第二話 「魅入られし翼」 ~魅入られし男たち、リヒトって…?~
二人で分屯所に向かう。
ハンガーでは、6式の主脚換装が行われている最中だった。さすが、整備作業にはみんな機敏だ。
「御安全にー」
「お疲れさまっすー、御安全に~」
二人でハンガーの作業員に声をかける。口々に、お疲れー、とか御安全にー、などと声を返す。
作業は既に後ろ側2本は換装が終わっていたので、ちらっと確認だけして、前脚の交換を手伝う。アメリもすぐに作業に参加していた。
「んと…、スキッドはずして、車輪だよね……。」
と、独り言をいいながら装備庫に向かう。その背中に向かって、
「アメリー、前脚の車輪は大きい方だぞー。」
と、誰かが声をかけていた。
「はいーー!」
と元気な返事が聞こえる。
作業中に聞いたが、実は午後から重輸送を使いたい仕事があったらしい。だが、僕が両方押さえていたために、第三分団に借りに行こうか、という相談をしていたそうだ。
「んで、いざ出発ってときに、予約が解除されたんで、待ったー!って。」
イバタさんが教えてくれた。前脚を固定しながら、古参のハセンさんが、
「タイミングギリギリだったが、間に合って良かったよ。わざわざ借りに行かなくてすんだからな。」
すると横合いから、マルタさんも話に加わる。
「確か、第三分団の重輸送って、うちのと仕様違うんでしたよね?」
マルタさんはうちの分団の整備長だ。本業も整備工で、自宅が車両と飛行舟の整備工場を営んでいる。
キャビンの椅子が足りねぇんだ、とハセンが答える。
「四人で行ってたら、誰か一人だけ格納庫の補助席だね。」
とイバタさんは笑った。
早めに動いてて正解だったようだ。やはり、あの予約の仕方は良くないな…、と呟くように言うと、
「いや、それはしょうがないだろう。車載に使うなら普通は重輸送だ。お前だから6式も候補に入るってだけで。」
と、ハセンさんが話を拾う。
前脚の換装も終わり、各部のチェックをしていると、アメリが寄ってきて気になっていたことを聞いていた。
「あの…、みなさんも6式に積んで飛べるんですよね?すごいなぁ……。」
工具をいじりながら考えて、二人は答える。
「ま、……飛ぶだけならな……たぶん。」
「飛ばせるとは思うよ……たぶん。」
ハセンとマルタは言うが、マルタは更に続けた。
「でも、僕ならやらない。」
マルタはきっぱり言う。
「……やっぱり安全性、ですか?」
アメリが聞くと、
「いや、…きっと僕じゃ「降ろせない」。荷物を潰しちゃうと思う。」
「それか、下手すると脚が折れるかな。」
脇で聞いていたイバタが寄ってきて言う。
「お、折れるんですか?」
アメリが目を大きくする。
「見ろよ、おかしいだろこのバランス。」
ちょうど脚の固定の終わった機体を親指で指して、ハセンは苦笑する。延長された主脚によって、機体下面は手が届かないくらい高い位置にある。
「ん~~?確かに、不格好ですねぇ…。」
アメリが見上げるその横で、メガネをくいっと直してマルタが話し始める。
「この脚はね、純正じゃないんだ。元は、昔の団員が勝手に継ぎ足して延長したものなんだよ。」
「え~?!そんなことしていいんですかぁ?」
アメリが驚いて聞き返す。マルタはおかしそうに答える。
「良くないね。耐久性も最悪だし。でも、以前はもっと太いやつとか、がに股のやつとか色々あったんだって。まあそれも、折れたり使いにくかったり脱落したりして、……それで、殆ど処分したんだけど…。」
マルタは、ぽんぽんと前脚を叩いて、
「このサイズだけは結構壊れにくくて、しかも車を吊るすのにちょうど良かったんだよ。だから、これだけは自作じゃなくてメーカー直轄の工場でちゃんと作って貰ったんだ。」
良く見ると、指し示した部分に【UNV】の刻印が見える。ユニバーサルグレード、ちゃんと品質評価基準で試験済みのものだ。
「まあ、カタログにゃ載ってないけどな。……よしっと、んじゃイバタ、完了検査頼む。」
ハセンが言うと、イバタが端末をもってチェックリストに沿って、確認をしていく。項目を読み上げる度に、OKでーす、大丈夫です、基準値です、と声が返る。
「あれ?リヒトさんは?」
アメリが気づく。リヒトが見当たらない。
「あぁ、彼ならフライトプラン立ててるよ、ほら。」
イバタが指し示すと、倉庫の隅で端末になにやら打ち込んでいる。
「あ、あんな所に…。」
さっきまで一緒だと思ったのだが、気づいたら姿が見えなくなっていた。作業の進みを見て、手が足りていると判断したのだろう。しかし……、とアメリは思った。
「リヒトさんって、気が付くといつも一人ですよね?賑やかなのが嫌いなんですかね…?」
