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63 竜王山4~ハネアリ

 


 山頂についた時、自分の目を疑った。

 草花は燃え尽き、泉は干上がり、岩という岩は砕かれ平地になってしまっていた。

 バハムートとともに過ごした地の面影などどこにもなかった。

 バハムートの魔力で作られた竜の涙()だけが僅かに原型を保っており、私の心を慰めてくれた。


 竜王山を遮る灰色の曇天の代わりに、空には赤黒い渦がある。

 鼻につく甘ったるい臭い。

 どこかで嗅いだ事があるような気が、しないでもない。


 ずっと嗅いでいると、頭がおかしくなりそうだ。

 腕を前にかざし、少しでもこの臭いから鼻と口を防御する。


 干上がった泉の近くに、バハムートの姿を見つけた。

 声をかけようとした時に、少し離れた位置にある人影に気がついた。

 それは、私の知っている人に、とてもよく似ていた。


『カミュ、何をしに戻ってきた』


 聞いた事のない、低く重苦しいバハムートの声。

 こちらを見ずに、眉間に皺をよせながら()()を見据えている事で、危機的状況なのだという事はわかるのだ。

 目の前の人物が、その元凶なのだという事も。


 私の理性は、それが危険なものだと認識している。

 だが、幼い頃の私が、そんなはずがないと叫んでいる。

 そんな人ではない、と。


「まあ、カミュさん? 何故、こんなところにいらっしゃるの? とっくにくたばってたと思ってましたのに」


 花のようにほころぶ笑顔で吐かれた毒。

 それは、私の願望を打ち砕くには十分すぎるほどのものだった。


「……リ……チェ殿……?」


 黒い髪の毛先に赤い色。それは、アリーチェ殿の特徴で。

 燃え盛るような赤い瞳も。

 それは大輪の薔薇の花のように、父上を惹き付けて離さなかった。

 そうだ。甘ったるいこの臭いは、私が初めてルーシェとアリーチェ殿を見たあの日に薫っていた臭い。


『カミュ。知り合いか?』


「……父上の愛人で……ルーシェの母親だ」


『母親?』


 震える声で何とか返事をすると、バハムートが訝しげに眉を寄せる。


『その身体で子を成せるのか? ……いや、げに恐ろしきは女の執念か』


 その身体?

 疑問を口にする前に、アリーチェ殿から更に膨大な量の魔力が放出される。


「くっ!」


 その余波で凄まじい風が生まれ、あやうく飛ばされそうになる私を、バハムートが翼で守ってくれる。

 アリーチェ殿の背中には、紅い4枚羽が揺らめいていた。


 最初は私の知らない方法で、アリーチェ殿は自身の魔力を使い羽を顕現させているのだと思った。

 だが、直ぐに違うと悟った。


 その羽は、人間の魔力ではない。

 名ありにさえ匹敵するほどの膨大な魔力を、人間の身でコントロールできるわけがない。


 アリーチェ殿はルーシェの母親だ。

 人間の筈だ。

 なのに、何故これほどまでの魔力を?

 もしや召喚獣?

 いや、バハムートが召喚獣は生殖行為により産まれるのではないと言っていた。

 召喚獣が出産をする事はない。

 ならば、アリーチェ殿はルーシェの母親ではない?

 産んでいない?

 そうだとするならば、何故そのような工作をしなくてはいけなかった?


 疑問が次から次へと湧き出てきて止まらない。

 禍々しい強大な魔力を身に纏う、()()はなんだ?

