運命?には逆らえない
数日後、俺は一本の電話をかけた。
「えーもったいないよー。せっかくいい案件なのにー。それに藍人くん、すっごく評判良いから、絶対に次の生徒さんもすぐに見つかるよー。それにこのままだと、常磐さんからもクレーム来ちゃうよ?」
家庭教師の派遣リクルーターの松添千帆さんは困ったような声で言った。
しかし、もう面倒なことには関わりたくない一心で、『急遽、実家の親父が倒れてしまい家業を手伝わなければならない』と言い続けた。
まあ、実際に親父は地元で雑貨店を経営しており、俺がECサイトの構築をしているからあながち全くの嘘ではない。
「すみません、これまでお世話になって、最後にこのような結果になってしまいまして……でも、流石に親父が最後かもしれないこともあるので、ちょっと今回は––––」
「そ、そうね。ごめんね。藍人君の方も辛いのよね」
最後まで俺は名俳優のごとく、演技を全うした。
もちろん、語尾には、鼻をすするというおおよそ悲劇の主人公のような名演技を披露することで念を押した。
そんな演技の甲斐もあって、めでたく違約金等は発生せずに、常磐浅葱の家庭教師から降りることに成功した。
面倒ごとから解放された高揚感から、意気揚々と彼女ーー山下美穂と待ち合わせをしている本屋へと向かった。
∞
「へー美穂さんって、国立商科大学の学生さんだったんですねー」
「ええ」
「実は、私、国立商科大学を受験するつもりなんです」
「そうなの?」
「はい、4月からカテキョにも見てもらっていて、その先生と一緒に勉強し始めてから私、すっごく調子が良いんですっ。でもこのままでいいのかなって、不安で……」
美穂は誰かと立ち話をしているようだ。
美穂は白いワンピースで、黒い日傘を持っていた。
そして、入口に背を向けるようにしてもう一人の女の子がいた。
カールした茶色の髪が僅かに揺れて、それに同期するように、僅かにスカートが揺れた。
どこかの高校生のようだ。日曜日である休日も制服のところを見ると、きっと進学校にでも通っているのだろうか。それとも部活動の前後なのかもしれない。
少し待ち合わせ時間に遅れそうだったため、俺は駆け足で美穂へと近づいた。
すると、美穂が気がついたように、氷のような笑みを浮かべた。
あ、怒っている。
まだ遅刻はしていないが、きっと事前に連絡がなかったからご立腹なのだろう。
どうにか機嫌を取らないと––––
そして、もう一人の高校生は、ちょうど美穂の視線に釣られるようにして、俺へと振り向いた。
金髪に近い茶髪が揺れて、好奇心の強そうな瞳が俺を捉えた。
「––––!?」
「遅刻」
「ごめん、重要な電話をしなければならなかったから」
「そんなこと知らないわ」
プイと美穂は俺から視線を逸らした。
すると、会話に入り込むように、小悪魔が言った。
「へーこちらが、美穂さんの噂の彼氏さんですかー?」
「……どうも」
「良いなー美穂さん。こんなにかっこいい彼氏さんがいるなんて、羨ましいー」
「……」
「ふん、藍人、何鼻の下伸ばしているのよ?」
「いやいや、誤解だから」
「まあいいわ。それよりも、こちらは1ヶ月前に知り合った––––」
「常磐浅葱と言います……黒岩藍人さん?」
「……」
「今日、合わせたかった人は、浅葱さんよ。どうしても今のカテキョだけでは志望校に受かるのは難しい状況らしいの。だから、家庭教師のバイトを2年以上している、藍人からも一度話を聞いてあげてほしいの。私はその……勉強を教えるの苦手だから……」
美穂は申し訳なさそうに言った。
ああ、美穂、この子は違う。
この子は––––
「ありがとうございます。美穂さん。じゃあ、藍人さん。今日は少しの間だけお時間を頂くことになりますが、受験勉強についてあそこのカフェでお願いしますね?」
「いやでも、美穂も一緒にいてもらったほうが––––」
「ううん、私がいてもあまり力になれそうにないわ。英語は自信あるけど、それ以外の科目だと藍人に全く及ばないし?ほら、藍人は頭良いから、その邪魔したくないから……今日は帰るっ」
美穂は頬を赤く染めて、チラッと俺を見た。
相変わらず、変なところでデレるのは可愛い。
でも明らかにこのタイミングではないだろう。
「こほん、そう美穂さんもおっしゃっているのですから、行きましょ、藍人さん?」
「藍人、浅葱さんをしっかりと見てあげなさいね」
「え?でも––––」
「ほら、藍人さん、行きますよ?」
そう言って、浅葱さんは俺の手を無理やり引っ張り始めた。
本屋の死角に入ったところで、急に立ち止まった。
この訳のわからない状況について行けず、俺は手を振り解こうした。
しかし絡められた指が力強くなった。
気がついた時には、濁った瞳が俺を捉えていた。
嫌な笑を浮かべた後、唇に––––キスをされた。
「ふふふ、三度目の奇跡は––––美穂さん。ねえ、藍人先生。私、二番でも良いですから……絶対に離しませんからね?」
ああ、俺はきっとこの運命から逃げることはできないだろう。
絡めた指を振り解くことができなかった。
(終)