六話 毛玉洗い
やっと毛玉洗いまできました!
夜の森はひんやりとする。
風は冷たく、耳を触ればまるで雪のように冷たい。
けれど、空を見上げれば満天の星。それは見た事のないほどに美しく、ステラはぼんやりとそれを見つめていた。
「恐ろしい森の中にいるはずなのに……穏やかだわ」
不思議なことに、森の中に一人ぽつりといるのに恐怖と言う物を感じなかった。
辺りを見回せば木々が並び、暗い森が広がるというのに。
ただ、その理由は思い当たる。
ペンダントが温かに光っており、それがまるで守ってくれているようだとステラは感じていた。そして泉が淡く美しく発光しているのも理由の一つである。
泉を覗き込めば、青白く輝く水の中で、きらめく虹色の魚が嬉しそうに泳いでいる。
物語の挿絵のような光景に、ステラはすっかり恐怖心というものを忘れてしまったようだ。
「本当に綺麗」
水面へと手を伸ばし、水の中に手を入れた時、ステラはふと水面に映った自分の姿を見て目を瞬かせた。
「え?」
慌てて自分の髪を指ですかして見れば、くすんでいたはずの髪色が、雪のように白く、透けるような色へと変わっていたのである。
しかも、水面に映る瞳は、泉の中を気持ちよさそうに泳ぐ虹色の魚と同じ色合いをしており、ステラは自分に一体何が起こったのだろうかと首を傾げる。
特別な事は何もしていない。
しいていうならば、泉につかったくらいのことである。
もしくは毛玉を洗った。
何が理由なのだろうかと疑問に思いながらも、まぁいいかとステラは考えることを放棄する。
どうせ自分は魔物に食い殺されて間もなく命が尽きる運命だ。ならば考えたところで変わらないだろうと結論付ける。
「毛玉の魔物さん……まだかしら」
未だにステラは何もすることのない時間をどう扱えばいいのか、分からないでいた。今まで睡眠時間すらままならない日々ばかりであったがために、どうにも時間の潰し方というものが分からない。
だからこそ、一人で、何もすることが無いと思い出してしまうのだ。
自分を見捨てた家族のことや、王家のこと。考えたくないのに、自分は本当はどうしたらよかったのだろうかとたらればなことばかり考えてしまう。
もし自分がもっと美しく、アスランの目を惹きつけるような令嬢であったならばこうはならなかったのか。
もし自分がもっと賢く、王家に手放したくないと思えるほどの才能をもっていたならばこうはならなかったのか。
もし自分がもっと家族に愛されていたら、こうはならなかったのか。
訪れることのない、もしの世界を想像して、幸せな自分を想像して、そして現実にはそうなるわけはないのにと苦笑を浮かべる。
運命はすでに決まっているのに、時間があるとこうして考えてしまう。
「ダメね。ふふ……でも不思議。何だかんだ考えても、私、食い殺されるというのに、今の方が幸せだと感じている」
死ぬのが怖くないわけではない。
ただ、ふと気づく。
自分は本当に生きていたのだろうかと。
ただ操られるように、ただ流されるように、運命と言う物に流されているばかりで、何も自分の思うとおりにはならなかった。
けれど今は違う。
ステラは大きく背伸びをすると、小さかった頃、一度やってみたいと思っていたことを思いだした。
大きく息を吸って、ステラは声の限り歌声を上げた。
それは美しい歌というよりも、元気いっぱいな歌というもので、夜中の森には不釣り合いな響きだった。
不思議なことに声は良く響き、歌っていると心地良くなる。ステラは誰も見ていないのだからと子どもの頃やってみたかった外で大きな声で歌うというものを叶えていた。
死ぬ前に小さな頃の願いくらい叶えてもいいだろうと、力いっぱいに歌う。
「ふふ! あっはは!」
ステラは誰にもとがめられることもなく歌えたことを笑い、くるりと体を回転させると踊り始める。
そして今度は鼻歌を歌いながら、体を思うがままに動かす。
ダンスの厳しい教師は何度も何度もステラに注意してきた。それはもちろんステラのためではあったが、ステラは教わるたびに、叱られるたびに、そして鞭で打たれるたびにダンスというものが嫌いになっていった。
