64 竜王山5~18年目の事実
ひらひらと舞い散る白い雪、砕けた小さな氷が光を反射し輝く。
炎の熱気で暑かった空気が冷え、冷風が傷ついた私の頬を撫でる。
おい、まさかその氷で私の美尻に攻撃を加えたのではあるまいな。
臀部による衝撃とこの寒さで、黒い何かも、私を包んでいたあの花の臭いも霧散していた。
見知らぬ少女。
その姿を見て、私は目を見張った。
私より年下なのではないかというくらいの幼い見た目。
その小さな身体が纏うには膨大すぎる魔力。
そして何より、少女の傍らには明らかに人間ではないモノが寄り添っていたからだ。
蒼い肌、蒼い髪、蒼い瞳。
少女より尚膨大なその魔力。
まさか……
「名あり……なのか?」
女性形態を取る氷の名ありなど、私は1体しか知らぬ。
蒼き御手は一切衆生を凍てつかせるという、妖艶なる獣。
氷の女王、シヴァ。
まさか、この少女はシヴァの契約者?
ぶしつけかもしれぬが、少女を観察する。
低めの身長、幼さの残る顔立ち、長い銀髪、蒼い瞳、異様に白い肌。
黒く長いマントの首もとについた白いファーが、彼女をより一層小さく見せる。
その瞳は幼い顔に似合わぬくらいのキツさで、私を睨んでいた。
何なのだ。
多分初対面だと思うが、睨まれる覚えはないぞ。
この私を睨み付けるとは、何という不届き者なのだ。
しかも、私の美尻に衝撃をくわえ、そのせいで私は更なる傷を顔につくる事になってしまったのだ。
一言文句でも言ってやろうかと思ったが、私はある事に気づいた。
少女から発せられる圧。
これは、ローゼリアから時折醸し出されるものと同じ、上に立つ者の風格だと。
それに、あの服の布の光沢……デザインは簡素なものだが、値段が張るものではないか?
もしや、どこかの王族か貴族か。
下手な対応をしたら、外交問題になりかねん。
どうしたものかと考えあぐねていると、少女と名ありらしき女性はバハムートの背に声をかける。
『遅くなり申し訳ございません、バハムート様。氷のシヴァ、ただいま参りました』
バハムートはアリーチェ殿と撃ち合いながら、こちらを見ずに声を返す。
『よく来てくれた、シヴァ。私がハネアリの相手をしている間、そこの人間カミュを頼む』
やはり、この召喚獣はシヴァ。
シヴァはちらりと横目でこちらを見る。
『この場から離れなくてよろしいのですか?』
『カミュは既に侵食されている。この場から離しても何の気休めにもならぬ。終わり次第、適切な処置を施さねばならん』
侵食?適切な処置?
『そういう事ですので、マスター』
マスターと呼ばれた少女がコクリと小さく頷くと、シヴァは私達の周囲に魔力障壁を展開させた。
目に見えるほどの強力な障壁。
シヴァの契約者である彼女は、やはり大層な実力者だ。
私を守ってくれている彼女らに礼を言わねばならん。
まだ、名乗ってすらいないからな。
「私はアイミュラー皇国公爵家、バルモルト家の長男でカミュ=バルモルトと申す。お主達の守護に感謝……ぅをっ!?」
襟元をつかまれ、すごまれる。
この小さな身体に、どこにそんな力があるのだというくらいの強さで。
真正面から睨み付けられ、その迫力に思わずかたずを飲む。
「何でここに人間がいるんですか? バハムートはここは危険だと、人間がいてはいけないと言いませんでしたか?」
決して大声ではない。
だが、静かに責めてくる。
「ここが何だかわかっているんですか? 尻拭いの為に呼ばれて、いい迷惑なんですよ」
冷えた声音。その瞳も、声も。
少女の全身が、私を疎んじていた。
その様は、まるで私を邪魔者としか見ていなかった父上のようで。
若干の怒りが、私に沸き上がった。
『マスター』
何か反論しようとした私に、少女を咎めるような声が届いた。
シヴァだ。
少女はその声を受けて、私の襟元から手を離す。
少女はそのまま私に背を向け、腕を組みながらどこかを見つめている。
『マスターが失礼いたしました。私は名あり、氷の女王シヴァ。あちらは私のマスターで、イリアレーナ=ブランシェ=ウェルス=フェブラントと申します』
優雅に礼をとるシヴァの言に、私は仰天した。
「フェブラントだと!?」
軍事国家フェブラント。
その名を使えるのは、フェブラントの王族のみ。
つまり、あの少女は……
「あの、フェブラントの王女……」
どこかの王族貴族だろうと思っていたが、まさか大陸一の大国の姫君だとは思いもしなかった。
それと同時に、無礼な行いをしなかった自分を褒める。
いくらバルモルト家がアイミュラーの名家とはいえ、フェブラントの王族とは比較するのもおこがましい。
何かあったら、簡単に潰されてしまうだろう。
……いや、父上だったらどうにかあがくのか?
