第六話
「今……ライラスと言ったか?」
「はい、確かに。ライラス様御本人です」
「何故姿を見せなかったのに、今になって……」
「お会いしたいと申しております。通しても良いでしょうか?」
「……ああ」
ずっと探していたのに姿を見せなかったライラス。カルレイも驚いて顔を上げている。カイルスは興味なさげに空を見つめ、ミルは打ちひしがれて下を向いたまま。
(どうせ嫌味でも言いに来たのだろう。しかし、ここでどうにかして財産権を奪えることも……)
ギネアは少しの間思考を巡らすが、可能性は低かった。言葉巧みに奪おうとした所で、ライラスは王宮の人事部所属であり相当な切れ者である。強引に力で抑え込もうとも、武力にも長けている。四人でかかったとて、負ける。
「お連れいたしました」
執事がノックをして扉を開ける。ウェルリンテとは血は繋がっていないものの、彼女を彷彿とさせる理知的な碧眼。一族からはくすんだ灰色と虐められ、子供の頃はコンプレックスに思っていたという銀髪。ウェルリンテに絶賛されてから堂々と伸ばして覇者の風格をより際立たせている。
自分の命よりもウェルリンテの命の方が100倍大事と普段から豪語するライラスにとって、今回の事件が彼に何をもたらしたかは計り知れない。この行方不明になっていた一週間は何処かで自殺したのではと噂される程。
しばらくの間、この部屋は静寂が支配した。ギネア達は何と声をかければ良いのか分からず、ライラスが話し始めるのをを待った。そして、ギネアはライラスが口を動かそうとする気配を感じ取ると目をつぶった。
(何か言いたいなら言えばいい)
ライラスの口から出るであろう罵倒に対して、ほぼ逆ギレに近い気持ちで備える。しかし、ライラスの口からは全く予想に反していたものであった。
「ご無事で……良かった」
本当に予想だにしなかった言葉が聞こえてきて思わず目を開けると、彼は心底安心したという風にハラハラと泣いていた。
「本当に……本当に、ご無事で良かった」
「あの、ライラス殿……その、これは一体?」
ようやく口に出たギネアのその声でようやく泣き止んだライラスは、ギネア達の方をしっかりと見据えて言った。
「私は本当に愚かでした。ギネア様には何とお礼を申し上げて良いのか……」
「その、私には全く心当たりが無いのですが、どうしてそんなに感謝をするのです?」
恨まれこそすれ、全く感謝されるあてなど何も無かった。それに対してライラスは戸惑いも無く続けて言う。
「ご謙遜を。私は悲しみに打ちひしがれて全く周りが見えていませんでした。毎日死ぬことばかり考えていて、スクルビア領のことなど頭に無かったのです。このままではウェルリンテ様が守っていたスクルビア領を自分の過ちで失う所でした」
そこで、懐かしい思い出を思い出すかのようにして空を見つめ、言葉を続ける
「そんな時に、ギネア様はスクルビア領の管理という面倒くさい所だけを引き受けて下さって、本当にありがとうございました。ギネア様もさぞお辛かったでしょうに……私ごときよりよっぽど立派な方です」
ギネアは少し話が見えてきた。あの貴族省の男と同じく、ライラスは勘違いしているのだな、と。ただ、それだと、無事で良かったという言葉の説明がつかない。
「いえ……当然のことなのですが。それよりご無事で良かったとはどういう……」
「ああ、そうです。そのことでお話に来たのです。そのスクルビア領の管理のせいでだいぶお疲れと噂で耳にしました」
「それは……そうですね」
ギネアは一瞬なんのことかと思ったが、すぐに分かった。お金を借りに行った際、スクルビア領の管理が大変だからという理由をつけて借り回った。元々スクルビア領は肥沃な土地で工業も盛んなので、スクルビア領に投資するとかいう理由をつければお金も借りやすくなったのだ。そういう所からの噂であろう。
「だろうと、思いました。本当に私は自分のことしか考えていなかったというのに、その間こんなに奔走して下さって……」
ギネアはそろそろこの話にうんざりとしていた。罵倒されなかっただけマシではあるが、いい加減感謝はいらないと思っていた。こんなことを聞く暇があったら、お金をもっとどこからか借りられないか考えないといけいから、とっとと終わってくれと思すらっていた。
しかし、この言葉で全てが一変する。
「……だから、私の最大限の贖罪と、少しのお礼として……スクルビア家の財産をジェアル家に譲渡したいのです」
「……え?」
死角から攻撃を受けたように、最初は何を言われたか分からなかった。スクルビア家の財産をジェアル家に?
