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5【仲間か敵か】~北条楓~

航との関係に悩む、楓のお話。

北条楓視点でお送りします。

  航に勝つための特訓を始めてから、一ヶ月経った頃。とある日の昼休み中、楓はクラスメイトと弁当を食べながら考えていた。朝比奈航というチームメイトのこと。そして、この市立船戸高校剣道部のこと。自分の気持ち。そして、浬の言葉を。


 ――航は楓を嫌ってない……。話をしたがってるよ。


 そう言われたのは、ひと月前、特訓を始めた初日のことだ。それを思い出すと、楓はたちまちこの胸の内側に(もや)がかかったような気分になる。悔しさは倍増し、苛立(いらだ)ちを覚える。だが、すでにそれは、剣道で航に勝てないから、というだけではなく、幼馴染である浬がまるっきり航にべったりである、ということに対してでもあった。しかも、楓はそういう自分にもまた嫌気が差して、苛立(いらだ)ってしまうのだ。


 くそ――。オレだってもういい加減、こんなのは嫌だけど……。すんげえムカつくんだよ……。朝比奈に一勝もできない自分も、ずっと誘っても剣道部に来なかった浬が、朝比奈と剣道やりたいってだけで必死になってんのも……。


 どうにか今の自分の状況を変えたい。そのためには強くなるしかない。楓はそう考えて、特訓を始めた。それが正解かどうかはわからなかったが、とにかくがむしゃらになるしかなくて、今も特訓を続けている。

 だが実際、一ヶ月それを続けてはみたものの、たいして変わったことはない。あいかわらず航は強く、楓よりも一枚も二枚も上手だし、浬はそんな航にべったりだ。また、航と浬は今現在、まだ一度も勝敗がついていないままである。


 元々、浬は航に憧れてこの高校への進学を決めていた。それは彼から直接聞いたわけではなくても、なんとなくわかっていたことだった。

 去年の夏の総体で、浬がぽーっとした顔で決勝戦を観ていたときも、「剣道をやっていても楽しくない」と散々ぼやいていたくせに「高校では剣道部に入る」と突然言い出したときも、なにか彼の中で、大きな変化があったのだろう、とは思っていた。案の定だ。そのあとすぐ、楓は確信を得た。楓が浬と同じ高校へ行くと言った時、浬は申し訳なさそうにこう返したのだ。


 ――別に止めやしないけど、船高行ったらたぶん、朝比奈がいると思うよ。


 なぜ浬がそれを知っているのか、と聞けば、あの総体の日、航が船高へ行くと話しているのを聞いたと言う。それには(あき)れてしまった。まるで浬の口調は、航に憧れているような口ぶりだったからだ。


 浬の奴、ほっぺた真っ赤にして、朝比奈が、朝比奈がって騒いで……。浬は本気出せば、ほんとは朝比奈になんか負けないくらい強いし、剣道だって綺麗じゃないか。


 あのときも悔しかった。浬は楓にとって幼馴染だし、誰よりも付き合いが長い。実力は浬の方が上だが、彼の剣道のことは知り尽くしているし、相棒だと思っている。もっと言えば、楓こそが浬に憧れてもいた。けれど今、浬が見つめているのは、楓の宿敵。朝比奈航なのだ。


 あぁ、もう……。なんでよりによって朝比奈なんだよ……。あいつのことは、オレが倒すって決めてたのに……、浬の奴……。


 死ぬほど悔しいが、それは事実だ。しかし、それでも楓は浬と同じ高校へ行き、同じ剣道部として、稽古することを選んだ。それもまた、楓の夢だったからだ。

 浬は中学時代、なにかいつも考え込み、悩んでいたようだった。「剣道をやっていても楽しくない」と毎日のように愚痴を(こぼ)していて、一時期は「もう剣道はやりたくない」とまで話していた。それがどうだ。あの夏の総体で、浬は変わった。おそらく航の剣道を見て、感動して、憧れて、彼は剣道をもう一度やりたいと思うようになったのだ。


