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傲慢  作者: NNNNNmatchy
1/1

夢月

()(つき)()()に不満があった。


 帰りのロケバス、寝静まる車内でふと萌絵が打ち明けた。

「むーだから話すんだけどさ、eyes(アイズ)辞めようかなって」

 ネイルを気にしながら口籠る。

「え?」

 結成5年。

役者志望の子で結成された6人組ユニット。

アイドル。

一昨年、初期メンの()()が抜け、雰囲気も柔らかくなった。

()が抜けた”と揶揄する声もあるが、偶然にもマ行で揃った頭文字が売りでもあった。

有名とまではいかないが知名度はある。

「もう決めた?」

「いやまだだけどさ」

 反応に困る。

私も、と言ったら促してしまいそう。

でも止めておいて自分が辞めたらそれも勝手すぎ?

なんて返せば。

「だってさ、いい加減うちら歌割少なすぎる」

「まあ子供組だから」

 夢月は17、萌絵は16。

最年少というのもあるがツインテが一際幼い。

歳が近く、昔からいつも行動が一緒で、気が合った。

「でも5年前だったらみゅーだって14だったわけじゃん?」

「けどみゅーはまたキャリアが違うし」

「いやそしたらユニットの意味なくない?」

 ()()

これまでのシングル表題曲メインが常で、歌もダンスも上手い。

キッズモデル出身。この世界に慣れていて、垢抜けた感と華がある。

「いっつもみゅーばっかでずるいじゃん」

 ずるい、とまではいかないが嫉妬めいた感情も否めない。

最近はバラエティでの活躍に手応えを感じユニットへの熱も冷め気味、そんな悩みが夢月に卒業の選択をちらつかせる。

「それに握手会がだるすぎる」

「飴玉じじい……」

「それ!」

 ウケてはしゃいだ。

プロデューサー気取りの悪客。

必ず飴玉をくれるので裏でそう呼んでいた。

「貰っても食えねーから」

「分かってるよね?」

「多分。この間のリリイベで“むーはメイクが似合ってないから変えた方がいいよ”って……ウザすぎない?」

「だる! てかお前に言われたくないし」

 笑いつつ、そのことをずっと気にしていた。

いちいち言葉にされると気に病む。

(まい)ちゃんはどう思ってるかな」

「それは、まあ……」

 濁ったのがほぼ答えだった。

文頭には、最年長でリーダーなのにうちらと同じで出代が少なくて、と付く。

正直それは余計なお世話だとも夢月は思った。

「まあもうちょっとは頑張るけど、最後のつもり」

 そう言って別れ、毎週幾つか組まれたユニット恒例の会合で、その答えはすぐに出た。

「舞が抜けることになったから」

 水を打つ会議室。

舞の姿はなかった。

一同、とりわけ夢月と萌絵は顔を見合わせた。

押し黙り、未結は瞬きを重ね、俯いた()()の表情は髪に隠れて見えない。

舞。

抜けてはならない最大のピース。

歌もダンスもそれ程で、だから共に後方のフォーメーションに甘んじていたが、圧倒的コミュ力。

距離感のアンバランスな4人を繋ぐユニットの要。

希妃卒業時のピリついた空気からの解放とはだいぶ様子が異なった。

モデル業に専念……。

舞の参加は少し特殊で、事務所の姉妹ユニットへのオーディションに乗り遅れてこっちに来た経緯があった。

モデル志望のscarlet(スカーレット)

