけた、飢えた獣の笑み。

そして、磨かれる前の才能を見出した、最高の職人の笑みだった。


神宮寺

「…………さて、始めようか」


(了)

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