表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/41

7【新マネージャー】~島津大地~

マネージャーになった大地のお話。

最初の仕事は、まさかの先輩のメンタル修復作業?

大地視点でお送りします。

「新しい部員だ。おい! 入れ!」

「は、はい!」


 織田の声が聞こえたのを合図に、大地はほんの少し開いていた剣道場の鉄扉を開けて、ひょっこりと中を(のぞ)いた。道場内では部員たちが一列に立ち並び、みんな一様にこちらを見つめている。その中にはよく知る顔もいくつかあった。


「え――?」


 すぐさま戸惑った声を上げたのは浬だ。その隣にいる航は唖然(あぜん)としている。――無理もない。大地は織田に手招きをされ、上座――つまり、織田の隣へと向かった。


「だ、大地……?」

 

 ようやく、航が名前を口にした。大地はくるりと振り返って航へ目をやり、にやりと口角を上げて見せる。この話を織田に持ちかけられたときから、航にだけは話そうかと迷ったりもしたが、内緒にしてきた甲斐があった。ここまで驚く彼を見たのは実に久しぶりだ。


 大地はやや緊張して、織田の隣に立つ。ずらりと並んだ大勢の部員を前に、ほんの一瞬、不安が(よぎ)った。だが、「お前しかいない」と言ってくれた織田の言葉を思い出し、深呼吸をする。自分にそんな能力があるとはとても思えないが、一度それを承諾し、こうしてここに立ってしまったのだから、もう後戻りはできない。


「えーっと、今日から――というか、明日から彼は、うちのマネージャーをやってくれることになった」

「島津大地です! 『島』は島国の島! 『津』は津軽海峡の津! 『大地』は母なる大地の大地です! 大地って呼んでください! よろしく……、おねねしゃす!」


 あ、やべ。噛んじゃった――。


「ちなみにだが、大地はオレの(おい)っ子だ。剣道に関しての知識はまだ浅いが、サポート能力と分析力には()けてる。よろしく頼むぞ!」


 道場はしいん、と静まり返っている。想像だにしなかったあまりのことに誰もが驚き、反応することを忘れてしまっているに違いない。体つきががっしりした三年生らしき青年たちですら、ぽかんと口を半開きにして大地を見つめていた。


 まずは剣道部にマネージャーがやってきた、ということ。そして、そのマネージャーは顧問の(おい)っ子だということ。おそらくはここにいる部員の大多数が、この二つで驚いていることだろう。しかし、一番下座にいる一年生の三人はさらに、「まさかあの大地が」というところで驚いているに違いない。きっと変な夢でも見ているような感覚に(おちい)っているはずだ。


「本日は以上! 解散!」

「は……、はい! ありがとうございました!」


織田の声に、ハッと我に返ったのか。上座に立つ三年生が慌てて反応し、頭を下げる。すると、ひと呼吸置いてから、全員が思い出したかのように頭を下げて「ありがとうございました!」と声を張った。





 今、剣道部の部室へ向かいながら、大地はげらげら腹を(かか)えて笑っている。その隣で、楓、浬、そして航はみんな、一様に口を尖らせていた。中でも楓は顔を耳まで真っ赤にさせて、それはもう不服そうだ。


「そんなに笑わなくてもいいだろうよ……」

「いやいや……! 笑わずにいられないって! おもしろ過ぎるでしょ!」


 大地はなおも笑った。目尻から涙を(こぼ)し、それを手の甲で(ぬぐ)いながら、腹を(かか)える。そのせいで足下がよれよれとしてしまって、今は歩くのもやっとだった。

 さて、なにがこんなに可笑しいかというと、楓のせいだった。楓はつい数時間前、体育教官室前で、大地と織田が話しているのを偶然聞いたのだと言う。その会話だけを聞いて、事もあろうに大地と織田が禁断の恋愛関係であると勘違いしたと言うのだからたまらなかった。


「オレと壮一さんが、禁断の……っ」

「もういいって……」


 大地と織田の関係。それはただの教師と生徒、というだけの関係でないことは間違っていなかった。しかし、禁断の恋愛関係だったわけでも、男同士のカップルだったわけでもない。ふたりは親戚同士。織田は大地の叔父なのだ。


