サニタイズ-sanitize- 薙人と和真の話。
「アストラリーストと柊の環」からのスピンオフ話で、時系列は最終話の少し前辺りです。
今回は五十嵐薙人と柊和真のお話。
本編よりも読みやすくライトな感じを心がけましたが、それでも読みづらかったらスミマセン。
「美味しいね~♪」
薙人がボトルを空ける勢いでウイスキーのロックをお代わりし続けていた。
もう何杯目だろうか。
和真は11杯目から、チェックを付けるのを止めた。
『明日は非番だからいっぱい飲むよ~』と来店時に宣言していたので、薙人の酒量上限に個人的興味を持っていた和真は、求められるがままに飲ませていたのだった。
「いつものウイスキーですよ。なんの変哲もない」
小さいため息とともに、苦笑する。
「和真の顔を見ながら飲むと、お酒進んじゃうんだよねぇ~」
そう言って、嬉しそうに「えへ、えへ」と笑う。だいぶ出来上がった酔っ払いである。
ここのところ仕事に忙殺されていたという薙人がやっと非番とあって、久々一緒にのんびりしようと、アストラリーストも明日は店休日にしていた。
最近は仕事帰りの薙人が一緒に寝るためだけに寄る日も増え、先日ベッドをセミダブルふたつに新調したばかりである。
おかげで和真の部屋はベッドだけでいっぱいになってしまい、以前涼真が使っていた部屋へ荷物を移動し、自分の部屋として使う有様となっていた。
「そういえば…最近、素直くんはどうですか?」
ミネラルウォーターを満たしたピッチャーを薙人の前に置きながら、和真は訊いた。
「んー、全然連絡ないね~。素直くんはもう涼真くんにべったりでしょー」
「まぁ、そうでしょうね」
言葉の端にホッとした空気を漂わせた和真を、薙人は見逃さなかった。
「……なに?もしかしてヤキモチ?」ニヤニヤする。
「うー……まぁ、全然妬かないって言ったら、嘘になりますけど…」
「和真、ヤキモチ妬いてくれるんだ!」
酒以外の燃料が投入された薙人はグラスを握りしめたまま、「くーーーーっ!」と叫んだ。
「そ、そりゃあ…素直くんは俺と真逆の、かわいい系じゃないですか。一時期は薙人さんにべったりでしたし、ふたりは付き合ってるのかなって思ってた時もありますし…」
その時、来店客を知らせるドアチャイムが涼しげな音を奏でた。
「お疲れー、カズ。軽くメシ食いたいんだけど、今、大丈夫?」
以前一度見かけた、やたら和真と親しげな一人客だった。
「あ、アキ、お疲れ。うん、大丈夫、どうぞ」
和真がカウンター奥側の席へ座るよう手で合図する。
アキと呼ばれた一人客は、背後を通り過ぎるタイミングでチラリと薙人を見て目礼し、席へとかけた。
ふんわりとしたゆるめのスパイラルパーマヘアに丸眼鏡、シンプルなニットと細身のパンツ姿だがラフすぎることもなく、自分より多分10歳ほど年下辺りの、いわゆる今時の背格好の青年だな…と、薙人は前回観察出来なかった分まで今回は盗み見しながら分析する。
〈前回より、少しは私も冷静になってきているかな。以前はまだ恋人と確定していなかった頃だったし…。でも今はもう、和真は私の恋人だからね〉
そう薙人が思ったのもつかの間ーー
和真から温かいおしぼりを受け取りながら、中断していた話の続きを再開したかのように淀みなく会話を始めるふたりに、光の速さでショックを受けてしまった。
〈私と和真は、いつもあんなに自然でスムーズな会話をしていただろうか……。〉
反対側の一番端の席に座っている薙人の位置からでは、ふたりが何を話しているのか微妙に聞き取れない。それもまた、薙人の嫉妬の炎にとめどなく燃料を投下していく。
先ほど和真が自分の前に置いてくれていた、ピッチャーのミネラルウォーターを飲み尽くす頃、アラビアータと赤のグラスワインの食事を終えた一人客は腕時計をチラと見た。
「今日はそろそろ帰らないと。明日、朝イチから新規のお客さんと打ち合わせでさ」
