48 脱出、崖下一直線
鈍痛にさいなまれる体をひきずり、あてがわれた自室へと戻る。
防寒用のマント、蒼玉の短剣、壊れた杖等を身に付け、水差しの水を一気にあおる。
イリアレーナ王女のあの振る舞い、アイミュラー軍との衝突が近いとしか思えぬ。
なれば、私が行かなくてどうするというのだ。
窓の外を確認すると、太陽はそろそろ中天にかかろうとしていた。
……しかし、ここからどうやって脱出すれば良いのやら。
外に出さえすればカルトを呼べるが、窓は固く閉ざされている。
自室の扉は開いているが、流石にフェブラント中枢部に繋がる大扉の鍵はかかっているだろう。
……やはり、これか。
私は手の中にある、壊れたブラックスピネルの杖を見つめる。
魔力を流し込み暴発させ、大扉を破る。
都市の防衛に人員が駆り出されていると、アルマは言っていた。
なら、城の中の警備は手薄。
この離れから出さえすれば、ペガサスであるカルトの俊足に敵うモノはいない。
よし、そうと決まれば。
私はまたズルズルと体をひきずりながら、大扉へと向かおうとした。
が……
「アルマ……」
自室の扉の前に、アルマが立ちふさがった。
「そこを退けてくれ……私はお主を傷つけるなど出来ぬ」
「ええ。もちろん退きますよ」
「……ん?」
悲愴感に溢れながら口にした言葉は、あっさりと肯定され、私は戸惑ってしまう。
「いや、そんなあっさりと。良いのか? 良いのか?」
「もちろんです」
そう言いながらエプロンポケットから取り出したのは、どこかの鍵。
「私では、姫様を止める事も守る事もできません。息子に頼みたいところですが、あの子はあの子でやる事がありますし、名あり同士の戦いでは邪魔なだけでしょう」
いつもの楚楚とした様子で、何も変わりなく部屋を横断する。
窓の鍵穴に持っていた鍵を差し込み、カチャリと音をたてる。
開け終わったのか、鍵をエプロンポケットに仕舞い込み、私の方に向き直る。
「南南西に約80km。ナクレ平原が衝突の場です」
約80km。
遠いが、カルトならば造作もない距離だ。
「恩にきる」
「フェブラントを……いいえ。姫様をよろしくお願いいたします」
「……任せておけ」
そう啖呵をきったはいいが……
「この窓から出なくては駄目か?」
窓枠にも魔力と召喚を阻害する陣が描かれている。
つまり……この窓から飛び降り、地面に激突する前にカルトが来てくれなければ、そこで私の人生は終わりだ。
「死」
窓に近づきチラリと下を見れば、遥か下方に地面と小さな木が見える。
これは、建物の2階や3階といった高さではないぞ。
崖?これは崖か?
「この部屋は離れの中でも離れでございますからね。すぐ下が崖でございます」
ほら、見ろ!
崖ではないか!!
「いやいや、私はまだ死ぬわけにはいかない。別の出口から……」
後退りする私をガシッと羽交い締めにするアルマ。
「何をする、アルマ! 離すのだ!」
「そうはいきません! 覚悟を決めるのです! 男の子でしょう?」
「窓から飛び降りて死ぬかもしれない覚悟なんて、したくはないぞ!?」
抵抗するも、悲しき私の腕力と体力。
大きな窓の為、私の体はいとも簡単にくぐり抜ける。
窓枠に手をかけてこらえようとするも、押し出そうとするアルマの力はそれよりも数倍強い。
「他の出口があるだろう!? 他の部屋に窓はないのか!? イリアレーナ王女と対面したあの広間には、阻害の陣はなかったであろう!? あそこでカルトを呼び出し、脱出すれば良いではないか!!」
「姫様の部屋に窓はありますが、女性の部屋に無断で入るものではございません! 広間で呼び出したとしても、契約していない名無しがこの部屋に入る事は叶いません! それほど強力な阻害の陣なのです!」
くぅ!余計な倫理観を発動させおって!
ぬぅおぉぉぉぉぉーーー!!!!
ジリジリジリジリと、私の運命を握っている指先が窓枠から離れていく。
この窓は押して開く窓。
つまり、この指を離してしまったら窓は開け放たれ、私は崖下にまっ逆さまだ。
一瞬緩んだアルマの腕力。
その一瞬で逃げようとしたが、私の瞬発力は鈍かった。
「……あ」
「あら?」
「ああああぁぁぁぁ!!?」
窓は開け放たれ、哀れ、私の肉体は凍てつく空の下に投げ出され勢いよく落下していく。
「姫様をよろしくお願いしますぅぅ!!」
「覚えておれぇぇ!!」
どんどん小さくなっていくアルマの姿と反響する声に、恨み辛みを込めながら叫んでおく。
アルマに感謝しているし牙も抜かれているが、それはそれ。これはこれだ。
「カル……カルトォォーーーー!!」
とてつもない速さで遠ざかっていくアルマ、耳の近くで鳴る風切音。
恐怖で身はすくみ、声もうまく出せなかったが、あらん限りの力で必死に友の名前を叫んだ。
『バヒィーーーーン!!!!』
奇声とともに一直線。
私の後ろの首もと付近をくわえ、一気に急上昇。
『ブルルァ』と満足気ないななきを吐き出し、少し乱暴に私を自身の背中へと投げ入れた。
落下直撃は危機一髪回避された。
そこは、間に合ったカルトを褒め称えよう。
だが……
「ぐぇ……ぶえぇ……」
私は一人、カルトの背で酔いと吐き気と格闘していた。
急降下した後、ペガサスの速度で急上昇したのだ。
内腑がかき回され、体調を悪くするのは当然だった。
だが、ここは空なのだ。
いくら吐き気が込み上げても、吐き出すわけにはいかない。
空から私の嘔吐物がまかれるなど、どんな嫌がらせだ。
下に誰かいたらどうするのだ!
せめて、せめて地上へ……
「カルト……下、下へ……」
口元を押さえながら、カルトに懇願する。
そうしたらあやつは、何を勘違いしたのか『バヒッ!』と威勢の良い返事をした後、一気に急降下しおった。
既に吐き気と格闘していた私が耐えられるはずもなく、私の胃の内容物達は空中を飛び散ったのだった。