「織田先生がお前の叔父さんなんて、全然知らなかった……」

「うん、だってオレ、航にも言わなかったもん」

「なんで言わなかったんだよ」

「そりゃあ、びっくりさせたかったから」


 航が(あき)れた目でジトッと[[rb:睨 > にら]]みつけた。一方で、浬は笑みを引きつらせている。人が悪い、とでも言うようだ。もちろん大地自身、その自覚はあった。


「オレんちはさ、叔父さんが多いんだ。父親が七人兄弟でさ。だから名前で呼ばないとわけがわかんなくなるんだよ」

「へぇ……」

「ちなみに、うちの父さんは七人兄弟の一番上で、壮一さんは一番末っ子ね」


 大地には叔父が父方だけで六人いる。だから下の名前で呼ぶほかない。名前の後にいちいち『叔父さん』を付けるのも面倒なので、大地は数いる叔父全員を下の名前で呼んでいた。だが、そこでふと疑問に思ったのか。楓が問う。


「苗字は? なんで違うわけ」

「あぁ、壮一さんってね、お婿(むこ)さんなの。奥さんがひとりっ子だったから、苗字は奥さんの方の織田姓を継ぐことになったんだよ。まぁ、うちはあと六人もいるからね」

「なるほどな」


 織田との関係にようやく納得していただいたところで、大地は部室に案内され、改めて自己紹介をした。三年生から始められたそれは、二年生へ続き、さらに一年生へ続いた。そうは言っても、一年生は航と浬、楓だけだったので、今さらなにを紹介されるでもない。

 ただし、織田から聞いていたメンバーはそこにいる全員ではなかった。二年生はあともう一人いるはずなのだ。


「ありゃ?」

「どうした? 大地」

「いや……。あのー、二年生は四人いるって聞いてるんすけど。今日は休んでるんすか……?」


 それを聞くなり、一瞬、空気が凍りついたような気がした。その反応で十分だったが、部長の浅井市鷹が説明をするように話し出す。その場できょとんとしているのは一年生だけだった。


「織田先生から聞いてるかわからないけど、雑賀(さいが)は今、療養中なんだ」


 確かに、二年生は四人いるようだ。ふと見ると、大地の真横のロッカーには『雑賀』と書かれている。そういえば、織田がそんな話をしていたかもしれない。と、大地は思い出した。話を聞いていたときは、部員が練習に来ないなんてどこにでもあるような話だし、放っておけばいいじゃないか、と軽く考えていたが、実際に身近で感じると、また考えは違ってくるものだから不思議だった。


「療養……って?」

「あぁ」


 返事をすると、市鷹は自分の胸を指差した。各部員たちの顔色を見る限り、三年生、二年生の部員の間で、それは把握されているようだった。きょとんとしているのは、航たち一年生だけだ。


「体は悪くないんだけどな、こっちがちょっと弱ってる」

「――あ、なるほど」

「さいが……先輩?」


 航と浬は互いに顔を見合わせている。楓もまた、首を(ひね)った。三人がその存在を知らないのも当然だった。聞けば、二年生の雑賀はスポーツ科学科に在籍する剣道部員だそうだが、今年の一月末から稽古へ来ていないのだと言う。

 その理由こそ市鷹は話さなかったが、おそらくそこにいる二、三年生の誰もがそれを知っている。だからこそ、これまで誰も彼のことを話さなかったのだろう、と大地は推測した。


「あいつのことは、今は放っておいてやるしかないんだよ」

「なんでです?」

「なんでも。その話はまた今度な、大地」


 そう言って、市鷹は大地の肩を軽く叩いた。航たちは複雑な思いでいるのだろう。不安そうに大地の顔を見つめている。大地は、織田がなぜ強豪剣道部のマネージャーに大地を選んだのか、不思議でならなかったが、その理由が今は少しわかってきた気がしている。


 壮一さん、もしかして(こじ)れた人間関係を修復させるのをオレに手伝ってもらいたくて、あんなに必死に頼んできたのかな……。


 おそらく、その予想は当たっているに違いなかった。


 大地は航たちと一緒に帰り支度を済ませると、自転車置き場へ向かった。今日から大地は、この剣道部の一員だ。汗をかくこともスポーツも好きではない自分が、まさか剣道部のマネージャーになるとは思いもしなかったが、織田には入学当初から、ずいぶん長いこと口説かれていたので、もう断るのも限界だった。いっそ承諾してしまった方がずっと楽だと思わせて、首を(たて)に振らせることが、織田の策だったのだろう。大地はすっかり彼の術中にはまり、落ちてしまったわけだが、剣道部には航や浬、楓もいる。彼らのサポートができるならそれもまた本望であるとも思えた。