「そうなんだ。まぁ、忙しいのは良いことだよ」
「うーん、本当はもう少し、ここの売り上げに貢献したいところなんだけどさ。また今度、ゆっくり来るよ」
そう言って立ち上がったタイミングで、直接対決することに決めた薙人も立ち上がる。
「先日もお会いしましたね。良かったら、お名刺いただいてもよろしいですか?」
バチバチした空気の中、名刺交換が行われた。
その様子を、和真は引きつった顔で見守っている。
「警察の方…あー、巡回の方ですね。ベルおじさん…カズのお父さんに聞いたことがあります。飲食店を警戒巡回する部署の方がいらっしゃるとか。ああ、自己紹介が遅れました。下の階の片瀬税理士事務所の息子で、カズと幼馴染の、片瀬秋成と申します。父と同じく税理士をやっております」
「あ、ああ…そうなんですね…」
最初の勢いはどこへやら、薙人はそう返事するだけで精一杯になってしまった。
幼馴染という最強のステータスにプラス税理士という肩書き、自分だって刑事という肩書きがあるというのに、薙人はプライド的に勝てそうなものが見当たらないでいた。
「カズとは親同士が仲良しだった縁で、幼稚園の頃からの幼馴染です。お母さんの美和さんが亡くなった時は、しばらくカズはうちに預けられていたんですよ。毎日一緒に登下校して、メシ食って風呂入って一緒に寝た仲ですし」
片瀬の昔話が、薙人には自慢話にしか聞こえない。
ここで、『私は和真の恋人です』と言ってしまえば、自分の気持ちは収まるだろう。
でも、和真の立場は…?
〈私は和真と恋人関係のはずなのに……〉
ふたりの間では当たり前のことが、一般的ではないこと……それを今さらながら思い知る。
初めて、普通に恋人だと名乗れない洗礼を食らった薙人は、爆発させてしまいたい想いを今は奥歯を噛みしめながら堪えるしか、選択肢が無かった。
「和真ぁ~!なんでっ……私は和真の恋人だよねぇっ?」
「大丈夫、ちゃんと恋人です。さっきSNSで早じまいのお知らせを流しましたから、今日はもう閉店にします。あとは自宅の方で飲み直しましょう、付き合いますから」
秋成が帰ったあと、特に来店客も来ないようだしと、早めに店を閉めて薙人に付き合うことにした和真だったが、薙人の方はというと、敗北のショックでへそを曲げ続けている。
「やだ。店の片付けが終わるまでここで和真のこと、待つ。さっきの奴が戻ってきたりするかもしれないじゃん」
「いやいや、それは無いですよ。まぁ、片付けはしなきゃいけないので、待たせることにはなるんですが」
「なんで戻ってこないって言い切れるの?しれっと戻ってくるかもしれないじゃん。ダメダメ、ここで飲みながら和真を監視する!」
「……分かりましたよ。薙人さんて、意外と頑固なんですね」
苦笑しながら、薄い水割りを渡す。
薙人は受け取るとビールでも飲むように一気にグラスを開け、カウンターへ強めに置いた。
「そんなのっっ!和真のこと大好きで、愛してて、恋人なんだから、頑固にもなるでしょ!」
「俺は薙人さんのこと、裏切ったりしませんよ。それよりほら、すでにたくさん飲んでるんですから、一気とかしちゃダメですって」
「もう一杯だけ!今度は大人しく飲んで待ってるから!」
「もう一杯だけですよ?あとは自宅の方ですぐ寝られるようにして、一緒に飲みましょう」
「うん」
素直に頷いたものの、薙人の動作は酔っ払い特有の怪しい動きになってきている。
今日はお客が少ない曜日で良かったーー
和真はそう思いながら、先ほどよりさらに薄く作った水割りを薙人の前に置いたあと、急いで片付けを終わらせるべく、シャツの袖を強めに捲り上げ、気合いを入れた。
店の片付けを終え、施錠も確認した和真は、あとは店内の消灯だけになったタイミングで薙人の様子を見に行くと、案の定カウンターへ突っ伏して眠っていた。
この様子では、今日はもう一緒に飲むことはないだろう。
