変化
「はぁはぁ」
龍也は息を切らしながら薄暗い森の中を突き進む。
自慢の足ももう限界が近いようで、きりきりと痛み出した。
だが、それに構う暇もない。
「いたぞ!!」
背後から光が迫る。それも1つではなかった。
「チッ」
こうなればもうヤケクソだ。
「ふざけんじゃねぇぞ、お前ら!!」
体の向きを変え、光に照らし出された人影に向かって殴りかかる。
ブン
「ぐはっ」
空を拳が切る音と男のうめき声が妙に大きく聞こえた。
拳は丁度相手の鳩尾にクリーンヒットしたようで、相手は腹を抱えている。
(いける…!)
喧嘩のスキルが役に立つと確認し、次の光の元へ向かおうとしたその時だった。
ドン
鈍い音がしたと思えば、胸の辺りを何かに殴られていた。
「ゔっ」
ズサッ
体がふわりと浮き、視界が反転した。
内臓が掻き回されたような衝撃。
口からはダラダラと何かが出てきた。
グッと涙を堪え、滲む視界で今自分を殴ったものを探す。
ゴンッ
今度は目の前が真っ暗になり、体の自由が効かなくなった。
「ひっ」
感じたこともない痛みに短い悲鳴を上げる。
今すぐ大声を上げて泣きたいが、声すら出ない。生温いドロドロとした液体が口を塞いでいた。
もう何も聞こえず、見えなかった。
◇◆◇
「うーん、やっぱり、ちょっと大きいかな?」
今、私はナノハさんと同じ青い軍服を着ている。青というよりは紺色に近い色で、金色のボタンがたくさんついていた。ピンと立った硬い襟に違和感を感じるが、なんとかナノハさんと同じように着こなす。
生地は厚く、縁は金色の刺繍がなされている。見るからに高そうなものだ。
「こんなの着ちゃって大丈夫なんですか……」
「似合ってるけどな」
よし、できた。と私の肩に手を置いた。
「ありがとうございます」
ナノハさんに髪を結ってほしいと頼めば、すぐに結ってくれた。
「まってて、今鏡持ってくるからねー」
「そこまでしなくても……」
言う前に彼女はどこかへ行ってしまった。
ともあれ、1人になれたのは好都合だ。
自分の置かれた状況をもう一度、冷静に考えたかった。
「まずは……」
硝子のない窓から確認できるのは潮風の香りと港の風景。今日は曇り空だ。まだ朝方なので人はまばらだが、昨日の昼時には混み合っていた。ナノハさんとの買い物から帰ってきたときには荷物の搬入をしているのを確認している。
本物の港を見たことがないが、ドラマとかで見るのと変わらないthe港な感じだ。
でも、江戸時代風の町並みに比べると、少し近代的な気もする。コンクリートのような灰色のもので綺麗に塗り固められている。これは、現代の技術ではないのかと思う。
そして何よりも気になるのは、私以外にも同じ状況に置かれた人があと31人もいること。
女の子が言っていた話が本当なら私たちは全部で32人この数字にピンとこない。
高校のクラスかと思ったがそうでもない。1年の時は40人、2年次は36人ともう少し多い。
かといって中学、小学校のクラスが何人だとかいちいち覚えてはいない。
指名された、とも聞いた気がする。だったら、私が知っている人の誰かである可能性がある高い。
(じゃあ、誰が何のために……?)
