いつものある日
いつもと変わりない通学路だった。駅の改札口を颯爽と行き交う人々、少し重苦しい電車内の空気、電車を降りて徒歩2分で着く私の高校。
「おはよー」
教室内に元気な挨拶が響き渡る。既に教室中では各々の活動が始まっている、ごくありふれたいつもの光景。
「おはよー、れいちゃん。予習どうよ?」
私の席はこの子の隣だ。
「私がしてるわけないじゃん。今からする」
リュックから素早く数学の演習プリントを出し、予習に取り掛かる。気怠さはいつになっても取れる気がしない。
「この問題難すぎるわ。先生もしっかり考えてから出してほしいよね」
これから学校が始まる。間違いなくそのはずだった。
◇◆◇
突然放り出された黒い空間。何が起きたのかが分からずただ呆然とする。夢だというのだろうか。突然眠ってしまったのだろうか。
《君は指名されました。担当の所へご案内しまーす。》
機械音が少し混じった男性の声。無線機のようなものを通じて話しかけているようだ。たが、不思議なことに声の出どころは分からない。
「あら。あなたが私の担当かしら?」
今度は女性の声だ。パチンという手を叩いた音と共に今度は女性の部屋のような空間に来た。とりわけ気になるのは部屋があり得ないほど広いことと、壁がどこにも見当たらないということだ。金色とも黄土色ともいえる服の金属ラックがずらりと整然と並べられていて、視界の端には沢山のぬいぐるみが置かれているのが見える。ボーッと部屋を見つめているだけで今置かれている状況が何なのかを考えることも忘れていた。
「ひぃあ!」
突然手を触られておかしな声が出た。熱と柔らかい感触からもそれが人肌であることはすぐにわかった。
「あら、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの」
女の子だ。それも外国人で手がとてもスベスベの。ようやく顔と体を動かして、それが何か分かった。金色の緩くパーマががった長い髪、青い大きな目をした綺麗な子だった。細かなフリルのついた白いワンピースも相まってその姿はまさに天使のようだった。
「まあ!女の子でよかったわ〜♡私女の子が良かったの」
なぜか私を見てとても嬉しそうにはしゃぐその少女。さっきの他の感触にしてもそうだし、夢にしては質感がリアルすぎる。
「急にびっくりしたわよね。さぁさぁ、こっちこっち」
手を引かれるがままにドレッサーの前に座らされる。ちょうど背後にえらく波打った形状のそれがあった。
「あの。ここって夢ですよね」
何がなんだか混乱してきたのでとりあえずここがどこなのかを確認する。鏡に映る自分の姿などお構いなしに、視線はずっと少女に向けられていた。
「えっとね。なんて説明したらいいのかしら〜」
女の子は慣れた手つきで私の長い髪をとかしながら、目を細めて微笑む。私が首を傾げると女の子は少し微笑んで話を続けた。
「あなたは指名されて、新しい世界行きになったってだけ伝えとくわ」
まさに夢だと言っているようなぶっ飛び設定。突拍子のない話ではあるが、ここが夢なら合点がいく。
「指名って誰かが私を選んだの?」
誰がそんな勝手なことをしたのかをとりあえず聞いてみる。
「あなたたち32人を選んだの。その中にあなたが含まれてるわ。ここは夢じゃないわよ。現実なの」
夢に出てくる人の言ってることは大概嘘が多いので、やっぱり夢だと確信を持てた。これは私の夢ではよく見られる現象かつそのせいで朝の身支度に遅れた経験もしばしばあった。
「やっぱりあなたは青色が似合うわ♡」
女の子が鏡を確認した時に初めて気づいた。この子の目は青い宝石のように輝いている。パーマがかった金髪と合わさるとフランス人形のような見た目をしていて、着ている服も上質そうなものだった。
「すごく綺麗ね、あなた」
咄嗟にその一言が出た。おそらく私が今まで見てきた存在の中でその少女は最もその言葉に相応しいと直感した。
「でしょー。美しいものが大好きなの♡」
これまで普通に会話しているが、この子はとても流暢な日本語を話している。
「よし。次はこっちー」
こんな調子でもうかれこれ10分ぐらい女の子に付き合わされていた。
「顔もオッケーで服はこのままって言われてるから…あとは説明だけか」
「説明って?」