揺り起こすと、元は和真の部屋、今はベッドルームへと、ふらつく薙人を支えて連れて行き、寝かせた。
店に戻り、薙人が使っていたグラスを洗い、拭き上げ、カウンターも簡単に拭くと、もう一度火元と施錠の確認をした。その日激しく汚したりこぼしたりした客がいなかった日の客席清掃は軽めに済ませ、翌営業日の開店準備でしっかりやることにしているので、閉店作業は主に厨房の清掃と消毒を中心にしていた。
明日は店休日なのでメニューの仕込みも特にない。
今日もお疲れさまでした、と軽くつぶやいて、和真は店の電気を消した。
********
翌日の昼頃目を覚ました薙人は、隣のベッドにいない和真の姿を探し、目を擦りながらベッドルームを出た。
すぐにキッチンから漂ってくる生姜焼きの良い香りで、薙人の頭と食欲が目覚める。
ちょうどガスの火を止めた和真が薙人に気づき、「おはようございます」と笑顔を向けた。
薙人はまだ少し酒の残る足取りでふらふらと和真に近寄っていくと、「朝ご飯じゃなく、和真が食べたい。」背後から抱きしめて、耳元で囁いた。
「え、えっと……いや、もうご飯できますよ…」
「和真が食べたい。」
紅くなった和真の耳を何度も甘噛みしながら囁く。
「っ……!な…ぎとさん…俺がっ……耳が弱点だって、知ってる、でしょう……?」
「知ってるよ。…あいつが知らない、和真のこと。私しか知らない、和真の弱点…」
「また…まだアキにこだわってたんですか?」
「昨日私は、滅茶苦茶に嫉妬していたんだよ?」
「それは…分かってましたけど…」
「恋人ならフォローしてくれると思ったのに、和真全然してくれないし。それどころか仲良く話し続けてたし。自信無くすよなぁ」
「あ、あれはっ……あんな時どうしていいのか、分からなくて…。幼馴染といっても、一応お客として扱ってますし…」
「……本当に?本当にそれ以上の感情は無い?」
「誓って無いです。幼馴染以外でなら、うちの税金関係を頼んでるだけですよ?」
「いや…多分向こうはそうじゃないと思うよ?」
「え…そう、ですか…?全然分からなかったですけど…。どこら辺でそう思ったんですか?」
「和真に気があるから、私に見せつけるようにわざと昔話をしたんだろう?初めて店で会った時から気に入らなかったんだ。和真のことなら何でも知ってる、みたいな態度が」
「うーん、そうですかねぇ…。自己紹介の延長って感じで、わざとではなかったような…」
「あの手の男は、和真に気取られるようなヘマはしないよ。ああもう…あの場で恋人だって宣言してしまいたかった…。でも和真の立場を考えたら、私から言うのは憚られたし…」
「う、確かに…反応は怖いですね…。言いふらすような性格ではないと思いますが…」
「和真、本当に私でいいんだよね?あの男に目移りするとか、そんなことは…」
「しません」
「でも、こんな嫉妬まみれでみっともない私なんて、嫌われるのも時間の問題だよな…」
和真の肩にもたれるように頭を乗せた薙人は自己嫌悪の深いため息を吐いた。
「嫌いになんて、ならないです。薙人さんは俺のことを想ってくれているからこそ、そこまで嫉妬するのでしょう?それが分かるから、俺から嫌いになんて、ならないですよ」
「和真ぁ~…!」
抱きしめる腕に力を込めたのと同時に、薙人の空腹が鳴いた。
「あはは……ご飯、食べましょう。冷めないうちに」
「…ごめん。思ってたより空腹だったみたいだ。私も何か手伝うよ」
********
「さて、洗濯してから寝るか………ん?……あれ…?」
翌日の朝、結局もう1泊していった薙人がアストロビルから出勤していくのを見送った和真は、洗濯の乾燥コースまでセットして寝直そうと、いつものように洗濯機の電源ボタンを押すが、何度やっても電源が入らない。
「コンセントは刺さってるし、ブレーカーが落ちてる様子もないし……ということは、寿命か」
