第二話 「魅入られし翼」 ~アメリ、行きます!~
「じゃあ、午前中に勝手に来て、車見させてもらいますね。午後一番の積込の時に、同行者も乗ってもらいますから。」
「悪いね、宜しく頼むわね。」
そう言ってやり取りを終え、家に戻った。
思いがけず手に入った朝食は、どれも美味しかった。普段食にこだわりの無い僕だが、美味しいものは素直に美味しいと思う。
特にこの…、搾りたてミルクだ。よく冷えていて、とてもスッキリしている。温めて飲んだら香りが立って、また別な美味しさがありそうだ。一度に飲むには多い量だったので、半分は残して冷蔵庫にいれておく。
我が家の冷蔵庫はとても小さい。
出張で家を空けることが多いため、放置して中身をだめにしてしまうことが何度かあったのだ。
食べ物を無駄にするのは大罪だ。そのため、3度目の失敗を機に小さな冷蔵庫を買ったのだ。
飲み物など必要最低限のものしか入れない。あとは保存の利く食糧しか置かないことにしている。元の大きな冷蔵庫は、ガレージ側に置いて薬品や部品の冷却に使用している。
食事が済んだので、今後の手順をざっと頭で整理する。割と行ったり来たりが多いので、なにも考えずに移動すると二度手間を起こしやすい。
まずは、車だ。
依頼の、ではなく自分の。
昨日、牧草畑に不時着させてからそのまま放置していたのだが、あれがないと色々不便だし、いつまでもあそこに置いておくわけにもいかない。
まず、補給用のガスを持って車に向かう。
車にガスを補給したらそれに乗って、依頼者の畑に立ち寄り、搭載する車両の大きさを確認。その場で、使用する機体を判断し、使わない方をキャンセル。必要ならば、ついでに分屯所に連絡して、機体のオプションの換装を頼んでおく。
その後、車で分屯所に移動。
機体をチェックして、現場に移動…。いや、村の空域から外に出るから、飛行計画書を提出しないといけないな。
飛行計画書を提出して、受理されたら現場に移動。……こうだな、うん。
車両と付き添いの人を搭載して、目的地へ移動開始。
こんな感じだろうか。
依頼者は、帰りは車で自走して帰ってくると言っていたので、帰路は楽なものだろう。
これがもっと長距離なら、帰り荷を見つけてから行くところだ。空荷で帰ってくるだけというのは無駄が多いので避けるべきだが、隣街ならたいしたことでもないだろう。
自分の立てた行動計画を反芻し、一番最初に問題があることに気付く。
ここから車までどうやって行くか…。
時間があるなら徒歩でもいいが今は仕事優先だ、そんなことに時間はかけられない。普段の足に使う三輪自動車はガレージに置いてあるが、これに乗っていったら、車の代わりにこれを置いてくることになる。時間の短縮にはなるが、後々に無駄の多い方法で二度手間だ。
シンプルにスマートに済ませるには……。
……分屯所の誰かに迎えに来てもらうのがいいだろうか。
この時間なら誰かしら顔を出しているだろう。問題は、こういう事を気軽に頼める相手に心当たりがないことだ。日頃の人付き合いの悪さのせいなのだが、こういう時は実に困るものだ。イバタの次席ということは、分屯所内ではもちろんほぼ全地域でナンバー2ということである。正直なところ、僕が頼めば断る人は、…まずいないだろう。だが、断られないからこそ頼むときは慎重にしないといけない。仕事であれば後ろめたさもないのだが、今回のこれは、半分私用なのだ。
取りあえず、分屯所を呼び出してみるか…。
年下の人でもいればまだよかったのだが、あいにく第四分団では僕が最年少だ。
ふーっと、ひとつ息をついて、心を落ち着ける。
人付き合いもだが通信も苦手だ。エレさんもそうらしいが、相手の表情が分からないと、話すのが辛い。たかだかこれしきの事だが、意を決して通信を繋ぐ。
応答はすぐにあった。
「はい!こちら第四分団、応答はアメリ二等飛行兵であります、ご安全に!」
アメリ…?あ!昨日のあの子だ。
ずっと最年少だった頃の癖で、彼女のことをすっかり失念していた。
「こちら、リヒト上飛曹ご安全に。」
「ご安全に」は、かつて農管公社だった頃の作業安全のための決まり文句で、通信や挨拶でも使われていた。今もその名残で、平時は挨拶として使われている。それと、──我々の本分は作業であり戦争ではない、というささやかな意思表示でもあるのだ。