夢なのかと思えばいろいろと吹っ切れてしまい、なんだかんだこの状況を楽しんでいる自分がいる。
「いい、あなたは今から私達が作った世界に行きます」
「うんうん」
食い気味に少女の話に耳を傾ける。また夢の場面が変わるのだろうか。胸がドキドキした。
「その世界は誰かしら特有の能力を持ってるの。でね、あなたどの能力が欲しいとかある?」
「能力かー、痛いのが嫌だから、痛くないようにして欲しいかな」
「分かったわ。そうするね」
夢で痛みを感じるのは正直嫌だから、何も考えずにそう答えてしまった。私は時々夢でとんでもない事態に陥るからだ。
「あなた、面白いものがついてるわね♡すごいじゃない」
「霊に取り憑かれてるってことですか?」
幽霊の1人や2人、陰気な私についていてもおかしくない。気怠さも体調不良の理由もそれで説明がつく。いや、ついてほしいし、結構オカルトじみた話にワクワクする性格である。
「まあ、そんな感じかしら、詳しいことは秘密だけどね」
《そろそろ、転送の時間でーす。担当の皆さんは転送の準備をお願いしまーす。》
再び聞こえたあの機械音の混じった男の人の声。転送ということはもうこの子とはお別れのようだ。
「いろいろ楽しかったわ。ありがとう」
「こっちこそ、めっちゃ面白かったよ」
久々にリラックスできた。
「なんでもありの世界だけど……きっとあなたなら馴染めるわ。ずっと見てるからね。」
「そんな、大袈裟な」
ここで大事なことを聞くのを忘れていたことを思い出した。
「あなた名前は?」
「言ってなかったかしら、私の名前は……」
眩い光と共に彼女の声は小さくなってゆき、ついに聞こえなくなった。私の夢は大概いつも重要なことをひた隠しにする。
◇◆◇
次に感じたのは体験したこともないほどの興奮だった。
私の体がどこかへ落下していく。下に背を向けて落下しているので青い空と白い雲が見えた。
「夢で死ぬことってあるのかな」
ぼそっとつぶやく。今の私は驚くほど冷静だ。これも夢であるから。
腕を頑張って広げ、体をくるっと回転させた。眼下に広がったのはキラキラと波頭を輝かせた海と私の落下地点であろう大きな船だ。
木造のようだが、中に屋根瓦の建物があるように見える。船というか、屋敷みたいだ。
自分が海外のグロ映画のように肉片になるのではないかと不意に思う。そうなれればこの一抹の不安はまあ解消されるだろう。
高速でその船の上に落ちていく。追突する寸前、思わず腕で顔を覆った。
ゴキッ
確実に何処かを打ちつけた。
木が割れる音なのか、私の腕が折れた音なのかは分からないが、大きな落下音が聞こえた。幸い、私はほとんど痛みを感じず、上に空いた人1人分の小さな穴と木屑の崩れる光景をしばらくじっと見ていた。
上の方がドタドタと騒がしい。人がいるのだろうか。尻餅を付いている私はどうも衝撃でフリーズして動けなかった。しばらく呆然としながら空から降り注ぐ光のベールを見つめ、その場に座り込んでいた。
「おまえ、誰だ?」
威圧的な声のしたほうを振り返る。声の主はすぐさま何かとんがっていて、ギラギラ怪しく光るものを私の喉に突きつけた。
まるでこれから首を切られるみたいに…
「わ、私は決して怪しいものではないんです。十分怪しいけど……でっ、でも本当にここに落ちてきただけなんです。」
その人の顔を見る余裕はなく、死の危険を感じ、震え上がっていた。薄暗い所だが、私の開けた穴のお陰でそこに人がいることは分かる。
「女……なのか?」
誰かも分からない人は刀のようなものを鞘にしまう。
「来い」
「えっ、えっ、で、でも……」
「早くしろ」
腰の抜けた私の腕を掴み、立たせてくれる。私と同じぐらいの背丈で、切長の大きな瞳と青みがかった黒い髪をした男性のようだ。
私は自分にもう一度言い聞かせた、これは夢だと。
状況が把握できないまま、手を引かれて走っていた。その場に流される性格が災いしている気がする。
やがて部屋のようなところに連れてこられた。運動不足なのでもう息が上がっている自分が情けない。
「誰にも見られてないといいんだけど」
外の様子を気にしているようだ。
「大丈夫だったか?」
声の調子が急に変わる。
「はい?」
上がった呼吸を整えながら、声の主の姿をようやく直視することができた。