「まさか、お前が剣道部になる日が来るなんてなぁ」


 航が、これは感慨(かんがい)深い、とでも言うかのようにそう言った。浬も心なしかはしゃいでいる。彼は以前から、「大地も剣道部に入ればいいのに」と無茶な勧誘をしていたので、喜んでくれているのだろう。


「大地、今度こそ途中で辞めんなよ」

「ここまで外堀埋まってんのに辞められっかよ。――あれ、楓は?」

「まだあんなとこにいる。楓ー、早くー!」


 一方、楓は――というと、えらく拍子抜けしてしまって、いささかくたびれているようだ。彼の突拍子もない勘違いを思い出してみれば、それは当然かもしれなかった。


 さて、今日は四人でファミレスにでも寄って帰ろう、という話が出たところで、大地は自転車に乗ろうとした――。だが、その時だ。


「おーい、島津――」


 苗字で呼ばれるのは慣れていない。一瞬、自分のことだろうか、と考えてしまったが、背後から駆けて来た声がわざわざ訂正してから、もう一度呼んでくれた。


「じゃなくて、大地……!」

「佐伯先輩?」


 駆けてきたのは、佐伯千樫。剣道部の二年生だ。彼は左足の靭帯(じんたい)損傷のため、治療中である。稽古を見学しつつ筋力トレーニングとマネージャーの仕事を(こな)しているが、だいぶ足の具合も良くなってきたらしく、夏休みから復帰できるそうだ。


「どうしたんすか?」

「呼び止めてごめん。さっき、雑賀のこと聞いてたろ。一年は知らないと思うけど、誤解されないようにちゃんと言っとこうと思って」

「誤解?」


 佐伯が頷く。それからとても言いにくそうに、だが懸命に、声を振り(しぼ)って言った。


「雑賀が来なくなったのは実は……おれのせいなんだ……」


 大地たち一行は、学校からほど近い場所にあるファストフード店に入った。航や浬は、日頃から帰りついでによくここへ寄っているらしいが、楓はたいてい先に帰ってしまうことが多いので、今日この場に参加しているのは珍しいのだそうだ。


 五人はハンバーガーとポテト、それにドリンクのセットをそれぞれ注文して席に着く。大地は今さらながらに思った。浬は繊細(せんさい)そうに見えて、案外、能天気だ。彼は佐伯が浮かない顔をしているのにもかかわらず、妙にテンションが高い。どうやらここへ四人(そろ)って来られたことが相当嬉しいようだ。

 航は佐伯を気遣っているが、浬を落ち着かせることにも必死だった。それを楓は(あき)れた目で見ながら、さっさとハンバーガーを口に運んでいる。


 へぇ。ハンバーガーの方、先に食べるんだ。オレとは逆だな。


 ――と、どうでもいいことはさておき、大地はすぐに本題に入った。どんよりしている佐伯をこのままにしておくのは心苦しくてかなわない。


「で? 雑賀先輩と佐伯先輩。いったなにがあったんすか?」


 そうだった、と言わんばかりに浬が大人しくなる。航と楓はそれにホッとした様子で、佐伯が話し出すのを待っていた。


「雑賀はすごく真面目で、稽古に熱心な奴なんだよ。あいつ、稽古終わったあとも織田先生に断って、よく居残りで練習しててさ。おれはそれに付き合ってた。元立(もとだ)ちがいないとやっぱりイマイチ稽古にならないからって、頼まれてたんだ」

「あ、話の腰折ってすみません……。元立(もとだ)ちって……なんでしたっけ」


 大地は剣道用語に関して無知なのを申し訳なく思いながらも(たず)ねた。それは以前、航から聞いたことのある単語ではあったが、まるっきりうろ覚えだった。


「あぁ、元立(もとだ)ちっていうのは、稽古で掛かり手、つまり打ってくる人を受ける側の人のことだよ。簡単に言えば先生役……っていうのかな」


 なるほど、と頷いた。すると、航が深く感心した様子で腕を組み、(うな)る。


「ふたりで居残り稽古か……。すごいですね」

「いや、おれはただの元立(もとだ)ちだからさ、どうってことないよ。すごかったのは雑賀の方」


 いや、どちらにしてもすごい。学校の稽古だけでも疲れは相当なものだろうに、さらにその後、居残って稽古するというのは並大抵なことではない。それは部活動の経験が乏しい大地でも想像できた。稽古が終わったあと、家へ帰って寝るまでの時間は、本来なら疲れを癒す時間であるはずなのに、その時間をも削ってさらに稽古をするなんて、考えただけでも吐きそうだ。もっとも、そういう過酷な状況を積み重ねるからこそ、体力、また精神力というものはついてくるのかもしれないが、それにしたってあまりにハードではないか。


