ラヴィーネ公爵邸
Dear Lord Lawine
I am writing you for the first time. It's sudden,but I'm going to go to your residence in two days.
Thank you for your time and assistance.
Yours gratefully,
Reika Mizukagami
◇◆◇
国境はいとも簡単に越えられた。帝国とアルフォゲルは隣国同士で、定期的に帝国からアルフォゲル間までの馬車が運行している。
「顔色悪いけど大丈夫?」
馬車に揺られ礼華の顔は青白く変色していた。
「よく乗り物酔いするんです……あと、人酔いも」
酔いの程度は軽いもので、これくらいなら我慢できそうだ。ラヴィーネ公爵領に着くまではまだ丸一日かかるそう…
(死ぬ……)
龍宮零士さんが急遽アルフォゲル行きの馬車を手配してくれた。政務というわけではないが、外交の一端として水鏡が王国に行くとだけ連絡してあるそうだ。
国境の警備もナノハさんの顔パスで通れた。やっぱりナノハさんは凄い人なんだと感心する。
初めは零士さんが同伴する体で話が進んでいたが、気づけばナノハさんが同伴するという形式が取られた。何があったのかはだいたい予想がつく。
「じゃあ、手を出してみて」
「はい」
右手をナノハさんの膝の上に置く。
「よし」
ナノハさんは手のツボを押してくれているみたいだ。なんとなくだが気分がよくなった。
「手のツボをとか詳しいんですね」
「ツボ……? 分からないけどここを押すと気分が悪いのが取れるからな」
「気持ちいい〜」
絶妙な力加減で刺激を与えてくれ、人生で初めてのツボマッサージに不意に顔が綻ぶ。
「その顔は他の人には見せるなよ」
ぷくーとほっぺを膨らませているのがまた愛らしい。いつも男性のように振る舞う彼女だが、私といる時は女の子のような仕草を見せる。気を許してくれている証拠なのだろう。
「出て行く前に書いてた手紙何を書いたの?」
間近で顔を覗き込まれてドキッと心臓が波打つ。
「その……2日後に会いに行きますよって書きました」
手紙には古アルフォゲル語を書いた。古アルフォゲル語とか言うけどこっちでいう英語とまるきり同じみたい。零士さんから王国についての本を借りてそれを知った時には驚いた。
なんでもありの世界、と言ったものだ。
日本語で話す、書く、聞くが全ての国や地域で通用する。この世界に言語形成の歴史は存在しないのだろうか。
まあ、とやかく気にする性格ではないのでスルーした。
「なかなか考え込んでたよな、何か困れば手伝ったのに」
「私はナノハさんにいろいろしてもらいすぎなんです。たまには1人で頑張るところも必要です!」
私の今の目標は自立だ。いつか水鏡に頼らずにこの世界で生きていきたい。
時間を忘れて互いの話に花を咲かせていると、公爵領に着きましたよ、と前方から馬丁さんの声が聞こえた。
馬車からすくっと顔を覗かせた。
タイル張りの道に、色とりどりの建物と洋装の人々、ヨーロッパの面影が見受けられる。洋装は外国の民族衣装ともとれるが、見たことのないものだ。
でも時折、シルクハットとスーツのようなものを身につける男性もいて、英国紳士を彷彿とさせた。ガチガチの主観でいうと現代に中世ヨーロッパを足して割った感じ。
結論:よく分からん
「帝国よりずっとお洒落だろ」
はしゃぐ私とは違い、依然として座ったままでいるナノハさんの大人の雰囲気に痺れる。
「帝国の町並みも風流があって好きですが、こっちは西洋感がありますね」
「アルフォゲルは服飾で有名だ。ドレスから普段着まで店に全部置いてあるし……時間があれば一度いってみよう」
今の発言に可愛い妹を目一杯飾りつけようとする思惑が含まれていたが、当の本人は全く気づいていなかった。
「見に行きたいです……!」
「終わったら1番いい店に行こう!」
即答だ。しかも彼女の目がキラキラ輝き始めた。2人ともかなり乗り気である。
「あと……アニール=ラヴィーネさんってどんな人か気になってて」
それはね、と彼女は端的に説明してくれた。
「堅物」
微妙な表情からマイナスイメージしか湧かない。
「怖い人ってことですか……?」
「うーん、怖いというか無関心だな」
物静かな人なのだろうか。
「あんまり干渉する人じゃないから知り合いとの話は2人だけでできると思う」
「そうだと嬉しいです」
話したいことが沢山ある。ここに来る前から今に至るまで、全て話してくれるだろうか。
(友達だったらいいな……)
誰なのかは分からないけれどなんとなく知っている人物のような気がした。