 皮肉だよな……。浬を救ったのが朝比奈(アイツ)だなんて。そのおかげでオレは、浬と一緒に剣道部に入れた。夢が叶った――なんて。 


 浬は航に心底憧れていて、今や互角で戦いながらも、相棒のようだった。たった二ヶ月半ではあるが、同じクラスなのもあってその仲を深め、羨ましいほど絆を強めている。しかし、楓はだからこそ(かたく)なになってしまう。そう簡単に航を受け入れることはできないのだ。ずっと宿敵だった相手に、長年の相棒を取られて、なお且つ同じチームメイトとして仲良くするなんて、いったいどうやればいいのかわからない。そんなに簡単に気持ちを切り替えられない。

 

 だけど……、ずっとこのままなのも嫌だ……。こんなの、オレがやりたかったことじゃない。


 航と一緒にいるようになって、まだ二ヵ月半。しかし、彼が善人であることはもう知っている。だからこそ浬はああなのだ。真面目で優しくて、理性的で強い。それは楓の目指す剣士の姿でもあった。


 全然……、嫌いじゃない……。でも――。


 ――航は話をしたがってるよ。


 もう一度。浬の言葉を繰り返し思い出す。そのたびに、胸には(もや)がかかる。ドキドキして、彼との未来にどこか期待しながら、体は拒否をしたがる。あいつは敵だ。敵だったんだ、と。


「クソぉ……」

「楓、どうしたー?」


 悶々(もんもん)と考えているせいだろうか。少し息苦しい。クラスメイトに声をかけられてハッと我に返ったが、体が異常なまでに重く感じた。


「ごめん……、オレちょっと購買部に飲み物買いに行ってくるわ」


 こうして、ただじっとしていても、この重苦しい気持ちは少しも解決しない。誰かとくだらない話をしていても、結局はぼんやりと考え込んでしまう。それならなにか用事でも作って歩いた方がいい。風にでも当たって、好きな飲み物でも買って口にすれば、多少は気が(まぎ)れるかもしれない。


 いちごミルク……買いに行こ。


 楓は食べかけの弁当を急いで口の中に入れてしまうと、好物を求めて、一人、教室を出た。


 ところが、購買部に行ってすぐ、楓はここへ来たことを深く後悔した。その姿を見た途端、顔をしかめる。


 げぇ……。


「あれ、北条だ! なんだ、お前も今日、購買?」


 明るい声が飛んでくる。さらさらとした短髪に似合う、爽やかな笑顔を振りまきながら近づいてくるこの男が、楓はちょっと苦手だ。というのも、別に彼の性格がどうのというわけではない。彼は非常に温厚で、理性的で、優しい先輩だ。だが、あの朝比奈航の兄貴分だった。


「羽柴先輩……」

「なんだよ、露骨に嫌そうな顔して。傷つくなぁー」


 へらりと笑う羽柴に、くしゃくしゃと頭を撫でられて、思わず距離を取る。どうして彼はこういつも馴れ馴れしいのだろう。第一、楓が航に対してつらく当たっていることを羽柴は知っている。それを注意されてもいる。だから、航を可愛がる彼としてみれば、楓のことを好意的には思えないはずだった。それなのに、楓を嫌うわけでもなく、いつだってこの扱いだ。全く調子が狂ってしまう。


「なに買うんだ? 今日、Aセットはもう売り切れてるってよ」

「オレが買うのは……、い、いちごミルク……ですけど……」

「へえ。見かけに寄らず、乙女チックなもん飲むんだなぁ」

「お……、おとめちっく……?」

「よし、おれもそれにしようかな。おばちゃん、いちごミルク二つね!」

「は……っ?」


 羽柴はいちごミルクを二つ買うと、そのうちの一つを楓に手渡した。


「ありがとうございます……。あ、お金……」

「いいって。これはおごり。ほかの奴にはナイショな」

「い、いいですよ……。オレちゃんと金払いますから――って、あれ……?」


 制服に付いているあらゆるポケットを探る。だが、財布らしいものは見つからない。どうやらぼんやりしながら教室を出てきて、肝心な物を忘れてきてしまったらしい。


「どうした?」

「いや……。すいません、オレ……、金、忘れてきちゃって……」

「あぁ、だからいいって。そうだ、北条。その代わりに、と言っちゃなんだけど今、ちょっと時間ある?」

「……ないです」


 羽柴がなにを企んでいるかはわかっている。おそらく、チームメイトだから、航はいい奴だから、とわかりきったことを言って、航と仲良くするように楓を(さと)そうとしているに違いない。そんなことは楓だってすでに知っているし、理解している。ただ、感情が邪魔をするだけなのだ。羽柴とそれを話すまでもない。ところが羽柴は、明らかに乗り気でない楓を無視するようにして言った。