「……っぅわ!」
その時、障壁にパァン!と弾けるような音がした。
バハムートが相殺しそこなったものがぶつかったらしい。
まだ決着がついていない。
アリーチェ殿は、そこまでの実力者なのか?
「貴方のせいです」
腕組みを続けながら、イリアレーナ王女がこちらを振り返る。
「私のせいとは、どういう事だ?」
「ここにはあるモノが封印されています。その封印が解ければ、この世界の理が全て崩れ、全てが崩壊するようなモノが。あのまがい物は、それの封印を解きにきたのです」
それが、私のせい?
「貴方は、ここに封印されているモノとの親和性が高すぎるのです。貴方がただここにいるだけで、あれがこちらに出てくる為の媒介になっている。それに、ここで感情を爆発させたでしょう?」
……アリーチェ殿だという事を受け入れられなかった時の事だろうか。
「陽の感情ならまだしも陰の感情を爆発させ、すき間を開け、その隙にあれは貴方に入り込んだ。バハムート様が苦戦しているのは、力の大半を封印に費やしているからです」
「……なら、私はここにいない方が良いのでは?」
イリアレーナ王女が大きくため息をつく。
「シヴァ達の会話を聞いていなかったんですか? ここまで侵攻したら、貴方がどこにいても変わりません。むしろ、バハムート様の側を離れる方がいけない」
私がただこの場にいる事が、何かの封印を解くいけない行動だと言う。
本当に私は、誰かの邪魔しかできないのだな。
自嘲気味た、私の乾いた笑いが場に響く。
『そこまで、自分を卑下してはいけません』
髪をなびかせながら、シヴァが私に近づく。
……その薄い衣と露出した肌は目に毒だから、あまり近づかないでほしいのだが。
『確かに、貴方とあれは異常なほどに親和性が高く馴染み深いです。それは、貴方の生まれ持った性質にもありますが、ハネアリがそう仕組んだせいでもあるのですから』
「アリーチェ殿が? そう仕組んだとは、どういう事だ?」
『それは……』
シヴァが言い淀む。
だが、聞いておかねばならない。
私の根底に関わる事だ。
そこまで口にしておいて、言わないは通用しない。
「言えないのなら、私が教えてあげましょうか?」
笑みを浮かべながら、地面に降り立つアリーチェ殿。
「!?」
バハムートは!?
見れば、大きく肩で息をしている。
そこまでの消耗を?
封印というものは、そこまで力を大きく削るものなのか?
「私は、ここに封印されているモノを求めたの。だけど、いくら私でもバハムートには敵わない。だから、貴方を使ったのよ」
唇が乾く。
「あれは負の感情、陰の魔力を好むの。否定的、消極的、悲観的であれば尚良い。そんな宿主を探していたのだけど、ちょうどおあつらえ向きなのが貴方だったわ。だから、力を増幅させる為にそう育てたの」
ドクン、と嫌な音がした。
心臓の音がやけに耳に響く。
「私……は、アリーチェ殿に育てられてはいない。アリーチェ殿と直接会話した事も……」
「フフ。私の魔力を知っているかしら? 魅了、隷従、支配、洗脳。それを使えば、わけないわ」
まさか、その魔力を使い母上を?
あの蠱惑的な花の臭いは……魅了の魔力?
魔力耐性が人より高い私でさえ、抗えずに落ちた。
召喚師ではない母上は、抵抗のしようもなかっただろう。
私を閉じ込めたのは、折檻していたのは、母上の本意ではなかった?
いや、ルーシェは私の4歳下だ。
私の教育は3歳から始まっていたのだから、計算が……
いや、アリーチェ殿が父上の愛人になったのはいつの事だ?
不意によみがえる、忘れていた記憶。
――嫌だわ、何の臭いかしら。この臭いを嗅いでいると、頭がボウッとしてくるのよ
――っう、頭が。どうして、いつも痛むのかしら
――カミュさん? どうして泣いているのですか? わた……し? 私が、カミュさんを?
