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EXTRA エルマー&メリーバ3 ~嗚呼、愛すべき湯場文化~

「───よかったら、お前からも推薦状に名前を添えてくれないか?」


 エルマーのその言葉に、リヒトは頷いて快諾した。

「はい、僕なんかでよろしければ。」


 それを聞いてまた、エルマーは笑った。

 そして、……心の中で付け加えた。



 ───お前でなければ、駄目なんだよ。




 ────


 ハウス1のエルマーと別れを告げ、部屋に戻った。

 現場の男らしく気さくで話しやすい相手で良かったと、リヒトは思った。

 初対面でもあり、それなりに緊張感のある会合ではあった。身体への負荷は微々たるものだったのは幸いだった。せっかく用意してもらった会食の場だ、体調不良を起こしては申し訳ないことになっていただろう。

 だが、やはり生来の人付き合いの苦手さもあって、それなりに気疲れはあった。

 すぐに部屋で休もうかと思っていたが、それなりに重みのある会話でもあったせいか、すぐに寝付ける状態ともいえないような、すこしもやもやした状態であった。


 それに…、一日の終わりということで、温泉に浸かりたい気分でもあった。

 幸いにして、記録を残すこともできた。その上、大勢の前へ繰り出すということで、自分にとってはなかなかの大仕事を片付けた、という感覚もあったのだ。心と身体を、熱いお湯で労ってやるくらいの事はしてもいいだろうと思っていた。

 

 そこで、思い出す。

 錬成所での訓練兵時代に、よく通っていた穴場の湯場があったことを。


 錬成所のすぐ近くにも湯場はあるのだが、そこは錬成所に通うドルイド族の御用達のようなところで、結構立派な建物で当然利用者も多かった。

 しかし、そんなところにリヒトが通えるはずもなく、遂に一度も行ったことがなかった。


 一方の穴場の方は、本当にこじんまりとしていて、利用者がいるのかどうかさえ怪しいような風情だった。当然建物も相応に質素ものなのだが、きちんと手入れはされており、日中は地元の人が利用しているような雰囲気もあった。


 ……久しぶりに行ってみようか。

 そう思うと、少し気分が高揚した。


 早速、手荷物から風呂道具をとりだし、宿の受付を訪ねる。

 その湯場までは少しだけ距離があるので、夜道を歩いていくのは少々面倒だ。宿から車を借りていくことにした。

 フロントの係に聞いてみると、すぐに三輪自動車を貸し出してくれた。アメリが乗っているような前二輪のタイプだ。


 早速乗り込み、走らせる。……エルマー少佐には少々申し訳なかったが、酒を断っておいて正解だったと思った。


 湯場へは、10分程で着いた。

 ここは錬成所のある区画の外にあるせいか、それほど距離は離れていないのに雰囲気がまるで違うのだ。喧騒を離れた感じがしてほっとする。

 リヒトは、湯場の建物の前に車を停め、火を落として降車する。


 辺りは、自然の静けさに包まれていた。それでも、耳をすませば虫や夜鳥の声が聞こえてくる。自然の生き物の息吹は、むしろ街場よりも濃厚に感じていた。湯場の建物に背を向けてあたりの景色を見ると、ここはほんの少し標高が高くなっており、遠くに街の灯りが煌めいているのが見える。都会の喧騒から離れていて、……それでも人々の暮らしの息吹が感じられる、リヒトにとっては…まさに理想的な隔たりという名の安らぎであった。


 湯場には、灯りはついていたが誰かいる気配はない。どうやら、一人で気兼ねなく使えそうだった。思いきって来てみて良かった、心からそう思った。


 入り口をくぐると、見覚えのある脱衣所が目に入った。

 あれから、しっかり10年経っているはずなのだが、あの頃と全くといっていいほど変わっていなかった。入り口脇の、『夜0時以降にお使いになったら、最後の人は灯りを落としてください』という、見覚えのある注意書きもそのままだった。その事がなんだか、とても尊く……そしてありがたいことに思えた。出張先で見た、ガレの家の近くの湯場の境遇を思い出し、余計にそう思えたのだ。


