53.5 sideユース5
私は何の変哲もないフェアリーだった。
特別な力は何もない。
そこら辺にいる、極々平凡な矮小なフェアリー。
契約も何もない、通常召喚で喚ばれるのが一般的な名無し。
良くて優先。専属なんて夢のまた夢。
他の仲間は、召喚師に喚ばれる事を待ち望んでいて、優先契約を求められる事に歓喜した。
でも私は違った。
召喚師なんてクソ食らえ。
契約なんてまっぴらゴメン。
何で力を貸さなくちゃいけないのか。
そう、思っていた。
あの日、目の前に現れた通常召喚陣。
誰かに押し付けることも、いつも通り断ることもできたのに。
何で、私は足を踏み入れる気になったのか。
単なる気まぐれ?
それとも、その召喚陣が、いつもより淡くて優しい光に見えたから?
ううん、理由はどうでもいい。
その召喚を受けたから、私は唯一の契約主に出会えた。
出会いは結構最悪。
その時のアル(12歳)が私を呼び出した理由は、高い木の上に飛ばされた紙を取ってほしいから。
私はぶちギレて、その紙をアルにぶん投げて速攻帰った。
でも、何でか気になって気になって仕方がなかった。
喚ばれてもないのに、最低な召喚師を見に行った。
声もかけずに、ずーっと見ていた。
アルに喚ばれる他の召喚獣に、羨ましいって嫉妬した。
その嫉妬の感情を自覚した時、私はとてつもなく驚いた。
召喚師に使われることなんて、二度とゴメンだと思っていたのに。
「あれ? あの時のフェアリー?」
『……』
「どうした?何か用事?」
『……』
話しかけてくるアルを、私は放心しながら見ていた。
青銀色の髪の毛、切れ長の瞳。
暑い夏の陽射しの中、木陰に座りながら本を読む彼に私は尋ねた。
『……どうして、私を喚んだの?』
「まだ根に持っていたのか?大切な書類だったんだよ。なくしたら困るから、翼を持っている召喚獣を喚んだんだ」
そう、他愛もない理由。
私じゃなくてもかまわない。
……でも、私は唯一になりたいと思った。
『……私、前に1度優先で契約してたの。すぐに破棄したけど』
あの時の事は思い出したくもない。
ひどく最低な召喚師だった。
契約する前は優しくて、甘い言葉を吐いて。
馬鹿な私はすっかり騙された。
『召喚獣をモノとしか見てなくて……言う事を聞かなかったら、羽根をむしりとられそうになった』
その時から、私は人間も召喚師も大嫌いになった。
甘い言葉をはいていても、私達をモノとしか見ていない。
自分達が上だと思っている。
「酷いな……」
眉間に皺をよせながら呟くアルの姿。
『だから、もう2度と召喚には応じないと思ってた。だけど……』
馬鹿な選択肢を選びとろうとしているのかもしれない。
「私なら、そんな行動はしない」
だけど、私の目を真っ直ぐに見てくれる彼を、信じたいと思ったの。
『なら、信じさせて……』
私は、腕を伸ばして契約を乞うた。
「私は家を継ぎ、優秀な召喚師になる事を求められている。専属ではなく優先でも良いなら、それを受けよう」
契約なら何でも良かった。
彼の召喚獣という繋がりが得られるなら、何でも良かったの……
◆◆◆◆◆◆
そんなに頻繁に喚ばれる事はなかったけど、私は喚ばれなくてもしょっちゅうアルの元に出掛けていった。
アルはうざがる事なく、「来たのか、ユース」そう笑って、私が側にいる事を許してくれた。
アルは、とても優秀な召喚師だった。
成長するにつれ、たくさんの優先召喚獣が増えていった。
私より強くて、希少な召喚獣もたくさんいた。
それでも、アルは私を疎んじる事はなかった。
年齢を重ねても、宮廷召喚師になっても。
シアと婚約しても。
バルモルト家を継いでも。
狂ったのは、あの時から。
シアと結婚して、シアが妊娠して。
産まれる前に、アルはとある遺跡を調査しに行った。
フェブラントの南に位置する学術研究国家イリアトローネ。
アルが調査の道中、私はシアについていた。
何かあれば直ぐにアルに知らせる為に。
シアは、私にとっても大切な友人だから。
アルも大好きだけど、シアも大好きだったの。
日々大きくなるお腹を、愛しそうに撫でるシア。
それを不思議そうに見つめる私。
『不思議だよねー、この中に人間が入ってるんでしょ?』
ツンツンとつつけば、グネグネと動く。
撫でても動く。
『アルが帰ってくるまで、後1ヶ月くらいだっけ? 産まれるまでに間に合えばいいんだけどね。名前はもう決まってるんだっけ?』
「ええ、あの人がつけたのよ。男の子ならカミュ、女の子ならミシェルって」
『カミュかミシェル……か。シアは男の子と女の子、どっちが良いの?』
「どちらでも。元気に産まれてくれさえすれば、それで十分」
そう言って笑ったシアの顔はとても優しくて、私もつられて幸せな気分になった。
何も考えずに、穏やかな気持ちでいられたのはこれが最後。
アルとシアは、激しい恋愛感情で結ばれた夫婦じゃない。
けれど、お互いがお互いを大切に思いあっていた。
子どもの誕生も、心待ちにしていたの。
なのに……
あの女が来てから全てが狂い始めた。
アルが調査の途中で見初めてきた、あの女……!