「あのー、すみません」
聞いたことのある声がしたので、扉の方を見るとハルさんが気まずそうにこっちを見ている。
「ご、ごめんなさい。何か用ですか?」
集中すると周りの音が聞こえなくなり、考え事をする時は部屋中を歩きまわる癖は直した方が良さそうだ。変な人に思われる。
「一応ノックはしたんですけどね、はは」
(恥ずかしい)
「用事はないんです。ただ、話がしたかっただけと言いますか…」
ハルは襟元を正し、礼華のそばに近づく。
「私たち友達だもんね」
その言葉にハルさんはキラキラと目を輝かせた。
(可愛い)
「あっ、はい!友達です」
なんだかんだここに来て初めての友達のハルさん。彼からこの世界のことを聞き出してみるのもいいかもしれない。
友達を利用するなんて方法は嫌いだけど。
「……水鏡家ってどういう人たちなの?」
ハルは目を丸くした。
「ナノハさんから聞いてないんですか」
水鏡は、と言葉を続ける。
「この帝国の二大宮家の一つです」
「二代宮家?」
分からないという視線を送ると、すぐに答えてくれた。
「水鏡家は政治には干渉しない制約によって外交や軍事を担っています」
(やっぱりすごい人達なんだ!)
只者ではないと薄々気づいていたが、帝国とやらを二分しているとは思ってもみなかった。
ドンッ
「礼華ー!!鏡持ってきたよ」
扉が勢いよく開くと、古そうな姿見を片手でせっせっと部屋に持ってきたのはナノハさんだった。
「緑川もいたのか?」
姿見をすぐ近くの空いたスペースに置くと、横目でハルさんを睨みつけた。
「礼華に何か用事か。それならまた後にしろ」
冷ややかな調子の声、初めて会った時と同じ声だ。
「はっ、はい!失礼します」
ハルさんは逃げるように部屋から出て行ってしまう。
「ほら、これで確認できるぞ」
いつものナノハさんだ。
「あの、どうしてハルさんを追い出したんですか?」
恐る恐る理由を尋ねる。
「可愛い妹を心配するのは当然のことだろ」
それに……、と少し考え込んだ様子を見せる。
「わたしはあいつを信用してない」
ボソッとそう言ったように聞こえた。
「よし、こっちこっち!」
半ば強引に背中を押され、鏡の前に立たされる。
「えっ……」
思考がフリーズした。
「どうだ、似合ってるだろ」
鏡に映る自分の姿に雷に打たれたような衝撃を受ける。
「礼華……?」
ちょうどその時、窓に日が差し込み部屋の中を明るく照らした。
埃がキラキラと舞っているのが鏡越しにわかる。
レースのリボンで結われた髪は朝から念入りにとかしてもらったおかげか、艶々で白く輝く。いや、輝くというか白い。
白というか少し黄ばんでいる……?いや、違う。
それだけではない。
毛先から10センチにかけては海のような青がグラデーションをなし、芸術的な美しさだ。
「わ、私ってナノハさんに出会った時からこうでしたか…こ、この髪色」
ゆっくりと髪を摘むと鏡の中の自分も同じ動きをしている。いつもは枝毛だらけだったはずの髪の毛は美容室に行った後のように切り揃えられていて、前髪の毛量も前の半分程になっていた。
「ああ、綺麗だよな」
そして……鏡に映る、現実味のない私。
形の良い小さな顔に、わずかな血色を残した白い肌、筋の通った細い鼻、すべすべのピンク色の唇、大きくぱっちりとした目の上に細く美しい曲線を描く白っぽい眉毛、睫毛も同じ色をしている。
驚くところはそこだけじゃない。これらが黄金比を作り出していることだ。まさに美の女神とやらと並ぶ、いやそれ以上の美人になっていた。
瞳はあの女の子と全く同じ、青い宝石だった。
「こ、これは私なの?」
あれ?私ってそもそもどんな顔してたっけ? もっとこう暗い感じでパッとしないような顔で…… それに、それに……
(これは私じゃない)
「礼華、大丈夫?少し顔色が悪いよ」
ハッと我に返り、深く深呼吸をした。
「私、もともとこんな容姿してないんです。自分でもなんで今まで気づかなかったのか不思議というか……でも、今の私は私じゃ……」
「礼華は礼華だよ」
