五話 毛玉の魔物
婚約破棄ものの小説を一心不乱に読んでたら、あれ?太陽が沈んでました。
わぁお。
赤い瞳を持つ生き物は、この魔物の森にしか生息されないと言われている。
その理由については分からないが、この魔物の森にすむ生き物は例外なく赤い瞳を持ち、そしてそのうちに秘めた魔力と外界にはいない見た目は人々の恐怖の的とされていた。
ステラ自身も、その姿を見るまでは魔物に対して恐怖を抱いていたし、自分を食い殺すであろう生き物に対してその思い以外を抱くことはないと思っていた。
そう。
目にするまでは。
「……可愛い」
「きゅ~?」
真っ黒な毛玉がそこにいた。
赤い瞳とふわふわの真っ黒な毛並みの丸い魔物。
ぴょんぴょこぴょんぴょこと跳ねて、体をバウンドさせながら進み、そしてステラの目の前までやってくるとくるっと回転してから首を傾げるように体を揺らす。
「きゅ~?」
「っわ!」
ためらいも躊躇もなくステラの手の中へと飛び込んできた毛玉の魔物は、ふわふわと綿毛のように柔らかく、それでいてつぶらな瞳は真っ赤だというのにとても可愛らしい。
雲をもし触れるとしたら、こんな感触なのではないだろうかとステラは思う。
そして、暴れることもせずに可愛らしい鳴き声でステラをじっと見つめてくる毛玉の魔物に、ステラはくすりと笑った。
「私……食い殺されるなら貴方がいいわ」
その言葉に毛玉が驚いたように体をぷるぷると震わせ、そして慌てたような声で「きゅきゅきゅきゅきゅ!」と鳴き声を上げる。
それから恥らうように体を揺すり始め、この可愛らしい動きは何だろうかとステラは小首を傾げた。
もうすぐ夜が来る。
空を見上げれば空は茜色に染まり始め、夕闇が広がっていっていた。
見た事もない恐ろしい魔物に食い殺されるよりは、姿形の分かっている、目の前の可愛らしい魔物に食い殺される方がいい。
「でも……あなた本当に真っ黒ね。これは……煤みたい。一体どこでつけたの? そうね、せっかくなら綺麗になったあなたに食い殺されたわ。洗ってもいいかしら?」
「きゅ?」
ステラはその声を合意の声だと解釈すると、ゆっくりと泉のきらめく水へと毛玉を浸した。
「ふふ。綺麗になぁれ」
鼻歌を歌いながら、ステラは毛玉の毛を優しく撫でて、水で洗い流していく。
毛玉は嫌がることはなく、ただただ不思議そうに、そして少しだけ恥ずかしそうにされるがままになっている。
不思議なことに、毛玉は水で濡らしてもしぼむことはなく、濡らしている感覚はあるのに毛は触ればふわふわのままである。
ステラは毛を優しく撫でながら、水の中ですかすように洗っていく。
綺麗になぁれと願いながら、鼻歌を歌って、ステラは柔らかな毛を撫でながら洗っていくと、面白いほどきれいに黒い煤のような汚れは落ちていく。
それなのに、汚れは水に消えるばかりで、水はいつまでもきらめいて綺麗なままである。
「不思議ね……それにしてもあなた、本当は真っ白だったのね」
今は牛のようにまだらな色になっているが、丁寧に洗っていけば汚れは見る見るうちに落ちていく。
そしてしっかりと洗い上げた時、その体はふわふわの真っ白けっけで、ステラは瞳を輝かせた。
「綺麗。まるで本物の雲みたいだわ」
指で優しく撫でればふんわりと、頬を寄せればもふもふと、それは触ったことのない未知の感触で、柔らかくでずっと撫でていたい衝動に駆られる。
ステラはうっとりとした瞳でもふもふに顔をうずめながら言った。
「あなたになら食い殺されるのも怖くはないわ。優しく、食い殺してね」
小さな声でそう呟くと、毛玉がぷるぷると恥らうように揺れ、そして可愛らしい鳴き声を上げた。
「きゅきゅきゅ~!」
ステラの手からぴょんっと飛び出した毛玉の魔物は、地面の上でコロコロと転がりながら、ふるふると体を揺すり、そしてステラの方へと視線を向けると鳴き声をあげた。
「きゅっきゅ!」
何と言っているのだろうかとステラは首を傾げると、毛玉の魔物は自分の体が真っ白な事に今気が付いたのか、驚いたようにくるくると回転し、そしてぴょんっと空高くまで飛び上がると、つぶらな瞳を輝かせた。
そしてステラの頬にすりすりとすり寄ってくる。