背が高くクールな容姿は不釣り合いに思えたが、話すと人懐こく愛らしいのですぐさま打ち解けた。

──まいまいは辞めないでね。

抜けると“()抜け”になるから。

いつかそんな冗談を言ったが、それが現実になった。

解散の文字が過る。

隠しきれない衝撃とショックを受けたが、事は否応無しにどんどん進んだ。


 新曲リリース。

舞の卒業はとっくに織り込み済みだったのか、それを見越したように全ては用意されていた。

集められたスタジオでさっそく歌割とフォーメーションが発表され、それがまた問題だった。

曲はいい。00年代乙女ハウス調、切な系のダンストラック。歌メロは歌謡風で原点回帰的な感じは好感触。

が、渡されたプリントの表記……

(ミユ)(メグ・ムツキ・モエ)の繰り返し。

センターとメインボーカルを未結に据え、他はバックでコーラスに徹する。

ここまで極端な采配は初で、ほぼ未結のソロと化した。

タイトルを“siren”とし、プロデューサー(さこ)()得意の言葉遊びで試練と読ませたいらしい。

ダッサ。

憤りとこれまでの率直な感情が喉元をせり上がってくる。

何これ? カンフル剤のつもり?

未結をかつての希妃の立ち位置にしようって……?

時折彼の戦略は理解し難くて、ファンの賛否も加熱した。

今回は盛大に“荒れる”──そんな予感がした。

萌絵は明らかやる気をなくしていて、半ば放置気味。

覚えの悪い夢月はそうは行かず、歌が少ない分複雑に作られた振りを頭に入れるので必死だった。

その数日の萌絵がやけに優しくて、気になった。

レコーディング、撮影、リハ、取材、ファンミ、宣伝、配信……

目まぐるしい活動の中でよく練習に付き合ってくれた。

「“離れて”だから手は前に出す、でいいんだっけ?」

「いや手は前に出さない」

「あれ、こう?」

「そうそう、手は胸のとこで当てるだけ」

「……そっか」

 先生のDVDをよく観返さないとな……そう思った時、

「分からなかったらまたすぐに聞くんだよ? 萌絵が必ず付き合うから」

──そんなことを口にした。

新人か、と思わずツッコみたくなったが嬉しかった。

優しい。

歳は一つ下なのに妙にお姉ちゃんぶって……確かに萌絵には妹が居たが。

まさか最後だから?

こうやって過ごせるのも残り僅かなのかな、と思うと夢月は寂しくなった。

最近ちょっとメンバーと距離があるのを心配してくれている。

萌絵が中学に上がったばかりの頃、学校で孤立した苦悩から手紙をくれたことがあった。

拙く切実な心の内……涙の滲む文面には“eyesは萌絵の居場所だから”と。

その内容は自身のモチベーションにも繋がったし、今も大切に鍵の掛かる引き出しの奥に仕舞ってある。

あの時の気持ちを今の私に重ねて慰めてくれている?


 でも最近微妙に拭えない合わなさがあった。

いつもの雑談。

「ねえ聞いてよ、この間みゅーがチョコくれて」

「ああ、うーん」

「なんかお菓子屋でみっけたアソートのやつらしいんだけど」

「アソートって何?」

「色んなの入ってるやつあるじゃん?」

「ああ」

「それで綺麗だなって見てたから欲しがってるように見えたみたいで」

「誰が?」

「ああ、だから私が」

「ああ、ね」

「うん。で、苺とかオレンジとか抹茶とかあって」

「どういうやつ?」

「四角いマカロン的な?」

「へえ美味しそう」

「それでじゃああげるよ、ってなって、いいの? って聞いたら好きなのどれでもって言うから選ぶじゃん」

「うん」

「で、抹茶好きだからコレって選んだら、“えー! それ未結の一番好きなやつじゃん!!”とかってガッカリされて。いや知らんし! と思って」

「あー、みゅーそういうとこあるよね」

「そう、てかどれでもいいって言ったじゃんって」

「どれでもって?」

「え、だから好きなのどれでもって」

「ああ、そういうことね」

「数あったし一個くらいくれてもいいじゃんって思ったよね、言わなかったけど」

 なんか興味ない?

別にそこまで苛つかないけど伝わらなすぎじゃない?

萌絵がハマってるっていう配信で行ったカフェの話にはちゃんと付き合ってあげたのに、こっちが話すと上の空。

目線もずっとスマホだし。

聞くばっかじゃなくてこっちも聞いてほしいのに。

この程度で不満に思うとか、情けない?

