名指しの指名
初めての感情だった。
透き通るような白い肌、硝子細工のような青い大きな瞳と変わった髪色をした彼女。
少し緊張した様子でじっとこちらを見ている。
突然湧き出したこの感情の名前が分からない。
でも……
ーー君を自分のものにしたい
切実にそう思う。
◇◆◇
なんとか人を避けて走るも、時々ぶつかってしまう。
「ごっ、ごめんなさい!」
お昼時の町はいつも以上に混雑していて、色とりどりの着物が視界の隅で流れていく。
足はかなり遅い方で体力もない。体力の限界は限りなく近いと思った。
(迂闊すぎた……!)
ナノハさんの忠告を忘れていた自分を責めた。
それとハルさんが心配だ。
折角気を使ってもらったのに、私がそれを台無しにしてしまった。
体がだるくて重い、もう少し痩せていれば良かったと後悔したがもう遅い。
こうなってしまった以上、今この世界で私が頼れるのはナノハさんしかいない。
そしてもう一つ……
ポケットに入っている秘密兵器。
最終これを使えばなんとかなるかもしれない。
元々、私の制服のポケットに偶然入っていたものだ。普通の高校生であれば持たない人の方が多いかもしれないが、私はこれが毎日必要だった。昨日から使わずに残してある。
(ここを真っ直ぐ!!)
あとはこの直線を走り抜けるだけだ。幸い、ここは交易路であるためか道も広く平らに整備されていて走りやすい。
全力長距離走、そのゴールが見えてきた。
地面がコンクリートに変わり安心した、もうこれで大丈夫だと。
息を整えながらゆっくり歩く。
灰色の道の1番奥に船は停泊している。所々木造の小さな船も見られるも、全て帆がついていた。やはり、軍隊の船は特別なのだろうか、帆ではなくて建物が船の中に建っている。改めて見るとそれはそれは立派なものだった。
木の板の坂道を渡る。
船の上の安心感がとてつもない。
「ようやくお帰りになりましたか」
若そうな男の人に声をかけられた。
「あの、ナノハさんどこにいらっしゃるか分かりますか?」
「帰れば伝える約束です。この時間は部屋にいらっしゃいますよ」
「ありがとうございます!」
お礼と同時に部屋への最短ルートを抜けた。
「……っ」
曲がり角で思いっきり誰かにぶつかって転倒した。鼻が痛い……きっと船員さんだと思い、謝ろうと頭を上げようとした時、違和感に気づく。
この人は青い軍服を着ていない。紫色の羽織の裾と、着物……?白い足袋に下駄。
(ここまでどうして来れたの……!?)
船員の人はおそらく軍人さんがほとんど、船に入ってきた不審者に気づかないはずがない。
ここは船の上だ。入れるのは一箇所だけ。なのに……
「ハルさんはどうしたんですか……!」
涙目になりながら男を睨む。
「彼は凄かったよ。流石は水鏡の軍隊だ」
この人からはもう逃げきれない、そう思ったけれどここは水鏡の領域だった。
「緑川が世話になったな」
彼女の声と肩に置かれた手にぎゅーっと心が締め付けられた。
(ナノハさん!!)
「もう大丈夫、安心して」
耳元でそう囁き私を立ち上がらせると、男の人の前に出た。決してそう広くない通路の真ん中、その距離は1メートルぐらい。
「私の妹に何か用か?」
いつも通りの彼女に安心する。
「見え透いた嘘はいいよ、もう分かっているから」
水鏡家であるナノハさんに動じる様子はない。
「彼女は龍宮家で保護する。その方が安全だろう」
淡々と言葉を続けた。
「そうだ。名前を言っていなかったね」
微笑を浮かべ、こちらを見つめる。
「僕は龍宮家当主、龍宮零士。水鏡と同じ二大宮家だ」
パーン
「わたしのこと無視しないでもらえますかー」
鋭い大きな音とともに、銃口から細い煙がたなびく。
(えっ、撃ったよね……?!)
