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第十話 「新天地の翼」 ~夜明けの珈琲~

 誰かが、いる気配がする……。

 部屋の中に、自分のとなりに。


 その気配は、そぅ、っと這い出し、そろりそろりと部屋を抜け出し、階下に降りていったようだ。

 もぞもぞと、隣を探る。

 そこには自分ではない者の、温もりの残滓があった。


 うとうとと微睡む。

 うっすらと、窓の外が明るくなっていくのを感覚で捉える。

 すこしずつ、意識が覚醒に向かっていくのを自覚する


 今日は……、そうだ、全休だ。

 イバタ団長の計らいで、本日まで第四分団は休業なのだった。


 久しぶりにゆっくりできる。


 そう思ったが、……一日中のんびりできるかというと、そうもいかない。

 アメリを送っていって、車も回収してこないといけない。


 分屯所には、ほとんどの団員が車を置いたままのはずだ。

 今日はその回収のために、結局ほとんどの団員が顔を出すことになるだろう。


 ……人数が集まれば、会話が始まるだろう。

 大方、何人かはそのまま待機任務に移行するのではないだろうか。

 屯所にいれば、飛行舟にも好きに乗れる。それを面倒に思う者はいないだろう。


 リヒトは、のそのそと起き出した。


 床には、アメリの膝丈のズボンがそのまま脱ぎ捨ててあった。

 昨夜の行為を思い出し、不思議な充足感と共に、ほんの少しの渇望感のようなものも感じた。


 衣装棚を開け、適当な服を身に付ける。

 自分の脱ぎ捨てておいた服を拾い、アメリのズボンも一緒に拾う。

 そして、階下に降りていく。


 アメリ……?

 階段を降りていくと、アメリが備え付けの入浴スペースでお湯に浸かっていた。


 そのまま、近くまで歩いて行くとこちらに気づいた。


「あ、リヒトさんおはようございます!」

 相変わらず元気で明るい。


 昨夜の、色香を纏った姿とは別人のようだ。でも、……そのどちらも、アメリなんだ。

 その事を…ちゃんと覚えててあげないといけない。


 ランドリーマシンに自分の服を放り込む。

 ……アメリは着替えを持ってきていない。

 手に持ったアメリのこれを洗ってしまうと、彼女は乾くまで出られなくなってしまう。

 そう思い、彼女のズボンはたたんで椅子の上に置いた。


 近くに来た僕に、彼女は声をかけてきた。


「すみません、お風呂借りちゃってました。」

 そう言ってくる。僕は微笑み返す。


「全然構わないよ、あ……」


 そこで、我が家の風呂はお湯の出し方がわかりにくかったことに気づく。

 まさか、水に浸かってるんじゃあるまいな……?


