アトサキ
「寒っ」
3月中旬、まだまだ朝は冷える。
しばらく布団の中で悪あがきをしたのだが、寒くて起きられないなどと、こどものような言い訳で仕事に遅れては社会人失格だ。
と、何度か自分に言い聞かせ
やっとの思いでベッドから降りる。
眠い目をこすりながらキッチンに向かい、湯を沸かす。
沸けるまでの間に顔を洗い、着替えを済ませた。まぁ着替えと言ってもカッチリスーツに身を包む訳でもない。フリーのカメラマンの僕はTシャツにパーカー、ジーンズといった、大学生の頃からほぼ変わらない格好だ。
もしかすると、中身も大して変わっていないかもしれない。
1つ変わったとすれば、コーヒーを飲むようになったことくらいか。
近所の焙煎所で挽いてもらった豆をフィルターに入れ、さっき沸かした湯をゆっくりと注ぐ。
「あぁ」
湯気とともに立ちのぼる、香ばしい珈琲の香りに思わず顔がゆるむ。
珈琲は苦くて苦手だったが、
「キミ」がハンドドリップで淹れてくれた珈琲を初めて飲んだ時、あまりにもフルーティで香り高く、感動したのだ。
と、通っぽく言ったが細かいことは正直わからない。でもとにかく、初めて、珈琲が美味しいものなのだと知った。
それ以来、どんなに慌ただしい朝でも必ず淹れるようにしている。
でないと、一日がはじまらない気がするのだ。
珈琲を口に含みながら、テレビに向けてリモコンを押す。
ちょうど天気予報の時間だ。
ロケは天気にかなり影響されるので、チェックするようにしている。
ひと通り全国の予報を伝え終わると、気象予報士は何やら嬉しそうに次の話題を繰り出した。
「今月末には満開の桜が見られそうですよ!」
「楽しみですねぇ。」
キャスターやコメンテーター達もやけに嬉しそうに盛り上がっている。
「桜か...」
春は正直嫌いだ。
花粉症かって?まぁそれもある。
が、しかし。
この感情の大半を占めているのは
「キミ」をいやでも思い出してしまうからだ。
3年前の冬。
とある駅前通りの裸の桜の木には、沢山の電飾が施され、白い無数の光が街に溢れていた。
カップルの多くはクリスマスシーズンにはイルミネーションを見に行くだろう?
どちらから言い出したかは今となっては覚えていないが、「キミ」と僕もそうした。
人混みは苦手だったが、やはり美しいと感じたし、心踊った。
駆け出しのカメラマンだった僕は、その頃、勉強にと常にカメラを持ち歩いていたので、夢中で「キミ」と光たちを撮った。
ファインダー越しの「キミ」は、こちらを振り向いて言った。
「春になったら、ここは桜の花でいっぱいになるの。そうしたらまた、一緒に来ようね。」
と微笑みながら。
でも、その日が訪れることはなかった。
春になる前に、僕らは別れてしまった。
なぜそうなったのかは分からない。
価値観のすれ違い
性格の不一致
気持ちが離れた...
よく聞く決定的な何かがあったわけではない。
少しずつ少しずつ。
何かが僕らを遠ざけた。
言葉では上手く説明出来ないけれど、恋人でも友達でも家族でも。
いつの間にか距離が離れてしまうことはあるものだ。
そうして3年が経ったが、すっかり1人にも慣れた。
かと言ってもう恋愛は懲り懲りだと思っている訳でもない。
ただ、どうしても春になると
果たせなかった約束を思い出してしまうんだ。
と、感傷に浸っている場合ではない。
すっかり冷めた珈琲を飲み干し、とりあえずカップをシンクに置いて家を出た。
「キミ」と満開の桜はもう撮れないけれど。
僕は今日も、誰かの一瞬を切り取るためにレンズを覗くのだ。
━━━━━数日後。
先日、気象予報士が伝えたように少しずつ気温も上がり、いつかの駅前通りの桜の木は満開の花を咲かせている。
ここにくるのは何だか複雑だったが、この満開の桜を撮るのが今日の仕事なのだから仕方がない。
桜の木を見上げながら大体の撮影位置を決め、シャッタースピードとF値を調節する。位置を決めたら、レンズを覗き構図を確かめる。
ピントを合わせたところで、僕は思わずカメラから顔を外した。
「キミ」を見つけたのだ。
3年経って髪型が変わっていたが、すぐにわかった。
「キミ」も僕に気がついて、視線がぶつかる。
少し離れた人混みの隙間から、
「キミ」は僕に笑った。
「キミ」の隣には別の誰かが居たけれど、不思議と辛くは無かった。
今「キミ」は幸せなのだとわかったから。
そして僕の幸せを願ってくれている気がした。
もう「キミ」を撮ることはないけれど。
「キミ」を祝福するように散る、桜の花弁を、僕は撮った。
ある曲をモチーフに書いたものです。
僕と「キミ」の辿った経過と結末を自分なりに描いてみました。
初めて書いてみたので、誤字脱字、また表現が稚拙な部分もあるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。
出会いと別れの中で、それぞれの幸せを手に出来たら。
と願いを込めて。