「そっか。じゃあ、教室に戻りがてらでいいや。少し話そう」

「ちょ、ちょっと……!」

「まぁ、まぁ。いいじゃないか」


 彼は楓の肩をぽん、と叩いてから、背中を押した。




「……なんなんすか、いったい」

「なんなんすかって、わかってるくせに」


 そう言って、くくっ、と笑みを(こぼ)す羽柴と肩を並べて廊下を歩く。彼は紙パックのいちごミルクにストローを差し込んでそれに口をつけると、満足そうに「うーん、甘いなぁ」と当たり前の感想を述べた。楓はそれには反応せずに、やや早口で答える。


「なんの話かわかりません」

「また。ちゃんとわかってるから、おれと話したくなかったんだろ?」


 図星だ。楓は彼のこういうところが本当に苦手だった。考えていることはなんでもお見通しで、いつだって先回りされてしまうのだ。それはまるで読心術でも使って、心の中をなにもかも見透(みす)かされているようで、怖くもなった。だが、ここは懸命に表情には出さないように隠して、あたかも平然としているように見せる。


「そこまでわかってて、どうしてオレを引き留めるんですか」

「そりゃあ、かわいい後輩たちが喧嘩してるのは嫌だからね」

「別に喧嘩してるわけじゃ……」

「似たようなもんだろ。……楓、あのな。いい加減にしないと、このままじゃお前らの代、チームで戦ったって一勝すらできなくなるぞ」

「え……っ」


 あり得ない。腹は立つものの、航をはじめ、今年の市立船戸高校剣道部の一年生は誰しもが強者だと楓は信じている。中学時代、総体の県予選で個人で準優勝を果たした航に、彼とほぼ互角の経験者であり、船戸南部剣友会会長小笠原志郎の息子、浬。同じ道場で切磋琢磨してきた楓。たった三人ではあるが、自分を含めたこの三人の個人としての実力は絶対にある。


 そもそも楓だって、中学時代、最後の総体の市内予選では、団体戦で優勝しているのだ。県予選では初戦から強豪中学と当たって敗退となったが、トーナメント表にもう少し運があれば、結果は違っていたはずだった。それなのに、羽柴は一勝もできないと言うのだ。楓にはその理由がわからなかった。


「ど、どうして――」

「あくまでチームとして、だけどな。個人戦ならまだしも、団体戦では無理だろ。チーム内の雰囲気が悪いのに、個々が実力を最大限に出せるわけがない」


 羽柴の言葉が急に重く、そして厳しくなる。表情は硬く、その目には(するど)さがあった。それだけ、彼も真剣に考えているということなのだろう。


「……でも、そしたらどうすりゃいいんですか。オレはあいつを倒したい。一緒に戦いたいわけじゃないんです」

「だったら、決闘でもするか」

「決闘――?」

「決闘して、航と戦ってみるか」

「それは……」

「勝ったら仲良くできるのか? 負けたらどうする? また元通りか?」


 羽柴に立て続けに(たず)ねられるが、それにはひとつも答えられなかった。正直なことを言えば、わからない。戦って勝った後のことなど、楓は少しも考えてこなかった。朝比奈航は気に入らない。なぜなら敵だったのだからと、倒そうと決めていたのだと、だから彼を受け入れられないのだと、そればかりを考えていた。


 わからない……。オレはどうしたいんだろう……。


 これではただ、航を妬ましく思っているだけではないのか。もしかしたら、今、楓は自分自身を見失っているのかもしれない。そう思うと、自然と歩みが止まった。すると、羽柴の手がそっと肩に乗せられる。


