第一話 「孤独の翼」 ~湯場での再会~
僕は地上から手を振り皆に別れを告げる。
5人を乗せた、白い昆虫のような機体はそのまま緩やかに高度を上げ、夕焼けの空のかなたへ飛んでいった。
団員を見送って、空を見上げる。
そして、このまま家に戻るか、しばし考える。
6式に乗った直後は清々しいほどの開放感と満足感に包まれていたのだが、新型に乗った後の感覚はあまりいいものではなかった。
飛行舟の違いというより、飛ばし方の違いだろう。新型は、飛ばしが使えない一般飛行士には操縦することができない。だがあの手の舟は乗っている全員で担ぎ上げることができる、それが飛ばし屋独自の飛行術の一つである。ただし、その場合は複数の人間の意思が機体上で混じり合うため、リヒトにとっては結構な体質による負担がかかるのである。飛ばしの技術に優れるリヒトが唯一苦手な方法である。
やはり、大人数で乗るのは自分には合わないな……。
リヒトはそう考えながら歩き始めた。せっかくの開放感だったのが、新型に乗ったせいで変なモヤモヤが残った感じだ。さりとて、また6式に乗りに行くわけにもいかず、リヒトは中途半端な思いを抱いて家路に向かい始めた。
しばらく歩いていくと、村の外れの十字路のところに差し掛かった。ここには、あまり他の人が使っていない穴場の湯場があるのを思い出した。この村に点在している 「湯場」とは、公衆温泉の小屋と、簡単な交換所と呼ばれる物資売り場が併設されている施設のことだ。開拓時代から伝わる、我が一族・ドルイド族の伝統的な施設である。古くは、掘り当てた天然温泉があることを示す標識だけだったらしいが、その後しっかりした湯船が作られるようになり、それを囲う小屋ができていき、旅の者同士が物資を交換する簡易交換所に簡単な共同利用の調理場が組み合わされて現在の湯場の形態が確立された。
その湯場の近くまで来た。
辺りに温泉成分の匂いが漂ってくる。こうなると、俄然入っていこうかという気になってくる。湯場の建物が見えてきた。しかし、いつもは人が使っていることが稀なこの湯場に、誰かがいる。
入り口の軒下の長椅子に、ざっくりとした湯着で涼んでいる女の人がいた。先客がいるのなら今回は遠慮しようか、そう思いながら湯場の前を通り過ぎようとしたところで、声をかけられた。
「おつかれさま、これから帰りかしら?」
聞き覚えのある声だ。その姿を改めて確認する。
柔和な笑みを浮かべ、凛とした佇まい、長身で美しい姿の人妻……。そう、診療所で癒やしの施術をしてくれた、そして 「お頼み」をしたが断られてしまった、あの人だった。
なぜここにいるのだろうか。確かにあれから何時間か経っている。すでに診療所は店じまいの時間なのだろう。湯着姿ということは、当然お風呂に入っていたのだろうが、診療所の湯場を使わずに敢えてこちらに来ているというのは、少し不思議だった。
リヒトが少し戸惑っていると、また人妻は話しかけてきた。
「さっき、飛んでるのが見えたのよ。あ、あの人だ……って。」
見えた、とは言っているが肉眼で見える距離とは考えにくい。やはり癒やしの力の一端で気配を感じている、という意味だろう。
診療所であった雰囲気よりもいくらか気さくな感じを受ける。仕事中は、あまり砕けた感じに接するというわけにはいかないのだろう。なんとなくだが、こちらのほうが本来の彼女の姿に近い気がする。
「はい、せっかく癒やしてもらったので、体調の確認と気晴らしを兼ねて、少しだけ飛んできました。」
そう答える。
リヒトは不思議だった。普段なら面識のない人と相対するときは、多少なりとも身体に不調が見えるものだが、この人とこの距離で向かい合っていても不思議と不調の兆しも感じられない。おかげで、普段の彼ならすることのない、世間話が口をついて出てきた。
「でも……、だめでしたね。やっぱり僕は周りに人が多いと、どうしても……。せっかく飛行舟に乗ったのに、逆に気疲れみたいになってしまって。」
人妻は優しい笑みを浮かべていた。
「ん……、診療記録みたよ。……そういう 「体質」なんだってね。」
彼女の笑顔に包まれるような気持ちになって、リヒトも笑顔で答えた。
「ただ、……なんていうのかな。そんな体質だから人とあんまり話すのも苦手で……、性格…というか、気分的なものあるのかな……って。」
彼女はうなずいて話を続けた。
「あぁ、うん…わかるよ。……ていうか、ごめんね。あたしも今日はさ、診療所でやな人と一緒のお務めでね、なんか調子でなかったの……。あれ、終わったあとすっきりしなかったでしょう?」
なるほど、 「癒し」も 「飛ばし」と一緒で精神状態や体調が成果に影響するらしい。終わった後のあの不思議な対応もそのためだったのかもしれない。そして、空を飛ぶ前の変な燻りに似た不思議な感じ……、あのことを言っていたのかもしれない。
彼女は思い出したように、湯場を指して、
「せっかくだし、入っていったら?今なら他に人もいないし。」
先程、自分でも思っていたことを勧められた。
「そうしようかな、……せっかくですからね。」
ふふふっ、とお互いに笑う。それにしても……と、先程の疑問が頭をよぎる。
「珍しいですね、ここ普段は誰も使ってるとこ見たことなくて。……意外だったんです。ここに使いに来てるのが……。仕事終わりなら、そのまま診療所で入らないんですか。」
体調の良さに任せて、普段なら聞かないようなそんなことまで聞いてしまう。
はははっ、と笑って彼女は、
「言ったでしょ、やな奴が一緒だったんで、入る気がしなかったの。」
そう答えて愉快そうに笑う。
「それに…」
そう言って、いたずらっぽい表情をした。
「ここで待ってれば、通りかかるんじゃないかと思って。」
「え…?」
わざわざ?僕が通りかかるかもしれないから?