 心配になって浴槽に手をいれてみる。

 よかった、適温だ。

 シャワーの方は少しバルブの位置が悪くてわかりにくいのだ。

 洗い場に、裸足になって上り、少し屈んで浴槽の死角になっているところに手を伸ばす。


 バルブを捻る。

 ぷしゃーー、っと、アメリの頭上からお湯が降り注ぐ。


「わ……」

 アメリが驚く。


 おっと、熱くないか。

 あわててノズルの向きを変えて温度を確かめると、幸い適温より少しぬるいくらいだった。手で探っているうちにそれもすぐに適温になった。


「浴槽側のシャワーはここ、洗い場の方は隣のバルブだよ。」

 そう言って教えてあげると、アメリは浴槽から立ち上がって、下を覗き込む。


「あ、ありがとうございます。浴槽に貯める方はわかったんですけど、シャワーがわからなくて。」


 僕は説明する。

「ここ、自分で適当に配管したから、ちょっと使いにくい位置になっちゃってるんだ。」

 そう言って、シャワーを止める。


 きゅっ。

 シャワーのお湯と湯気に隠れていた…アメリの姿がはっきり見える。


 そして、顔がすぐそこにある。


 視線が交差する。


「あ…」


 彼女の瞳に、ほんのり、熱がこもる。

 すっ、と彼女は手を差しのべて頬に添える。

 僕も身を寄せて彼女の肩に手を添える。

 ふわっと、ほんの少し触れるだけの口づけ。


「ん……」


 しばし見つめ合い、そして彼女が微笑んだ。


「おはようございます、リヒトさん…」

「おはよう、アメリ」


 ……………


 僕も顔を洗って、目を醒ます。


 さて、朝食はどうしようか。

 相変わらずうちにはまともに食べるものがない。ミルクもパンも使いきってしまっていた。缶詰はあるのだが、それだけというのも味気ないだろう…さすがに。


 家の前の交換所に、何か食べ物があるといいが……。時間は早い、今ならまだ残ってるかもしれない。そう思って、手さげ袋を持って出掛けようとする。


 彼女は髪を拭きながら、洗い場から出てきていた。


「ちょっと食べ物探してくる、すぐ戻るけど、鍵は掛けておいてね。」

 彼女にそう言って家を出た。


 遠くの稜線からはまだ陽は登っていないが周囲はもう充分に明るい。鳥の声も聞こえ、遠くからは働く人の営みのようなものも聞こえる。


 軽く、伸びをしてから、早足で歩き出す。

 ケイトリンさんの話だと、人気食材は真っ先に無くなってしまうらしい。

 これでも出遅れたくらいであろうが、望みを繋ぐために、交換所へ急いだ。


 交換所の屋根をくぐると、ざばー、というお湯を被る音が聞こえる。

 併設されている湯場では、すでに何人かが入浴中のようだ。


 交換所のスペースからは、一人の人妻が買い物を済ませ、出ていくところだった。

「あら、おはよう」

 向こうは僕を知っている風だったが、あいにく僕の方はすぐには思い当たらなかった。

「おはようございます」

 そう言って軽く首をかしげて、すれ違う。


 すれ違い際、ちらりと覗いた人妻の買い物袋にはミルクの瓶が3本入っていた。

 やはり、ケイトリンさんのミルクは人気のようだ。

 これは……残ってないかな。


 少しの諦めを持ちながら、陳列棚を覗くと、幸いなことにいろいろ残っていた。

 パンが少々、ミルクは5本の他に大瓶がひとつ残っていた。そしてなんと、鶏の卵が並んでいるのが目に入った。(一人二個まで、という注意書が添えてある。)


 これはありがたい…!

 卵なんて何日ぶりだろう。


 パンとミルクの大瓶、そして二つだけ残っていた卵を大事に袋に入れ、端末で支払いを済ませて立ち去る。


 屋根から出たところで、また人とすれ違う。今度は年配の男だ。

 おはようございます、おはよう、と軽い挨拶をして通りすぎる。


 何歩か歩くと背後で

「ありゃ…、卵売り切れかぁ~…」

 という嘆きが聞こえた


 すみません、と思いつつも、幸運だったと感謝する。


 ……………


 家に戻って、入口をノックする。


「アメリー、戻ったよー」


 すると、すぐ気配があって、ガチャリと鍵が開く。


「おかえりなさーい」

 そう言って出迎えてくれた。


 が、彼女は何も着ておらず全裸のままだった。

 あわてて彼女を中に押し込みながら家に入る。


「ア、アメリ!そのままで外出ちゃ駄目だって!」

「えー?まだ室内ですよ?」


 そんな反論をする。

 そう言う問題じゃないよ……。


 そう言いながら、台所に歩いていく。

 袋を広げて戦利品を取り出す。


「パンとミルクが手に入ったよ。これケイトリンさんとこのミルクなんだってさ。」

 そう言うと、

「へー!そうなんですね。」

 そう言って、瓶を取り上げ刻印を見ている。


 そして、袋から布に包まれた楕円球体を取り出す。

 彼女は、目を丸くして驚く。


「うひゃーー!たまごだぁ……、なん日ぶりだろう?ど、どうやって食べましょう?」

 アメリも大興奮だ。


 卵は貴重品だ。


 ──ドルイド族は、養畜産業については厳しい規制があり、人口当たりの飼育数制限が、全体比、地域比、個人比、と全て厳密に規制されており、たくさん飼うことはできない。

 飼育する動物ごとにも細かく規制があり、鶏の場合は1人当たり2羽まで。但しこれは、個人比規制であり、最低4人以上の集団でないと飼うことはできず、地域の限界数を越えても飼うことはできない。(よって、4人1羽が最低スタートラインとなる。)