「あっ、私こう見えても女の子だかな、安心しろ」
そう言ってニカッと笑う姿は無邪気な少年のようだ。
「は、はい」
恐る恐るその女性の様子を観察する。
日本人のようだが、おかしな衣装を着ている。腰に巻かれた太いベルトとそこからのぞく拳銃と剣のようなもの、黒いズボンにベルトがたくさんついたブーツ、極め付けは軍服のような青いコートだ。
「名前はなんて言うんだ?」
女性は目を輝かせながらこっちを見る。
「伊藤礼華です」
「そうか、初めて聞く名前だなぁ」
(聞いたことないなんて初めて言われた…)
伊藤という苗字を知らない人は少ないはずだ。だいたい1学年に1人はいるし、ランキングでは10番目ぐらいだったと思う。
「ちなみにわたしは水鏡ナノハ、よろしく」
「よろしくお願いします」
水鏡ナノハと名乗るその女性はどすどすと間合いを詰める。
「それにしても、珍しい服だな。異国のものだろうか」
私の服をまじまじと観察している。今着ているのは黒のセーラー服に灰色のカーディガンを羽織ったものだ。
「異国のものは大体分かるよ、ここの部屋のものは全て異国から取り寄せてあるから」
部屋を見回すとアンティーク調の家具が置いてあった。すべて茶色で統一されており、小さな机が1つと椅2つ、寝心地のよさそうなフカフカなベッド、だが、キッチンなどは見当たらない。必要最低限の家具といったところだろうか。壁紙は白塗りのようで、床には真っ赤なカーペットが一面に敷かれ、部屋の奥の木の柵のついた窓からは輝く海が見えた。
「でも……それでもそんな服は見たことがない、礼華はどこから来たんだ?」
日本と言いかけるが、ある言葉を思い出した。
『いい、あなたは今から私達が作った世界に行きます』
女の子の言葉だ。
改めて思い出すと、他にもめちゃくちゃな世界とも言っていた気がする。この世界は私たちの世界とは違うつくりになっているはずだ。だからといってどうこう言えるものでもない。
嘘を言った方がよいが、私にはそれができなかった。
「その、信じてもらえないと思うんですが、違う世界から来たんです。」
言ってしまった。おかしな人だと思われただろうか、いや、でも私は嘘をつける性格ではない。
「そうか……」
ドクドクと体が心臓の音でいっぱいになる。ナノハさんは薄く色づいた唇を動かす。
「じゃあ、神託にあった神の使いなんだな!!」
想定外の反応だった。
「すごい。初めて見たよ!」
私の両手をぶんぶんと振り回しながら嬉しそうに話す。
だが、一方の私は状況についていけていない。
「あっ、あの……神託ってなんですか?」
「神託っていうのは神様のお告げのことだよ。大陸の中心にある神殿からこういう文書で公開されるんだ」
コートのポケットから取り出された薄茶色の紙には、漢字混じりの日本語が書かれていた。
『この世に神の使いが現れる』
手書きの文字なので正直信用できないが、この世界ではよほど重要なものなのだろう。
「すごい。こんなの運命だよ」
「ねぇ、礼華」
ナノハさんが急に立膝をついて手を伸ばす。その姿に思わず見惚れる。
「わたしの妹になってよ。」
耳を疑った。
「妹って……?」
ナノハの目は真剣だ。
これは夢の世界の話、現実に戻れば元に戻るだろう。だからわたしはあっさりと決断を下してしまった。しかも、こんなカッコいい人から好意的に見られている事実というのがただただ嬉しかった。
「いいですよ。わたし1人っ子だから。なんだか嬉しいです」
私はナノハさんの手をとった。彼女の表情がパッと明るくなる。
「ありがとう、礼華。」
(今のプロポーズみたいだった……)
あまりの美しい所作に、男性からプロポーズを受けているような気分になった。恋愛経験が全くといってなかったので、恥ずかしくてひとり悶々としている。
――コンコン
そんな空気を制したのはこの部屋の扉をノックする音だった。すぐ後ろの扉から聞こえる。
「少し、後ろに下がってて」
「は、はい」
誰か来たのだろうか。ナノハさんは私を隠すようにここに連れてきたから見つかってしまうと厄介なことになるのだろう。隠れようとも思っても、この部屋にはどこも隠れられそうなところはない。ここはナノハさんの指示に素直に従った方が良さそうだ。
ナノハは内開きの扉から顔を覗かせた。
(内開きだから外国なのかな?)