その仕草に、ステラは胸の中が温かになり、ぎゅっと毛玉の魔物を抱きしめた。
温かかった。
水の中にいるのに、魔物の毛はステラに張り付くことなくふわりとしていて、とても心地の良い触り心地である。
何故か、涙がまた溢れてきた。
人に優しくされたことなど、いつぶりであろうか。
シャーロットのことを思いだし、ステラは唇を噛むと、ペンダントをぎゅっと握る。
「きゅ?」
「ふふ。大丈夫よ」
「きゅ!」
毛玉の魔物は泣き声を上げると、シャーロットからもらったペンダントにキスをした。すると、それはまばゆく光り輝き、灯りへと変わる。
夕闇を照らすような灯りにステラが驚くと、毛玉の魔物は自慢げな表情で鳴いた。
「きゅきゅ~」
そして毛玉の魔物はステラの頬にすり寄り、ちゅっとキスをすると森の中へとぴょんぴょことはバウンドしながら戻って行ってしまった。
ペンダントの灯りは消えることなく、ステラはぎゅっとそれを握ると微笑を浮かべた。
「ふふ。何だか、すぐ戻ってくるからちょっと待っててねって言われたような気がしたわ。ふふふ。することはないし、うん。ちょっとだけ、ここで待っていようかしら」
ステラは先ほど脱ぎ捨てた服を泉の中で手洗いすると木に干した。するとそれは一瞬で乾き、それどころか新品のように真っ白なワンピースへと変わっていた。
「不思議ね」
魔物の森とは常識が通用しないのだなとステラは思いながらも、ワンピースを着てから空を見上げた。
灯りのおかげで怖くはなかった。
毛玉の魔物が帰って来るかは分からない。けれどステラは感じたままにその場で待つことを選んだ。
「月は、どこでも見ても美しいのね」
ステラが月を眺めている間、毛玉の魔物は森の中をまるで光の矢のような速さで移動していた。
そして森を抜けた先に、漆黒の巨大な城が現れる。城壁は夜の空よりも黒く、光沢がある。そんな中を毛玉の魔物は体をバウンドさせながら進むと、大きな扉に体で体当たりすると開いた。
そして中に入り、体をクルリと反転させると声を上げた。
「聖女様がついに現れました!」
毛玉の姿からきらめく銀色の髪と深紅の瞳を持った青年へと姿を変えた魔物は興奮した口調で言葉を続けた。
「私の体を優しく洗い、穢れを落としてくれたのです!」
部屋の中には大きな机があり、王座には大きな真っ黒い毛玉の魔物が座っている。他の席にも魔物の姿はあり、驚いたように目を丸くしていた。
「王子ヒューリーよ! それは、真か!? いや、お前の姿を見れば一目瞭然。人の姿を取り戻せたのだな」
「はい。やっと人の姿を取り戻せるまでに魔力も体に安定してきました」
「あぁ、なんと喜ばしいことだ。城の中では会話は出来るが、外に出れば会話すらできないこの身の不自由さからようやく解放される時が来たのだな」
「はい! 聖女様ならば皆の体からも穢れを落としてくれることでしょう。そして他の町もそれに大樹の穢れも、きっと!」
毛玉の魔物達は歓声を上げ、ぴょんぴょこぴょんぴょこと体をバウンドさせながら喜ぶ。
そんな中、ヒューリーは意を決したように、顔を赤らめながら言った。
「そして……その、聖女様が言ったのです。あの、私に、食い殺されたいと」
その言葉に一瞬会場内がシンと静まり返る。そして、次の瞬間皆から大歓声が上がった。
「これは目出度い!」
「なんと喜ばしい!」
「ヒューリー殿下と聖女様が結婚とは、素晴らしいことだ!」
「聖女様もご自分からとは、中々に大胆ですな!」
毛玉の魔物達は次々に喜びの声を上げていく。
ヒューリーはそれを照れた笑みで嬉しそうに頷き返す。
「して、聖女様はいずこに?」
「穢れてしまっていた聖なる泉を浄化し、そこで身を清めています。私が魔物に襲われないように、光の守護を授けてあります。さぁ皆で聖女様のところへと行きましょう!」
毛玉達は喜んでヒューリーの後をついていく。
ステラは知らなかった。
魔物にとって”食い殺される”という言葉の意味が、”結婚する”、”あなたに一生を捧げる”、”性的な意味であなたに食べられたい”ということを。
はたしてステラはいつそのことに気付くのであろうか。
ブクマや評価、励みになります。ありがとうございます!
よーし、今日も頑張るぞ!(*'▽')