「なぁ、北条。航ってさ、いつもすかした顔して、なんでもサラッと(こな)してきたみたいに見えるだろ」

「はい」


 そういうところもまた、鼻につくところだった。楓がいくら突っかかろうと、航は少しも感情的にならない。常に冷静で、まるで楓を見下しているようにも見えるときがある。そのせいで、余計に腹が立つ。


「ムカつきます」

「正直にどうも。でもさ、あれでもあいつ、ここに来るまでに案外苦労してるんだよ」

「へえ?」

「なにしろ、おれたちが引退してから、航はひとりぼっちだったからね」

「ひとりぼっち?」

「そう。あの頃の船戸二中にはさ、航以外にひとりも部員がいなかったんだ」


 それを聞いて(まゆ)をしかめた。そんなはずはない。


「……でも、朝比奈の下って、後輩いませんでしたっけ?」

「いたよ。俺たちが現役の頃は、同い年の奴らだってずいぶんいたんだ。でも、俺たちがいなくなったあと、あいつの代にいた不良どもに道場乗っ取られて、部が崩壊しててさ。気が付いたら、剣道部員はあいつ、ひとりになってた」


 そういえば、と楓は思い出す。中学三年の時の総体で、航は個人で優勝し、県予選へ進んだが、団体戦では彼の率いる船戸二中は四位止まりだった。その前年、つまり羽柴の代で、船戸二中は圧倒的な強さで優勝して県大会へ進んでいるのに対し、航の代ではやっと入賞、という結果だったわけだ。

 あのとき、たしか船戸二中との対戦に()いて、顧問教師に注意するように言われていたのはふたりだけだった。三年生部員で主将の航と、石田(いしだ)という二年生だ。そのふたりに勝つか、あるいは引き分けにしてしまえば、あとの三人は経験者だが一年だ、今年の船戸二中はわけない、と剣道部の顧問からは言われていた。


「おれらが引退した後、船戸二中って錬成会とか来なかった時期があったろ?」

「あ、たしかに……。でも稽古はやってるもんだと思ってました」

「それどころじゃなかったんだよ。とにかく人数が集まらなくてな」


 船戸二中は学校が荒れていたことでも有名だった。楓も、船戸二中の生徒の良くない噂はずいぶん聞いていた。しばらく船戸二中の姿を見ていない、と感じたこともあった。

 だが、三年生になってから航は後輩たちを引き連れて練習試合なんかには必ず参加していたし、公式戦以外の小さな大会等にも出ていたから、ごく普通に部の活動をしているものだと思っていた。まさか部が崩壊しかけていたとは、夢にも思わなかった。


「でも石田っていたでしょ。オレらの一個下に。あいつは?」

「石田は経験者で、一年生の春休みに転入してきたんだ。それからだよ。新入生も入ってきて、航がやっと学校でまともに稽古できるようになったのは。大変だったんだぞ。それまではおれも散々、稽古に(かよ)ったし、道場にも連れて行ったりしてさ」

「道場って、船武(ふなぶ)ですか」

「そう」

「そうだったんだ……」


 船武(ふなぶ)――。つまり船戸(ふなと)剣武館(けんぶかん)での稽古が、航のおもな稽古場所だった、ということだ。約半年もの間、彼は学校での稽古を満足にできず、同年代のチームメイトもいなかった。それにはさすがに同情した。


「大変だったんすね……」

「どうだ? ちょっと優しくしてやりたくなっただろ?」


 笑みを含ませた声が聞こえて、ハッとする。これはもしや、羽柴の計画だったのかもしれない。きっとお涙ちょうだいで同情させて、航と仲良くさせようというのだ。危うく彼の術中にはまってしまうところだった。楓は、ふん、と鼻を鳴らして見せる。


「その手には乗りません」

「ホントに意地っ張りだなぁ。まぁ、少しでいいからさ。チームのこと、考えてみてくれよ。あいつと決闘なんかこれから先、いつだってできる。でも、市立船戸高校として、チームとして、一緒に戦える時間はたった二年半なんだからな」


 チームとして、一緒に戦える時間……か。


「そういうことだから。よろしく頼むぞ! 北条!」


 そう言って手を振りながら、羽柴は自分の教室へ戻って行った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

よろしければ、ぜひ続きを楽しんでいただけますと幸いです。


いなば海羽丸

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