第二話
ミルはソワソワと落ち着かない感じで、部屋の中央の丸テーブルに2つある席の内の1つに座っている。この部屋に置かれてある趣のある調度品や、うっすらと匂う薔薇の香りがなんとも言えない上品さを醸し出していた。王宮内にある来客用の部屋の1つであるから、当たり前と言えば当たり前。
「やあ、ミル。お待たせ。遅かったかい?」
扉のノック後に入って来たのは男性。この国で正当な王家である証とも言える黒髪に、彼の母親譲りのルビー色の瞳。容姿の美しさで度々貴族令嬢達の噂に上がる、第一王子ことカイルス・ラン・ルイト。
「そ、そんな。待ってなんかいませんよ、殿下。私も今来た所です」
「そうか、それなら良かった」
付き合い始めて日が浅い恋人のような初々しい会話が広げられる。カイルスは人払いを指示してからもう1つの席に座った。席についたと同時に、ミルの方が先に話しかける。
「ついに、ついに……ですね。ついに、私と殿下が……」
「ミル。俺のことはカイルスでいい。もう少ししたら正式に妻となるんだから」
「は……はい」
ミルはいかにも感動の絶頂といった感じで、胸を抑えながら身悶えしている。その間カイルスは持ってきたボトルを開けた。この国ではお祝いする時に、まずお酒だけ飲んで祝う日を作ることが習慣。
2つのグラスに赤ワインを注ぐ。それに対して、ミルは少し不思議に思った。赤ワインとは血を連想するので祝いの場ではあまり飲まれず、普通は白ワインなので無いか、と。
「カイルス様。我々の婚約祝いですね。ですが、その……何故赤ワインなのでしょうか?もしも白ワインが無かったのでしたら、我が家から……」
「ああ、それは今日は婚約の方の祝い日じゃ無いから。それはまた後日、正式に婚約を交わされた時に祝おう。その時には格別の白ワインを持ってくる」
「では、今日は一体何を祝うのですか?」
丁度二人分の赤ワインを入れ終わったカイルス。ミルを見て爽やかな笑みを浮かべた。
「勿論、あの女が死んだこと」
あの女。この場で指す人物は1人しかいない。カイルスの元婚約者のウェルリンテ・スクルビア。ウェルリンテと婚約していた時からカイルスとミルは度々逢瀬を重ねており、つくづく邪魔な存在だと2人で言い合っていた。
「本当に、あの女は全く可愛げが無かった。傲慢でそれにいつも威張り散らかして。つい一週間前に『そんなことじゃ、未来の国王は務まりませんよ』って俺のことを見下しやがって……」
「ええ、ええ。分かります。ちょっと自分のご褒美にドレスを買ったら『そんなものの為に貴方の家にお金を貸しているわけじゃありません』と言われて。そんなのだから、誰からも愛想をつかれ、恨まれ、結局は寂しく1人で野垂れ死ぬのです。あんなのが私の従姉だったとは恥ずかしいです」
「フッ、確か原型を留めて無かったそうだな。良かったじゃないか、あんな汚らしい顔を最期にさらされること無く死ねて」
「そうです。天罰を下した神様の最後の慈悲だったのでしょうね」
そこまでアルコール度数の高いものでは無かったが、会話はヒートアップしていく。ようやく1本飲み終えた頃には、深夜になっておりミルはそのまま王宮内の一室に泊まった。
翌朝、王宮からミルとカイルスは学園に一緒に登校する。その頃にはウェルリンテの訃報は知れ渡っており、さらに一緒に登校してきた2人の姿を見て噂はそのこと一色となる。
「ミル様、おめでとうございます。ようやく、ずっと仰っていた殿下との婚約が果たせそうですね」
何時もの取り巻きの1人がミルによってきた。
「もう、まだ決まって無いでしょ。それよりもウェルリンテさんが死んじゃったのよ。そっちの方が悲しいわ」
他の取り巻き達も集まってくる。ウェルリンテのことを話題に出す者もいたが、殆どはカイルスとの関係について。
「ミル様はいつも殿下のことをお慕いしておりましたものね」
「そんな。私ごときが畏れ多い。ウェルリンテさんがいましたもの。ただ、私は少しでも殿下のお支えになればとお側にいただけたです」
「でも、やはりカイルス様の次の婚約者はミル様に違いありませんわ。今朝もご一緒に登校なされましたし」
「あれは唐突に婚約者を亡くして落ち込んでいた殿下の気持ちを励ましに行っていただけです」