「あ!リ、リ、リヒトさんっすか?!」
「おはよう、アメリ。今朝は君だけなのかい?」
昨日、話していたため、いくぶん落ち着いて話すことができた。それにしても彼女の方がずいぶん驚いているようだが、どうしたのだろう。
「はいっす…。え、と…まだ誰も来てないっすね。誰かにご用だったんですか?」
誰か頼みやすい人がいてくれればと思ったのだが、ちょうどいいかもしれない。彼女に頼んでみよう。
「うん、誰かというか……。あの、アメリ、君これから少し時間取れるかい?」
「え?!あ、あたしっすか?」
自分が呼ばれるとは思っていなかったらしい、またまた慌てている。
「えーと、はい、大丈夫…です、けど…?」
「実は、車を置いてきちゃってね、ガス欠で。これからガス持って車の回収に行くんだけど、歩いていくと結構遠い所なんだ。それで、家から車のところまで送ってもらえないかと思ってね。」
「あ、なるほど!そういうことでしたら、行くっす、いえ、行けます。」
よかった、これで問題は解決だ。
「じゃあ、家で待ってるよ。場所はそこの壁の地図に印がついてるから。……あ、君の車って二人乗れるやつだよね?」
一応確認する。たまに1人乗り仕様にしている人もいるのだ。
「はい、車はもちろん大丈夫っすけど……」
しばしの無言。
……?
「あの~、…もしよかったら3式で行ってもいいっすか?」
飛行舟で来てくれるならなおのこと助かる。3式とは3式小型舟艇の事だ。
「実はあたし、今日は平時訓練のつもりで、3式の使用予約いれてたんですよ。だからせっかくなんで、訓練も兼ねて、どうかな~、と。」
なるほど、三機とも予約が入っていたがそのうちの一人は彼女だったのか。
「全然構わないよ、むしろその方が早くて助かる」
「わかりました!じゃあ、すぐ行くっすね、ちょっとだけ待っててください。」
そう言って通信が切れた。
うまい具合に助けが得られた事で、ずいぶん気が楽になる。
昔から頼みごとをするのが苦手だったが、こういうときは年齢差と階級差をありがたく感じる。ただ、多用は禁物だ。
寝室に入り、作業着に着替える。
そういえば、出張で使った作業服がまだ車に積まれたままだった。仕事終わったら忘れずに洗濯しないと。
残り少なくなった洗濯済みの服を見ながらそう考えた。
ガレージに行き、四元素調整済みのガスの充填されたタンクをひとつロッカーから取り出す。液体燃料と違い、使用前と使用後で殆ど重さが変わらないのが特徴で、そこそこ重い。これは充填されているガスではなく、四元素が浸透し漏れ出さないよう遮断しているタンクの素材が重いのだ。
外、しかも上空に「気配」を感じる。
飛ばし屋同士が感知する、特有の気配だ。
どうやらアメリが到着したようだ。
ボンベを担ぎ上げ、家を出て鍵をかける。
正直この辺では鍵をかけている家は圧倒的に少ないだろうが、出張の多い仕事柄、僕は鍵をかけることにしている。
鍵をかけるのは防犯のためではない。
今朝の頂き物の朝食でもわかるとおり、この辺の人は実に「お裾分け」をするのが好きだ。自前で栽培している作物や狩猟物が余ったら、保存が利くよう加工するか今朝のようにお裾分けして、なるべく廃棄をしないようにしているのだ。
近所に配るのはもちろん、出掛ける時はなにかしら食べ物をもって出掛ける、それも結構多めに。まるで交換物資を持ち歩くように。
これは実際、巡礼や遠征が普通に行われているドルイド族の心構えのようなものでもある。旅先で食べるものに困らないように、道行く人がいたら声をかけ、食べ物が足りているか、困ったことはないか、助け合いながら我々は旅をする。例外的に定住の多いこの地方でも、その精神はきちんと残っている。
そんな気質だから、近所で腹を空かせた若者がいると聞き付ければ、芋や野菜をもって訪ねる人も多い。これは、すぐ食え、こっちは日持ちするから、なに?食べ方がわからん?台所貸しなさい。といった具合である。
ありがたいことなのだが、あいにく僕はこんな「体質」である。なかなか辛いこともあるので、意識的に家を空けたりする。