「それでまた、教えてほしいとこあって……今度は歌なんだけど」

「え? あ、うん。いいけど、ちょっと疲れてるからまた次でもいい?」

「あ、全然全然。あとで」

 あれ。でもまあ毎回じゃ大変か……。

さすがに萌絵の言ったことに甘えすぎたかも、と反省しつつ、やっぱり微妙に素っ気ない態度が気になる。

なんか機嫌悪い? 気にしすぎ?

そんな些細なことが積もっていく。

一つひとつのことはあまりに小さく、言うに及ばない。

だから余計に、気にする自分の器の小ささに嫌気が差す。

けれども確かにそのストレスは蓄積していった。


 それから数日、その不満の嵩が、もう一段階大きくなった。

「むっちゃん! むー! むつむつむっちゃん! 夢月! イェイ♪」

 未結……。

このテンション。

悪い子ではないし、というか結構いい子なんだけど、波長が合わない。

それに、たぶん本人はそんなつもりはなさそうだけど、ナチュラルに上から目線で……

それはやっぱり小さい頃からの経験の積み重ねに由来しているんだろうけど。

「どしたん? 今日めっちゃ大人しいやん」

 独自の渾名連呼に加えてエセ関西弁が未結の特徴だった。

歌はあんなに上手いのに喋ると滑舌が悪い。

音が全部繋がっているから、何を言っているか聞き取れない時があるが、キャラで許されている感じ。

「そう? ま、ちょっと振りで手こずってるけど」

「あーねー。むっちゃんは、ダンスが苦手だよね」

 言っちゃう! いやそうだけど……。

話題を探す。未結、ミユ、みゆ。

転じてみゅーと略された渾名は時にむーと紛らわしい。

みゅーは更にμと表記し、気に入ってサインにもあしらっていた。

未結は絵が上手い。

だからかメイクも上手い?

