59 ナクレ平原5~竜王覚醒
イフリートの無骨な腕が、タイタンの腹を突き破る。
召喚獣も血は赤色なのだなと、働かない頭がぼんやりと考える。
タイタンの口から、突き破られた腹から、ボタボタと赤い血が流れ出る。
腕を引き抜くと、そこにはポッカリと空洞があいていた。
イフリートもタイタンも表情を変えず、言葉も発せず。
耳に届く音が、自分の荒い呼吸音だと気づくのに、しばらく時間がかかった。
イフリートはその場から姿を消し、宙に浮いていたタイタンは、地上へと落下する。
「何で……何で……何で……」
タイタンは、イフリートに対抗する力があるのではないのか?
イフリートは自分が止めると言っていたではないか。
「行かなくては……タイタンのところに」
光の粒となって消えてしまう前に、行かなくてはならないのに。
もつれる足が邪魔をする。
「義兄さん、しっかりしてください! 僕が支えますから!」
「すまぬ、ルーシェ」
ルーシェに腕を取られ支えられ、タイタンのところに到達すると。
もう、半分ほどが光の粒となり消えていた。
「タイタン……何をしているのだ?」
半ば地面に倒れ込むように到着し、その身体に触れる。
「イフリートは自分が止めると言っていたではないか……」
閉じていた瞼が開かれ、その目は私を見つめてくる。
『……バハムートの契約者よ。イフリートの契約者を解放する事には成功したみたいだな。そうだ、それで良い』
「意味が解らぬ。何がどうなっているというのだ」
私の疑問には答えずに、タイタンは話を進める。
『儂がここで倒れる事が大道には最善。これで楔になれる』
……楔。
そうだ、バドは楔になると言っていたではないか。
……何を勘違いしていたのだ、私は。
バドの魂は死んだのではなく、タイタンになっただけだ。
楔はまだ立てられていない。
楔になるには、死ぬ必要があるのだから。
『楔になるには、自死ではいけない。それでは気高き魂とは言えない』
「……イフリートも、当然それを知っているな?」
『然り。儂が楔になる。その事だけは、利害が一致した。イフリートにはイフリートの目的がある。それはルーシェ、ぬしに関する事』
「僕……ですか?」
いきなり呼ばれて面食らったのか、変に高い声を出してルーシェは答えた。
『見極めよ。アイミュラーにはアイミュラーの。ハネアリにはハネアリの思惑がある』
「それは……」
更に詳しく聞こうとしたその時、突風が吹き荒れ、思わず目を瞑る。
「うわぁっ!」
「ルーシェ!?」
悲鳴が聞こえ目を開けると、すでにルーシェの姿はなく……
『イフリートだ』
「何だと?」
『イフリートが連れていった。アイミュラーの皇女とともに』
聞き捨てならない単語。
「ローゼリア? 何故ローゼリアまで!」
アイミュラーのウィリアム陛下かアリーチェ。
どちらが利用しようとしてるかは解らぬが、どちらでもろくな事にならん!