そんなやり取りをしている内に、後ろに5人程、人が集まっているのに気がついた。時折ミルの方を向いてヒソヒソと話している。恐らく、ミルに関することだろう。取り巻きの1人が注意しようとする。それをミルは止め、代わりにハンカチを取り出した。
「グスッ……グス」
突如として教室に響き渡る泣く寸前の声。教室の視線は一度にそこへ集まる。勿論、ミルの方を見て何か話していた5人も含めて。
「グスッ……酷いです。これでも私は、頑張って泣くのを堪えて我慢していたのに、そんな……そんな『どうせ、ウェルリンテさんが死んで清々しているんでしょ。カイルス様との婚約を満更でも無いって顔してるわよ』なんて言うんですか……」
声の主は、ミル。一瞬で泣き声を出しハンカチを目に当てている。言われているのは先程の5人。
「ミ、ミル様。私達は決してそんなことを申しておりません。こちらでカイルス様とミル様の素晴らしさについて語っていただけで……」
「そんなこと無いわ!だって、一言一句そう聞いたもの」
「ですから、そのようなことは……」
「私は聞きました」
取り巻きの1人が手を挙げた。すると「私も」、「俺も」と次々に手を挙げていく。5人の顔は若干青ざめていた。
「何の騒ぎだ?」
コツコツと靴を鳴らし入ってくる。騒ぎを聞いた生徒の1人がカイルスを呼んだのだった。カイルスは教室を見回した後、泣いているミルの方へ向かった。
「どうした?」
「私が……ウェルリンテさんの死を望んでいた、と言われて」
「それは本当なのか?」
それに対して、5人の中のリーダー格の人が前に出てすかさず否定する。
「いえ、決してそのようなことは申しておりません」
「そうか。誰か聞いた者はいるのか?」
今度は誰も手を挙げなかった。流石に、王族の前で嘘をつく度胸のある者はいなかった。これを見て、5人の顔は明るくなる。なんて、公明正大な方だろう、と。
「誰も聞いた者はいないと言っているが、それでも聞いたと言うのか?」
カイルスが再度ミルに問いかける。ミルは俯きながら、細々とした声で言った。
「……はい」
それを聞いたカイルスは幼子を慰めるようにミルの頭を撫でる。そして、唐突に
「ミルがこう言うのだから本当なのだろう。俺の前で嘘をついたこと自体腹立たしいが、それはまあ、いい。それよりも言って良いことと悪いことがあるだろ。誰かが人の死を願っているなど考えただけでもおぞましい。そんなことを嘘でも言う奴がこの学園に来る資格は無い。よって、そこの5人は退学だ」
「……え?」
本当に、唐突だった。今の流れでは自分達は救われる筈だったのに、と5人も呆気にとらわれている。
「ちょ、え?……ちょっと待って下さい、殿下。私達はそのようなことは一切……」
「俺は次の授業があるから。また後で」
「はい、また放課後に」
5人など端からいないものと扱うミルとカイルス。カイルスが出ていった後も、沈黙は支配していた。慌ててやって来た先生が5人を連れてどこかへ行く。その影響で次の授業は自習となった。
「ほんとうに、酷い人達でした」
誰もがどう声を上げてよいか分からず、しんと静まり返っていた教室。沈黙を破ったのはミルだった
「ほんとうにですわ」
「そうよ、そうよ。人の死を願うなんて考えるだけでもおぞましい」
次いで取り巻き達も声を上げる
(上手く行ったわね)
ミルは内心ほくそ笑む。カイルスも含め、今まで何人もの男を堕としてきた泣きまね。あの5人があんなことを言っていたかは知らない。もしかしたら言っていたかもしれないし、言ってなかったかもしれない。ただ、そんなことはどうでも良かった。
この教室に2、3人いる怯えた表情の人達。全員、スクルビア派の家であった者達である。そもそもスクルビア家の分家は賛成派と反対派で分かれていた。反対派の一番手は前当主の兄弟であり、ミルの家であるジェアル家。勢力的には賛成派の方が大きかったのだが、ウェルリンテが死んだことにより今や反対派の方が大きい。
そこで、さっきのような行動をとるとどうなるか?誰もが本当はあの5人があのようなことを言っていたかどうかなど分からないというのは知っている。つまり、ミルが気に入らないという理由だけで退学処分にできるということを示しているのだ。元々の賛成派の者は蛇に睨まれた蛙のようになるわけである。
「皆さんはそんな人達では無いと信じていますから」
教室の中の数人の人達の体が震えたということは、言うまでも無かった。