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4【楓の気持ち】~小笠原浬~

意地を張る楓を説得する、浬のお話。


 航とファストフード店で散々夢を語り合った後、浬は帰路についた。まだ興奮が覚めやらない。自転車を漕ぎながら、浬は頭の中で航との約束を思い出す。自然と、頬が(ゆる)む。


『浬、一緒にインターハイへ行こう。絶対!』


 それは、ふたりにとってはまだ、夢のまた夢だ。航はともかくとして、浬はまだ公式戦をたったの一度も経験していないのだから。ほかの強豪校が聞いたら、きっとみんな、誰もが腹を(かか)えて笑うだろう。けれど、思いがなければ、目指す場所や夢へ近づくことは決してできない。


 頑張ろう……。絶対、県で決勝へ行って、勝って、インターハイへ行くんだ。航と一緒に……!


 今や航の夢は浬の夢でもあった。しかし、その道のりはきっと楽しいばかりではない。障害や課題はふたりの行く手にたくさん転がっている。そう、たとえば――チームメイトの問題だ。航は別れ際、浬に心の内を吐露していた。


 ――いい加減、北条とちゃんと話をしたいって思ってるんだ。俺たちの気持ちがバラバラじゃ、絶対良いチームなんか作れないって、羽柴先輩にも言われたしさ。


 彼はそう言った。日頃、楓は明らかに航に対してつらく当たる。だが、航は楓を嫌ってはいない。おそらくそれには、彼の憧れの存在、羽柴のおかげもあるのだろうが、航は楓をチームメイトとして、その強さや実力をちゃんと認めていて、なんとしても信頼できる仲間になろうとしているのだ。航のそういうところはとても理性的で、好ましかった。

 浬もまた、これまでにも増して荒々しい楓にはほとほと手を焼いているし、航とはチームメイトなのだから、いい加減にして仲良くしてほしいとも思う。ただし楓の性格上、そう簡単にいきそうもない。


 ……話せって言って、ちゃんと話ができるほど、大人じゃないからなぁ、楓は。


 楓のことは好いているし、信頼もしている。だが、頑固一徹ですこぶる負けず嫌いの彼だ。攻略は相当、手こずるだろう。浬はため息を漏らし、ひとまず家路を急いだ。




 大通りから一本入った細道の先、大きな公園の前に浬の家はある。ちなみに、その隣の家は楓の家だ。悶々(もんもん)と考えながら家の前まで来たところで、浬は自転車を漕ぐ足を止めて降り、楓の家の二階、(はじ)の部屋を見上げた。途端に(まゆ)をひそめ、首を傾げる。とうに帰ったはずの、楓の部屋の電気が点いていないのだ。


 楓――……。出かけてるのかな。そういえば、用事があるって言ってたけど……。


 その時。「浬!」と慣れ親しんだ声で名前を呼ばれて、浬は声のした方へ目をやった。見れば、すぐそばの公園に竹刀を手に持った、馴染みのシルエットがある。楓だ。


「楓……」

「よう。浬、おかえり」

「ただいま。誰かと思った。楓、素振りしてたの?」

「ん、あぁ……、そう。正面素振り百本」

「百本……? すごいね……、特訓?」

「うん……」


 浬のそばへ駆けて来たはいいが、楓の表情は心なしか曇っている。彼がなぜそんな顔をするのか。浬にはわからなかった。だが、やがて彼は言う。


「浬。お前さ、あいつに勝てないこと、悔しくないの?」

「あいつ――?」

「……朝比奈だよ」


 仏頂面のまま、楓はそう言った。そっぽを向いて口を尖らせて言うその姿はどこか幼気(いたいけ)だった。彼もまた、浬と同じく試合稽古では航に一勝もしていない。ただし、楓の場合は浬とは違い、航にしっかり二本を取られる形で、負け続けている。

 その嫉妬や、妬みゆえか。楓の航への当たりは、このところ余計に強くなっている。少なくとも、浬にはそう見えていた。


「あぁ、まぁ……そりゃあ悔しいけど、でも、航は仲間だし……」

「仲間? 仲間だから勝てなくてもしょうがないって言うのかよ?」


 静かな公園の中に、楓の声が響いた。


「そうじゃないけど……」

「オレは……! あいつに勝ちたいし、仲間だなんて……認めてない」


 はっきりと、楓は言った。楓が航に対しての気持ちを口にしたのは、おそらくこれが初めてだった。彼の言葉は、予想通りではある。しかし『航を仲間だと認めない』と言ったことに、浬は納得できなかった。


