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白銀のエルフはお風呂好き

「はぁ……。一日の終わりは、やはりこれに限るなぁ……」

 大きなため息とともに、チャプンと水面がかすかに揺れる。一日の疲れと緊張を、お湯と一緒に落とす儀式。窮屈な仕事着から開放され、つねに張っている気を緩めて、その日を締めくくるための恒例行事。

 少しだけ奮発した乳白色の入浴剤で満たされた浴槽の中で、私は手のひらにお湯をすくい上げて水面に映る自分の顔を眺めていた。

「少し高かったけど、やっぱり高い入浴剤は違うし気持ちいい……。今日はいっぱい申請きたけど、なんとか頑張ったし……。うん、私偉い」

 水面に浮かぶ自分の顔に向かって、私は言い聞かせるようにそう口にする。普段の格式張った話し方も今だけは必要ない。外では常に気を張って、力を抜くのは家の中だけ。それがエルフの里を出た時に、自分に誓ったことだった。

 エルフの里。森の奥深くで木々とともに暮らす村。一見すると穏やかで静かな住みやすい理想郷のように見えるそこだが、その実情は排他と保守が絶対の地獄そのものだ。

 排他的で変わることを拒み、遥か昔の在り方を至上とする。成長すらも彼らにとっては変化であり、最も唾棄すべき対象だ。里の評議会の席は何百年も変わらないままで、その事実を誰もが当たり前として受け入れている。疑問は許されない。

「……もう二十年かぁ」

 もう、と言うべきなのか、それともまだ、と言うべきなのか。少なくとも私が里を出てからの二十年を思い返した時に思い浮かぶのは、もう二十年も経ったのかという感慨だった。

 里を出てからの二十年は、私にとっては激動の時間だったと思う。自分の常識が一切通用しない世界に踏み出して、その世界を自分の足で歩いていく。それは何一つ変化のなかった里の生活とは正反対で、だからこそ私にとっては正反対に見えた。

 昨日と同じ今日の存在しない日々。今日よりも明日がいい日であればいいと、そう思いながら瞼を閉じることができる幸せ。それは何の変化もない百年とは比べ物にもならない、輝いた日々だ。それはこうして風呂場で仕事の疲れにため息をこぼす今でも変わらない。

 あの里に居たら味わうことの出来なかった日々。この泉の精霊謹製の入浴剤の気持ちよさも、あの里にいたら味わうことはなかったのだろう。そう思うと、思わず笑みが溢れる。こんなことを改めて思うことが出来たのはきっと──。

「ユウト……か」

 変わった青年だった。旧い馴染みのノスリが連れてきた青年。彼はノスリがドラゴニュートの落とし物と言っただけあり、本当にこの街のことを何も知らなかった。入るべき門すら分からずにドラゴンに踏み潰されそうになり、その挙げ句に郵便屋に役所まで連れてこられるほどに無知だった。

 事務所で待ってもらっている間にこっそりと覗き見た時は、それこそお上りさんのように周囲をずっとキョロキョロと見渡していたくらいだ。そんか彼の姿が、かつての自分と重なって見えた。

 里から出てきたばかりで何も分からずに、この街に翻弄されていた自分と。自分の常識が通用しない世界に来てしまって怖がっていた自分に似ていると、そう思ってしまったのだ。

「ふふ、それはちょっと言い過ぎかな? 私と違って彼は生活保護については詳しいみたいだったし、何も知らなかった私とは大違いだ」

 だから彼を勧誘した、自分と同じケースワーカーに。知識もあったし、それになによりあの優しさはこの仕事に向いていると思ったから。彼と一緒に仕事がしてみたいと、素直にそう思ったから。

「まあ、振られちゃったけど」

 すげなく断られてしまったことを思い出し、それでも自然と笑みが溢れた。突然こんな仕事に勧誘されて、それを断るのにも真剣に申し訳無さそうな顔をしていた青年のことを思い出して。

 そして今頃は彼がきっと同期であるメイヤーの料理をお腹いっぱいに食べて、部屋で今日の疲れを癒やしてくれてるであろうことを想像したから。

「ん、魔鏡の音? 誰だろう、こんな時間に……」

 まさか彼が出会って二日目にして、早速トラブルに見舞われていることなんて予想もしていなくて。慌てて体を拭いてタオルを巻いた私は、魔法の鏡を見て見知ったサインが映っていることに首を傾げた。

「メイヤーから……? なんだろう、この前貸した本の催促かなにかだろうか」

 もう十年も一緒に居るというのに、用事のある時以外には連絡をしてこない悪魔からの連絡。ついさっき思い浮かべていた相手だったこともあり、なんだか嫌な予感がしないでもないのだが──。

「はい、シルフィーだけど……」

 そう思いながら私は魔鏡のスイッチを押して、鏡に映し出された光景を見る。連絡した相手と鏡越しに話ができる魔道具。向こうの鏡に映る景色も音も全てを再現するという、大変に便利な道具なのだが。

「あ、シルフィー? って、もしかして風呂上がりかなにかか? ……おい、ユウトお前こっち見るな」

「え? なんで……って、うわあああ!! すみません何も見てません!!」

「ユ、ユウト!? ちょ、ちょっと待ってくれ今お風呂に入っていたところで──」

 その向こうに見知った赤い髪とそして、先程まで思い浮かべていた青年の顔があって。私は初めて、この魔道具の利便性を恨むことになったのだった。


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