よく考えれば15年近く使っている洗濯機だ。
仕方ない。寝直しは諦め、あとで軽く仮眠することにして、買い換えのため和真は家電量販店へ出かけることにした。
エレベーターで1階に降りたところで、2階から階段で降りてきたスーツ姿の秋成とばったり会う。
「あれっ、カズ。こんな時間にどうした?いつもならまだ寝てる時間だろ?」
「うん、ちょっと家電量販店まで行くところ。洗濯機が寿命っぽくて。古いし買い換えるかーと思ってな」
「なら、オレの車に乗っていけよ。ちょうど今から行く客先がちょっと遠くてさ、車で行くところだったから、乗せてってやるよ」
「助かる。どこの店に行こうかって、悩んでたところだったんだ」
アストロビル前にある、3台分の駐車スペースの一番端の白い車に、ふたりは乗り込んだ。
「なんなら買い物付き合って、最寄り駅まで送って行くよ」
「ありがたいけど、仕事の時間、大丈夫なのか?」
「そこの客先、毎回待たされるんだよー。ちょっと早いけど下道でのんびり行くかと思ってたんだけどさ、カズの買い物付き合って高速使って行くくらいで、ちょうどいい時間になりそうだなと思って」
「そっか、それなら頼もうかな」
「おっけー」
「ネットで買ってもいいんだけど、やっぱり実物見て買った方が納得できそうで」
「分かる。サイズとか数字で見るより、店で見た方が分かりやすいもんな」
「そう。届いてから大きすぎたとか違和感あるまま使うの、ちょっとな」
「だよなー。結局それって気に入ってないってことだしさ」
「うん。安い買い物じゃないから、家電は特に。やっぱり気に入ったもの買いたいし」
同級生の話などをしながら車を10分ほど走らせ、ふたりは郊外のバイパス沿いにある有名な家電量販店へ入った。
和真はさほど迷った様子もなく、今の洗濯機より2kgほど大きめの乾燥機能付き洗濯機を購入し、配達の手続きを済ませた。
「今もう涼真くんも出ていっちゃって、ひとりなんだろ?あんなデカいサイズじゃなくても良くない?」
車に戻りながら、秋成が不思議そうに訊く。
「あ、あー……あいつ、急に戻ってくるかもしれんし…こまめに洗濯するタイプじゃないから、大きめの洗濯機の方が後々いいかなと思って」
咄嗟に和真はちょっと苦しい言い訳をした。
本当のところは、薙人が頻繁に泊まるようになって、リネン系の洗濯物が増えたからなのだが、さすがにそれはそのまま言えない。
相手が幼馴染だからというのもあるが、薙人の言う『あいつは和真に気がある』という言葉を、何となく思い出したからだった。
********
翌日午前中に配送してもらえるということで、朝からそわそわして待っていた和真は業者から電話を受けるとエレベーターを5階まで動くように解錠し、新しい洗濯機をセッティングしてもらう。
きれい好きな和真は洗濯物を何日にもわたって持ち越すことは避けたいと思っていたが、無事翌日には洗濯が再開できてホッとしていた。
「おー、洗濯機届いた~?さっき下で古い洗濯機持った配送業者とすれ違ったからさ」
洗濯機を初始動してしばらくした頃、秋成が自宅へと顔を出した。
「うん、早速使ってみた。もうすぐ乾燥に入るところ。やっぱり昔より機能が増えてるな」
「気に入ったのがあって良かったな」
「乗せていってもらえて助かったよ。すぐ届いて、洗濯できたし。ありがとう」
「どーいたしまして~」
その時、和真の手の中のスマホが鳴り出す。画面を見ると薙人だった。
秋成の手前、一瞬電話に出るか迷ったが、出ないのも不自然なので、とりあえず出てみる。
「もしも…し…」
「和真、今から部屋に行ってもいいよね?というか、もう部屋の前だから。入るよ」
言いたいことだけを言うと、和真の返事も待たずに電話を切った。
ほどなくして合鍵を使って入ってきた薙人は、和真の隣にいた秋成の姿を見るなり、すっと表情を無くした。