「なんで? 同じ高校の剣道部なんだから、仲間だよ」

「同じ高校ってだけで、今まで敵だった奴と、急に仲良くなんかできるかよ」

「ったく、もう……。楓はほんっとに子どもなんだから……」


 浬が言う。すると楓が、ふん、と鼻を鳴した。やはり、彼は(かたく)なに航を拒絶している。幼い頃から彼を知り、理解している幼馴染の浬も、それにはさすがにうんざりしてしまった。


「いつまでそうやって意地張ってるつもりなの?」

「さあね」

「信じられない……」

 

 思わず(まゆ)を上げ、ため息を吐く。高校生にもなって、どうして彼はこうなのだろう。あまりに……子どもだ。


「しょうがねえだろ。高校に入ったらあいつのことはオレが倒すって決めてたんだ……。なのにさ……チームメイトになるなんて……」

「でも、おれは言ったじゃんか。船高には航がいるかもしれないって――」

「わかってる! だけど、オレは浬と一緒に剣道やりたかったんだよ! だから船高に来たんだ! それに、チームメイトでも剣道は個人競技だから、別にあいつを倒せなくなるわけじゃない。なら、入学してから一本取ってやればいい。試合稽古だっていい。あいつを負かしてやる。ずっと、そう思ってた……」


 楓の言葉からは途方もない悔しさを感じる。頑固で気はすこぶる強く、非常に負けず嫌いな性格の楓は、航にたったの一勝すらもできない今の状態が、我慢できないのかもしれない。


 楓が以前から、航に対してライバル心や嫉妬心を(いだ)いていることはもちろん、知っていた。だから浬は自分の進路を決めたとき、自分と同じ船高へ行くと言い出した楓に、船高に行けば、航とチームメイトになる可能性があることをすぐに伝えたのだ。それを聞いて、楓が機嫌を損ねたのは言うまでもなかったが、彼は結果的に浬と同じ高校へ進学し、チームメイトとなることを選んだのだ。


「だけど、このままじゃずっと勝てない。オレはどうしても勝ちたいんだ……。あいつに……」

「もしかして、用事って――特訓のことだったの? 航を倒すために……?」

「そうだよ。ほかにないだろ」


 楓は本気だ。本気で航を敵と見なし、倒そうとしている。たしかにそれはチームメイトと言えど、個人競技である剣道をやる上では仕方のないことであり、宿命のようなものなのかもしれない。しかし、それでもチームはチームだ。

 

「ねぇ、楓。楓の気持ちはおれも知ってるし、わからなくもないよ。でも航はさ、この船高で最高のチームを作って、インターハイへ行きたいって思ってるんだ」

「へえ……」

「おれだって同じだよ。でも、チームは一人や二人じゃ作れない。みんながいないとだめなんだよ。そこに楓もいるんだって、わかってる?」

「んなこと……」

「だったら、お願い。チームメイトとして、ちゃんと航と接して。いつも楓が喧嘩腰で、航だってすごく悩んでる。楓だって、いつまでもこのままじゃ気分悪いでしょ?」


 楓の腕を(つか)み、強く揺する。真っすぐなその気持ちを、仇討(あだうち)のためではなく、チームとして、一丸となって上を目指すために使ってほしい。航と向き合ってほしい。浬が楓の気持ちを知るように、浬の気持ちだって、楓は重々わかっているはずなのだ。


「それにね、航は……楓を嫌ってない。話をしたがってるよ」

 

 すると、楓は切れ長の目を一瞬見開いた。だが、すぐにそっぽを向いて吐き捨てるように言う。


「そうかよ……」

「そうだよ。航は、真剣に楓とのこと――」


 浬の言葉を(さえぎ)るように、楓は背を向け、再び公園へ戻っていく。これ以上話すことはなにもない、航を倒すための特訓を続けよう、とでも言うのだろうか。


「楓……っ」


 やはり彼が航に歩み寄る気などさらさらないのかもしれない。そう落胆した時だった。


「……考えとく」


 そうひと言、楓が言ったのが聞こえて、思わず頬が(ゆる)んだ。その態度や口調はぶっきらぼうで素直さのかけらもないが、それでも少しずつ、彼の心は動いているのかもしれない。今はまだ遠い夢への第一歩を、浬はこの時、たしかに踏み出せたような気がした。


