第1話 八重樫雪緒はアホの子である
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2005年 5月10日 火曜日
川津昌は当時、9歳で小学3年生だった。
初めてのクラス替えが行われてから馴染む間もなくゴールデンウィークへと突入。
そして連休が終わり、今日からまた通常通りの学校生活が再開された。
「いってきまーす……」
いつも通りテンションの高い母親に見送られながら、いつもより2オクターブくらい低い声で一応の挨拶を返す。
たとえ小学生であっても連休明けの登校というのは億劫なものなのだ。
「くそぅ、かあさんめ。DSを人質にとるとは……っ」
昌は母親とのふたり暮らし、裕福とは言えないのでゲーム機等はずっと買ってもらえないでいた。しかし、去年発売された「ニンテンドーDS」は母親が仕事仲間からちょっとした理由で譲り受け、品薄だった当初から昌の元へと転がり込んできたのだ。なんでも浮気していた恋人からのプレゼントなんてみたくないとかなんとか。
理由はどうあれ初のゲーム機ゲットに普段は生意気だと揶揄されている昌も、年相応に狂喜乱舞した。以来、DSは彼の相棒だ。ちなみに昌は「メイドインワリオ」のスタート画面でいくらでも遊べるくらいヘビーユーザーだったりする。
昌にとってDSがいかに大切なものか理解いただけただろう。そこで話は戻るが、今朝、連休明けで渋っている昌に「登校しなきゃこれ(DS)がどうなるかわかってるでしょうね」と母親が尋ねてきたのだ。
彼女は河津家最強生物であり川津家絶対権力者だ(ふたり暮らしだけれど)。昌としては学校に行くという選択肢しか残っていなかった。
昌は敗残兵よろしくトボトボとした足取りでアパートの門を出る。
「あ――」
目の前の歩道を歩く少女と目が合い、昌は短く声をあげる。
ふたつにわけたおさげ髪。
大きめの黒縁眼鏡。
アンティークなワンピース。
背は昌より少し小さく、背負っている高級感のある深い赤色のランドセルはやや大きそうに見える。
彼女は八重樫雪緒、新学年になって同じクラスになった女の子だ。
昌の住むアパートを見下ろすようにでんと建っている高級マンションに住んでいるらしい。
昌は彼女のことを好ましく思ってはいなかった。
否、ぶっちゃけ嫌いだった。
その理由として――。
「またひとり……でゅふふ」
わざとやっているのか、はたまた天然なのか、いちいち癇に障るのだ。
こいつ――……っ。
どうやらおれに一緒に登校する友達がいないと言いたいらしいな。
やれやれ。これだから「ものごとのほんしつ」を見えていない奴はいやだな。
たしかに今はひとり。
だが、俺が本気を出せばすぐに友達100人くらいあっという間だというのにな、やだやだ。
心の中ではそう思っていてもこの安い挑発を見逃せるほど昌は枯れていなかった(今年で9歳)。
「ぁん?」
昌が下からえぐりこむように雪緒を睨めつける。
「わ? え? え?」
彼女はびくりと肩を跳ね上げ、慌てて両手で口を塞いでいる。
あ。こいつアホなだけなんだ。
『ゆきおちゃーん』『おーい、はやくしろって』『こっちこっちー』
そのとき、少し離れた通りでクラスメイトの声が聞こえる。
雪緒はまるで小動物のように昌を警戒しながらじりじりと間合いを離し、逃げるようにクラスメイトの元へと走って行く。
そしてその途中で見事にこけた。
昌が雪緒を嫌いな理由その2はこれだ。
どんくさくて見ているとイライラするから。
『えー。だいじょうぶー?』『ゆきおちゃんいつもころぶよね』
「いたい」
雪緒は平然とほこりを払っている。
……アホめ。
自業自得だと昌が鼻を鳴らす。
そんな彼にクラスメイトと合流した雪緒がおもむろに振り向き、
「でへへ」
まるでボッチの昌にマウントを取るかのように、にんまりと笑みを浮かべてくる。
「あのアホが……っ」
昌の向かう先は登校しているのだから、当然だが小学校になる。
そして雪緒たちクラスメイト達もまた然り。
そうなると変に遠回りをしない限り、この一本道の通学路を歩いていくことになる。
昌から少し離れた先を雪緒たちが歩いていた。
クラスメイトたちは他愛のない話に興じているが、雪緒は一緒に登校しているにも関わらずその輪の中に全く入れていなかった。
ほんのわずか離れたところをじっと地面を見つめながら付いていっている。
クラスメイトたちが雪緒を連れているのには明確な理由があった。
それは昌が雪緒の一番嫌いなところでもある。
コンビニ前に差し掛かったところでクラスメイトがやっと雪緒へと声をかける。
『やえがし。今日もコンビニよろーぜ』『ゆきおちゃんおごってー』『あーあたしもいきたーい』
「あ、う、うん……」
雪緒が慌てて鞄からうさぎのマスコットの形をしたパスケースを取り出す。あの中にはクレジットカードが入っている。
そして、彼女はそのカードを使って毎日クラスメイトたちにご馳走していた。
有り体に言えば利用されているのだ。
財布にされているのだ。
先ほどまで会話にすら混ぜていなかったのだから、そこにわずかでも友情があるのかすら怪しいところだ。
「ふへへ」
しかし雪緒本人は全く気付いていない。それどころかあの緩んだ顔は頼りにされて嬉しいとか勘違いしているまである。
コンビニに寄っていく雪緒たちを横目で見ながら昌はひとりで学校への道を急ぐ。
「ほんとあいつってアホだな」
最期まで読んできただきありがとうございます。
続きます。
次回更新は明日の12時になります。
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