何かを感じとってくれたのだろうか。ナノハさんは私をギュッと抱きしめてくれた。
(やっぱり……優しい)
誰かに抱きしめられたことなんてこれまであっただろうか。いや、過去にはあったのかも知れない。でも……今はとても温かい気持ちになる。
「よしっ、外に行こう!みんなに礼華のことを紹介したいんだ」
「はっはい!」
このことは心に余裕がある時に考えよう、そう決めた。
◇◆◇
「妹の礼華だ。怖がらせるなよ」
「へぇー、綺麗だなあ。船長にこんな妹さんがいたのか」
「ここに来るのは初めて?俺が案内してやるよ」
男の人達に囲まれる。年齢層は大体20代、30代ぐらいでみんな若いし、日本人っぽい。
あと、ごっつい。細身なんだけど、みんな筋肉質だ。軍服の袖から見える手や腕がごつごつしてる。
「ちょっと失礼」
男の人たちの間から一際小さな青年が出てきた。ハルさんだ。
「おー、緑川。仕事は終わったのか?」
「すぐに終わらせて来ました」
「いいところに来たな、ナノハさんの妹さんだとよ」
「知ってます。昨日アランさんから紹介されましたから」
複数の人がハルさんに同時に声をかけているが、全て聞き分けてひとつひとつ丁寧に答えている。
「ナノハさんはこれから仕事があるんですよね?」
「そうだ」
「それじゃあ僕が礼華さんと一緒にいるんで、安心してください!」
ナノハさんは納得していないような表情だが、仕事があるならそっちの方に集中してほしい。
「私もハルさんがいてくれるなら安心です。だから、お仕事頑張って来てください」
「分かった、そうする」
彼女はふっと微笑んで、行ってくると仕事場に向かった。
「ナノハさんも笑えるんだな」
男のうち1人がボソッとこぼす。
「朝食は食べましたか?」
「まだです」
ご飯のことをすっかり忘れていた。朝からいろいろあってすっかり食べそびれてしまった。
「では、お食事でもどうですか、おすすめのお店知ってますよ」
「皆さんはそこで食事を?」
「いやいや、船には料理人がいるよ。性格に難があるが腕は確かだ」
(料理人が作る料理……! 食べたい!)
「ではそこに行きましょう、気になります!」
◇◆◇
木製のテーブルに並んだのは豪勢な食事だった。和食風で刺身や塩焼きはもちろん、釜のまま置かれた炊き込みご飯に、味噌汁のいい匂いがする。
船の中の建物の一つにレストランのような空間があり、そのど真ん中の席に座る。
「すごい」
船の料理にしては手の込んだものだ。
「味も美味しいですよ、食べてみてください」
「いただきます」
皆が注目する中、陶器の器にご飯を入れて一口、口にする。
噛めば噛むほど味わい深い。魚の美味しさと、程よい酸味が癖になる味だった。
「かっ可愛い」
手本のように美しい礼儀作法に加え、時折見せる愛らしい表情に、一同が骨抜きにされる。
礼華はただひたすら食べることに夢中でその視線には気づいていなかった。
彼女はその見た目からは想像もできないスピードで一品、また一品と綺麗に平らげていく。
「ご馳走様です」
最後に見せた満面の笑みに多くの船員が心を奪われた。
「お嬢さん、いい食いっぷりだねぇ。こいつらより、よっぽど作る気になるぜ」
いつもは仏頂面の料理人でさえいつのまにか笑顔になっている。
「おじさまが作ってくださったんですか?すごく美味しかったです。ありがとうございます」
美味しいものにありつけ満足感に包まれる。今まで食べたどの料理よりも美味しく感じた。
「よく食べるんですね」
ハルさんがニコニコしながら聞いてくる。
「恥ずかしながら…」
白い頬が薄く紅潮した。
「食べましたし、どこかに出かけませんか?」
「はい!」
美味しい料理のおかげで、すっかり気分が良くなった。
◇◆◇
時を同じくして同じ船内にある船長室。
「間違いないのか……?」
「間違いない。あいつが言うには本当なんだろう」
アランはため息混じりの声で事の重要さをナノハに伝えていた。
「こちらに入ってきた情報だけで少なくとも3件、神の使いとやらに関するものだ」