アルが帰宅したのは、それから1ヶ月半後。
カミュが産まれた後だった。
シアが産気づいた時、私はすぐさまアルに知らせた。
駆けつける事ができなかったとしても、その知らせを待ち望んでいたはずだから。
きっと、喜ぶと思ったの。
……その時のアルの反応を、私はシアに伝える事ができなかった。
「おかえりなさい、あなた。無事で良かったわ」
「……」
シアの言葉に何も返さないアル。
そんな事、今までなかった。
「ほら、抱いてあげてください。息子のカミュです。魔力量がとても多いと、ユースのお墨付きですよ。この子は、きっと良い召喚師になりますわ」
シアの腕の中で眠る、カミュ。
アルは誕生を心待ちにしていたのに。
一瞥した後、声もかけずに、その腕に抱く事も、触れる事もなく。
「そうか」
その一言だけで、背を向けて屋敷を出ていった。
「あ、あなた!?」
戸惑うシアと、異様な雰囲気を察してなくカミュを置き去りに。
泣き出したカミュをあやし、ソファにへたりこむシア。
「……ユース。私、何かしてしまったのかしら? あの人があんな態度をとるなんて」
『シアが悪いわけないじゃない! アルの留守にちゃんと家を守って跡継ぎも産んだのに!』
「なら、なんで……」
涙をあふれさすシアを見ていたくなくて。
あんなに、笑顔で幸せそうだったのに。
『私、アルに文句言ってくるわ!』
アルの魔力を探り、勢いのままに飛び込んだ。
アルがいたのは、バルモルト家の持ち物の1つだという小さなお屋敷。
その一室。
『アル! さっきの態度は一体どういう事!? シアがどれだけ傷ついたと思っ……て……』
そこにいたのはアル1人じゃなかった。
燃えるような紅い髪と瞳。
蠱惑的な肉体をもつ女。
『アル。誰なの、その女』
「アリーチェ。今回の旅で見初めた女だ。ここで囲う」
私は今、何を聞いた?
アルは今、何て言った?
『どういうこと?』
震える唇で疑問をていせば、アルは私なんて見えていないかのようにアリーチェと呼んだ女の手をとる。
「言葉通りだ。私はアリーチェと共にこちらに住む」
『何を言っているの!? カミュも産まれたばっかりなんだよ!? シアに何て言うのよ!!』
「伝える必要があるか?」
『ア……ル?』
シアを蔑ろにする言葉を、何の気なしに口にする。
ちがう……
「お前もいつまでそこにいる気だ」
ちがう……
「さっさと出ていけ。この屋敷には2度と近づくな」
違う!!