再び馬車から顔を出すと、頬にポツリと冷たいものがかかる。
(さっきまで晴れてたのに)
晴れていたはずの空を鼠色の雲が覆い始めていた。太陽の光は遮られ、辺りが少し暗くなる。顔を中に引っ込め、大人しく座った。
「どうしたんだ?」
「雨が降ってきて」
その数秒後、見事にザーと次第に音を立てて雨が強く降り出す。
とあることを思い出した。
「ここに来る前も……」
この世界に来る前も雨が降っていた。大雨の日だったような気がする。
「帝国の方も雲が覆ってるな、あっちも雨が降ってるだろう」
「ここでも雨は降るんですね」
辺りの空気が冷え始めた。
「雨が降らなきゃ何も始まらないからな」
大切な日には雨が降る、自分が生粋の雨女だったことを思い出した。
(今もまだ雨女続行か)
馬車がゆっくりと減速し、やがて止まる。
「ラヴィーネ公爵邸です」
馬車の扉が勝手に開いたと思えば、傘を差した2人のメイドらしき人が立っていた。
「お初にお目にかかります。侍女のアシュリーと」
「同じく侍女のメリーでございます」
「本日は、遠方からはるばるお越しくださいまして誠に御礼申し上げます」
2人は深々と頭を下げた。
「こちらへ、公爵様がお待ちです」
ナノハさんが降りるのに続き、馬車を降りた。
馬丁さんに簡単なお礼を言ってから、メリーという侍女さんから傘を渡された。
「ありがとうございます」
「身に余るお言葉です」
(普通に話してくれたらいいのに、これじゃ緊張する……)
何を返しても自分を下に据えるようだ。
自分の背丈の何倍もある門が開き、石のタイル張りの道を進む。両側には立派な植え込みと、一面の芝生。なんといってもその奥に豪邸と言わんばかりの大きな西洋風の館がある。
中央に最も高く、細長い窓が並ぶ茶色の建物があり、それに繋がるように同じ造りの建物が左右に延びている。
雨の中でもその存在感は凄まじかった。
公爵邸のイメージのさらに上をいく実物を目の当たりにして、公爵様なんかに本当に会っていいのかと思えてくる。
これ以上は見ないでおこうとすぐ前を歩く侍女さんにただひたすらついていく。
ナノハさんはさらにその前を引率されて歩いていた。
傘から雨の音がしなくなったと思えば、建物の入り口のすぐ前まで来ていた。
傘を畳むと侍女さんが回収してくれ、代わりにタオルを渡してきた。
ふわふわのいい匂いのするタオルで濡れた箇所をさっと拭く。
コンコン、と侍女の1人が重厚な扉を叩くと、ゆっくりとそれは開いた。
(眩しい……)
白くて高い天井の中心に飾られた大きな金色のシャンデリア、艶々したダイア柄の模様のついた白い床、水色の光で模様の浮き出る壁と上の階へと続く二つの階段。
あまりにも現実離れした場所に目を回しそうだ。
真ん中に人が立っていた。
いかにもこの家の主ととれる金髪の男性は、淡々とこう告げた。
「このわたしを試すような手紙を出したのはどっちだ」
低い声でしかもかなり威圧的な口調、だが、ここで負ける訳にはいかない。
「私です!」
声が響く。
「だそうだ、出てきたらどうだマヒロ」
タッタッタッ、バサッ
「うわっ」
公爵の後ろから人が走ってきて勢いよく私に飛びついてきた。
「……」
小柄な清楚な桃色のドレスをきた女性、しかも、黒い髪……
「……」
抱きつかれたのはいいものの、女性は一向に話さないし、どうすればいいのかわからない。
「マヒロってもしかしてまーひー?」
女性は大きく頷くと、私の顔を両手で触る。
(誰?)
黒い髪と瞳、だが、私の知っているまーひーこと、田村真紘ちゃん、とはかなり変わっていた。
変わらない丸っこい輪郭はいいが、前に出会った時より垢抜けた印象を受けた。肌は白く、薄く化粧が施されている。
「…」
口を動かす彼女、だが、何も声は聞こえない。
「マヒロはここに来てすぐ、野蛮な奴らに捕まり辱めを受けていたところを我々が保護した。その時からだ、声が出ないのは」
一瞬ぎゅっと胸の辺りを手で押さえ、表情が曇るも、また彼女は笑顔を取り繕う。
一方の私はその事実に背筋がゾッと凍りつく。
「それは事実なのか」
ナノハは低い声で尋ねる。
「奴らは神の使いを知っていた。そして、その子を産ませようとしていたようだ」
公爵は淡々と事実を述べているだけ、だが、ナノハは憤る。
手に跡が着くまで拳を強く握りしめた。
「詳しいことは中で話そう。水鏡ナノハ」
公爵が奥の部屋へと歩く。
「マヒロが彼女と2人で話をしたいそうだ」
「……」
まーひーは潤んだ瞳をしながらも、左側の階段を指差して私の手を引く。私は泣きそうになりながらもぐっと堪え、ナノハさんと目線で合図をしてから彼女について行くことにした。