「平日の昼間に、なぜあなたがここにいるんです?お仕事じゃないんですか?」
予想外の人物の登場に、秋成は一瞬ひるんだ。
「なんで…って……それより、あなたこそ、なぜ昼間からカズの部屋へ?巡回のお仕事は夜からではないのですか?しかもどうやってカズの部屋に入ったんですか」
ふたりとも、口調こそ冷静だが、視線と言葉で殴り合っている。
「……数日前、裏切らないって言ってたばかりだよね、和真。がっかりした」
和真の方へ、低い声で言うと、踵を返して薙人は部屋を出て行く。
「待ってください!薙人さん!……薙人さん!!」
和真がその後ろ姿を追いかけて、転げるように部屋を出て行く。
何が起きているのか見当も付かず放心していた秋成だったが、我に返るとふたりを追いかけた。
「見たんだよ、昨日。たまたま徒歩で実地調査していたんだ。横断歩道で信号待ちしていたら、目の前を通り過ぎるあの男の車の助手席で、楽しそうに話してる和真を…!」
「違うんです!あれは…!」
開いたエレベーターへ乗ろうとしている薙人の前に立ちはだかり、スーツの袖を掴んだ和真の、その手を薙人は乱暴に振り払った。
「いいよもう。やっぱり和真は、私より幼馴染の方がいいんだね。よく分かった」
「違っ……!聞いてください!あれは薙人さんが出勤したあと、洗濯しようとしたら洗濯機が壊れていたので、家電量販店まで乗せていってもらった、ただそれだけです!」
「…そんなの!私に連絡してくれれば、何を置いてもすぐに駆けつけたのに!結局私は、和真にとって頼りがいのない、何かあった時に真っ先に連絡する相手として思い浮かばない、そんな存在ってことだろう?!」
「違いますって!ビルを出たところでたまたま会っただけで!わざわざ連絡して乗せていってもらった訳じゃないんですって!」
「そんな偶然あるかい?……もう和真のこと、信じられなくなった。帰るよ」
「薙人さん!嫌です!!」
再度開いたエレベーターのドア前で、和真は薙人のネクタイをぐいと掴んで自分の方へ引き戻した。
少し背伸びをして、引き寄せた薙人にキスをする。
驚いて棒立ちになった薙人に身体を預けると、改めて両手でスーツの袖を強く握りしめた。
「嫌です…帰らないで……帰らないでください、お願いですから……そんな気持ちのまま、薙人さんを帰らせたくないです…」
懇願するように言って、その胸へ頬をすり寄せた。
今まで、和真から甘えたり、ましてやキスをしてくることなど一度もなかった。
薙人は驚きと、和真から初めてされたキスで一気に高ぶってしまった衝動を抑えきれず、そのまま強く和真を抱きしめた。
ふたりの一部始終を目撃してしまった秋成はアワアワと、言葉が出ないまま立ち尽くす。
ただ驚愕の表情でふたりを見ていた。
「アキ、この人は俺の恋人なんだ。俺が一目惚れした、唯一の人。」
秋成の視線に気づいた和真が、薙人の腕に抱かれたまま微笑み、言った。
そしてその微笑みを、紅くした頬とともに、薙人へと向けた。
「ひ、一目惚れ…?和真、そんなこと、今まで一言も…」
まさか和真から秋成へカミングアウトすると思っていなかった薙人は、嬉しさより大丈夫なのかという焦り顔で和真を見返す。
「言わないですよ。というか、一生言わないつもりだったんです、一目惚れのこと、本当は。でもこんなごちゃごちゃしたことになってしまったから、けじめというか…ちゃんと話そうと思って」
ふたりの世界に入りかけている和真を、焦れた声の秋成が、自分の方へと引き戻した。
「なぁカズ、こいつは確かにイケメンだとは思うけどよ。何で男なんだよ。男でいいなら、オレでいいじゃん。幼馴染で気心知れてるんだし、何でも知ってるからケンカもしないし」
「なんていうか…アキは、気がついたら一緒にいた、家族みたいな存在で……」
「家族みたいってなら、オレだって同じだよ。カズのこと、ずっと守ってやろうと思ってた。なぁ、オレの側にずっといたらいいじゃん。何でオレじゃダメなんだよ」