「何の用だ」
はたまた声の調子が変わる。あの威圧的な声だ。
「船に穴が空いたらしい…何か心当たりは?」
次に聞こえたのは男性の声。
「なぜわたしを疑う」
「そりゃそうだろ、しょっちゅう船をぶっ壊すのはお前だからな」
男性特有の低い声で、冗談めかしく話す声が聞こえる。
「残念だが、今回はわたしではない。他を当たってくれ」
ナノハはすぐに扉を閉めようとするが、男は扉に自分の足を挟んでこう続ける。
「おっと、嘘はいけねぇーぞ。嘘をついている時のお前はいつになく目を合わせない」
(ナノハさん大丈夫かな……?)
「船長命令だ、部屋を開けろ」
「それはでき……」
ナノハさんの服の裾を掴んで少し引っ張った。
「ナノハさんもういいですよ。ちゃんと説明しましょう」
船を壊したからには船長さんに謝る必要がある、そう小さい声で付け加えた。
「分かった」
ナノハは扉を押さえる手を離し、ゆっくりと扉から離れて礼華の斜め前に立つ。
「物分かりのいいやつで良かったな」
ゆっくりと扉が開くと、ナノハより上背のある男が部屋の前に立っていた。
どことなくナノハさんと似ている切長の瞳と青みがかった髪の褐色肌の男性だ。似た服装、同じ髪色だが、雰囲気がまた違う。
男性と目が合う。その鋭い視線に思わず目を逸らしたくなるが、我慢した。
「兄さん、この子は……」
(お兄さん!?)
いちいち驚いている場合ではなかった。ナノハさんには目もくれずに一直線にこっちへ向かってくる。さっきまでとは違う緊張感が漂っていた。
「お前、名前は?」
「伊藤礼華です……」
声が震えないようになんとか名前を言えた。
「礼華は私の妹になってくれたんだ、だから……」
「兄妹だって言いてぇのか?」
「ああ、そうだ」
男の人は妹であるナノハさんには見向きもしていない。
「妹だとは認めない、だが、今回のことは不問にしてやる」
「で、でも……あなたの船を壊してしまいました……」
このままではいけない、だからせめて謝ろうとした。
「船はよくナノハがぶっ壊すから気にしなくていい、それより自分の心配をしろ」
でもすぐに萎縮してしまう。
「は、はい」
(心配してくれてる……?)
怖そうな人だと思っていたが、船を壊したことも私を庇ったナノハさんのことも何も咎めたりしなかった。逆に『自分の心配をしろ』と言ってくれた。悪い人ではないのだろう。
男性は踵を返して足早に部屋を出て行った。
(やっぱり、怒ってるのかも……)
「ナノハ、そいつの面倒は任せるぞ」
「言われなくともそうするつもりだ」
バタンと勢いよく扉を閉めた。
「ふぅー」
緊張が一気に解けてその場にヘタレ込んだ。
「ひとまず良かったな、これで礼華はここで暮らせる」
ナノハさんの笑顔に安心させられる。
「私……何も聞かれなかったんですけど、大丈夫なんですか?」
彼女には一瞬で違う世界から来たという話が通じたが、あの人に信じてもらえるかは分からず不安でいた。結局何も聞かれなかったけど……
「多分だけど、兄さんは目撃してたっぽいかもね。礼華が空から落ちてきたのを」
「それじゃあ尚更不審者じゃないですか…ナノハさんに迷惑かけそうで心配です」
「迷惑なんかじゃない。礼華が来てくれただけでわたしは嬉しい」
目の前ではっきり言われてしまうと恥ずかしい。私の顔は真っ赤になっているだろう。
「多分だけどもうすぐ街に戻るはずだから、そこでいろいろ見に行こう」
「はい、分かりました。」
今度はどんな世界が広がっているのか……それがとても気になる。
◇◆◇
船を降りると、予想だにしない街並みが目の前にある。古い趣を感じる木造建築、漢字の書かれた暖簾、整備されていない道、日本の江戸時代の建物が並んでいた。
人は色とりどりの着物を着て、生活している。街全体は活気付いているように見えた。もちろん髪型もいろいろだ。
その中で一際目立ったのは白いレースの傘をさし、白いシャツと長くて青いフリルスカートを着ている女性だった。