ナノハの右手には回転式拳銃が握られていた。
「物騒なものを持ち出さないでくれ」
「普通じゃないからこうするんだ」
弾は零士の顔の前で停止するとカランと音を立てて転がる。
「僕は呼ばれて来ただけなのに」
「下手な嘘はやめとき……」
「零士の言うことは本当だ、俺が呼んだ」
アランが零士の隣に現れる。
「兄さん、そいつは緑川を……!」
「緑川は軽傷だ。零士が手加減したおかげだろう」
それを聞いても気が変わるはずがなかった。
「先に攻撃したのはどうせこいつなんだろ」
「それはすまないと思ってるさ」
零士が拍子の抜けた言葉を返し、よりナノハの怒りを増幅させた。
「ここじゃなんだ、ゆっくり話し合おう」
◇◆◇
上質な板張りの壁と床に、洒落た照明、見るからに高級そうな赤いソファーに腰掛ける。
2人がけのソファーに私とナノハさん、反対側の連続した1人用の椅子にアランさんと龍宮零士さんが座っている。
ナノハさんに至ってはそっぽを向いていた。
「新たな情報としてアルフォゲルから名指しのご指名だ」
テーブルの上に置かれた一枚の紙、字が細かく書いてあった。それにさっと目を通す。
ある言葉で目が釘付けになった。
重要そうな文書にはっきり『礼華』と書かれている。
この礼華という人物を捜索している、まどろっこしい文章だが要約するとそんな感じ。
送り主はアニール=ラヴィーネ。聞いたこともない名前だ。
「これは聞いてない」
いつの間にかナノハさんも食い入るように文書を読んでいた。
(やっぱり私の知り合い?)
誰かが名前を偽ってこの手紙を送って来たのか、それともこのアニール=ラヴィーネという人物に保護された友達かもしれない。
可能性は大いにあった。私と同じように有力な一族に保護されるケースもあるのだろう。
「帝国ではこいつの一件、アルフォゲルはこれで一件、神殿で三件だ」
(神殿……神託を出してるところだ)
合計五件……少なすぎる。
「龍宮家にも保護した者が1人いる」
龍宮零士が初めて口を開いた。
「どうせ半殺しにして投獄したんだろ」
「……」
彼は沈黙した後、悄然とした様子で礼華を見つめてこう言った。
「相手が抵抗したからしょうがなかったんだ」
拗ねた子供のような言い草だ。
この人にこんな態度を取られると調子が狂う。
「わざとではないみたいですし……」
擁護する言葉をかけると彼は美しい顔で微笑む。
(眼福……!)
何故かは分からないが私にはかなり好意的な態度をとっている。これもこの顔のせいだろうか、と少し悲しい。
「それに……残念ですがもう何人かは亡くなっているかも知れません」
ずっと頭の隅でよぎっていたことだ。私は空から海へと真っ逆さまに落ちてきた。
「船に穴が空く衝撃……」
この船も2人の能力かなんかで出来ているんだと薄々気づいてきた。壊れるなんて普通ありえないことなのだろう。すぐに修復できたのもそのおかげかもしれない。
「転送位置については詳しくは報告されていない……がその線もありそうだな」
アランさんは考え込んでいる様子だ。
「加護が発現していない事を考えると、何か条件があるのかも……礼華はどんな神様から加護を受けたか覚えてるか?」
神様、やっぱりあの女の子のことだろう。
「真っ白な肌に……綺麗な金髪で……私と同じ瞳の色でした。加護はこの姿だと思います。美の女神様の気がします」
全員が納得した様子だ。能力というよりかは神様からの祝福だろう。
「能力持ってねぇのはきついな」
その通りだと思う。今の私は無力だ。1人でこの世界を生きることは不可能に近いだろう。
「とりあえずアルフォゲルにいる友達に会いたいです、お願いします」
無理なお願いだというのは分かるが、友達の状態を確認したい。
「アニール=ラヴィーネは王国唯一の公爵だぞ、それをどう……」
「僕が連れて行くよ」
龍宮零士は弾んだ声でそう言った。