「アキは近すぎたんだと思う。…というよりも、好き嫌いの感覚がそもそも無かったし…恋人の距離感に、今さらなれないよ」
「じゃ、じゃあ…こいつのどこが良くて好きになったんだよ。理由に納得したら、諦めてやる」
なおも食い下がる秋成へ、これはきちんと説明しないと納得してもらえなさそうだ…そう思った和真は、薙人の腕から離れ、秋成へ向き直る。
「諦めてやる、って言い方…アキらしいな。……そうだね、薙人さんは、初対面の俺に素の笑顔を見せてくれたから、好きになったんだ」
「そんなの…!オレだっていっつも……!」
「ごめんアキ、最後まで聞いてほしい。俺は接客業長いから、営業用の愛想笑いか素かはすぐ分かる。ああ、アキの笑顔が作り物ってことではないよ。そういうことではないんだ」
何か言いたげな表情になった秋成を手で制して、和真は続けた。
「薙人さんの笑顔は、親父と母さんが俺に向けてくれてた、親が子を慈しむような、なんの見返りも存在しない、そんな空気感に似ていて……初対面なのにすごく懐かしくて、それまでずっと強ばって閉じてた心を緩めてくれたんだ。でも…一目惚れしたなんて言われても迷惑だろうからと諦めようとしてた時に、薙人さんから好きだって言われて…すごく嬉しいはずが、急に怖じ気づいた。今まで大切だと思っていた人はみんな俺を置いていなくなってしまうから、そのうち薙人さんも…って思ったんだ。だけど、返事を迷う俺に、必死になって気持ちを伝え続けてくれる薙人さんを見ているうち、失うことの恐怖よりも、自分の未来に賭けてみようって気持ちになった。だから、恋人になることを選んだんだ」
「……初めてだな。」
「…?」
「カズが自分の思ってること、そんなにはっきりとオレに話したのは。」
「そうだったかな…」
「そうだよ。子どもの頃からカズはずっと、オレの後ろで喋らないキャラだったろ?」
「それは…俺がハーフだからって弄ってくる奴が面倒で黙ってたら、そのうち自分の気持ちや思ったことを口に出すのが面倒になっただけで、意思が無かった訳じゃないんだ。…それに、今は薙人さんが、自分でも知らなかった俺を引っ張り出してくれるから…もっと、思ったことを軽率に言ってもいいんだな、って、昔より気楽に話せるようになったのもあって…」
「確かに…最近のカズは口数も増えたし、よく笑うようになったよな。いつも黙ってオレの話を聞いてくれるカズが本当のカズだって思い込みが邪魔して、変わっていくカズに気づかなかった……いや、気づきたくなかったのかもしれないのか。結局オレはカズに一番近いところで、カズのこと何ひとつ理解できてなかったってことなんだな。………あ~あ、独りよがりだったオレの負けかぁ~」
頭をガリガリと悔しそうに掻きむしったあと、薙人へ視線を向けた。
「ちょっとでもカズを裏切ったり傷つけたりでもしてみろ、オレは一生お前を許さないからな。刑事だろうとなんだろうと!」
秋成は鋭く睨みつけた。
だが優勢になった薙人は今度こそ、その目に力を込め、言い放つ。
「そちらこそ、この先『私の和真』に指一本触れてみろ、一生許さない。」
薙人の言葉に、和真が赤面し俯く。
その横顔は、照れ笑いでふんわりと微笑んでいた。
「…カズのそんな表情、見たくなかった…」
秋成は思わず目を逸らし、歪めた口元からそれだけを、細く糸を吐き出すよう苦しげにつぶやいた。
力なく和真へ片手を上げると、『帰るわ』の合図をして見せる。
精一杯の虚勢だった。
薙人が呼んでいたエレベーターに乗り込むと、うなだれたまま閉のボタンを押す。
エレベーターで1階へ降り、諦めきれない表情で外から3階の店の窓を見上げた。
「…追いかけてくる…わけ、ないか。…ないよな。」
もう自分の知っている和真では無いのだ。