 嬉しさと高揚感に任せて、ささっと服を脱いで浴室の扉を開ける。

 明るい照明に照らされた洗い場や湯船も当時ままだった。それを見て、今度は小躍りしたくなるほど嬉しくなった。


 早速手桶で洗い湯をすくって身体にばしゃばしゃとかける。

 そして湯船に足をいれた。


「あ~~………、この感じ…。」

 思わず声が出る、懐かしいな。

 温泉は、土地によってその泉質も千差万別。ひとつとして同じ物は無いと言っていいほどだ。ここの湯は、白く濁っているなかなか珍しい泉質なのも、うれしい点だ。

 そのまま身体を沈め、縁に寄りかかって両手両足をぐーっと伸ばした。


「ん~……あぁ」


 無意識に、気持ちのいい呻き声が出てしまう。

 湯加減も最高だ。

 つかれも肩凝りも、そして気持ちの疲労も溶けていくようだった。


 疲れと眠気で億劫になる前に、来る決断をして本当に良かったと、また思った。

「……来て、良かったぁ~……。」

 一人である事も手伝って、そんな呟きまで漏れてしまった。


 女神と、そして名も知らぬこの湯場の管理者に感謝の祈りを捧げる。

 願わくばこの湯場がずっと存続してほしいと…。


 ──ドルイド族の特徴なのかもしれないが、人気の集まる施設やお店などがあると、必ず目立たない場所に同じようなものをもう一ヵ所、さりげなく用意している節がある。

 リヒトにとっては誠にありがたいことなのだが、偶然ではなく……これにもきっと意味があるのだろう。


 目の向けられないところにこそ、本質は静かに佇んでいる。

 女神の教義にも、そのようなことが語られている一節がある。

 そして、リヒト自身もそれを感じることが多い。


 多数決や多数派というものは賛同は多いが、それ以上に少数意見の切り捨てが発生するものである。そして、大多数の意見の平均を採用した結果、誰も望まないようなものになってしまうこともありうるのである。


 この湯場は、目立たない場所にあるのに建物は大きめで湯量も豊富だ。泉質も珍しく、もっと街場の近くにあったら、きっと来客で賑わっていたことだろう。


 こんな辺境にあるからこそ、リヒトは恩恵にあずかることができるのだ。

 そして、同じように静かにゆっくりと風呂を堪能したいと思う人たちにとっても……きっとそうなのだろう。


 リヒトにとっては、空を飛べて……あとは、お腹を満たすことと、熱い湯に浸かれること……、この2つがあれば幸せの大部分は賄えるような気さえするのだ




 嗚呼、湯場文化よ……永遠なれ……。




 しばらくの間そうして、素晴らしき湯を堪能していたのだが、……誰か来たようだ。

 微かに、近づいてくる気配を感じる。同時に車の走行音も…。


 もう少し湯に浸かっていたかったのだが、どうやら別な利用者が現れたようだ。

 ……こればかりはしょうがない、あくまで共同利用の浴場なのだから。


 湯船に入ってきたら、退散するとしよう…。そう思っていると、ほどなく戸を開けて誰かが入ってきた。


 ひたひたと、足音がする。

 その気配は浸かっているリヒトの後ろを通って、洗い湯の溜まりに行き、かけ湯を始めた。


 そして湯船の、リヒトからは少し離れたところに入ってきた。


 ……?


 ……不思議と、いつもの身体の違和感が顔を出さない。珍しいことだが、どうやら波長の合う人のようだ。これなら、慌てて出ていかなくてもいいかもしれない…。


 そんなことを考えていると、声をかけられた。


「…あら!こんばんは。奇遇ね。」


 聞き覚えのある声…女の人だ。

 ゆっくりと声のする方に顔を向ける。

 そこには、豊満で美しい裸体を惜しげもなく晒した見覚えのある女性が…。


 こちらが顔を向けると、にっこりと微笑んでいた。


 そうだ……、式典の終わりに、僕の操縦する6式特9型に同乗した、あのメリーバ少尉が立っていた。


「しょ、少尉…!!」


 反射的にリヒトは立ち上がって敬礼しようとするが、完全に身体を弛めていたためすぐに立ち上がることができなかった。


「あはは!よしてよ~、こんなところで敬礼なんて…。」


 彼女はそう言って、ぱたぱたと掌を扇いで可笑しそうに笑った。


 見覚えのある顔だったことで安心したのだろう、彼女はすぐとなりまで来て隣に腰を下ろして身体を湯に沈めた。

 ドルイド族らしく、彼女も温泉が日課なのだろう。


 リヒトも、もう一度自分の精神の状態を確認してみたが、不調の兆しは全く見られなかった。それどころか……いわゆる相性のいい人でもあるらしかった。思えばあの時、アメリと3人での同乗飛行だったが、それでも全く不調の片鱗も感じなかったのである。



 短い時間だったが、先刻の同乗飛行があったため彼女の人となりは、それとなく知ることができていた。そのことも相まってのことだろう。


 大盛況だった、リヒトの模範演技飛行だが……実は、飛行《《演目》》の技の組み立ては、後席から彼女がやってくれていたのだ。


 最初の急加速離陸、急上昇からインメルマンターンに転じて、720度サイクロンロール後のスプリットS、低高度でのコルクスクリュー……


 ウォレス教官の知り合いでもあるため、それなりに腕のある人だろうと思っていたのだが、彼女は曲技飛行で(本人曰く)少しだけ名の知られた人だったらしい。


 そしてそれは、まさしく事実であった。

 即興であっただろうが、技の組み立てがスムーズで完璧だったのだ。


 リヒト自身は、軽く飛んでお茶を濁そうと思っていたのだが、機体の見せたあまりに高い運動性能とリヒトの腕が合わさって、彼女は血が騒ぐのを止められなかったらしい。


 後席から、

 ───垂直上昇から180度ロール!3秒後に急降下!