江戸時代というより、明治初期の西洋の様式が取り入れられた頃だろうか、それにしては煉瓦造りの建物はどこにも見られない。
明治時代といえば舗装された道に和洋折衷の建物の並んでいる様子が思い出される。実際に見たことはないが、なんとなく想像がついた。
「よし、早速こっちだ」
私の手を引いて走る白いシャツと黒いズボンを履くナノハさんはその美しさからか、街ゆく人々の目を奪う。
「まずは服を買いに行こう、やっぱりその服は小さいな……」
対して私はナノハさんのお古の服を身につけているが、かなりパツパツで恥ずかしい。特に胸あたりのボタンは今にも弾け飛びそうだ。
連れられて来たのは一際立派な店だった。古い日本の商家に馴染まない色とりどりの布地が壁一面を飾っている。紫の暖簾には『池』の文字が書かれていた。おそらく呉服屋だろう。
「おばちゃーん、いるー?」
「はいはい、ただいま」
店の奥から出て来たのは美しい着物を着た40代前後の女性だった。その身だしなみは和洋折衷の簡素なデザインの着物と綺麗に結われたまとめ髪。老舗の女将といった雰囲気だ。
「ナノハちゃん、久しぶりだね。今日は何の用だい」
「妹に服を選んで欲しいんだ」
「こんにちは」
軽く挨拶をする。
「あらあら、はじめましてだねぇ。ナノハちゃんに妹がいたなんて、知らなかったよ」
「今来てなんだが、早速服を選んでもらいたい」
「はいはい、分かりましたよ。お嬢さん、こっちにいらっしゃい」
店の奥に通される。奥は畳の部屋で、特有の匂いが立ち込める。
「うちは着物から異国の服までたくさん置いてるよ。お嬢さんはどちらでも似合いそうだけどね」
柔らかい笑みを浮かべながら、何枚か服を持って来てくれた。ナノハさんが着ているようなシャツから、レトロな振袖までなんでも揃っている。
(着物の着方は分からないから、シャツとズボンとかにしといた方がいいかも…)
選んだのは薄い桜色の袖口が広がりフリルのついたゴシック調のシャツだ。こういう服を着てみたいと前々から思っていた。
「下は…」
ズボンを合わせてみるも、しっくりこない。
そこで思い出したのは、長いスカートを着た女性の姿だった。
「長いスカートはありますか?」
「ええ、もちろんありますよ」
柔らかい笑みを浮かべて、すぐさまスカートを用意してくれた。
「今は長いものが主流でございます」
あまりにも沢山のスカートに圧倒されていると、すかさず、私が合うものをお選びしましょう、と言ってくれた。
◇◆◇
その日は2人でひたすら街を見回り、いろんな話をした。あの店はよく服を買う『池鳥屋』という店で、生地を選べば服を一から仕上げてくれること、ナノハさんはわたしよりも年上の20歳だということ、お兄さんの名前は水鏡アランだということ……でも、肝心な水鏡家については何も聞けていなかった。
もう日は傾いていて、空はオレンジ色の光に包まれている。
「今日はわたしの部屋で我慢してね。明日は空いてる部屋を探すから」
「本当に、泊めてもらってもいいんですか?」
「いいって何回も言ってるだろ、礼華は妹なんだから」
すっかりナノハさんと打ち解け、今日だけで本当の姉妹のようになっていた。
彼女に手を引かれながら船に乗り込む。まだ船の乗り降りに慣れるには時間がかかりそうだ。
船には多くの船員達が乗っているそうで、その人たちに見つからないようにと遠回りして部屋に戻るらしい。
「おい、お前ら」
突然声をかけられて驚く。私のすぐ後ろにいつの間にかアランさんが立っていた。
「こいつだけ借りてくわ」
「えっ、ちょっと」
振り向いたのとほぼ同時に、腕を掴まれ、抱きかかえられた。プラーンと手足が空に浮く。アランさんは女性にしては重いであろう私を軽々と持ち上げている。
(えっ、なにこれ、なにこれ!)
「おい、何してんだよ」
少し怒声の混じったナノハさんの声、2人の間に流れる緊張感に圧倒されるしかできなかった。
「新しい神託が出た、こいつら関係だ」
(また、神託…?)