この子……なんでも卒なくこなすな。

センスも良いし、何か悩んだりすることってあるのかな。

渾名の話題、未結に振ったらどんな反応? 今の萌絵じゃどうせつまらない返しに決まってる。

「渾名って可笑しいよね。うちとかみゅーは呼びやすく省略してるって分かるじゃん? でももえ子とかめぐすけとか元に足すの面白いよね。どっから来た? みたいな」

 はじめ何の話? って顔で、でもすぐに分かって目が三日月になった。涙ぼくろが可愛い。

「あ〜それ思った! キッキ、まいまい、みさきち、だーやま、りーちゃん、はるはる、りったん、かえぽ。バリエーション豊富!」

 勢いよくリズミカルに言った。一瞬でよくそんなに。少しくどいが良い反応。

「でしょ? まあもえ子は分かるか、末っ子的な」

「そうねー、超甘やかされてるしね。めぐすけは自分で言い始めたんやっけ、そう呼んでほしいって」

 なんだ話してみるもんじゃん。

折角だし、ダンスのコツも聞いてみる。

「みゅーはどうやってダンス覚えてる?」

「えー、そりゃ回数こなすんよ」

「まあそうなんだけど」

「例えばどこでトチるん?」

「えーと、Bメロの“離れて”ってとこあるじゃん?」

「うん」

「そこで──」

「うん? ちゃうで、その手は伸ばすんだよ、前に」

「え?」

「ほら、“離れて”だから、距離を作ってるんやん」

「あ、ああ……そうだよね?」

 私合ってたじゃん。合ってたじゃん! 萌絵……。

「ま、でも歌詞と合わせる覚え方? うちはちょっと否定的やけど」

「なんで?」

「効率はいいと思うんよ、同時に覚えられて」

「うん」

「ただむっちゃんとかめぐ公はくっつけすぎかな」

「くっつけすぎ?」

「2人は歌詞に忠実なところあるやん?」

「うん、だって大事でしょ?」

「うーんせやけど、囚われすぎてリズムが疎かになるんじゃやっぱ表現としてはなってないってことにならん?」

「あそっか」

「うん、振りが全部を意味してるわけちゃうし。例えば──」

 凄い。

未結は自分のパートでない細かい振りまでしっかりと把握していた。

伊達に長くメインを張っているわけではない。

それに未結のダンス理論は腑に落ちるところがあった。

歌詞と振りは別個で覚え、ダンスはパキパキ踊る。

scarletが豊かに色とりどりなら、eyesはキチッと揃える。

それが曲なりダンスなりの方向性で、その理解がよく馴染んでる。

舞が抜けてみて、まともに向き合って話した感があった。

当然話したことがないわけではないし、大所帯グループと違ってほとんど一緒に居るようなもんだから、配信ライブや取材で2人きりになることも少なくなかったけど。

分かっていたつもりでまだまだ意思疎通が足りてない。

「でなこん時、手は頭より上で──」

 そんな感心の頭で、未結の距離がグッと近付いた時、妙な既視感に襲われた。

ん? なんだっけこの香り? なんか知ってる匂い……甘くてベリー系の、うーんなんだ? シャンプー、香水、クリーム、柔軟剤……どれでもない。

「ほなこんな感じで! な! イェイ♪」

「……イ、イェイ♪」

 教え終わると忙しそうに去って行った。

口癖の“イェイ♪”がこんなに鬱陶しくないとは。もっと上手く笑えればよかった。返すのは慣れてない。


 その数時間後、今度練習も兼ねてカラオケに行こうと萌絵が誘ってきた。

あ、お願いしたこと覚えててくれたんだ、と思いつつその日程は決まらない。

もどかしい思いの中で、それとなくこの間の振りの間違いを指摘する。

「そういえば、“離れて”の振り教えてくれたじゃん?」

「ああ、うん!」

「あれってさ、手は伸ばすんでしょ?」

「そうだよ?」

「でもこの間は手は前に出さないって言ってたじゃん?」

「え、言ってないよ! 手は前に出すんだよ?」

 え。言ってたから直したのに。

「あ、あれ? じゃ勘違いしてたのかな」

「うーん、色々言ったしごっちゃになったかな? 萌絵も言い間違ったかも」

 はあ。最近こういう誤解がちょっと多い。

もちろん悪気はないし自分も色々聞き過ぎたけど……それでもやっぱモヤる。

何れはすぐに分かることだし責める程じゃないけど、ただでさえ要領が良くない私にとってはどうしても引っかかる。

わざと間違いを教えたとか……?

いやそんなのあるわけないんだけど、ついひねくれた解釈で自己嫌悪に陥る。

「ね、めぐー! これ開けて! あ、いや開いた」

 最近の萌絵は何かというとすぐ芽来を呼びつける癖が目立つ。

自力で解決しようとする前に、まず芽来に頼ろうとし、結局来る手前、もしくは来たところで解決するのでうんざりする。

いちいち呼ばなくても。

てかなんか、芽来とばっか話すじゃん……別にいいけど。

それに呼び捨て? 舞は“ちゃん”だったのに。気にしすぎか。

芽来は現時点での最年長でリーダーを引き継いだ。

誰よりも人見知りなのにどうして任される?

こういうところが解らない。色々とあえて無理難題を押し付けてるような。

この試練をどう乗り越えるか、って?

