ナノハとお松
少し待たされた後、広い廊下の先のある一室に案内された。座り心地の良さそうな紺色の座布団が向かい合って2つ用意され、艶々と輝く座卓の上には季節の菓子と、湯気の漂う湯呑みが2つ置かれていた。
「さあ、どうぞ」
お松さんはにっこりと笑って私を通してくれた。嗅ぎ慣れない畳の香ばしい匂いのする部屋で、奥の障子には松竹の林が墨絵で描かれていた。
零士さんは優雅に1つの座布団に座る。こうなればもう一方が私の座る位置だろう。なるべく綺麗な動作を心がけて座布団の上で正座をし、並べられた可愛らしい花の菓子に目を輝かせていた。
(花の名前全部分からないけど……)
「喜んでくれているようで良かった」
「はい、急に来てご迷惑かけたのに、その上、こんな上等なもの用意してもらったんですよ。喜ぶに決まってます」
「……そうか」
今日はやけに笑うことの多い零士さんに違和感を覚えながらも、目の前にある美味しそうなもののせいで食べる以外の選択肢がない。急に家に入ることになった時はどうなるかとハラハラしたが、意外と落ち着く、なんて思うまでに至っている。経験したこともない実家のような安心感がなぜかそこにはあった。
「……美味しいです。それも凄く」
もう一度口に入れてその美味しさを実感する。この町の店はほとんど制覇したと思っていたが、まだ隠れし名店があるというのだろうか。
「君は随分と女王に気に入られたと聞いたが……?」
唐突にダリア様の話を振られた。
「いえ、それはダリア様が気を使われただけですよ。私は何もしてませんし」
「今回の件は、両国の友好関係を示す良い機会だったんだ。まだまだここが物騒な所だと思っている国は意外と多くてね」
思い当たる節はいくつもある。アルフォゲルでも水鏡に向けられた視線は通常のものと少し違った気がした。
「そんな重要な仕事だったら、尚更別の人に任せた方が良かったんじゃないですか? どうして私だったのか、今でも分からないんです」
程よい暖かさの緑茶を口に含む。菓子の甘さを渋みが流してくれるので、次の桃色の菓子も美味しくいただけた。
「……流石に今回の無茶振りには参ったよ。選ばれたのが君だったから余計にね」
心配してくれていたのだろうか、そのことが言葉から感じられてつい顔を綻ばせてしまう。
初めての印象は綺麗な人だった。そしたら急に悪い人になって、その次は……?
(私にとって零士さんって……?)
「失礼しまーす!!」
すごく聞き覚えのある声が屋敷中に響き渡る。姉さんは号令とかもするから、異常に大きい声を出せるらしい。
(初めて聞いた……)
◇◆◇
ナノハは玄関の引き戸を躊躇いなく開けた。今は全くと言ってよいほど、いつもは来ない龍宮家の本邸。
「あら、ナノハ様ですか? お会いできるなんて嬉しいわ」
「お松さん! お久しぶりです」
幼いうちに両親を亡くした兄妹は、他でもないこのお松によって育てられた。お松は龍宮家、水鏡家共通の乳母という立場にある。
「相変わらずお元気そうで良かったわ。顔を見せないから心配してたんですよ」
「それはごめんなさい。お松さんに会いに行きたいとは思ってたんだけど、いろいろ忙しくて来れなくて」
「ご立派になりましたね、ナノハ様も。一時期は荒れていらっしゃいましたから、お松は心配でなりませんでしたわ」
怖いものなしの彼女だが、お松の前ではなかなかいつものようには振る舞えず、困っていた。
「それで、礼華を迎えに来たんですけど……」
「えらく礼華様が大切なんですね。ナノハ様がわざわざ迎えに来られるなんて、以前では考えられません! 本当にご立派になって……」
「言ってなかったけど、礼華は水鏡の一員なんだ。いろいろあったけど……」
通常であれば間違いなく耳を疑う発言だが、お松はただ頷いてナノハを案内した。
「いつの間にか大きくなりましたね」
お松は終始嬉しそうな様子だった。娘ともいえるナノハとの再会を単に喜んだだけではない。彼女が成長した姿を見て安心したのだ。
その後、礼華は自宅へと強制送還されたという。
◇◆◇
帝国一の商館、藤井家。
水鏡御用達の呉服屋、池鳥屋もこの系列にあたる。
その本家は龍宮家の本邸よりも広大な屋敷を設ける、今や最も勢いのある一族だ。
「……報告は異常でーす」
棒読みの報告が終わった後も上座に座る男は扇子をパタンと閉じた。
「やはり一筋縄ではいかない……か、流石と言ったところだな」
えらく軽い言い草で、高らかに男は笑った。
「もう少し様子を偵察しろ」
「了解です」
帝国内での不穏な動きはしばし動きを止めた。