「わたしも行く!だから礼華を下ろしてくれ」
「お前が来るのか、珍しいこともあるな」
アランさんはゆっくり私を肩から下ろした。突然のことに動揺しながらも、ナノハさんに手を引かれ彼に着いていく。
「あはははっ、そうか!それで……」
「いや、そいつがさぁ……」
人の笑い声や話し声がだんだん聞こえてきた。船の上は夜にもかかわらず光に溢れていて、まるで別世界にいるようだ。
狭い通路を抜けて広い空間に出る。そこではガタイのいい男達が細長いテーブルを囲んで酒を飲んだり、食事をとったりしていた。とても賑やかだ。
「おっ、船長!お疲れ様です」
青い軍服を着た細身の男性が、駆け寄ってくる。男性にしては小柄で、10代の青年のように見えた。
「緑川、神託は何処にある」
「はい!ここに」
青年はポケットから今朝見たものと同じ薄茶色の紙を取り出した。
アランはそれをすぐに受け取る。
「お前も着いて来い」
「はい!」
そこで青年と目が合う。可愛らしい顔の青年で、栗色の整えられた髪が特徴的だ。軽く会釈をすると、にっこり笑って返してくれる。
「ナノハさんもお疲れ様です」
「お前も兄さんにこき使われて大変だっただろ、忙しいのにすまない」
「いえ、まだまだ未熟者ですので当然です」
ハキハキと話す彼の態度からその真面目さが伝わる。
「それで、そちらの方は?」
「妹の礼華だ」
「そうですか」
青年は小走りで私の横に回り込んでくる。
「初めまして、緑川ハルです。よろしくお願いします」
ハルさんは手を差し出してきた。
ここは下手に名前を言わない方がいいだろう。
「礼華です。こちらこそお願いします」
差し出された手を握る、と花開くような笑顔を見せる。
「可愛いだろ」
ナノハさんが自信ありげに私の頭に手を当てる。
(可愛いなんて……普通お世辞でもいわないよ)
「はい!こんな綺麗な人初めて見ました」
(これは…きっとお世辞だから、そうそう、私が綺麗なんて言われたことないし……!)
顔が熱い、きっと真っ赤になっているのだろう。淡い期待を抱いてしまう自分が自意識過剰な人に思えて恥ずかしくなる。
ハルは握られた礼華の手をぎゅっと両手で掴む。
「僕たち年も近いみたいですし、友達になりませんか?」
ここまで言ってくれる人は初めてだ。
「はい、いいですよ」
「やったー!」
ハルはその場をピョンピョンと飛び回る。
「おい、お前ら足が止まってるぞ」
気づくと、アランさんはもう階段を登り終わっている。
(下もあるみたいだったけど、上もあるの……?)
船の規模に驚く。
「すみません!今行きます」
急な木の階段を登っていくと、この船の先頭らしきところに来た。船を操作する舵のようなものがあるのではと思ったがどこにも見当たらない。
先頭は薄暗く、静かだ。耳を澄ませば波音が聞こえてくる。
そういえば、この船が何で動いているのかもわからないし、船酔いする気配がないのも不思議だ。ひどい時は電車酔いもするぐらいなので、船に酔わないということは考えられない。
あと、少しの違和感があった。
板張りの床をじっと観察するけれど、それらしきものは見当たらない。
「あっ礼華が落ちて来たとこ直ってるぞ、良かったな」
ナノハさんがニコッと事故現場を指差してこっちを見てくる。
「落ちて来たって……冗談ですよね」
「ほんとに落ちて来ちゃいまして……あはは」
(なんか、恥ずかしい……)
穴なんて何処にも見当たらない。船専門の技師さんが修理したのだろうか。
「緑川、神託の内容は見たか?」
「はい、内容は把握しています」
「よし、言ってみろ」
「はい!『神の使い、神の加護を有し、その数、ひとりに非ず』です」
ハルさんは内容を全て覚えているようで、その様子にえらく感心する。
「上出来だ。」
アランの表情が柔らかくなる。
「ありがとうございます!」
褒められたハルさんは嬉しそうだ。
「こいつがその神託にある、神の使いとやらのひとりだ」
アランは微笑んで真っ直ぐに礼華を指差す。
「そっ、そうなんですか!?」
ハルさんは動揺している。当然だ、自分でも自分の立ち位置がよく分かってないのに、それを他人に分かれといっても普通無理だろう。
「それとわたしらの妹だよ」
「だからそれは認めねぇって言っただろ」
そこに加え、ナノハさんの妹でもあるというとんでも設定。
「混乱するよね、ナノハさんの妹でもあって、違う世界から来たなんて」
「ーーはい、未だによく理解できていません」
この反応は、今朝の神託のことも知っているようだ。
「このことはお前だけに伝えとく。他言はするな」
◇◆◇
「んっ」
眩しい光で目を覚ました。いつもどうりの変わらない…
「あっ、礼華おはよう」
寝ぼけているのだろうか、すぐそばにナノハさんの顔がある。
(あぁ、そうか)
もう自分を誤魔化すのはやめよう。
ここはもう一つの現実世界なんだ。