もう自分の後ろに隠れて、自己主張しないあの和真ではないのだ。
途端にこみ上げてくる寂しさに呑まれそうになり、昨日ふたりで乗ったばかりの車へと駆け寄りながら解錠し、なだれ込むように乗り込みすぐにハンドルへ突っ伏した。
嗚咽と涙にまかせた身体は震え、息苦しさに時々咳き込む。
和真との積年の思い出が、永久にとけないはずだった雪が、雪崩を起こし、涙となって絶え間なく、ほどけていく。
自分はこんなにも和真に心を持って行かれていたのかと思い知ったところで、全ては手後れなのだ。
和真は自分のものだと、当たり前のように思い込んでいたさっきまでの己を呪うしかない無力さに、気づけば秋成は涙を流しながら声を上げて笑っていた。
********
「和真のこと、何か愛称で呼びたいな」
仲直りの行為のあと、うつ伏せで寝ていた和真の背中に指を這わせながら、薙人が言う。
「ふたりが愛称で呼び合ってるの、すごくうらやましかったんだよ」
「うーん…俺の名前は、あんまり弄りようがないので…」
「カズ、でもいいけど」
「さすがにそれは何かイヤなので、もし呼ぶなら別なのにしてください…」
なんとも言えない微妙な顔で即答して、和真は薙人の脇腹をスッと指でなぞった。
「ふ…っ!くすぐった…っ!……いや、だって、カズしかないでしょ?」
「ダメです。俺はこのまま、和真って呼ばれたいんです。その……『和真』って呼ぶ、薙人さんの声が…好き、なので……」
「ぐぐ…っ…そう言われてしまうと……。じゃあ私のことを、ナギさんって呼んでくれる?」
「……それなら、まぁ…」
「じゃあ早速呼んで?……ほら、ほら」
「え、えっと、じゃあ…。……ナ……ナギ…さん…」
「いい!なにかこう、今までより2歩も3歩も距離が近づいた、みたいな!」
「…そう、ですか…?」
「うん!これからずっと、和真にナギさんって呼ばれたい。ずっと、ずっと」
「分かりました…善処します…」
「え~、善処じゃダメー」
言いながら、ふたりとも堪えきれずに笑いだした。
「前から思ってたんだけど…和真の部屋って、いつ泊まっても清潔で落ち着くー。自分の部屋よりも落ち着くよ。お店もそうだけど、整理整頓がすごくされてて、居心地良い~」
抱きしめていた枕に頬ずりしながら、ホテル並のパリッとしたリネンで整えられているベッドの背もたれに寄りかかっていた薙人は、心底気持ち良さそうにため息を吐いた。
「ああ、ベッドは特にパリッとしてないと、俺が気持ち悪いんです。気に入ってもらえてるなら良かった。親父がすごく整理整頓好きで、多分それを受け継いでるんでしょうね。散らかってると落ち着かないを通り越して、イライラしてきますし」
「きれい好きな和真が恋人になってくれて、私は本当に幸せだよ」
「…でも、ご両親には、言えないですよね……。女性との結婚を望まれてるんでしょうから」
曇らせた顔をそっと逸らした和真に、薙人は自分の生い立ちを話すことにした。
「どうして私が、女性とではなく和真と恋人になりたいと思ったと思う?」
「え……どうしてですか?きれい好きだから、ですか?」
「あーまぁ、話の流れからすれば、そう思うだろうけど…それもあるけどね」
そこで和真はごそごそと起き出すと、おもむろに正座した。
「え、なに急に、正座……?」
「いや、正座して聞いた方がいい話かと思って…」
ぶっふと薙人が噴き出した。
「いやっ、そこまで深刻な話じゃない…と思うから、正座は…」
「……そんなに笑わなくても…」
「いやごめん。馬鹿にした訳じゃなく、和真のそういうところも大好きなんだよ」
「……いいですけど…」
「ムクれないで。そういうひとつひとつで、和真をどんどん好きになっていってるんだから」
和真の頬にキスをひとつして、続きを話しだす。
「うちは父親も刑事だったんだ。所属も違うし、時代も違うから、私の思う忙しさは多分父親の時代ほどじゃないと思うけどね。昔は数か月帰ってこないとかザラだったし、帰宅してもすぐ呼び出されて出ていったりとかね」