 他にも飼育面積や、適合地域など、様々な規制をクリアして初めて動物を、畜用として飼うことが許されるのだ。


 そのため、卵は森に入って鳥の巣から頂戴する方法が伝統的に残っている。

 今はそうでもないが、以前は重病人に食べさせる薬のような扱いでもあったらしい。



 僕はまず、基本方針を決める。

「取りあえず、一個だけ食べよう。どうやって食べるか……。」

「はい…」

 しばし二人で熟考する。


 茹で玉子というのは、超贅沢。

 はっきり言って、空気の読めない成金議員のような人間でもない限りそんな手法はとらないだろう。


 普通、ファミリーで食べる場合は、パンケーキやスープにして、大人数で分けあって食べる。

 修道院時代は、子供の成長に欠かせない栄養として、特例で鶏の飼育制限が緩かったのだが、今思うと何て恵まれていたんだろうと思う。


「……ちょっと、贅沢なんですけど。」

 アメリは、控えめにそう言って、挙手する。

「聞こう」

 発言を待つ。


「フリード・トーストにしてみては……、どうでしょう?」


 なにぃっ……?!

 僕は衝撃を受ける。


 ──フリード・トースト


 正式名称:フリーダム・トーストブレッド

 地域によっては黄金パンとも呼ぶ。

 好みの厚みに切ったパンに溶いた卵とミルクを染み込ませ、香料とお好みで粉糖やバターなどを加えて鉄板で焼き上げる。

 こんがりとした表面に、中から染み出す芳醇なミルクと卵の味わいが絶品。

 かつて、母星において他勢力からの独立を勝ち取った際に、お祝いとして兵が手持ちの食糧で拵えたとされる。


「い、いや、しかしそれは……」

 贅沢過ぎやしないか…?

 恐ろしさのあまり身体が震える。


「わかってます…、わかってますけどっ!」

 アメリは、哀しみを湛えた表情で、ゆっくりとこちらを見る。

 瞳が揺れている。


 もう、これしか残されてないんです、私には…。

 そんな悲痛な叫びが聞こえるようだ。

 はぁっ、と喘ぐような呼吸を漏らし、全身で訴えてくる。


 アメリ……。


「食べたいんですよぅ~!!」

 うん、そうだよね。

 僕も食べたい。


 ……………

 二人でせっせと作業し、見事、パンは全てフリード・トーストへと変貌を遂げた。


 二人分を取り分けても、まだ充分残っている。

 アメリは、それぞれの皿に取り分けたあと、半分ほどの残りに蓋をして、


「の、残りは……お弁当にしましょうか?さ、さすがに今…全部食べちゃうのは、……勿体ないですもんね。」


 トーストを凝視しながら、そんな事を言う。

 ここで甘い言葉を掛けようものなら、一瞬で全部喰らい尽くすに違いない。


 それにしても、……アメリは何故か裸でうろうろしている。


 昨日は恥ずかしがっていたのだが、今朝はすっきりと爽やかに裸体をさらしている。

 身体を重ねた事で、不必要な恥じらいが消えたのだろうか。


「そうだね。……それと、」

 アメリを見る。

 何ですか?というような顔でこちらをみる。

「さすがに、……何か着たらどうだい?」


 そう言うと、あぁ、そういえば……

 といった感じで、自身を見る。


「なんか面倒なんで、うちでははだかでいることが多いんです。」


 そんな事を言い出す。

 ……普段から裸だったのか。

 地球人には裸族の血でも入っているのだろうか。


「下着は洗っちゃいましたし……」

 そう言って、窓を指差す。

 開け放った窓際には、アメリの上下の下着が風になびいて干してあった。


 着替えを持ってきていなかったのだからしょうがないか。

 ぱんつだけなら、すぐに乾くだろう。


 さて、女神に感謝を……。

 一言お祈りして、早速一口。


「ん~~……」

「おほぉ~~……」


 二人でしばし感動にうち震える。


 さらにもう一口。


「ふぅ~…」

「はぁ~…」


 二人で目を合わせ、何故か拳を差し出し、

 ぐっ、と押し付け合う。

 お互いの健闘を称えるように。


「アメリ」

「はい」

「君を信じてよかった」

「わたしもです」


 ふふふっ、と笑い合い、ミルクを飲みつつまた食べる。



 素晴らしい朝食を終え、珈琲を淹れて、ゆっくりしつつ、今日の行動予定を考える。


 朝食後のまったりとした時間……

 アメリも、珈琲を飲みながらガレージの方を興味深げに、いろいろ見て回っている。昨日はそれどころではなかったので、改めて見聞しているのだ。

 下半身は相変わらず裸のままである……さすがにシャツは着ていたが。


 二人共、ずいぶんリラックスしていたのだろう。

 家に、接近する気配に…気付かなかったようだ。


 がちゃ

 入口の扉が開いた。

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