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会話中に脈絡なく「霊を信じますか」と聞かれて、「はい」と即答する人はそんなに居ないだろう。どうしてそんな質問になるのか、ふざけているのか、まずそれが気になるのではないだろうか。
陸杜もそう思い、尋ねられた英俊がどう返答するか気になった。
「霊? うん、居るんじゃない?」
(普通に答えるのかよ……)
思いっきり脱力する。英俊は正直すぎるというか、少しズレたところがあるのを忘れていた。
そんな英俊を横目で睨んでいて、ふとなぜ霊の話なのかに思い当たる。後部座席を覗き込んで訊いてみた。
「高野先輩ん家って、お寺でしたよね?」
「静成寺。よく知ってるわね」
「あ、やっぱり。俺ん家、わりと近くなんで」
言ってから英俊を見れば、そういう情報は先に言え、と言いたそうな視線を送ってきた。無視して話を続ける。
「中学は東中ですよね」
「そう! 懐かしいわ。国語の名賀先生って知ってる?」
「あっ、3年の時の担任でした! 丸いメガネのゴリラみたいなおっさんですね! よく叱られました」
「私も3年の時に担任してもらったの。怖かったよねぇ、でもいい先生で、好きだったなぁ」
出身地域が同じだと、何故だか仲間意識が生まれる。高野の表情がほぐれてきた。
「あなたの顔、見覚えが無いなぁ……私が卒業してから転校してきたとか?」
高野は陸杜を見詰めた。サラサラの黒髪に日焼けしていない小さめの顔。目は二重で、女性的な顔立ちだ。中学生時代に下級生に居れば、間違いなく目立つ顔のはずだった。
「まぁ……そんなもんです」
誤魔化す陸杜を英俊がちらりと盗み見た。軽く睨み返しておく。
「で、その霊って、お寺に出たんですか?」
頃合いを見計らって尋ねてみた。すると、高野の顔はみるみる曇っていったのだった。
「それで、どうなったんですか?」
琴川高校の保健室。午後の光が南向きの窓から射し込み、部屋を明るく暖かく照らしている。
保健医の三波綾が緑茶を淹れ、英俊の前にそっと置いた。
「ありがとう」
笑顔で言い、向かいに座った三波を見る。
春休み中である今日は、白衣を羽織っていない。小さな薄いピンクの花柄が散ったオフホワイトのワンピースだけで、背中まである長い髪はひとつに束ねてある。男子生徒なら、ワンピースの胸元のボタンがはち切れそうなところに気をとられているところだろうが、英俊は全く気にとめていなかった。足を組み、お茶を飲みながら遥の顔を見詰めて、しみじみと言う。
「そういう雰囲気の格好をしてると変わらないな、綾ちゃん」
綾は驚いたように少し目を見開いた。
「そんなこと訊いてません!」
怒ったように、ふっくらとした唇を尖らせる。頬が少し紅い。
「最近ずっと白衣にメガネ姿を見ていたから、大きくなったなと思ってたんだよ。何だか安心した」
「年頃の女性にむかって失礼ですっ!」
照れからか、口調がぶっきらぼうになる。英俊と視線が合わせられず、横を向いた。
そんな姿が、琴川中学の制服を着ていた姿と重なり、英俊は嬉しくなった。進学塾で勉強を教えていた当時のことを思い出す。違うのは、薄く施された化粧と、ワンピースの前ボタンがはちきれそうなほどに育った胸くらい……と、うっかり考えて、慌てて目を逸らした。
「そうだね、ごめん。ええと……遠藤たちのことだったね」
(6つも年下の教え子だぞ!)
そう自分に言い聞かせ、話題を戻す。
「結局何も言わないから、学校で生徒指導の石川先生に預けて、先生はすぐに研究会に向かったんだ。だからあまりよく分からないんだ……って、先生って!」
慌てて座り直す。8年前の追憶から気持ちが完全に戻っていなかったらしく、つい癖が出てしまった。それが綾に分かってしまったかと思うと、体温が急激に上昇する気がした。
「もう先生同士だよね、ごめん!」
「いえ! 先生は今でも私の先生ですから……」
控えめに声を出す。綾にしてみれば、赴任一年目の学校で、同じく赴任一年目の英俊と再会するなんて奇跡だと思ったくらいだ。しかも大勢の他の生徒たちの中でも自分を覚えていてくれたのが嬉しかった。
そんなことを思い出していたが、ふと、湯のみに伸ばしかけた手を止めた。
「あ、そう言えば」
あらぬ方向を向いていた英俊が、綾に向き直った。
「遠藤君と高野さんの親御さんが来られてました。家出も一晩だけのことですからと、穏便に終わったようでしたよ」
「そうか、それは良かった。『スーパーで補導した』と言って正解だったな」
そう言って英俊はお茶を一口すすった。
「先生……嘘……ついたんですか?」
「方便と言って」
悪びれずに言う。表情はいたって真面目だ。
いつも折り目正しい先生だった英俊にこんな面があると知って、綾は時々イメージの修正に戸惑ってしまう。
それでも疑問に思ったので聞いてみた。
「本当はどこだったんですか?」
「どこって……」
綾の前ではあまり口にしたくない単語に、英俊は少し言葉に詰まった。未だに保護者気分が抜けないようだ。
「……ホテル『アリスの国』、あっ、でも、トイレを借りただけなんだって! ね!」
何故か早口になってしまった。綾は全く気にしてないようだったが、英俊の返答に首を傾げている。
「先生?」
「ん?」
「他に借りられるような、例えばコンビニとか、探さなかったんでしょうか?」
「え?」
「普通そういうところで借りようなんて思わないですよ。そんなに緊急だったのかしら……」
首を傾げて視線を天井へと向けた。
(そう言えばそうだ……)
「ちょっと、ごめん」
横を向いて立ち上がり、背広の内ポケットから携帯電話を取り出す。アドレスデータから番号を探して掛けると、8コール目で相手が出た。
『……はい、織原です』
「お、陸杜か、今日は済まなかったな。ちょっと聞きたいんだけど」
話しながら部屋の端のほうへ歩いていく。ベッドの仕切になっているカーテンの内側に入り、声を小さくして綾に聞こえにくいように言う。
「今朝のホテルの近く、コンビニか何かあったかな?」
『ありますよ。向かいの道になりますけど、20メートルぐらい先です。あそこから看板も見える筈です』
「そうか。ありがとう」
電話を切って、綾の居る机に戻る。
「コンビニあるって。なんか分からなくなってきたなぁ……」
家出問題は無事片付いたのだから、この件はこれでおしまい、としてしまいたいが、未整理な部分があると、綺麗に解けない証明問題のようでどうもすっきりとしない。
解答が出たらそれで良いのではなく、経過こそが重要なのだ。
窓の外を見て真剣な眼差しで考え込んでいる英俊の横顔を見て、
(先生こそ、変わってないなぁ……)
と、綾は心の中で呟いた。