第三話 『小夜曲』
『キシャァァアァァ――!!』
耳を劈くような咆哮と共に、洞窟の天井から姿を現す黒い影。
その正体は龍骨山脈を根城とする魔物の内の一体――、『風牙の大蛇』だ。
全長3mにも及ぶ巨躯と体表を覆う硬質の鱗を持ち、通行人を死の淵へと追いやるその姿から、付いた二つ名は〝洞窟の処刑人〟。
しかしこの魔物の真髄は、その魔法適性の高さにある。
「アイン、来るぞ」
「分かってる‼」
『ガギィィイィィン――!!』
鈍い音と共に鍔迫合いを演じるのは、大蛇の放つ毒牙とアインの持つ大盾。
『風牙の大蛇』は風魔法を自在に操る能力を有しており、身体へと風を纏わせることによって、俊敏な空中機動や毒牙の射出を可能としている。
「アレフ、今だ‼」
「了解」
毒牙と大盾の衝突を確認した俺は、アインの側面から前へ出ると一気に加速、目標へ向かって突貫する。大蛇最大の武器である毒牙は、先の射出で上下二本とも消費しているため、生え変わるまでの僅かな時間、奴の攻撃性能は著しく低下する。
その事実を認識しているのか、大蛇は一度退く姿勢を見せるが、時既に遅し。
俺は「跳躍」によって宙を舞う大蛇の眼前へと躍り出ると、口腔と鼻孔の間目掛けて手を伸ばし、〖爆破〗を起動した。
『ドオォォオォォン――‼』
『キ――――⁉』
硬質の鱗などお構いなし、内側から肉体を蹂躙する爆撃を大蛇が耐え切れよう筈もなく――、奴はついにその頭部を爆散させた。
*
それから数時間が経過し、大蛇を追加で五匹程屠った頃。俺たちは少し開けた岩場で、軽い休憩を取っていた。
「なぁ、いい加減囮役嫌なんだけど……。何か別の方法試そうぜ」
かなり疲弊しているのだろうか。巨大な岩へと凭れ掛かったアインが、気怠げな表情で愚痴を溢してきた。
変われるものなら変わってやりたい所であるが、『風牙の大蛇』に対して〖毒牙〗のスキルが全く以って通用しないため、必然的に囮役くらいしかアインに任せられる役割がないのである。
「我慢しろ、もう少しの辛抱だ」
「もう少しって……、未だ半分も進んでな――」
『――――♪』
そんなアインの不平不満を受け流しつつ、身体が休まるのを待っていると。
何処からともなく、美しい旋律が聞こえてきた。
「あ? こんな所に、楽師でも来てんのか?」
「そんな訳……。いや、不味い!! 耳を塞げ――!!」
余りにも不可思議な旋律の正体について思案すること数秒。
俺はとある一つの可能性に至り、両耳を塞ぐようアインへと促した。
が――、しかし。時の流れと言うものは何とも残酷である。
俺たちは全身の筋肉が急激に弛緩するような感覚を味うと、次の瞬間には冷たい地面へと這い蹲っていた。
「泡沫……、か……」
『ご名答‼ 流石は猟犬君、博識だねェ⁉』
陽気な台詞とは対照的な野太い声を発しながら。岩陰からその姿を現したのは、厚手の鎧に腰から大剣をぶら下げた、先の傭兵の片割れである。
「てめぇは……、さっきの……」
『いやー、それにしても【泡沫の小夜曲】は敵無しだねェ? 何せあの〝白猟犬〟と〝黒山羊〟が、こうして為す術も無く這い蹲ってんだから、よッ――!!』
傭兵――、改め賊は嬉々とした表情でそう言い放つと、アインの顔面を思い切り蹴り上げ、そのまま俺の側頭部を踏み付けてきた。
【泡沫の小夜曲】とは【金】の中でも特に脅威とされるスキルの一つで、その旋律を耳にした者の身体は完全に戦意を喪失してしまうという、精神攻撃の一種である。
「ぐぁっ――‼」
「くっ……」
床面と賊のスパイクの挟み撃ちによって、呻き声を上げさせられる。
『お前らには、前々から目ぇ付けてたんだぜ? 名前が売れてるだけあって装備は優良。おまけにその首を持って帰れば、名声も同時に手に入るってなァ‼』
「名声……、だと……? 下らねぇ……」
『黙れ‼ くたばり損ないの堕犬風情が――!!』
俺の返答に激昂した賊は、腰にぶら下げてあった大剣へと手を伸ばすと、その薄汚い顔に下卑た笑みを貼り付け直し――。
『取り敢えず、脚一本頂くぜ? 苦悶に満ちるその顔を拝見したい所だしよォ‼』
意気揚々とそう言い放つと――、俺の脚部目掛けて大剣を振り下ろしてきた。
(クソッ――。身体が、動かねぇ……)
十余年に及ぶ傭兵生活の中で、俺が失った手足の本数は数え切れない。
そしてその都度、万能治療薬による縫合を行ってきた訳だが、こればかりは何度経験しても慣れるものではないな……。
俺は仕方なく己が右脚を諦めると、思考をその先へと向ける。
と、次の瞬間――。
『ザシュッッ――‼』
「ガアッ――!?」
焼けるような痛みが全身を駆け巡る。
細胞の一つ一つが絶叫を上げ、急速に死滅していくかの如き絶望の感覚。
脳内では緊急の警報が絶え間なく鳴り響き、命の灯が刻一刻と消失への一途を辿っていることを訴えていた。
『ギャハハハハハハ‼ ざまぁねェなあ、猟犬さんよォ‼ 次は左――』
逃亡への思考など、全て塗り潰すかの如き途方も無い激痛。
徐々に薄れゆく意識の中。賊が血濡れの大剣を再び振り翳したのを認めた俺は、己が生命の終焉を犇々と感じ取っていた。
刹那――。
聖女の祈りは慈愛の抱擁
聖女の涙は慈悲の雨
生神女の現身たる我が命ずる
全ての穢れを、今此処に禊ぎ払え
〝浄化〟
血溜まりに伏していることさえ忘れてしまいそうなほどの、美しい声で紡がれる四節の詠唱文。
その声に導かれるかの如く揺蕩う光の道筋が、俺たち二人の身体を優しく包み込んでいくと――。
「アイン――!!」
俺が叫ぶよりも寸刻早く――、アインの持つ短剣は賊の首筋を静脈ごと切り裂いていた。
『アガァァアァァ――⁉』
呆然としていた賊は、しかし自身の置かれている状況を認めると、痛みに耐え切れず悶え始める。奴はしばらく地面をのたうち回っていたが、毒が回り切ったのか、将又血を流し過ぎたのか、やがて動かぬ骸と化した。
そして、俺たちは詠唱の聞こえた方向へと揃って視線を向けると――。
そこにはフードを被った人物が独り、屹立していた。