スタートライン
「なにしにここにきた?」
後ろから歩いてきた足音が止まる。
その音は極力消す努力をしていたが、俺を出し抜くには下手すぎる。
俺ことジャック・ド・マルク
年齢は15……歳だが、それは身体の年齢である。
精神年齢は25歳。ある理由から俺は10年間、身体の成長が止まってしまった。
未来永劫、成長することは無い。
「バレてしまいましたか。さすがはラスト・ソルジャーの二つ名を持つ戦士ですね」
彼女は同い年ぐらいだろうか。
白いスーツを着こなし、肩掛けカバンを持ちながらもこの場所にくるまで動きにくい服装で来るのは少し感心する。
俺ならすぐにでもその服装を脱ぎ捨てたいものだ。
「その名で呼ぶな」
「失礼。あまりにもそれ相応の格好ですので」
たしかに俺の服装はところどころが破けて、服として使い物になるか怪しいだろう。
ここ最近、風呂に入った記憶もないし臭うかもしれないな。
だが、そんなことはどうでもいい。俺は世間を捨てた身である。
誰かに命令されることが嫌で、逃げ出した臆病者にとってはちょうどいい姿だ。
「愛する者が目の前で死んだのはどういう気分ですか?」
「…………」
瞬間、心臓を鷲掴みにされた感覚に陥る。
もう何度この感覚に支配されただろうか。まったく制御できている気がしない。
俺は一つ大きく息を吸い、内なる怒りを抑えて彼女に聞いた。
「で、何のようなんだ? ここに来ても、期待には応えられないぞ」
「私が何を言い出すのかすでにご存じのようですね」
「……お前みたいなやつが一年おきに毎回訪ねてくるよ」
「そうですか」
そういうとカバンの中から、一枚の白紙を取り出して俺に渡した。
何か裏があるのだろうかとひらひらと揺らすも、意味はなかった。
あまりにも何も書かれていないので、どうすればいいのかわからない。
「そこにあなたの望みを書いてください。それを叶える代償に働いてもらいます」
「へぇ」
これは今までにないアプローチだ。
脅し、ゆすり、強制、約束。
そのどれもが下らない内容だった。
(どうしても俺を使いたいみたいだな)
道具として、傀儡として。
上層部が何を考えているのかわからないのが腹が立つ。
「いらねえよ。帰れ」
俺は紙をくしゃくしゃに丸めて、投げつけた。
その紙は彼女の足元に転がり、それを拾った。
「俺に望みだと? そんなものあるわけないだろ」
これは正直に言うと嘘になる。
身体の成長は止まっても、欲しいものはある。
美味しい食事をしたいし、暖かいベッドでぐっすりと寝たい、気が合う彼女と楽しい時間を過ごしたい。
そして、なによりも………………。
「帰れ。不愉快だ」
俺は彼女に背を向けて、その場から立ち去ろうとする。
その時、彼女は言った。
「あなたが何を望んでいるのかはわかりません。ですが、明日、もう一度だけここに尋ねさせてもらいます」
彼女は後ろで背を向けている俺に対して、頭を下げているのだろうか。
一瞬だけ、そんなことが頭によぎったがどうでもよく、歩いて出て行った。
「少し、暖かくなってきたか」
空を見上げるとそこには雲一つない青空が広がっている。
何か月かぶりに俺は日差しを浴びた。
「この前が冬だったのに、あっという間だな」
「それはマルクちゃんだけだよ」
「オーナー」
横で地面に水を撒いているビルの持ち主のオーナーこと酒井 由美子がそこにいた。
本来だったらすらりとする印象を与えるワンピースを見事にぎちぎちに着こなし、でっぷりとした体を見せびらかすように臆することなく、その場でヤンキー座りをしながらタバコをふかしている。
「あんたが部屋から出てくるなんて珍しいね」
「それを言うならオーナーこそ、水やりなんて珍しい。そういうめんどくさいことはしないんじゃなかったか?」
それに今の季節は春である。打ち水をするには寒いぐらいだ。
「はっ、これは今日の占いに厄介払いをするには打ち水が最適に言われたからさ」
「そうか。大変だな」
「あんたのことだよ」
「……?」
わけがわからない。
俺は厄介というよりか、貢献をしているはずだ。
家賃を倍払っているのに、何が不満なんだろうか。
「また、部屋の鍵を開けられただろ? もう何回目だい」
「知っているのか。だったら、いつも通り新しいのを手配頼む」
「あんたの部屋だけではなくオートロックの玄関も変えなきゃいけないからばかにならないんだよ!!」
「そうか。でも、大家としての責務を果たしてくれ」
「このろくでなしが……!!」
そこはそこ。これはこれ。
俺の問題かもしれないが簡単に侵入できるセキュリティにしている大家も悪い。
しっかりと直してもらい、平穏に部屋に引きこもりたいものだ。
「ほらっ、さっさと出て行きなっ。もうすぐすると業者がやってくるよ」
「わかった」
さすがに両手に数え切れないほどになると大家も慣れてきているみたいだ。
俺は振り返ることなく、町へと向かった。
町に向かったのはなんとなくだった。
ただ見慣れた道を、感覚で歩くとそこにたどり着いただけだ。
「やっぱり、変わったよな」
並び立つビルを見上げて、感慨深くなる。
俺がこの町に来たばかりの頃では考えられないほど建物がまともに残っている。
そこを歩く人たちは活気があり、昔を思い出す。
(ほらっ! 早くいこうよ!)
(僕たちならできるさ!!)