――どうして? どうして私はカミュを泣かせてしまうの? あの臭いがしたら頭がボウッとして、何も考えられなくなって……私はおかしくなってしまったの?
「あれ……は……」
私にも、穏やかな子ども時代があったかもしれない?
抱き締められ微笑みあう事ができた?
それを、奪われた?
他ならぬ、目の前の女によって……
クスクスと言うアリーチェ殿の笑い声がする。
それが、とてつもなく耳障りで、勘にさわる。
「……リ……チェ、貴様ーー!!!!」
目の前が怒りで真っ赤に染まり、愛用の杖を振りかざしながら駆け出す。
あの赤い唇を、不快な笑みを浮かべる頬に突き立ててやろうと思った。
「っぐあ!」
だが、その行動は、横から飛び出してきたイリアレーナ王女によって阻止された。
彼女が私に突進し、仲良く2人で地面を転がる。
「何をするのだ!」
地面を転がった痛み、邪魔された怒りでイリアレーナ王女を怒鳴り付ける。
だが、彼女は意に介さず、自身の汚れを払い落としながら立ち上がる。
「怒りで我を忘れ、目の前の攻撃をかわす事もしない愚か者の言う事なんて知りません」
「な……に?」
見れば、私がいたところに突き刺さる無数の炎剣。
避けなければ今頃は……
「邪魔しないでほしいものね」
憎々しげに睨み付けているアリーチェ殿。
その顔は醜く歪んでいた。
「感情を爆発させないでください。あれは、貴方の負の感情をエサにしているんですから。見え見えの挑発にのらないでください」
「だが……!」
母上があいつに操られていると知った今、冷静でなどいられぬ!
18年……いや、それ以上の月日を弄ばれたのだぞ!
「……ん? これは?」
激する私の腕に、異様な冷たさ。
一体、どういう事か。
先ほどまで何ともなかったマントの一部が、異常なほどに冷えて固まっている。
まるで氷を押し付けられたみたいに。
いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「それだけでは足りない? なら、次はこちらにしようかしら」
アリーチェ殿がその手に掴んでいるもの。
それは……
「小竜……?」
赤い鱗を持つ、小さな竜。
あの竜は、この場に来る前、私の涙を舐めまくった竜では?
何故ここに?
向こうの世界に戻ったのではなかったのか?
ピギャーピギャーと鳴き暴れている。
「待て……何をする気だ?」
まさか……
嫌な予感に、背筋が冷える。
「その、まさかよ」
ザク。
嫌な音がした。
空中に剣が現れ、それが小竜を……
「あ、あぁぁぁぁああああ!!」
小さな身体に鋭利な刃物が突き刺さり、大量の血が流れ出る。
「あら、動かなくなっちゃった。なら、もういらないわね」
手から離され、地面に向けて落下していく。
「アリーチェ! アリーチェー!!!!」
「抑えて! 貴方では無理です!」
「離せ! 離せぇー!!」
イリアレーナ王女が前に出ようとする私を押しとどめる。
「私では無理? そんなの解っている! 力があるのに何もしない名ありが口を出すな!!」
バハムートは封印で力が削られている?
ならシヴァは?
そこで平然としている名ありは何をしているのだ?
障壁だけでそこまでの魔力をとられるのか?
私が口にした言葉は、フェブラントの王女や名ありに対して無礼すぎるものだろう。
だが、その事で起こりうる懲罰など、今の私にとって知った事ではない!
「あら、まだ足りない? なら、次はこれかしら」
宙に浮かぶ3つの影。
それは……
「カルト? ベル? デラニー?」
私と優先契約をかわしてくれていた召喚獣。
そして、竜王山で一方的に契約解除をして別れてきた3体だ。
何故お前達がそこに?
3体とも意識はなく、ぐったりとした様子で宙に磔にされている。
「まずは、貴方かしら?」
デラニーに向けて光る刃。
やめろ。やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。
「やめろぉーー!!!!」
私の願いむなしく刃はデラニーを貫き、落下した。
「あ……あ……」
その瞬間、私の中で何かが一気に膨れ上がる。
膨れ上がった何かは、そのまま私の中を駆け巡り、全身から一気に放出された。
悲痛の声、歓喜の声が聞こえたような気もした。
頭の中にあるのはただ1つ。
あの女の首。
「駄目です! 前に出ないで!!」
瞬間、腹部に感じた衝撃。
突き刺さる魔力の炎剣。
崩れ落ちる膝。
込み上げる血液。
耳に届く、バハムートの悲鳴。
『カミュー!!』
ああ、私は本当に愚かだ。