 ところが翌日からも、楓の態度に変化はなかった。あいかわらず、彼は航がいると決まって不機嫌になり、理由もなく喧嘩腰になる。しかも、稽古が終わった後、最近はたいてい、浬を待たずに先に帰ってしまう。おそらくはまだあの特訓を続けているのだろう。

 「考えとく」とは言ったものの、これまで当たりの強かった彼がすぐに変わるのは難しいのかもしれない。昔から楓はそうだった。浬ですら喧嘩をしても、仲直りするまでには時間がかかるのだ。




「ほんっとに頑固なんだからなぁ……」


 とある日の昼休み、浬は大地と航の三人で弁当を食べながら、ぼやいていた。航はそれに対して苦笑いを浮かべる。一方、剣道部員ではない大地は、この妙な三角関係を面白がっているのか、にやついた笑みを浮かべ、さっき購買で買ってきたパンを口に運んでいた。


「まぁ、まぁ。負けず嫌いなのはスポーツマンとしていいことじゃん。それに、楓は言ってたんだろ? 考えとくって」


 大地は楓のことをいつの間にか、下の名前で親しげに呼んでいた。実際に彼らの仲が特別いいわけではないのだが、楓も大地を相手にすると、どうも調子が狂わされるようだ。

 楓ははじめ、大地が航の幼馴染であるせいか、彼に下の名前で呼ばれることにいい顔をしていなかった。しかし、今ではそれを許している。さらに楓もまた、大地を下の名前で呼ぶようになっていた。さすがは大地だ。――と、航はそれに深く感心しているようだった。


「そうだけどさぁ、もうすぐ六月じゃん。いつまでああしてるつもりなんだろ……」

「六月か……」


 航がふと思い出したように呟いた。明日からは六月。船戸校の剣道部は二週間後にインターハイの県予選を控えていた。予選会でインターハイへの切符を手にできなければ、三年生にとっては最後の公式戦となる。泣いても笑っても、これが最後だ。


「先輩たちも、ここ最近はさすがにピリピリしてきてるよねぇ」

「あぁ。レギュラー発表も近いからな」


 インターハイ予選でのレギュラーが発表されるのはあさってだ。市立船戸高校剣道部の三年生は、全部で四人いる。部長、副部長の浅井市鷹、将鷹兄弟と、伊達寿、毛利晴也だ。この四人は試合稽古でも一位から四位までを常に独占していることが多いから、おそらくそれから漏れることはないだろう。しかし、剣道でのレギュラーは七人。あと三人は、一、二年生の中から選出されることになる。


「あと、三人かぁ。やっぱり羽柴先輩は確実かな?」

「だろうな」


 羽柴は、試合稽古ではたいてい、五位の位置を保っていた。彼の実力は二年生の中でもトップだ。先月行われた地区大会でも、彼は当然のようにレギュラーの、しかも選抜メンバーとして五人の中に組み込まれていた。

 羽柴は次期部長との呼び声も高く、織田も相当、彼には期待しているようだ。今回も、彼が選ばれるのはまず間違いないだろう。しかし、航と浬の会話を聞いていた大地は、首を傾げている。


「三人って……、剣道の団体は五人だろ? あと二人は補欠じゃん。補欠って、レギュラー陣のサポートするだけじゃねえの?」


 大地の疑問に、航と浬の声が同時に応えた。


「それは違う」


 声が重なった瞬間、互いに顔を見合わせた。思わず、ふふ、と笑い合ったあと、航がどうぞ、とばかりに(あご)をしゃくる。浬はお言葉に甘えて、と応えるように頷いた。


「えぇ、なんでよ? 剣道って戦うの五人じゃなかったっけ」

「そうだけど、補欠は途中交代で出場することも多いし、いざってときにすぐ実力を発揮できないといけないんだ。だから、あえて三番手、四番手を控えておくこともあるんだよ。故障者なんかがいた場合は特にそういう形を取ることも多いの。補欠って形だけど、実は奥の手、みたいな感じでさ」


 高校での部活動初心者であり、公式戦の経験が一度もない浬は、先日、佐伯にそれを教わった。剣道は五人制で戦うが、勝ち進むごとに選手の疲労は蓄積する。そのため、選手層の厚いチームでは特に、強い選手を後に残しておくことがあるそうなのだ。途中交代で、さらに強い選手が出てくれば、相手を精神的に惑わすこともできるのだと言う。


