EXTRA エルマー&メリーバ2 ~隊長の資質~
「それにしても……、僕のことなんか、よくご存知でしたね?」
リヒトが不思議そうに尋ねる。
それを聞いたエルマーはたまらず、吹き出し、そして笑い出した。
「……本当に、聞いていたとおりだな。底抜けに謙虚、客観の乏しさ、自己評価のできない男…。」
ふふふ、と愉快そうに笑ってエルマーは続けた。
……ウォレス教官に言われた通りのことを、ここでも言われてしまった。と、リヒトは思った。
「確かに、リヒト上飛曹といわれても、気づく者は地元民以外では多くないだろう。」
まぁ、ラインガーデンとその周辺の村の自警団に所属している人なら、それなりに…噂くらいは知っているだろうと思う。
「だが…No.9821……。合同錬成所を出た者で、この偉業を知らない飛行士はいない。」
──リヒトは当時のことを、思い出した。
この記録を作れと言われた時、……ウォレス教官にしては珍しく、目立つことを命じるものだと不思議に思っていたのだ。もちろん、彼の思考を疑うことはなかったのだが、その真意については未だに測りかねているというのが本音でもあるのだ。
もしかしたら、こういう場面を想定してのことだったのだろうか……?
「……うちの管轄に、しょっちゅう勲章を辞退する奴がいるというんで、気になっていたんだ。軽く調べてみたら、ウォレス教官の教え子で…しかもあの冗談みたいな記録を作った奴だという。……そして、そいつが今は【パイン2】のコールサインを持っていると。」
グラスを口に運ぶ。
「呼び寄せて、役に立ってもらおうと即座に思ったよ、だが……」
そこまで言って、やはり彼は自虐的な笑みを浮かべた。
「全権を委任する…か、ふふふ。」
空になったグラスに、果実酒を注ぎながらエルマーは続けた。
「我ながら、無茶をしたものだと思うよ。だが、その判断は間違っていなかった。よくぞ引き受けてくれた。……改めて、感謝するよ。」
そう言って、彼は少し頭を下げた。
それを見てリヒトは、少し照れながら、
「不安もありましたけど……、なんとかなって、よかったです…本当に。自警団に来てからの日々の経験が…活きたんでしょうかね。」
そう、控えめに答えた。
「参加した団員の評価も上々だった、……現場指揮の経験くらいは、あるんだろう?」
あくまで控えめなリヒトに、エルマーはそう尋ねた。
「まあ、何度か…。それも全部成り行きで、そうなったんですけど。……さすがに全権委任されたのは、初めてでした。」
リヒトは答えて、更に続ける。
「現場では、あらゆることにその場で対処しなければならないですから…。判断に悩んだ場面も、何度もありましたよ。今思うと……規定から逸脱してた部分も、ありますし…。」
そしてリヒトは、苦笑と苦悩の混じったような表情で──中練機の荷室に2人押し込んで7人乗せて部下に運ばせたことを白状した。これは、本来なら旅客ライセンスが必要な人数のうえ、機体の定員オーバーでもあるのだ。
「それくらいならどこの現場でもやってる。しかも非常時だ、誰も咎めたりはせんよ。」
そう言ってエルマーは、からからと笑った。
そして、
「むしろ…それを自己判断で実行できたことのほうが重要だ。」
と彼は言った。
そして、そこでなにかを思い出したように……話し出した。
「……そちらの小隊の中で、サブリーダーをやった男がいただろう?」
「はい、オーク5ですね。うちの村の第二分団のベテランです。彼がいてくれて、本当に助かりました。」
「……あぁ、結果的にはそうだったな。」
だが、そう言って答えた……彼の表情は少し重い。
その表情に気づいて、リヒトは不思議に思っていると、
「実はな、俺は……、別な奴を副隊長に指名していたんだよ。」
彼は、そう告白するように話した。
……?