「お務めの出来がすごく中途半端でね、もう……気になってたのよ。」
色々ね、そう言って前置きしてから、やれやれ、という感じの表情で話し始める。
「最初の二人で導入する部分、あるでしょ?あれ本当は、もっと時間かけてゆっくり馴染ませたかったんだけど……さっさと腕の方始めさせちゃったでしょ?……それとか、四人で囲むとこ。あれ一番大事なとこなのに、途中であいつ割り込んできてティちゃん…、あ、背中してた子、ティちゃんって言うんだけど、ティちゃんを引き剥がして自分の分始めちゃったの……!」
──話しているうちにまくしたてるような言い方になりながら、かなりムッとした表情になっていた。自分もそうだが、彼女も技術屋なのかもしれない。話しているうちに早口になっていく感じが自分と似ていて、なんだか好感が持てた。
あいつ、というのがその嫌な奴のことなのだろう。
「もー、時間も配分もバラバラで、……どうしようかなーってなっちゃって…。」
はー、とため息をつく。
「まぁ、かける時間はたっぷりかけたし、人数も多かったからね、……ふつう11人でとかやらないけどね。」
彼女はそこで軽く笑う。やはりあそこまで大がかりなのは珍しいようだ。
「……それでもね、なんとかなってるといいなー、どうかなーって思いながらティちゃんに確認してもらったんだけど、……目で合図してきたの、駄目でしたーって!」
呆れたように笑っている。
「で、ほら、その後あたしも確認して。改めて、うん、こりゃダメだわ…って。でも……あそこで駄目でした、って言うわけにもいかないから……。」
そういって困ったような笑みを浮かべた。共同作業ゆえ、たとえ出来がいまいちでも一人の判断で良否をはっきり言うわけにはいかないのだろう。そう考えると大変な作業だ。それにしても、である。ずいぶん辛口な評価だ。
「そんなにだめだったんですか?飛んで来たけど、なんともなかったですよ?」
リヒトがそう尋ねると、
「あなた大きいから、気づかないのよ、きっと。」
とそんなことを言う。医者もそんなことを言っていた気がする。
「だから、ちゃんとやり直したかったの。」
はっきりと、そして目を見つめて彼女はそう言った。どうやら彼女はお務めに関してかなりのこだわりを持っているらしい。 「癒し」に魅入られているようなものなのだろうか?
「それに…」
彼女は、髪を後ろに払いながら視線を少し泳がせて言った。
「ちょっと悔しかったから、……せっかく誘ってくれたのに。」
それは、……お頼みの事だろうか。
「そのヤな奴っていうのがね、……診療所で誘い受けるなとか、色々言うの。……もしかしたら僻んでるのかも、しれないけど。」
「…あ」
もしかして、カーテン閉めようとしたときに、ちょうど別な人妻が入ってきたり、ペースを乱すような癒やしの所作になってたのって、そういうことだったのかな。
「カーテン閉めて入っていくとき、……すごい目でこっち見てたの。ふふふっ、だから断らなきゃ、また面倒くさいことに、…って。それで……、わざと聞こえるように言ってやったの。」
あの一連の裏事情はそういうことだったらしい。なんの疑いもなく癒されるままになっていたのだが、実は水面下で激しい脚の蹴り合いがあったようだ。……女というのは、なんとも。
「そんなわけだから」
先ほどまでとはうってかわって、しっとりとした声で、
「入っていって。またしてあげるから。」
そう言って微笑む。
夕闇が迫る中、残光に照らされた彼女の笑顔は綺麗だった。
そういうことなら断る理由はない。
「ありがとうございます。」
そう言って、彼女と一緒に入口に向かう。
扉に手をかける直前に、……彼女の手を握る。
彼女は驚かない。そればかりか、ゆっくり振り返って、僕の顔を見つめる。
いつも、……この瞬間は心が震える。大きな畏れと……僅かな期待……。
こんな体質だから、仕方がない。そう思ってはいるのだが、一般的な習いで言えばこれはマナー違反なのである。
通常、「癒やし」と「お頼み」は相手を別にするのが作法である。身体に触れさせたから、身体を許す、などと思われては女性の立場が無い。お務めとは別で、その一線は彼女たちも譲れないのである。だが僕の場合は、波長の合う、相性の良い相手でないと近くにいるだけで身体に異常が襲ってくるのである。そのため、癒やしを受けて相性を確かめ、その相手にいつもお願いしていた。それでも、事情を察して応じてくれる人も多かった。そんな女性たちに支えられて、……僕は今日まで生きてきた。
「改めて、 「お願い」してもいいですか…?」
彼女は目を伏せる。そして、すっと身体を寄せ、あのときと同じように、顔に頬をぎゅっと押し付けてきた。
「…いいよ、もちろん。」
そう言った彼女の眼は優しい光を湛え、すこし熱を帯びていた。