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ホテル1階の駐車場は、春だというのにじめじめと薄暗い。暗さに馴染んだ目でよく見ると、端に少し残雪がある。
奥の建物入り口にほど近いスペースに車を入れて、10分近くが経過した。その間、英俊からこんなところへ来た理由を黙って聞いていた陸杜だが、
「家出、ねぇ……」
と、倒したシートを元に戻して座り直し、首を捻った。
「高野先輩のことはよく知らないけど、遠藤先輩が家出って、どうにもキャラじゃないですね」
遠藤誠の容貌を思い浮かべる。短めに切った髪、意志の強そうな太い眉。小柄な細身で、陸上の選手としてはぱっとしなかったが、成績はかなり良いほうだと聞いたことがあった。希望の大学に推薦で入れたとも聞いた。
「やっぱりそう思うか」
英俊が頷く。着任して以来2ヶ月ほど、しかも10日程度しか部活で遠藤を見たことはないが、他人に心配を掛けるといったことには無縁の生徒という印象を持っている。高校教師としては1年生だが、塾講師や家庭教師としてアルバイト時代を含め約10年間、述べ数百人もの生徒を送り出してきた経験から、そういった勘は鋭い。
「大学は東京らしいですから、黙ってても間もなく家出同然じゃないですか。なんでわざわざいま家出なんて、事を荒立てるんです」
「……確かにそうだなぁ……」
ある意味子供らしい素直な意見に内心苦笑しながら、少し癖のある前髪を掻き上げて、何気なく建物の入り口に目をやると、高校生らしき男女が出てくるのが見えた。赤いTシャツにジーンズの少年と、チュニックにジーンズ、薄い黄緑のカーディガンを羽織ったメガネの少女。
「陸杜、あれ遠藤たちだよな?」
陸杜が顔を上げて確認し、「はい」と一言だけ返した。
「よし」
英俊は素早く車を降り、一直線に二人に近付く。
先に高野が気付いたが、逃げる様子もなく、笑顔で軽く頭を下げてきた。背中に垂らした黒髪が肩に掛かる。持ち物は手提げかばんひとつ、家出というにはかなり軽装だ。
「川島先生、おはようございます」
よく通る澄んだ高めの声で、高野は快活に挨拶をした。遠藤は隣で目礼する。
英俊も笑顔で答えた。
「おはよう。卒業旅行にしては近場だな」
いわゆるラブホテルの駐車場で生徒と先生がする会話では無い。
チラリと視線を走らせれば、遠藤の顔が少し強張っている気がする。
(遠藤にやましいところがあるのか、はたまた弁明の覚悟なのか……)
高野は動じない。時折朝礼台の上で見せたそのままの明るい笑顔を浮かべている。
「先生こそ、こんな所に来られるんですね。イメージと違うなぁ……」
「まだ若いんだけどな……でもそんなことはさておき、先生は君たちに話したいことがある」
車を示すと、二人が「やっぱり」という表情で顔を見合わせ、観念したかのようにおとなしくついてきた。覚悟は既にあったのかもしれない。
「後ろに乗ってくれる?」
英俊が運転席のドアを開けながら言うと、陸杜が助手席から体を乗り出し、流れてきた外気に擽られくしゃみをひとつしてから、
「どうも先輩、おはようございます。ご無沙汰っす……」
と複雑な笑顔で挨拶をした。
車をしばらく走らせ、郊外スーパーの立体駐車場へと移動させる。開店30分ほど前の、ひと気のない3階だ。ここなら他の先生方に見つかる心配は絶対に無いだろう。
「さて……」
車を止めた英俊が、体を捻って後部座席の二人を見た。
「単刀直入に聞く。なんで家出なんだ?」
口調と表情は穏やかだが、切れ長の瞳は真剣だ。
陸杜は気まずくて、前を向いたままである。
遠藤と高野は、てっきり真っ直ぐ学校へ連れて行かれると思っていた様子で、意外な成り行きに驚いている。高野はメガネの奥で長い睫をしばたたいて、英俊の顔をただ見つめていた。
少しの沈黙のあと、意を決するように遠藤が口を開いた。
「……東京、行きたくないんです」
英俊と陸杜の目が少し見開かれる。高野は弾かれたように遠藤を見た。
英俊がゆっくりと問うた。
「駆け落ちって訳じゃなかったのか?」
この問いには、遠藤と高野が同時に頷いた。渋々といった感じではあったが。
今度は高野が口を開く。
「遠藤君は私に付き合ってくれただけです。今帰れば、怒られませんよね?」
「高野が悪いんじゃない。川島先生」
英俊に向き直り、突拍子もないことを口にした。
「霊って、信じますか?」