あの頃の俺は何も知らなかった。
ただ無邪気に、仲間たちと笑い合い、そして…………。
「どうかしたの?」
「っ!?」
後ろから声をかけられた。
俺は思ったよりも考え込み過ぎて反応が遅れて大げさになり、足がもつれて盛大に転んだ。
「えっと……大丈夫?」
少女は地面に座った俺に対して手を差し伸べてきた。
優しいのだろう。こんな薄汚れた男に手を差し出すのだから。
だが、俺はその少女の優しさに甘えることができなかった。
(う……そ、だろ……)
俺は目を見開いて、動揺していた。
少女の姿があまりにも、昔の仲間に……死んでしまった仲間に似ている。
「もう、そんなところに座り込んじゃうと迷惑だよ。ほら、立ち上がって」
俺は少女に脇を抱えあげられて、立ち上がった。
「家出でもしたの? すごく汚れているみたいだけど」
「い、いや……これは……」
言葉が出てこない。
言い方も、動きも、なにもかもまるっきり一緒だ。
「そんな泣きそうな顔をしないの。男のでしょ? って、あわわ!」
気がつけば、俺の目からは涙がこぼれ落ち、頬を濡らす。
(くそっ、こんなに心がかき乱されるなんて……)
俺はずっと後悔していた。割り切ったつもりだった。
それでも、俺はあいつらのことを……。
その時だった。
「きゃああぁぁぁぁぁ!!」
「なにっ!?」
少女が叫び声をした方に振り向く。
俺もつられてその方向を見るとそこには……。
「AGAAAAAAA!!]
全身が灰色に染まった大男が方向を上げて、コンクリートの地面をえぐっていた。
その右手には悲鳴をあげている女性が握りられている。
「なんだよ……これ」
「撮影か何かか?」
状況が全く理解できない野次馬たちが携帯電話を取り出して写真を取り出す。
その中にいるバカがフラッシュをたいた。その瞬間……。
「うわっ!!」
「ひぃっ!?」
彼らの持つ電子機器はボンッと爆発をし、ガラクタになり果てた。
さすがの彼らも自分の持ちものに異変が起き、ただ事ではないと察したのだろう。
「に、にげろぉぉぉ!!」
「うああああぁぁぁぁぁ!!」
辺りはパニックになる。
誰もが我先にと、逃げ出そうとしてぶつかり合っていく。
そんな中で俺は冷静にあることを考えていた。
(もしも、もしも……この少女があいつなら……)
目の前の少女に目を奪われる。どう行動するのか気になって仕方がない。
その答えはすぐにわかることだった。
「た、たすけて……たすけてぇぇぇ!!」
灰色の大男に捕まれていた女性が、助けを求める。
「うん。今いくよ」
そういうと彼女は駆け出した。
自分よりもはるかに数倍大きい未知の生物に恐れなく、駆け出す。
(そうだよな……お前はそうするよな)
間違いない彼女だ。
俺の中でかけがいのない大事な人だ。
あの行動に間違いがあるはずがない。
「GAAAAAAA!!]
「……抜刀。不知火!!」
その少女は空間から炎を取り出し、刀のように振るった。
威嚇する大男の片腕にヒットし、その瞬間、握る力が弱まり人質になっていた女性は解放される。
「あ、ありが……」
「行って!! ここは食い止めるから!!」
お礼を言われる前に少女は叫んだ。
その言葉の意味を理解したのか、女性は一目散にその場から逃げ出した。
「GAAAAAAAAA!!!!]
「くっ!」
大男は無事な左腕で少女の地面をえぐる。
一瞬早く反応し、その場から後退したがそれはよくない。
「……うそ!!」
大男の行動に少女は目を開かせた。
大男は巨大なコンクリートを持ち上げ、頭上にかざしている。
今にも投げそうなそのフォームに少女は一瞬だけ背後を見た。
その先には、先ほど逃げ出した女性の姿がある。
もし、今投げつけられ少女がよければ女性は無事ではすまない。
「っ!!」
避けないという覚悟を決めたのか。
少女の顔に決意が宿る。
このままだと彼女は死んでしまう。あの日のことがフラッシュバックし、思わず駆ける衝動に駆られる。
だが、そんな必要はなかった。
「総員! 少女を守れ!!」
「「「はい!!」」
男女混合の羽の生えた天使のような兵士が間に入った。
投げつけられた岩をいともたやすく防ぎ切り、少女の命は助かった。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます!」
なんとなく、なんとなくだが、俺は動かなくてよかったと思った。
それが何を意味するのかは分からない。
でも、この場ではそう思えた。
「そうだよな。あいつなわけないか」
さっきまであの少女が昔の仲間に重なっていたが今もう見る影もなかった。
他人の空似。偶然、同じような力を手にして、同じような顔立ちをしていただけだ。
そう決めつけ、俺は激化する戦場に背を向けてその場をそっと離れようとしたその時だった。
「逃げていいの?」
俺の腰ぐらいまでの背しかない少女が問いかけてきた。
髪の色は真っ白で外国の人かコスプレか。
その瞳には並々ならぬ意思を感じる。
「子供が戦場に出ちゃダメだ。一緒に出るぞ」
「あの子、死んじゃうよ?」
「…………はっ?」
俺はその言葉を聞いて振り返った。
視線の先には増援に来た兵士と共にうまいこと連携して戦うあの子の姿がある。
大男は無数の傷をおい、瀕死の状態だ。
誰がどう見ても、勝敗はわかる……なのに。
「おい、それは一体どういう……まじかよ」
少女の方を向くとそこには姿がなかった。
俺を相手に、全く気付かれずにこの場を離れた。
そのせいで少女の言っていることに信憑性が増した。
(関わらないって、決めたのにな)
一瞬でも、あの子と愛する人が重なった。
それだけでも、俺が動く理由にはなるにはなった。