萌絵は都度“リーダーなんだから”と無関係な学校の宿題をやらせようとしてからかう。

そのグイグイいく感じが芽来を助けている部分もあるようで一概に悪いとは言えない。

前髪命! だったのにデコ出しになって嫌じゃなかったのかな。

それだけ本気ってことか。

結局、カラオケの約束は有耶無耶になり、いつにするかと問い質せば“もう少し後で”と先延ばし。

行く気ないんじゃん。なんか……うーん。


 そして、萌絵への不信感が決定的になる。

ある撮影のメイク室。

あの謎が解けた。

未結と隣同士になり、何かの拍子で咽せた時、心配した未結が気遣って飴をくれた。

「大丈夫? これめっちゃ効くで」

 得意気に何をくれるかと思えば、龍角散だった。

「あ、これ好き。ありがと」

 なんか未結こんな優しかったっけ? 萌絵とは対照的にどんどん惹かれていく。

興味深くメイクの様子を見ていて、ポーチから出てくる櫛の数に驚いた。

「そんなに入ってるの?」

「あ、別に拘りとかそういうんやなくて、単に失くすから」

 笑って、次々に取り掛かり、仕上げの段になってリップを取り出した。

あ。これだ。あの時の匂い。目が点になる。

ブランドも、色味も、香りも、あの時萌絵にあげたのと全く一緒だった。

あの手紙のお返し。

あの時、あまりに落ち込んでいたので、入学祝いも兼ねて少し高価なリップをプレゼントしたことがあった。

思い出した。そういえば使っているのを見たことが……もしかして──。

「にしてもあれやね、もえやんのやつ辞める気なくなってよかったよね」

 え? なんで未結が知ってるの? 私にだけ話したんじゃ。

「あ、うん……そうだよね」

「多分もえやんのことだからまじで辞める気なんてなかったと思うけど。ほら、あの子構ってほしがりやん」

 あんな気持ちになった私は何だったんだ。……真剣に聞いて損した。

実際のところ、萌絵が辞めようが辞めまいが、夢月に辞める選択肢は消え失せていた。

バラエティで自信のあった受け答えが編集でほとんどカットされ、奮い立っていたやる気の根本が断たれていた。

アイドルという肩書き。その価値。後ろ盾の強さ。“アイドルにしては”面白い子。

こんな生半可で、eyesを卒業してやっていけるわけがなかった。引退はしたくない。

おそらく萌絵だって。


 その萌絵のやる気度合いを計り知る場面。

萌絵が、新曲PRの一環で上げた“踊ってみた”動画がバズった。

舞い上がって、喜びつつも信じきれない様子でこう訊いてきた。

「え?! やば! めっちゃ再生数上がってるんだけど! これってむーがいっぱい観たとかじゃないよね?」

 は? そこまでいつもチェックするわけないし──。

たぶん萌絵は何の気なしに言ったと思うが、夢月は苛立ってしょうがなかった。

正直、本当のところを探りきれないが、今の発言からするに、いつも萌絵のことが気になるでしょと言われている気がして癇に障った。

なんか、萌絵は私と仲良く“してくれて”いる?

そう思うと、やけに優しかった態度も、まるで情けでそうしていたように感じて、いい気がしなかった。

萌絵が付き合ってあげなきゃ、って?

──そういう親切って、なんか偉そうじゃない?