それは初耳だ、どういうことだろう。
「ローズ8のコールサインの男を、覚えているか?」
リヒトはすぐに思い出した。
「はい、よく覚えています。彼にも、いろいろ助けられました。」
──真っ先に補給について検討を求められたり、ホイストで吊り上げ回収をしてくれたり、図らずも要所では彼の存在があった。
「あいつは、……元々、ここジルクタウンの第三部隊の副隊長だったんだ。……俺の直接の部下でもあった男だ。」
「え……?」
ローズ分団は、どちらかというと地元では出動回数が少なく、他の村や現場からの応援に駆り出される事のほうが多い、いわば脇役的な役回りの多い分団だ。そこに、最前線の副隊長経験者が在籍しているというのは、意外というか……、不思議な事情を感じさせる。
「……控えめというか、自分から前に出るタイプではなかったが、仕事にそつがなく、腕もよかった。ゆくゆくは俺の指揮下で隊長を任せたいと思っていたんだが、……本人にその意思が低くてな…。副隊長でずっとやっていたんだ。」
そこで、一旦言葉を切りグラスを持って口に付けた。
彼の表情は、真剣…というよりは深刻さを帯び始めているようにも感じた。
「──で、あいつの代わりに隊長になったのが、中央からの推薦で配属になった奴だった。」
エルマーの目には、ある種の憐憫のようなものが感じられた。
だが、それがローズ8に向けられたものなのか、その時の状況に向けられたものなのかは、リヒトには分からなかった。
「……詳しくは割愛するが、……そいつは、下手ではないのだが…ローズ8に比べると腕も状況判断も良くなくてな…、あいつとは現場の判断で度々意見が衝突することもあった。だが、あいつは…ローズ8は、最終的には隊長の補佐に徹していた。」
エルマーの、グラスを持っている手に、力がこもっているのが見て取れた。
「ある時───、現場の判断で意見が割れてな。最終的にあいつは、隊長の意見を尊重したんだが、結果として………隊員に負傷者を出してしまったんだ。」
「……」
リヒトは、どきりとした。
幸いにと言うか、リヒトが指揮をした現場では、これまで団員に大きな負傷者が発生したことは無かった。だが、現場というのは常に危険が伴う。リヒト自身が無茶をすることには割合、無頓着なのだが…他の団員にその様な真似は絶対にさせないであろう。
逆に言えば、自分の指揮官であるイバタには、常にそのリスクと責任を負わせていることでもあるのだと……。
「あいつは、隊長の判断にリスクがある事をわかった上で、隊長の意見に同意した………。事故は自分の責任だ、と言って、副隊長職を辞した。」
……重い決断、だったのだろう。
現場での判断は、それほどに困難を伴うものなのだ。
「それ以来、……あいつは、ずっとヒラのポジションに甘んじている。……この間の現場でも、俺から副隊長をやれと伝えたんだが、あいつは…、断ったんだ……。」
そう言って、心を落ち着けるように、彼はまたグラスを口に運んだ。
「………もう、当時の事故のことなんか誰も覚えてる奴はいない、それほど大きな事故でもなかったからな。だが、一歩間違えたら隊員は命を落としていた…。その事が、あいつの身の振り方に枷をつけてしまったんだ。」
ふぅ……、とため息のような吐息を吐き出した。
「───隊員の、部下の命に責任を負うということの重責を、自分は背負える器ではない…と。当時の隊長は、腕は自分より劣っていたかもしれないが、その責任に足る人間だったと……、その時のことを振り返っていたよ。」
───滑落注意!…絶対だぞ!!
臨時隊長さんも、大変だよな……
これで、手と…顔と頭も拭いとけ
もうひとふんばりだ……
───あんたが隊長で、良かったよ。
……思えば、彼の機体は一番先にガス欠を訴えていた。きっと、真っ先に現場に駆けつけ奮闘していたのだろう。後部座席には……ありあわせではあっても、使える物資を放り込んで飛び出してきた様子が伺えた。
言葉の端々に、経験と思慮を感じさせていた。
彼は、そんな過去と共に、現場で戦ってくれていたのか……。
「──お前への勲章の推薦と……現場での活躍と実績を、もっとも強く推していたのが、あいつだ。」
思いにふけるリヒトに、エルマーはそう告げた。
「そうだったんですか……」
エルマーは静かにうなずいた。
……確かに、目立った活躍をしたという意味ではリヒトが筆頭であろう。
だが、あの場では誰一人欠けていても、救助活動は成立していない。
それは、ローズ8とて同じなのだ。
結果的に、中勲章は限られた人にしか渡すことができなかったのだが、可能であればあの場にいた全員に渡してほしいと願ったくらいなのだ。
「───あいつはもう…、充分に責めを受けた。そもそも、あいつが責任を負うことでもなかったんだ。軍法会議でも…、そう判断が下りていたのにな……。」