「そうなんですね」
「うん。それをいいことに、母親が全然家事しなくてね。家は散らかり放題、食事も毎食買ってきた弁当や菓子パンなんかで育った感じで。私には姉もいるんだけど、姉もだらしがないんだ。そんな状態だったから、愛想を尽かした父親はアパートを借りて、自宅を出ていってしまった。そのうち私も耐えられなくなって、頼み込んで父親のアパートから中学を卒業するまで通学させてもらったんだ。高校は寮のあるところに進学して、大学の頃にはひとり暮らししてた」
「そうだったんですか……まだ、別居されてるんですか?」
「いや、父親が定年退職したと同時に離婚した、と父親から聞いた。離婚後から今現在、母と姉がどうしているかは、正直知りたくない気持ちが先に立って、聞いていないけど」
「ご両親、ご高齢なんじゃじゃないですか?」
「父親はね。再婚だから。母親は初婚でまだ若かったんだ。あまり帰宅しない高給取りと結婚したかったから、知り合いの紹介で父親と結婚したんだーって、そんな話を悪びれもせず近所の人にしているのを子どもの頃聞いてから、女性とか、結婚に対する嫌悪感が生まれてしまってね…」
「それで……だったんですね。どこからどう見ても女性が放っておかない見た目なのに、どうして俺なんだろうって、ずっと思っていたので」
「父親は『自分が元気なうちに孫の顔でも見れたらいいんだが』って、ことあるごとに言ってくるんだ。自分は結婚に失敗したはずなのに、なぜか私にはしつこく結婚を勧めてくるのが正直解せないけど。いずれにせよ、私には到底無理な相談だ。……あー、自分語りになってしまって、申し訳ない」
それでも話したことでスッキリしたのか、ふう~と言って、ベッドに潜り込んだ。
「あの……話の流れからすると…ナギさんは女性が苦手だから、俺と付き合うことにした…ように、思ってしまったんですが…」
またもや視線を逸らし、和真は少し言いにくそうな声でボソリと言った。
驚いた薙人はベッドから跳ね起きた。和真の肩を掴みながら必死の形相で否定する。
「ち、違う違う!そういう話じゃなくて!女性が無理だっていうのはあくまで下地でしかなくて!私は和真だから、好きになったんだよ!」
「……ふふ、分かってます。ほんのちょっと、意地悪です。洗濯機を買いに行った時の話を信じてくれなかった、仕返しー、かな」
「…っ!…本当…もう……心臓に悪いから、そういう意地悪は……まぁ、そういう和真もかわいいから、いいか~」
「ナギさんて、結局そう言っていつも許しますよね」
和真が苦笑する。今度は薙人がムクれる番だった。
「でも、あの男も言ってたけど、和真は変わったよ。どんどん魅力が増してる。油断なんてしていられないな。よりいっそう、和真の周りを警戒して、悪い虫はどんどんサニタイズ(駆除)していかないと!」
「悪い虫って、なんだかナギさんの口癖みたくなってますね」
「仕方ないよ。和真がかわいいから、どうしたって虫が湧く」
「そんな…俺が腐りかけの果物みたいな言い方しないでください…」
「腐りかけが一番美味しいらしいって聞くけど」
「モノにもよります」
「じゃあ、和真はぴちぴちフレッシュな美味しい果物ってことで……もう一回、食べても、いい?」
********
8月の、和真の誕生日。
アストラリーストへ、ひまわりの花束が届いた。
差出人の名前はなく、ただ一通の短詩が添えられていた。
夜明けは君の色
目覚めたばかりの君が
見ていた夢の
記憶も どうか
幸せであるようにと
君の季節 願いを花に込め
短詩を読んだ薙人が、ブルブルと震え出す。
「……和真、これ……」
「……ええ……間違いなく、アキから、ですね…」
和真は困惑顔で相槌を打った。
「あいつーっ!和真のこと、全然諦めてないじゃないかーーーっ!!」