 私はあのような生き物は知らない。

 人間でもない。召喚獣でもない。

 私の中の何かが、全力であれを忌避している。


 ()()は、あってはならないモノだ。


『――ミュ、カミュ』


「……え?」


 バハムートに名を呼ばれ、不意に我に返る。

 どうやら、呼吸もうまく出来なくなっていたらしい。


『全く。だから、帰れと言うたのに……』


「ふん。理由を言わぬお主が悪い」


 だが、言えるわけがなかろうな。


「お主が帰れと言ったのは、あれが原因か?」


『いや。単にあれは副産物だ。ここにいるモノを起こしに来たハネアリよ』


「ここにいるモノだと?」


 二人の会話を見ていたアリーチェ殿が、口許に指先をあてながらクスクスと笑いをこぼす。

 指の白さが、唇の紅さを一際目立たせる。


「あらあら、随分と仲良くなったのね。お友達のいない、一人ぼっちのカミュさんが。でも、何も教えてもらってないなんて。ヒドイ竜王ね」


 笑顔で私にナイフを突き立ててくる。

 記憶の中のアリーチェ殿とあまりにもかけ離れすぎていて、私は困惑しきりだった。


「アリーチェ殿……貴方は本当にアリーチェ殿なのですか?」


 否定して欲しい。

 アリーチェ殿に似た誰かだと。

 そんな望みは叶わないに決まっているのに。


 目を細め蠱惑的な笑みを浮かべながら、アリーチェ殿は口を動かす。


「アリーチェ以外の、誰だと言うの? ルーシェの母親で、アルの愛人。そして、カミュ」


 あくまでも仕草は優美。


「貴方を殺す者よ」


 上品な貴婦人のていで、私を殺すと口にする。


 ああ。幼い私の望みなど、叶ったためしはないというのに。

 解っていたのに、それでも私は分不相応に願い、傷ついてしまう。


 アリーチェ殿の羽根から漏れでる熱気が、私の唇も口内も、全てをカラカラに干上がらせていく。


『カミュ、下がれ』


 目をふせうつむいた私を背に、バハムートが前に出、アリーチェ殿と対峙する。


「まあ、本当に仲良くなったのね。あの竜王が庇うだなんて。人間には不可侵で、使命を果たすだけの装置だったのに」


『……今も変わらぬ。我は竜王バハムート、この地を守護する者。去れ、まがい物のハネアリよ』


 まがい物。

 そう呼ばれた瞬間アリーチェ殿の顔が大きく歪み、炎の羽がより一層燃え上がる。


「そこをどけてもらうわ、バハムート。起こすのは当然として、貴方の後ろにいる坊やも邪魔なのよ」


 生まれて初めて明確な殺意を向けられて、私は恐怖した。

 自身の死を願う者がいるという事実に、強くうちひしがれた。

 足の力は抜け、膝から崩れ落ち、「嘘だ、嘘だ」と呟き続ける。


 幼い頃に見た、ルーシェを愛しく見つめる瞳。

 優しく抱き締める腕。

 アリーチェ殿のその姿は、私が望む()()そのものだった。


 嫉妬し、羨望し、想像しては自身を慰めた。


 聞きたくない、見たくない、認めたくない。

 聞いてしまえば否定できなくなる。

 見てしまえば認めるしかなくなる。

 認めてしまえば、私を支えるものが崩れ落ちてしまう。


 アリーチェ殿の存在は、私の中でそれほどまでに大きい。


 目を閉じ耳を塞ぎ、否定の言葉を口にし続ける。


「嫌だ違うアリーチェ殿ではない違う違う違う」


『カミュ!』


 バハムートの声も、私を覚醒させるには足りない。


『堕ちてはならぬ! カミュ! カミュ!』


 全てを遮断して、膝を抱えて丸まり自分の世界に入り込む。

 女の高笑い、バハムートの声。

 頬に届く熱風、魔力の風圧。


 聞きたくないのに、認めたくないのに。

 風の音、爆発音の合間、途切れ途切れに聞こえてくるアリーチェ殿の声。


「違う……違う……違う違う違う違う違う違う違うーー!!!!」


 甘ったるい花のような臭いとともに、流れ込んでくる。

 私を呼ぶ優しい声。

 私を真綿のように抱き締めてくれる優しい腕。


 それは、私を傷つけない。

 それは、幼かった私が1番欲しかったもの。

 それは甘露のように私を甘く魅了し、溶かしていく。


 逆らえるはずがない。

 抗えるはずがない。

 その匂いは、優しい母の子守唄。

 傷つく事がない平穏の地へ誘うものだと。

 それに従えば良いのだという事を、私は知っているのだから。


「カミュ……カミュさん……」


 その声は、母上?アリーチェ殿?

 いや、どちらだとしても些細な事。

 私を優しく包んでくれるのであれば、誰であろうと構わないのだ。

 私を殺す者だとしても、その瞬間まで愛してくれるのならば問題はない……


 ズルズル、ズルズルと地面から染みでた黒い何かが這いずりながら近づいてくる。

 足、太腿、腕。まとわりつき、私の中に入り込んでいく。


 不快感はない。

 どこか懐かしさを感じた。

 私の中に入り込み、内から沸き上がってくる衝動。

 これは……私が初めて召喚に成功した時の……?


『駄目だカミュ! 戻ってこれなくなる!!』


 バハムートの声が聞こえたような気もするが……頭が働かぬ


 ズルズル、ズルズル。ズルズル、ズルズル。

 黒い何かが、私の全てを埋めつくそうとした、その時……


 ドガッ!!


「ブッフゥ!!」


 私の臀部に衝撃が走った。

 何かに蹴られたと認識したのは、衝撃で顔から地面にダイブした時。

 額や鼻、むしろ顔面の全てが痛い。

 絶対、鼻血が出た。


「~~ではない! 誰だ! 私の美貌を傷つけ足蹴にする奴は!!」


 私の顔を傷つけ見下すなど、万死に値する!

 怒りながら振り返れば――


 そこには、見知らぬ少女が立っていた。



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