責めているのではない、以前から不思議だったのだ。昨日も新型にみんなで乗って、楽しそうに見えたのに、すぐに一人だけ降りてしまった。
「……あー、あいつも難儀な「体質」だよなぁ。」
工具を箱に戻しながらハセンは言う。そこには、奥に仕舞った思慮と、…哀しさが混じっていた。
「俺らが、女に飢えなくなっちまったみてぇに、……あいつは、群れに寄り付けなくなっちまったんじゃねぇのかな…。」
「ハセンさんまだまだイケてるじゃないですか。」
部分的に聞こえたのだろう、マルタが「女に」の部分だけ拾って、からかうように言う。
「義務よ義務、お勤めよ…。」
諦めたように呟く。
何しろ、性欲とは個人差が激しい。
誰かと比較して、平均と比較して…などと言われても納得のいくものでもない。
声高に叫ぶものでもない。
そして気づくのが遅れ、致命的になってから気づいたのだ。
元々低かった受胎率に数字として顕著な変化がみられた。
そんな間接的な情報が重なって、ようやく気づき始めたのだ。
魅入られている、と。
明るく朗らかな連中ばかりだが、飛ぶことを取り上げられたら暴動を起こすであろうことは間違いない男たちばかりなのだ。
団員は皆、1日の大半は普通の仕事をしている。
だが、何らかの形で一度はここに顔を出し、何らかの形で空を飛ぶ。乗せて貰う者もいる。飛行舟に触れるだけでもいい、という者さえいる。
団員以外の魅入られし者は、週に一度は飛行舟マリーナへ通う。飛行資格や技術を持たない者は、飛んでいる姿を飽きずに眺めている事もある。夜は、大型の人員輸送舟に乗り込んで遊覧飛行が日課の者もまでいる。まるで遊園地だ。
欲の形だ、人の数だけあるだろう。
そして、飛ぶという事への渇望は、遂に性欲を男の三大欲求の座から引きずり降ろすに至った。
凋落した性欲は今や、
──休日はのんびり過ごしたい、…程度の欲求と同格にまで落ちぶれている。
「イバタさん。」
リヒトが手を上げる。
「おー、今行く。」
どうやらフライトプランの作成が終わったようだ。
イバタは、内容をチェックして、イバタの認証を添付して送信する。認証は後付けでもいいし、無くても問題にはならないのだが、付けていると本部からの評価が受けやすいし、管制に届くまでの手続きが一部省略できるため、なるべく付けることにしている。この分団では、イバタの他にハセンとヨギが、認証権を持っている。
現場一徹というか、飛ぶこと以外の役職に殆ど付いていないのがリヒトである。役職というのは技術と違い、定期的な検査というか更新作業が必要となる。
早い話が会議と折衝だ。
役職毎に報告会、幹部会、などと理由を付けては集められる。そこで、あちらはどうの、そちらはどうのと、本質とは関係ないような部分で舌戦を繰り広げるのだ。
もちろん必要な行程ではある。だが、リヒトにとっては拷問にも等しい苦行であった。
飛行成績抜群であったこともあり、リヒトも以前は役職に就いていた時期もあった。しかし、報告会に出席する度に耐えがたい体調不良を起こす。そのため、ついに業務遂行能力無し、と判断されてしまったのだ。
評判を落とすことにはなったが、元々飛行成績は抜群の彼である。役職を解かれた後は憑き物が落ちたかのように、現場で躍動していた。
適材適所、ということであろうが、地方の幹部連中や村の重役、政務の上役達からは、自身の手駒が優秀です、という便利な広告塔として使えない、政治や公の場では無能であるなど……。そういった人種から見たリヒトはとにかく評判が悪い。現場の評価が高い分なおのことだ。
現場から遠い政治関係者にとっては、肩書きや階級や勲章の数こそが誇れる成果であり、飛行時間など他人の入浴時間ほどの興味も無いのである。
作成されたフライトプランをみながら、それを作成した若き飛行士、──いや、飛ばし屋をみながら、イバタは思っていた。
生真面目な仕事、生真面目な性格……。
他人が絡むと身持ちを崩してしまうリヒトだが、それ以外、こと飛ぶことに関しては非の打ち処が全く無い。彼ほど、飛ぶことに、空に、飛行舟に愛された男はいないだろう。
そんな彼は驚くほど、報酬を求めなかった。
───かつて、そんな彼の旨味に気付いた一匹の下衆がいた。
彼の生んだ対価は、別な誰かの懐に転がり込んだ。
その下衆は、自らの自己顕示欲のためだけに、彼を謀り、利用し、すべての責任を押し付けてリヒトの前途を閉ざした。
あの、奴の所業を止められなかったのは、イバタが生きてきた中で、最大の汚点であり後悔だった。
かつて、尊厳を踏みにじられ、心の自由を汚されたこの若者が、どうか、影に触れず、染みを残さず、思うままに生きてほしいと願わずにはいられなかった。