 そしてある日のレッスン時、遂に爆発した。

夢月と萌絵は並び合って練習していて、少し近い距離にいた。

飲み終えた空のペットボトルを、すぐに片付ければよかったものを、億劫になって近場に置き、それが微妙に萌絵のスペースに侵入していたらしく、勘違いが起こった。

「これさ! 自分で捨てに行ってくれる!」

 キツい口調だった。積もってたものもあり、瞬時に火が着く。

でも今じゃない。今怒るのは違う。出来れば穏便に済ませたい。話せばわかる。落ち着け。

ふとクイズで聞いたアンガーマネジメントの6秒を試してみる。

1、2、3、4、5、6……パコッ。

ダメだった。

萌絵が拾ってわざわざこっちに落としてきた。

夢月はおもむろに拾う。限界──。潰して、捨てに行く。

「ねえ。何その言い方?」

 感情の噴出。

溢れ出した怒りは止め処なかった。

「何が?」

「いや別にそっちに置いてないんだけど」

「置いてたじゃん」

「置いてないし。置いててもそんなの普通に言えばよくない?」

「え、何その萌絵が悪いみたいな言い方」

「感じ悪いからこうなってんでしょ?」

「はあ? 意味分かんないんだけど。図星だからって突っかかられてもウザいんだけど」

 普段なら羨ましいと思う鼻にかかる声も、今は神経に障る。

「は? ていうか……最近のもえ子まじムカつくんだけど」

「何が?! なんでそんなこと言われなきゃなんないの? こっちこそ頭に来るんだけど」

「あのさ、もえ子は人の気持ちとか考えないよね」

「むーに言われたくないんだけど?」

「どういう意味? うちがなんかした?」

「言ったって分かんないし」

「言って分かんないのに急にあの態度されても困るんだけど?」

「言われなきゃ分かんないとか……」

「はあ? ね、そういえば辞めるとか言ってたけど、気が変わったんだ? 私全然知らなかったわ」

「何それ」

「何それって言ってたじゃん! うちにだけ話すとか言って。なんか皆知ってたけど」

「え、なんでむーがそれ知ってんの?」

「はあ?!」

「そのこと話したっけ」

 何こいつ。

「バカにしてんの?」

「バカにしてんのはそっちじゃん!」

 じゃああの時顔を見合わせたのは何?