「そのような心配そうな顔をしなくとも、面倒くさい書類の手続きは全て私がやっておきました。後はギネア様がここにサインをするだけです」
そういう問題では無かった。あれ程悩んで悩んでいたお金のことがこんなにあっさりと片付いたことに、しばらく呆けていた。カルレイも驚いて目を見張っており、ミルは少し体が震えていた。
「……それは本当ですか?」
やっと捻り出したといった様子でミルはライラスに声をかけた
「ええ、本当でございますよ、ミル様。面倒くさい書類は全部私が手続きをしておきました」
だから、そういう問題では無い、という気持ちはグッと抑えて、ミルは言葉を続けた。
「あんなに……ウェルリンテさんに酷い仕打ちをしたのに?」
ギネアもカルレイも一瞬体を震わせる。折角いい雰囲気だというのに、何を言っているんだ、と自分の娘を心の中で罵る。しかし、ライラスはさも不思議そうな顔をした。
「どうしてですか?ウェルリンテ様は、ミル様のことをとても素晴らしい方だと仰っていましたよ?それにそんなことは関係なくて、私達は家族ではないですか。困った時には助けるのは当然です」
ミルはその言葉を聞き終わるか聞き終わらないかの内に、嗚咽を上げて泣き崩れた。死の宣告から急に助かったことへの喜びか。今まで信頼していた3人から突き放されて冷え切った心を温めた優しさか。さんざん酷い仕打ちをしたてきた相手の嘘が、自分を救ってくれたという事実に対する贖罪か。はたまた、全てか
「私はしばらく人事部で働いた後、ウェルリンテ様を狙ったというその暗殺者集団と、依頼した人を探しに行きます。長い旅になるでしょう。そういう意味でも、私にとってこの財産は不要なのです。どうぞ遠慮なく受け取って下さい」
渡された書類を見ると、確かにスクルビア家の財産をジェアル家に譲渡するというものであった。渡されたペンを持って、名前を記す。
「では、私はこれで。やらなければならないこともありますので」
そう言って、馬車に乗って帰るのを見送り終わるまで呆けていた。まるで嵐のようであったと。
「良かったわ」
カルレイがそう呟いたことで、ギネアはようやく実感が持てたような気がした。
「ああ、これで違法ドラッグも横領もバレない」
「私も、もっと宝石を買えるし、ピンクフォックスのことで人前で恥をかかなくて済むわ」
今度こそ全てが解決した。まるで、全てが光輝いているかのように見える。こうも、人生が思い通りになるとは。
「良かったですね。これで、ミルと婚約を結べます」
カイルスが何も無かったかのように爽やかな笑顔を見せる。ミルの顔と体型がタイプで身体だけが目的のカイルスにとって、ミルは側室にしたいだけの存在だった。金がかかるのなら切り捨てるぐらいの存在。勿論、永遠の愛などは嘘。自分から離れないような杭なだけである
「そうですね、早速取り掛かりましょう」
王室と縁を持ちたいジェアル家にとっても婚約はしたい。さっきの仕打ちで受けた娘の心の傷など考えるに値しないものなのである。
再び、あの時のような勝利への確信を胸に、笑いあった。
後二話です