やっとルーシェと再会できたというのに、ろくに会話もできずに別れる事になってしまった。
イフリートめ……許さん。
どうなるか解らぬから、急ぐ必要があるが……
消え逝くタイタンを1人残すのは、非道というものであろう。
私の矜持が許さん。
立ち上がろうとした足を戻した私に、タイタンが不思議そうに声をかけてくる。
『どうした、急がないのか』
「ふん、疲れたから休憩だ。なーに、私とバハムートがいれば、少しの休憩くらいどうってことないだろう。それに、お主に聞きたい事もあったしな」
タイタンが気にせぬように、わざと軽く返す。
向こうが気がついたかどうかは解らないが、タイタンも突っ込む事はしてこなかった。
『儂にか、何だ』
「タイタンの一族の村で、夜中、長の部屋の入口でぶつかった事があったであろう? あれは、タイタンだという事を伝えていたのか?」
『……左様。バドゥル=マルタンは自身がタイタンだという事を告げ、自身の不在を詫び、長の労苦をねぎらった。そして、楔の任となる巫女の選出を止めた』
「……そうか。後、バドは……その……いや、何でもない」
聞こうとしたが、やめた。
これを聞くのは、流石に無粋というものであろう。
目をふせた私の手に、ゴツゴツとしたタイタンの手が重なる。
大きくて、暖かくて……
『バドゥル=マルタンは悩んでいた』
「……なに?」
『儂には既に実感できず、知識としてしか残っていないが。タイタンとしての使命を優先させねばならぬのに、バドゥル=マルタンとして過ごす時間が思いの外、心地良かった。タイタンとして過ごした、幾千幾億の時の中より余程……』
一度切り、大きく息を吸うタイタン。
身体の大半はすでに光の粒となり、残るは胸元から上。
『バドゥル=マルタンは、友と過ごす日々が。人間として、人間とともに過ごす日々を愛しく思っていた。ぬしやアイミュラー皇女を大切な友だと思っていた』
「……バドは、幸せだったか?」
『然り。満足して逝った』
「っぅ!」
思わず何かがこみ上げ、零れそうになるがそれは必死にこらえた。
バドがタイタンだと知った時、私と友人関係を築いたのは、私がアリーチェに近かったからではないかと、一瞬でも考えてしまった。
バドに限ってそんな事はあり得ないと思いながら、一瞬でもよぎってしまった。
だが、そんな事はなかった。
バドはやはり、バドだった。
「すまぬ、バド……すまぬ……」
私が友人で良かったのか?
私でなければ、バドはもっと充実した時を過ごせたのではないか?
傲慢だった過去の自分を、ぶん殴ってやりたい。
『カミュ』
後悔の言葉しか紡がない、うつむいた私の名前をタイタンが呼ぶ。
それはバドとは違う呼び方で、イントネーションで。
それでも、見上げたその顔は――
「バ……ド?」
思わず見間違えてしまうほどに似ていて。
顔は違う。
違うのに、笑った時に細くなる目、口元の優しさ、頬が上がる角度。
何より、その全てを包み込むような空気感。
その笑顔が、私に言っていた。
――気にする事ないぞー、カミュー――
肩の力が抜け、膝の震えが止まる。
頭の中をかけ巡っていた後悔の感情が霧散する。
「本当に、お主という男は……」
やはり、勝てないな。
目元を乱暴に拭い、真っ直ぐにタイタンを見る。
「ありがとう、タイタン」
私の言葉に、タイタンは笑顔で返す。
『新たなタイタンを、よろしく頼む……』
「任せておけ」
『バハムートよ、後は……任せた……』
その言葉を最後に、タイタンは光の粒となって消えた。
大量の光が、宙にとけていく。
全ての光の粒が消えた時、世界は色を変えた。
空を覆っていた分厚い雲はその姿を消し、かわりに地上を淡く照らし出す月と星達が姿をあらわす。
どこか息苦しかった空気が清浄になり、おかしくなっていた周囲の魔力も元に戻る。
全然姿を見なかった名無し召喚獣も、ピョコピョコと顔を出し始めた。
……こちらに向かって平伏してるのは、気のせいではないな。
数十、数百という名無し達が、全員こちらに向かって平伏している様は、圧倒されるというより不気味だ。
ドクン!
私の体内で、大きく脈打つ。
痛みや苦しみを伴うものではない。
これは、目覚めの拍動。
「!?」
一瞬、世界が黒い光に包まれた。
光がおさまった時、そこにいたのは1匹の黒竜。
天を見上げ咆哮する様は、まさに召喚獣の王。
大気が震える。鳴動する。
のどから、声にならない音が出る。
――バハムート――
金色の瞳が私を見つめる。
すると、黒い光が放出され私を包み込み、その心地良さに目を瞑り、身体を預ける。
負っていた傷や疲労が瞬く間に癒されていき、更には欠けていたモノまで修復していく。
それは私が失っていた、バハムートとの契約時の記憶。
自殺する為に向かった、竜王山での記憶だった。