アルの言葉を聞きたくなくて、あの女に寄り添うアルを見ていたくなくて。
私はどこへ行くでもなく飛び出した。
初めてだった。
あんな冷たい声も。
私を疎んじる言葉も。
同時に浮かび上がった感情は、あの女への激しい嫌悪と怒り。
あの女のせいで。
あの時から、全てが壊れ始めた。
アルに全然喚ばれなくなった。
行ってもさっさと追いやられるようになった。
あの女がいない時に行っても同じだった。
シアが住む本邸に帰宅しない。
カミュにも父親として接しない。
少しずつ少しずつ、嫌なモノが浸潤していって。
少しずつ少しずつ、シアも狂い始めた。
大好きだった人達、大好きだった光景。
それが崩れていくさまを見たくなくて。認めたくなくて。
その場所から逃げ出した。
次に会ったのは、カミュが3歳くらいの時だった。
見たくなくて逃げ出したけど、やっぱり気になったから。
私は、こっそり様子を見に行った。
見て、人間の子どもというのは、少し見ない間にこんなに成長するものなのかと驚いた。
シアに抱かれて泣くだけだった赤ん坊が、曲がりなりにも自分の足で歩いて喋っていたのだから。
少しだけ幸せな気持ちになって、ぶち壊された。
「どうしてできないのです! カミュ!」
「ごめんなさい、おかあさまー!」
ヒステリックに叫ぶシアの声、薙ぎはらわれた机の上のペン立て。
振り上げられた腕に怯えるカミュの泣き声。
小さな身体に振り下ろされた掌。
『シア! 何をしているの!?』
私はたまらず部屋に飛び込んだ。
「ユース?」
シアの姿に、私は息をのんだ。
私が知っているシアの姿はそこにはなかった。
目はつり上がり頬はこけ、目の下の隈を無理矢理化粧で隠している。
そして見た目より何より、空気が違う。
厳しくも優しい、前を見ている。
春の日向のような人だったのに。
「今さら何をしに来たのですか。あの人の優先召喚獣が、あの人の味方のあなたが」
冷たい目、冷たい口調。
シアは、私を敵視している。
「あの時に逃げたあなたが、今さら何を口出しするというのですか」
『……シア……』
その問いかけに、私は何も答える事ができなかった。
自分一人可愛さに逃げ出したのは、事実だから。
『ごめん、シア。1人にして。でも、もう逃げないから。アルは私が止めるから!』
「あの人を止める? あなたが? 馬鹿も休み休み言いなさい。さあ、早く出ていって! 2度と来ないで!」
私の戯言を鼻で笑い、わしづかみにされて窓の外に放り出された。
カーテンも閉じられしめだされた私は、必死に窓を叩く。
『シア! シア!』
何度呼んでも無駄で、私はこの現状をアルに訴えようと、彼を訪ねた。
歓迎されない事は解っていたけれども。
アルは王城の執務室におり、大量の書類と格闘していた。
『アル! どういう事なの!? シアとカミュのあの状況は何!?』
数年ぶりに会う契約主。
シアとカミュに比べて、アルはそう変わってはいなかった。
走らせていたペンを止め、ため息をつきながら私を見上げてくる。
……少しだけ、白髪が増えたんだね。
「来るな、と言ったはずだが?」
『そんな事聞いてるんじゃないの!』
ふいにアルから漂ってくる匂い。
それは、シアとカミュが暮らす本邸の匂いじゃなくて。
『……何? この匂い。アル、家に帰ってないの?』
「私が家に帰らない方が、あの2人の為になる。お前も早く帰った方がいい。取り返しがつかなくなるぞ」
『アル、どうしちゃったの!? 何で!?』
「……忠告はしたからな」
なおも詰問する私に、アルはわけの解らない事を言う。
煙に巻こうとしてるんだと思った私は、意地でも帰らなかった。
あの時逃げたから、私はシアの信頼を失った。
何もできなかった。
だから、ここが正念場だと思った。
『アル!!』
叫んで、めまいがした。
鼻につく甘ったるい匂い。
身体に染み付いてとれなくなる。まとわりつく。
『これ……は?』
飛ぶのも難しくなって、私は机の上に倒れこんだ。
目も開けていられなくなって、閉じる意識に聞こえてきたのはアルの声。
「だから言ったのに。捕らわれてしまったか……」
何に?という疑問を思い浮かべる時間もなく。
私の意識は沈んだ。
ここから、私の意識は浮き沈みを繰り返した。
自分が何をしていたかも思い出せなくなったり、何をしようとしていたかも忘れてしまったり。
気づいたら何日、何週間も経っていた。
なんて事もざらだった。
それが少しでも改善できのは、カミュ坊とバハムート様が契約を交わしたから。
私が幸運にもバハムート様と接する事ができたから。
だから、力を借りてシアを戻す事もできた。
でも、ちょっと遅すぎたの……
◆◆◆◆◆◆
自分が自分でなくなった。
嫉妬と怒りと欲と。
あの女を殺せるなら、どうなってもいいと。
そう思ってしまったのが運のつきだった。
そこの歪みから、また私はあの女の蜜の魔力に捕らわれた。
そうして、私は友人を守る事もできずに、契約主を取り戻す事もできずに。
あの小さかった坊やを傷つけ、悪化させて、泣かせて終わってしまう。
泣き虫なカミュ坊は、ずたぼろな私を見て、また泣いていた。