 という指示が飛んだのを聞いて、リヒトも瞬時に意識が一流飛行士の臨戦態勢に切り替わってしまったのだった。


 息がぴったりと合った、指示者と操縦者。

 結果として、それを最高の席で味わうことになったアメリ──は、終始喜んでいた。

 観客が引けてから、もう一回行きましょう!今度は私の操縦で、と言って僕の手を引いて再度飛行を求めたほどだった。


 そんなことを思い出していたら、無意識に彼女の顔を見つめてしまっていたようだ。


「どうしたの?見惚(みと)れちゃって…♪」


 あ…!、と思って正面を向いたが遅かった。


 彼女は、ふふっ、と笑ってまた腕を上に向けて大きく伸びをしていた。

 大きな乳房が、白く濁った湯から浮かび上がって顔をのぞかせていたが、気にした様子もなかった。リヒトは気持ちを落ち着けて、話題を探す。


 いつも苦心する、苦手な作業であったが…今回は共通の話題がある。

 これを避ける理由は無いだろう。


「式典では…助かりました。僕、振り回すしか能がなくて…。」

 そう言って、彼女の様子をうかがった。


 すると、彼女はこちらを見て嬉しそうに言葉を返した。

「あたしの方こそ。ごめんね~?機体と貴方の技術を見たら、もう…血が騒いじゃって…♪」


「おかげで僕も、機体の性能の片鱗が見えました。審査会のコースよりも、限界に迫れたような気がします……。すごいですよね、……あの機体。」

 しみじみと、僕は感想を伝えた。


 すると急に、彼女は笑顔のまま目に力を帯び、振った話題に食いついてきた。

「操作に対する反応の鋭さが、…中型機のそれじゃないのよ!曲技専用機みたいなの…!それでいて音速まで簡単に出るし、高空にも上がれるし…なんなのこれ?!って感じよね~!?」


 生き生きと機体に対する感想を話し出す。

 この人も飛ぶことと飛行舟がとても好きなのだろう。


「あの速度であの長さの翼を振り回したら、普通…持たないわよね?でもね、ウォレス中佐が『試してあるから心配するな』って。…乗ってみるまで、さすがに半信半疑だったけど、あ…全然行ける~、って♪」


 さすが飛ばし屋だ。それも結構な手練れらしい。後席から機体の細部を探って限界を判断していたようだ。


「複葉機、っていうのもかなり効いてる感じでした。5型の限界からさらに2段階くらい深いとこまで攻められるんですよね…。それも、潤沢な手応えが返ってくるんで、5型みたいな不安さが無いんですよね。」


「そう!機体の余裕をちゃんと感じながら、しっかり攻められるのよね…。それでいて、汎用性も落としてないって言ってたし、…とんでもない機体よね~。」


「2型とかなら、機体の限界まで攻め込んでも身体の方にはまだ余裕があるくらいだったんですけど……特9型は…、正直なところ、まだまだ限界性能は引き出せてない感じでした。」


「……うん、身体の方が先に限界来る感じよね、9型は。」

 僕の言葉を受けて、彼女がそう答える。


「耐Gスーツの良いやつ着ければ、もっと深いとこまで攻められるんでしょうけど……やっぱり、……生身で行きたいですね~、そこまで。」


「わかる~♪」


 僕の言葉に彼女も同意した。


 地球人と最も違う点が、航空機に乗った際の耐Gスーツに対する考え方だろう。


 地球では限界を引き上げ安全性を担保するために、軍用機の操縦時には必ずスーツを着用する。


 一方、ドルイド族はそもそも身体の限界を越える領域に、積極的に踏み込むべきではないという考えから、耐Gスーツの着用には、やや否定的なのだ。

 訓練中はさすがに着用していたが、自警団の現場では着用している者をめったに見ることはない。


 そもそも、ドルイド族の高空での低気圧低酸素、高G領域に対する身体能力は、地球人のそれとは比較にならないほど高いのだ。

 スーツ着用下では、その差は殆ど無いとはいえ、地球人にとっては大きな不利である事も事実だ。


 ───この点に関してだけは、さすがのウォレス教官も「些か嫉妬を覚える」と、こぼしていた程だった。


 だが、その領域に踏み込ませるきっかけを作ったのは、他ならぬ地球人であるウォレス教官なのだ。


 人種による特性の違い、ということなのだろうが、……地球人というのは大いなる可能性を秘めた人種でもあると実感させられる。寿命も身体能力も一回り控えめな彼らだが、生きることへの燃焼力が強いと、リヒトは感じていた。


「…すごい人ですよね、ウォレス教官。」

「…ほんとね~。」


 どうやら彼女も、同じ思いだったようだ。

 ふたりで、はぁ~……と感嘆の息を漏らす。


 実際リヒトは、彼と会うまでは地球人に対してそれほど興味があったわけではなかった。むしろ、禍いを持ち込むよからぬ種族とさえ感じていたほどだった。


 だが彼と会い、その印象が一変した。

 今ではこの出会いに対して、(存在するならば)地球の神に感謝したいほどだった。

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