けれど、もうここでは難しいステップなんて関係ない。指先の動きまでなんて意識しない。
自由に動き、自由に飛び、自由に回る。
体が今までの中で一番軽い。
ガサリ
その時だった。
ステラは気づく。
足を止め、森へと視線を向けるとおびただしい数の真っ赤な瞳がステラのことをじっと見つめていた。
あぁ、自由な時間は終わり、食い殺される時間が来たのだとステラは覚悟を決めた。
「きゅっきゅっきゅ~」
その時、目の前に体をぴょんぴょことバウンドさせながら先ほどの白い毛玉の魔物が現れると、ステラの腕の中へと飛び込んできた。
「わっ……あぁ。あなただったの。おかえりなさい」
ステラはそう言いながらも、これは仲間を連れてきて自分を一緒に食い殺す気だろうかと、背筋に嫌な汗が流れ落ちる。
森の中からずらずらと黒い毛玉が現れ、一際大きな毛玉がステラの前へと進み出てくると、頭を下げる。それに合わせて、他の毛玉も頭を下げてくる。
ステラが呆然としていると、白い毛玉は泣き声を上げた。
「きゅっきゅきゅ~~~」
「えっと……皆も、洗ってって言っているの?」
「きゅ!」
ステラの腕から一度ぴょんと飛び出ると、一生懸命に泉と毛玉との間を行きかい、ステラに毛玉を洗ってくれるように白い毛玉がお願いしてくる。
それをステラは見て、ほっと肩をなでおろした。
さすがにこれだけの数に食い殺されるのはかなりの恐怖である。
「分かったわ」
ステラはスカートをたくしあげて太ももで結ぶ。
王宮にいた頃には考えられない大胆な行動であるが、先ほど一糸まとわぬ姿で泉で泳いだこともあり、そんな概念などすでに頭の隅に追いやられていた。
ステラは泉の中に足を入れると、浅瀬で一番大きな毛玉から洗い始める。
ゆっくりと丁寧に洗っていくと、汚れはみるみるうちに落ちていき、真っ白な毛玉へと変わる。
それを見ていた他の毛玉からは歓声があがった。
「きゅきゅ!」
「きゅ~きゅ~!」
「きゅきゅきゅ!」
全て”きゅ”という言葉ではあるものの、ニュアンスで響きが違って聞こえるから不思議なものだ。
毛玉の魔物達は列をなして並び、ステラは可愛いなと思いながら鼻歌交じりに毛玉を洗う。すると鼻歌に毛玉たちが歌を重ね、大合唱となっていく。
ただし、毛玉の歌声は全て”きゅ”で構成されている。
ステラは笑いながら歌い、そして毛玉を丁寧に洗い上げていく。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。気が付けば月は消え、空には太陽が昇り鳥も合唱に加わった。
そして最後の一匹を洗い終えたステラは、時間が流れたのにもかかわらず自分が全く疲れていないことに驚いた。
「何でかしら……?」
魔物の森では疲れがこないのだろうかと不思議に思っていたステラの腕の中に、白い毛玉が飛びこんできた。
「きゅきゅきゅ~」
もふもふとした感触に、ステラの頬は緩む。
「ふふ。あなた最初の毛玉さんでしょう? 私あなただけはちゃんと見分けがつくわ。不思議ね」
「っきゅ!」
照れたように毛玉は体をふるふると震わせる。
それを撫でながら、ステラは毛玉へと視線を移すと、なんと毛玉がまたステラの目の前に並び、頭を下げていた。
「きゅきゅ~~~~!!!!」
ひときわ大きな毛玉が鳴き声をあげ、ステラは小首を傾げながらも微笑を返した。
すると毛玉達が一斉に集まり、そしてステラの足元をくるくると回り始めると、ステラを持ち上げ、毛玉の絨毯のようになると森の中を移動し始める。
「っきゃ! え? どこへ行くの?」
「きゅ~」
まるで安心してねとでも言うように、腕の中の白い毛玉がステラへと身を寄せる。
毛玉達は一つの絨毯のように、森の中を駆けていく。
木々が生い茂っているのにもかかわらず、一つの毛玉も遅れることなく、駆けていく姿に、ステラは毛玉の足はどうなっているのであろうかと想像しかけて、やめた。
知らぬが仏という言葉が、どこかの国にはあるらしい。
「どこに向かっているのかしら」
ステラはぎゅ~っと、腕の中の白い毛玉を抱きしめた。
わぁーい!(*´ω`*)
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