「だから、五人制で戦うけど、レギュラーは実質七人。補欠は万が一のときだけに使われる非常用カードってだけじゃないんだ」

「へえ……、なるほどね。つまり控え選手がボス級の可能性もあるってことか」


 大地が納得したように言う。すると、今度は航が不思議そうに大地を見つめた。


「……どうでもいいけどお前、今まで俺が散々、剣道の話しても興味なさそうだったのに、最近よく色んなこと聞くようになったよな?」

「え――? そ、そう?」

「あ、たしかに!」


 浬もそれには同感だった。思えば、ここ一ヶ月ほどだろうか。大地は剣道の話になると興味を示し、話に積極的に入ってくるようになった気がする。


「もしかして、大地も剣道部入りたくなったの?」

「いや――、別にそういうわけじゃあ……ないけど」

「なーんだぁ……」


 大地が顔を引きつらせ、笑みを浮かべる。その反応に、浬は肩を落とした。実を言えば、以前から思っていたのだ。大地が剣道部に入ったらいいのに、と。もちろん、船戸校剣道部は一応強豪校なので、初心者の彼はそれなりに苦労するだろう。しかし、浬と航、楓と大地、この四人でいると、大地は決まって中和剤のようになってくれた。三人でいるときよりも、圧倒的にバランスが良くなるのだ。


しかし、剣道未経験者の大地が今から剣道部に入ったとしても、実際に試合に出場させてもらえる可能性は極めて低い。強豪校である市立船戸高校剣道部は、選手層もそれなりに厚いからだ。


 もっとも、三年生四人が引退したあと、頭数(あたまかず)だけを考えれば、大地はレギュラー七人の中に入ることができる。二年生は羽柴、斎藤のほかに、佐伯。一年生は航、浬、楓の三人。計六人となるからだ。しかし、初心者である大地に出番が回ってくることは――到底考え難い。


 もっと言えば、公式戦は初夏から夏の間に行われる。つまり、今年が終われば次は翌年の夏。その頃には、新入生が入ってくる。航や浬、楓のように、何年も稽古を積んだ剣士が数人でも入部してくれば、大地は七人の枠に入ることすら難しくなってしまうわけだ。


 剣道部に入部したとしても、彼が楽しさややり甲斐を得る機会は少ないかもしれない。ほかにメリットがあるとすれば、内申点が良くなることと、体を鍛えられること、くらいなものだろうか。


そもそも大地は運動好きじゃないし、しょうがないか……。


 運動神経はいいのに、帰宅部なんてもったいない、と思いながらも、嫌いなことを無理に勧めるわけにもいかない。内心ではしょげながら、浬は弁当をしっかり平らげる。何事も、そう思い通りにはいかないものだ。やがて、昼休みが残り十五分を切った頃、不意に大地がなにかを思い出したかのように「あっ」と声を上げた。


「うわ、やっべぇ……! もうこんな時間か。ごめん、オレちょっと用事があるから、またあとで!」

「あぁ……」

「大地、今日の五限は視聴覚室移動だから、早く帰って来たほうがいいよ」

「さんきゅー! カイちゃん!」


そう言って、広げていた弁当箱をさっさと片付け、大地は教室を早々と出て行った。浬は首を傾げる。妙だ。ここ最近、大地は昼休みに用事があると言っては、大急ぎでどこかへ行ってしまう。別になにをしようが大地の勝手ではあるが、昼休みの残り十五分でいったいなんの用事を(こな)すと言うのか。浬はそれを時々、不思議に思っていた。


「ねぇ、大地の用事ってなんだろう? 最近多くない?」

「うーん……。あいつ彼女でもできたのかな……」

「彼女ぉ……」


 浬は航と顔を見合わせて(うな)る。かぶりを振る。どうもその線は薄そうだ。


「……違うか。あいつに彼女なんかできたら、散々見せびらかされて、自慢されそうだもんな」

「おれもそう思う……」


そのあと、ふたりは頭を切り替えて、再び考えを巡らせた。航への仇討に燃える楓を、どうにか(しず)められないものか、と。しかし、いつものことながら、これといった案は浮かばない。昼休みは今日も刻々と過ぎていくばかりだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

よろしければ、続きをお楽しみいただけるとうれしいです。


いなば海羽丸

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