すると、ご親切に置き手紙(食べて♡)と野菜が入ったかごが入り口の外に置いてある事もあるのだ。その野菜かご、先月までは入り口の外だったが先々週は玄関の中、先週は台所、先日はついに冷蔵庫の中に入れておいてくれた……。……といった具合で、村全体が家族的な、のどかで隔たりの無い関係性で成り立っている。これは有りがたいことではあるのだが、……特に僕の場合は顔を会わせずに食べ物だけ頂けるので誠に都合のいい風習でもある、のだが…。
重ねて言うが僕は出張が多い。
二、三日どころか一週間以上家を空けたりすることも珍しくない。人付き合いが密接なら、「隣のご主人、明日から出張だそうよ」なんて情報も普通に近所で「共有」されているのだが、僕はそうじゃない。
たまたま留守だろう、と思われて、野菜や果物、生の肉なんかを置いていかれると……出張から帰ってきた頃には悲劇が起きている、ということもありうるのだ。
鍵をかけるのは、「しばらく留守です、お裾分けお断り」の意思表示でもある。
実際、周りが鍵をかけてない家ばかりで一軒だけ施錠してあったら明らかに怪しい。留守だから侵入してくださいと言っているようなものだ。防犯としてはさして意味はないだろう。
晴れた上空を見ると、小型の舟がゆっくりと旋回しているのが見える、アメリだろう。初めての場所なので降りられる場所を吟味しているのだ。
上に向かって手を振って合図すると、向こうもこちらを見つけたらしく、発行信号で合図してきた。
僕はボンベを置いて、大きく腕を振り手信号で侵入方向と滑走路の位置を伝える。滑走路、というほど長くはないが、平らに整地して芝も刈り揃えてある場所が、家の奥の方に整備してある。家に舟を持ち込むことも多いので、少しずつ時間をかけて作っておいたのだ。
下降しながら旋回して降りてくるのが見える。
3式は小型で、連絡員を飛ばして人や情報、そして荷物を運ぶための機体で、その性格上とにかく小回りが利き、速度もそこそこ出る。元々の空力的な離着陸性能が高く滑走距離もごく短い。その上、うちにある3式は軍用の小型連絡舟仕様なのだ。艇推進力方向を下方に向けることもでき、垂直離着陸もできるのだ。機体を降ろせるスペースさえあればどこでも降りられるし飛び立てる。誠に便利な機体なのだ。
だが、当然ながら垂直離着陸はエネルギー効率がよくないので、場所があるなら滑走する。彼女もそのつもりで、おりる場所を選んでいたのだ。
3式が短く滑走して平らな芝地に静止する。ちょうど真ん中くらいだ。このまま再び滑走すれば充分離陸できる位置だ。彼女は飛行舟の飛ばし方も丁寧だし、位置取りの判断もいいようだ。
ボンベを担いで、機体に歩み寄る。
降りてきたアメリが元気よく声をかけてくる。
「おはようございまっす!」
ぴっ、とかわいい敬礼もしてきた。
せっかく来ていただいたのだ、僕も少しキリッとした敬礼を返す。
「……っ!」
きちっと返礼されるとは思っていなかったのだろう、彼女は少し狼狽えた。
「てっ、天気が良くてよかったっすね、絶好の飛行日和っすよ。」
そう言って、機体後席の風防を空ける。確かにそうだ、雲も少ない。隣街までだが快適な飛行となりそうだ。
「そうだね。わざわざ来て貰って済まなかったね、助かったよ。」
と笑顔で返す。
ボンベを第二後席のさらに後ろにある荷物スペースに押し込み、自分も後席に収まる。風防は、…せっかくこんな天気だ、開けたままでいいだろう。それを見てアメリが、
「あ、あたしが操縦するんすか?」
と戸惑ったように聞いてきた。
「この機の責任操縦士は、君だろう?」
などと冗談ぽくいってみる。規則上はその通りなのだが、村の空域ではそんなことはお構いなしに、勝手に乗って勝手に飛んで勝手に乗せたりしている。
「き、きんちょーするっす……。」
いつも飛んでいるだろう?と聞くと、
「上飛殿に、飛ばしてるとこ直接見られるのは、初めてっすから…」
上飛殿、と来たか。僕は教官じゃないぞ。
彼女は操縦席に座り、もう一度機体に火をいれ、各種チェックを済ませる。
「あたしも、風防開けたまでいいっすか?」
聞いてきた。
「構わないよ、むしろ僕の方こそ開けたままで良かったのかな?」
彼女は明快に、
「今日天気いいっすから。」
そう答えた。