 すっげえな……。アスリートさんたちのやることはえげつねえわ……。


「でもさ、その頃からおれは左足を痛めてたんだ。雑賀に話そうかなと思ったこともあったんだけど、あいつが熱心に稽古するとこ見てたら、なかなか言い出せなかった。そしたらある日――」

靭帯(じんたい)、やっちゃったんですか」

「そう」


 佐伯はある日、雑賀の稽古の相手をしている最中に体勢を崩し、靭帯(じんたい)を切ってしまったのだという。そのあとは織田の車に乗せられて、病院へ連れて行かれ、手術が行われたそうだ。


「完全断裂だったからまだよかったって言われたよ。中途半端に伸びてると、癖になって何度も繰り返して痛めたりするんだってさ」


 術後は一週間の入院を経て自宅へ戻り、春休みが明ける頃には歩行は問題なくできるようになっていたそうだ。しかし、本格的に部活に復帰するには半年ほどかかると言われ、今も佐伯はリハビリ中、ということだった。


「そっかぁ。雑賀先輩、それで責任感じちゃってるんだぁ……」


浬のその言い方は、まるで悩みを聞いている女子だ。彼は可愛らしく頬杖をついて頷きながら、「うん、うん。そりゃつらくなっちゃいますよねぇ」と続けた。


「そうなんだよ。あいつ、病院に毎日見舞いに来てくれたんだけど、何度も何度もおれに謝って……。怪我はここまで放っておいたおれ自身の責任だって言ったんだけど、聞かなくてさ。一時はもう剣道部を辞めるって言い出して……」

「え……!」

「おれもそこだけは、止めたんだけどね」


 佐伯が言うと、航と浬、楓もまた、ホッと息を吐く。だが、佐伯はそのあと、すぐに付け足した。


「でも、本人の意志は――今もそうなのかもしれない」


 よほどショックだったのだろう。雑賀はそれから一度も、稽古に顔を出していないらしかった。織田も何度か話をしたそうだが、彼はひどく思い悩んでいるようで、誰がなにを聞こうとも「これからのことを考え直したい」の一点張りだと言う。


「どうしたらあいつが戻ってきてくれるか、おれもわかんないんだ。情けないことに、とにかく戻ってきてくれって言うことしかできてない」


 大地以外の三人は、おそらくその時、佐伯にかける言葉を懸命に探していた。しかし、誰もなにも言わなかった。いや――、言えなかったのだろう。

 同じ剣道部員であり、日々仲間と切磋琢磨しながら稽古をしている彼らには、雑賀の気持ちも、佐伯の気持ちも痛いほど理解できるのだ。大地はこの時、市鷹が言っていた意味を真に理解するとともに、佐伯もまた同じであることを知った。


佐伯先輩も、雑賀先輩って人も一緒だ。ふたりはお互いに傷ついて、苦しんでるんだ。


「雑賀先輩がこのままずっと稽古に来なければ、事実上の退部ってことになるのか」


 航は残念そうだ。みんなが休んでいる間にも稽古をして、技を磨こうとしていた雑賀が、どんな剣道をするのか。彼がどんな人間なのか。それは剣士であればきっと興味を持つだろう。航だけでない。浬、また楓も、会ったこともなければ、もう明日にも退部してしまうかもしれない雑賀に今、期待すらしているはずだった。


「雑賀はさ……、すごく強かったんだ。あいつが出ていくとチームに勢いつけて帰ってきてくれるから、後ろはすごく楽だった。錬成会(れんせいかい)なんか行くと勝率も良くてさ」

錬成会(れんせいかい)って、練習試合みたいなやつのことっすか?」


 再び大地が聞くと、浬が得意げになって説明してくれた。錬成会――。それは、地域の学校が参加する合同練習試合のことらしい。体育館で四つ、または六つの試合場を作って、ローテーションで試合を延々行うのだそうだ。今年の春に初めて剣道部に入った浬は、それに先月、初めて参加したのだと言う。