カミュ坊は泣き虫で、自分では気づいてないみたいだけどそこそこ優しくて。
ネガティブな上に思い詰めてしまうから。
私の惨状の他に、私を傷つけた事も嘆き悲しんでいる。
気にする事ないのに……
カミュ坊のせいじゃないんだから。
むしろ、私の……
それを伝えたくて、何とか声を振り絞る。
ずたぼろな身体は、もう声を出す事すらままならない。
『……ミュ……ぼ……』
「はっ、ユース! ユース!」
涙声になりながら、私をその掌に乗せてくれる。
痛みも冷たさも感じられなくなった私だけど、どこか暖かくて。
『ごめん……ね、迷惑かけ……て』
「何を言うのだ! 迷惑などかけられていない!」
せめて溢れる涙を拭おうと腕を伸ばせば……
肘の先から何もなくて。
涙を拭う。そんな事すらできない自分の姿に、乾いた笑いがもれる。
『カミュ坊も、ボロボロじゃない……あんなに格好つけてた坊やが……でも、いい召喚師になったね。もう、坊やは卒業かな……』
契約を解除されたのに、寄り添うニュルンベルト。
慕い、助けようという意志が見て取れる。
なんで、私とアルはこういう関係になれなかったのか……
そんな事、自分で嫌というほどわかってる。
求めてばかりで。逃げてばかりで。
自分だけが可愛くて。
アルに、真っ正面から向き合わなかったから。
「何を言うのだ! 私はまだっ……!」
言葉を飲み込んで、何かを必死に耐えている。
成長したと思う。
以前までなら耐える事なんてしないで、感情のままに口にしていたのに。
「私はバハムートと契約できるほどの、エリート召喚師だぞ? 何も心配する事はない。だから……だから……ユースは、もうゆっくり休むのだ。今まで、ありがとう」
『大きくなっても、カミュ坊は泣き虫だね……ごめんね……私がもっと強い召喚獣なら、楔になってカミュ坊を楽にしてあげられたのに』
魔力も弱く、心も弱い私は、楔になんて到底なれない。
何の役にもたたない、脆弱で矮小なフェアリー。
それなのに――
「楔になどならなくて良い!」
このボロボロな子は、それを受け入れてくれる。
そのままの、脆弱で矮小なフェアリーで良いと。
「っ……ユースはさっさと生まれ変わってきて、私の召喚獣になれば良いのだ。もう決定したからな!」
誰も言ってくれなかった、私を求める言葉。
アルでさえ、言ってくれなかったの。
アルとの契約は、私から求めた契約だったから。
破棄された後の再契約の時でさえ、自分を求めてくれての契約ではなかった。
『はは、そうだね……それも良いかな……』
思わずこぼれる何かを必死でこらえ、軽く返す。
自分の体から、多くの光の粒が舞い上がる。
そろそろ、時間切れみたい。
その前に、伝えておかなきゃいけない事がある。
何もできない私から、泣き虫な子に最後の贈り物。
『カミュ坊……ひとつだけ、お願い聞いてくれる?』
「もちろんだ。何でも言うが良い」
『……アルを、1発思いっきりぶん殴っておいて』
アルが何をしようとしているのか。
再契約した時に流れ込んできたから、もう既に解ってはいる。
でも、納得はできない。
どうして、アルじゃなきゃダメなのか。
どうして、その方法を選択したのか。
どうして、シアとカミュに何も伝えなかったのか。
他に方法はなかったのかと責め立てたい。
そうまでして、あの毒婦を選んだのかと責め立てたい。
それでも自分は馬鹿だから、そんな契約主でも大切だと思う。
だけど、同時に憎らしいとも思う。
でも、色々な怒りや憤りをぶつけるのは私の役目じゃないから。
カミュ坊にあげる。
親子として触れあった事が、1度もない2人だから。
きっかけをあげないと、カミュ坊は色々ぶつけて、前に進めないから。
私を理由に、親子としてぶつかって。
それが、カミュ坊への贈り物。
アルに対するちょっとした嫌がらせ。と、餞別。
父親らしい事なんて何一つしてないんだから、最後くらいはちゃんとしなさい、って。
アルの困惑する顔が目に浮かぶようだった。
「任せておくが良い。ユースの分までしっかりとぶん殴っておく。奥歯が飛ぶくらいにがっつりとな」
カミュ坊の力で、そこまでやれるかどうかはちょっと謎だけど。
『よろしくね……』
後は……何もないかな。
あの女の事やら何やらを伝えるのは、私の役目じゃないから。
『あぁ、もう何もないや。』
……あぁ、後一つだけ。
もう、カミュ坊じゃないね。
『……じゃあね、カミュ』
私らしく。
最後は笑顔で。
「ユース!!」
カミュの声を最期に、私という存在は消えていく。
アルは、少しは悲しんでくれるのかな。
もう声は出ないし口もないから、届くかどうかも解らないけど。
契約主に向けて、最後の思いを届ける。
――今まで、ありがとう。
色々あったけど、あなたに出会えて幸せだったのは確かだから。
あの日、救われたの確かだから。
嫌な思い出にはしたくない。
だから、感謝を。
この方が、私らしいでしょう?
私は何の変哲もないフェアリーだった。
特別な力は何もない。
そこら辺にいる、極々平凡な矮小なフェアリー。
それでもこれが、私が生きた私の命。
色々あったけど、唯一の主に出会えて。
幸せだった私の軌跡。