「……話になんないんだけど。うちがもえ子にあげたリップみゅーにあげたりさ」

「なんの話?」

「そうやって全部惚けんの?」

「え、萌絵みゅーにリップなんかあげてないよ?!」

「はあ、もういいって。気に入らないんだったらその時言えばいいのに」

「ねえ何言ってんの?」

 悔しくて顔が歪んだ。

このまま続けたら涙に飲み込まれてしまいそうで、居ても立っても居られずその場を抜け出した。

「……辞めたきゃ好きにすれば」

 それ以降ゆうに一週間は口を利かなかった。

親や友人と顔を合わせるより数や頻度が多く、濃密なアイドル生活の中で、その時間の感覚はあまりに長かった。

口を利いてもせいぜい事務的なやり取りに終始する。

撮影や表舞台に立つ際の笑顔が辛かった。

おそらくファンは夢月と萌絵の間の摩擦を察知している。というより隠しきれていない。

解散の濃度が濃くなる。

周りもいい加減呆れ返っていた。


 ある時、ラジオのゲスト出演で夢月は芽来と2人きりになった。

収録の帰り。

「夢月で助かったわ」

「ああ……みゅーだとまた怒られるもんね」

「あの子呼び方統一しないから」

「そうそう」

「……そういえば、未結が持ってたブラウンのリップあったじゃん?」

「ああ、あれ」

「うん。私もいいなと思って聞いたら、萌絵が夢月から貰ったのを未結が見て買ったんだって」

「え、そうなの?」

「たまたま同じの持ってるだけかと思ったけど、真似して買ったってのが意外で」

 嘘……本当に勘違いだった。

「なんかそういう変な流行りってあるよね」

 決してメイクの下手さが解消されたわけではないが妙に嬉しかった。

自分のセンスが肯定された感? 単純すぎるけど。

「……前もなんかあったよね」

「結構前だよね。それで思い出したけど、未結があんこが苦手でさ」

「あれね! もえ子が饅頭あげたやつでしょ?」

「そうそう、未結が“あんこダメだから。入ってないよね?”ってちゃんと聞いたのに」

「もえ子適当で全然聞いてないから生返事なんだよね、“大丈夫!”とか言って」

「“全然大丈夫じゃないやん!”ってね、笑った」

「うんあれはウケた」

「萌絵はさ、悪い子じゃないけど返しが適当なんだよね。相手の話をよく聞いてないっていうか」

「うん」

「だから嘘はついてないけど、嘘っぽくなっちゃう」

「ああ、ね」

「あと結構自分で言ったこと覚えてないよね!」

「分かる! それこの前自分で言ってたじゃん? ってことも普通に忘れて聞いてくる」

「そうそう。だから単純に悪気はなかったんじゃないかな」

「ああ……」

「うん」

「みんな怒ってるよね」

「いや、まあ怒ってはないけど、空気がさ」

「ごめん」

「いや私はいいんだけど。いやいいっていうか、仲は戻してほしいけど……」

 芽来ってなんかお母さんみたいだな。

前はこんな感じじゃなかったよね? やっぱり変わったのかな。

「あと、これは萌絵にも言ったんだけど」

「うん」

「夢月と萌絵は結構似てるんじゃないかなって」

「え?」

 考えたこともなかった。

私と萌絵が似てる。言われれば幾つもの共通点が思い浮かんだ。

ここ最近の素っ気なさや反抗的な態度。

あの優しさは、もしかすると萌絵がそうして欲しかったのかも。

ああ、なんであんな風に言っちゃったんだろう。あんな言い方しなくても。

「たぶん夢月とおんなじこと考えてると思うよ」

 最近はよく気が合うし未結とばかり喋っていた気がする。

今までの分ノリに付き合ってあげなきゃな、みたいな。

ん? “付き合ってあげなきゃ”?

なんか今私、凄く偉そうじゃなかった?

まるであの時感じた、おんなじ種類の──。

苛ついた私こそが誰よりも人のことを見下していた。

そういうことか。


 明日から5周年記念のツアーが始まる。

いい加減仲直りせねば。こんな状態のまま初日を迎えたくない。

日付が変わる。ブログの投稿時間からすればまだ萌絵は起きてる。今しかない。

「ちょっと電話で話したいんだけど」

──2人が好きな曲の歌詞に準えてあえてメールにした。気づくかな?

電話が鳴る。勇気で押す。

<もしもし>

「あ、今、平気?」

<お風呂入ろうかなって>

「そう……。すぐ済むから」

<うん……>

 なんて切り出せばいい? お互い探り合っている。

<去年のさ>

 沈黙は萌絵が破った。

「うん」

<ツアーで行った、どこだっけ、新潟? のさ、饅頭が美味しかったよね>

「ああ、うんうん、あんぶって言ったっけ」

<それ!>

「あん時2人で何個食べた?」

<ちーに怒られたよね>

「そうそう」

<今回もさ、回るじゃん?>

「うん」

<また食べられたらイイよね>

 笑い合って空気が緩んだ。

萌絵も謝ろうとしてる、夢月はそう察した。

「あの……」

<この間言ってたむーがくれたリップ>

「ああ、それ……」

<使うの躊躇しちゃって。もったいなくて>

「そうだったんだ」

<大事な時に使おうと思ってたらタイミング逃しちゃって>

「いや、うん……勝手に勘違いしてた」

 謝りたくてメールしたのに、先に謝られてしまってはバツが悪い。

流れで思いついた話題で萌絵の返しを封じ込める。

「そういえばもえ子がハマったって言ってたあんみつ」

<あの配信の?>

「そう」

<うん>

「あれ、一緒に行かない?」

<え? あ……うん、いいけど>

「そんなに美味しいの?」

<え、超美味いよ? なんかね、こしあんと粒あんの種類が選べて……>

「そんな違うの?」

<いや全然! まじ食べた方がいいよ?>

「じゃあ行こうよ、ツアー終わったら?」

<ああ、うん。だね>

「この間は言いすぎたから。うちの奢りで。年上だし」

 つい強調した。クスッと笑う声が聞こえた。

<しょうがないなあ……。むーだから付き合ってあげるよ>

 萌絵は、嬉しくて堪らない様子で、精一杯弾む声を押し殺して、面倒くさそうに応えた。

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― 新着の感想 ―
飴玉ジジイムーブ、再び。 ・物語の構成 見た目きらびやかなアイドル達が、内輪ではギスギスしながらも「前」を見つめて努力する青春譚…、がこの作品の良さだと思うので、やはりキャラを印象つけるのが肝要かと…
ふむ、会話と地の文のバランスは良い感じ。 ただ、キャラが少し掴みづらいだろうか。音の似た女の子が複数人登場する構成上、1話でいっぺんに紹介するのはもったいない。 せっかく(?)の連載作品なのだから、…
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