自分に無い覚悟を持った隊長を…守りたかった。…あるいは自分よりもその隊長の方を現場に残すべきだ…。
彼は……、そう考えたのだろうか。
「今度の異動の時期が来たら…、あいつを本部に呼び戻そうと思っている。」
「………。」
リヒトは、黙って頷いた。
「たぶん、……あいつは、また断るだろう。」
エルマーは、リヒトをまっすぐに見て問いかけた。
「お前から見て、どうだった?……あいつは、隊長職に足る男だと思うか…?」
リヒトは、考えた。
………技術は充分に思えた。
現場での立ち回りも、上手かった。
そつがないという表現がぴったりだ。
そして、状況判断力も優れている。
気遣いもできる…。
「──何より、隊長の判断の責任を、自分の事として背負っている時点で、素養は充分あるように思えます。………足りないのはきっと、器や能力ではなく──」
エルマーも同じ意見だったようだ。
リヒトの話を聞きながら、表情がほどけていくのを感じていた。
「きっと、経験と自信……だと思うんです。」
立場が人を作る──。
そういうこともあるのかもしれないが、リヒト自身はその言葉に対してはどちらかというと否定的だ。だが、立場ではなく経験が人を作る、ということならありうると思っていた。
「……お前に話してみてよかった。決心が固まったよ。」
エルマーは、満足したようにそう答えた。
───ローズ8は、偶然とは言えリヒトと同じ現場で活動して、隊長のあるべき姿を学んだことだろう。
リヒトは能力に優れていることは疑いがないが、それでも彼はまだ若く……ローズ8や他のベテランに比べて経験が深いわけでもない。
細かなところで判断の甘さや迷いもあったことだろう。だが、リヒトはその兆候が現場に影響を及ぼす前に、先んじて現場を改善する方向へ手を打っている。
現場に到着して、まず最初に行ったのが応援要請だ。
自分だけの手に負えないと思ったら迷わず人を集める。
集まった人員の中に使えそうな人間がいたら、即座に権限を与える。
……そうやって現場を前進させていった。
途中で、機体の損傷もあったらしい。だが、それでも彼は隊長として現場に残り、動き続ける事ができていた。
いつの間にか、6式に乗り換えて……。
一体どうやったのか、それは知らんが…。
その後すぐに、損傷機だった機体まで現場に復帰して活躍している。
あの状況で、6人乗りの小型で小回りの利く中型練習機はうってつけだっただろう。それを理解して手を打ったのだとしたら大したものだ。
あの狭い入り組んだ谷のような現場で、中型機である6式を飛ばして指揮をする技術も見事だ。
本来あんなところで運用できる機体ではないのかもしれないが、あれが常に上空にいる事が現場を支えていたことは明らかだ。実際、地上の人員はとても心強かったそうだ。
現場を俯瞰できる者が現場で直接指揮を執る…。まさに、エルマーが飛び出していって、やりたかったことだ。
ローズ8が彼のそばで経験したことは大きかったのではないかと思う。
必要だった経験とは、まさにこういうことだった。
ローズ8は一時期、エルマーの指揮下で働いていたこともあったが、手本にするにはエルマーは大き過ぎたのであろう。全て任せて……頼りきってしまう傾向がみられたのだ。
リヒトの姿は、そう言う意味で最適だったのだ。
腕が良く、頼りにもなり話しも通しやすい。それでいて、率先して一生懸命なのである。
彼を助けたい、助けて支えなければ…。そんな隊員たちの思いが自ずと現場を好転させていった事だろう。現場のために、彼のために、自分が成すべき事を、各々が自然に考える事ができていた。
もろちん、現場に集まった者の多くが、彼と普段から共に行動していたことも大きかったかもしれない。
個々の現場はそれぞれに任せてしまえる、そんな状況も有利に働いたと思われる。
これは、───田舎の分団ならではともいえる。
それぞれ個々の判断で様々な状況に対処しなければならない、──救急、救難、消防、輸送……文字通りあらゆる状況に。自警団の地方の分団、という普段の活動の経験が活きていたのだ。業務の細分化が進んだ中央では、そんな幸運は起こらないだろう。
だが、現場に必要な能力と人員がどういうものか、それは身に染みてわかったはずだ。そして、それが足りないなら、人員を育てて備えるのだ。
この経験があるならば、自分が隊長に就いたときどうすればいいか考える指針になるだろう。
エルマーの望んでいたこととは(現場から組織を動かすとは)、まさにこういうことだったのだ。
彼にも、……ローズ8にもそのような役割を担って欲しい。
彼ならば、きっとそれができるはずだ。
「───よかったら、お前からも推薦状に名前を添えてくれないか?」
エルマーのその言葉に、リヒトは頷いて快諾した。
「はい、僕なんかでよろしければ。」
それを聞いてまた、エルマーは笑った。
そして、……心の中で付け加えた。
───お前でなければ、駄目なんだよ。