「一日中、ずーっと試合やるの?」

「そうだよ。でも、先輩たちと交代で出るし、審判の当番もあるからさ。休みも結構多いんだ」

「へえ」


 そうは言っても、一日中試合をするというのは聞いているだけで疲れる。たとえば、テレビゲームをするのにも、一日中やれと言われて集中力が続くだろうか。――否。やはりアスリートの体力、精神力は計り知れない。大地が(あき)れ半分に感心していると、今度は佐伯が言った。


「去年――、まだ一年生だった頃さ、おれたちはBチームで出てたんだけど、ここだけの話、雑賀は先輩たちよりも活躍してたこともあったくらいなんだよ」

「雑賀先輩って、そんなに強かったんだぁ……」


 部員数の多いチームは、AチームとBチームを作り、それぞれ独立させたチームとして参加することもあるらしい。当時の市立船戸高校は部員数がある程度、(そろ)っていたために、それが可能だったのだろう。


「でももう、剣道、嫌いになっちゃったのかもしれないけどな……。剣道だけじゃない、おれのことも、もしかしたら……」


 佐伯はそう言ってグッタリとうなだれたが、それはない、と大地はかぶりを振る。聞いている限りではおそらく逆だ。だから彼は、苦しんでいるに違いなかった。

 しかし、どうすればいいのか。(かたく)なになっている人間の心を動かすのはそう容易ではない。と、そうは言っても、このまま、ただ彼を待っていることもまた、解決にはならない。


「うーん……。佐伯先輩、明日とりあえず雑賀先輩に会いに行ってみたらどうっすか?」


 首を(ひね)り、大地が言う。途端に佐伯を含むほかの四人は表情を曇らせた。


「でも、もう半年も稽古に来てないんでしょ? 雑賀先輩、会いに行ったところで話してくれるのかな?」


 浬が()く。佐伯がため息を吐いた。おそらくは彼も同じように思っているのだろう。実際のところ、それは提案した大地にもわからないことだ。だが、会って話をしてみなければなにも始まらない。案外、それがきっかけで彼は戻ってくるかもしれない。大地はその可能性は決して低くはないと考えていた。


「さぁね。でも、そんなにストイックだった人が、このまま大事にしてたものを投げ出すとはどうも思えないんだよなー」

「たしかにそうだ」


 航は隣で、同感、と言わんばかりに頷いている。だろ? と言わんばかりに、大地は航に目をやった。しかし、佐伯の表情は変わらず不安げだ。


「そうかな……」

「佐伯先輩。オレ思うんすけど、こういう場合はたぶん、荒療治が効きますよ」

「荒療治……?」

「そうそう。佐伯先輩もそうっすけど、雑賀先輩は明らかに自分を責めて殻に閉じこもってる感じじゃないっすか。それって、どういう形にしろ、傷(かか)えてるみたいなもんでしょ」

「うん……。間違ってはいないと思う」

「たぶん、そこにかさぶたがついちゃってるんすよ。しかも、その下は()んじゃってジクジクしてる状態。それ一度ひっぺがさないと、余計悪くなるんじゃないかな」

 

 それを頭の中で想像したのか。浬は肩をすくめ、消え入るような声で「痛そう……」と呟いた。大地は彼に笑みを見せて返す。


「荒療治だからねー。結果的にお互いの傷をえぐるような形にはなるかもしれないけど、腫れ物に触らないでいるよりも、逆にそれくらいした方がいいような気がするんすよね。それと、雑賀先輩と話できるのも、連れて来れるのも、たぶん佐伯先輩だけなんじゃないかなって、オレは思いますよ」


 大地の言葉に、航、浬、楓は(そろ)って深く頷いた。佐伯はそこで初めて笑みを見せ、頭を掻いて言う。


「……だよな。わかってはいるんだけど、おれがなにか言ったら、余計にあいつを傷つけるかもしれないって思うとさ、なかなか話に行けなかったんだ。でも、そうだよな、やっぱり……」


 その口調はまるで、自分自身に言い聞かせているようでもあった。佐伯はそのあと、雑賀と話をすることを四人に約束すると、どこかスッキリした顔つきで、ひと足先に帰っていった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

よろしければ、、続きを楽しんでいただけると嬉しいです。


いなば海羽丸

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