47 囚われのローゼリア
私がローゼリアに初めて会ったのは、彼女の4歳の誕生日式典での事だった。
国内の有力貴族を招いての式典は、当然バルモルト家も招待された。
花が咲き乱れ、陽射し暖かな春の日。
薄いピンクのドレスを着たローゼリアに、瞳を奪われた事を覚えている。
頬を染め、幸せいっぱいという笑みを浮かべたローゼリア。
小さな体が、花や人の間を飛びはねる様はまさに花の妖精であった。
次に彼女を見かけたのは、その年の秋。
ローゼリアの母親の葬儀の時だ。
喪服に身を包み、青ざめながらも凛とした立ち居振舞い。
辛い事があると、一人膝を抱え泣きじゃくる事が当たり前だった私にとって、唇を噛み締め、拳を強く握り、膝に力を入れ必死に立ち続けるその姿は、酷く驚嘆するものであった。
同年代の、自分より体の小さな女の子の勇姿に、自分が酷く情けなく思った事を覚えている。
自分にできない事をやってのける。
ローゼリアは、私にとってヒーローだった。
葬儀の後、王宮で何かと忙しくする両親から離れ、幼い私はローゼリアを探した。
格好良いヒーローにまた会いたかったという一心で。
直ぐに見つかり声をかけようとしたが、すんでのところで飲み込んだ。
憧れと尊敬を抱いたヒーローは膝をおり、亡くなった母親の墓石にしがみついて泣いていた。
大声を出してはいけないと思ったのか、必死で歯を食い縛り、けれどもすき間から泣き声が漏れ、母を求める嘆きがすすり出る。
そこにいたのはヒーローではなかった。
愛しい母を求める、自分と同じ、幼子の背中だった。
葬儀中の凛とした立ち居振舞いは、幼くも王女として育てられた矜持。
今も、王女として淑女として大声を出すまいと、必死でこらえている。
ヒーローの裏側を知った時、私はその強さと誇り高さに撃ち抜かれ。
次いで、心を奪われた。
◆◆◆◆◆◆
「ローゼリアァーー!!」
私の絶叫が、寒々とした広間に響き渡る。
巨大な、氷の十字架。
それに、衣服がボロボロになったローゼリアが繋ぎ止められていた。
防寒用の厚いマントも、その下のローブも。
すき間から見える白い肌には幾重もの赤い線がはしり、意識がないのかぐったりと目を閉じている。
愛用のペリドットの杖は床に転がり、石は砕けてしまっていた。
鞭も切り刻まれている。
「ローゼリア! ……っ、これは?」
ローゼリアの元にかけより、一刻も早く助け出そうと思えば、シヴァが作り出したであろう、冷たく透明な壁が私の行く手を阻む。
原因を睨み付ければ、素知らぬ顔の憎たらしい女。
「私からのプレゼントは、気に入ってくれましたか?」
「プレゼントだと? 一国の皇女に対してする振る舞いか!?」
「うるさいですね。侵略してきてる敵対国の皇女に対する仕打ちとしては軽い方でしょう?」
ヒールの音をさせながら、意識を失っているローゼリアの近くを歩き回るイリアレーナ王女。
床に散らばっているペリドットの石を一瞥し、そのヒールで更に粉々に砕いた。
凍らせながら砕いたのだろう。
パキィーンと澄んだ音がした。
「それに、うちのスパイをどう扱おうが私の勝手です」
「……なに?」
スパイだと?
誰が?どこの?
私の反応がお気にめしたのか、抑揚のなかった声に若干の色がつく。
「スパイが一人だなんて、誰が言いました? フェブラントのスパイは世界中にいます。どこにでも。貴方の隣にも」
含み笑いをしながら、顎に指をあて私を見据えてくる。
イリアレーナ王女の声が遠くに聞こえ、視界も狭まってくる。
ローゼリアがフェブラントのスパイ。
そんな筈はないと感情が否定しても、理性が邪魔をする。
いつから?
何故?
むしろ、何のためにローゼリアを連れてきた?
バドとアシュリーはどうしたのだ?
私の心の中を見透かすように、イリアレーナ王女が発言する。
「安心してください。バドゥルさんもアシュリーさんも無事ですよ。アシュリーさんは用がなかったので放置。バドゥルさんの方は色々と役にたってもらいます」
色々?
今のイリアレーナ王女が意味する色々など、嫌な予感しかしない。
「バドゥルさんの事は後回し。メインはこっちですよ」
一瞬の後に、パアァーンと乾いた音が響く。
イリアレーナ王女がローゼリアの頬を力一杯平手打ちにした。
「何をする!!」
私の抗議の声も何のその。
イリアレーナ王女は平然と、2度3度とローゼリアの頬をはる。
「ぅ……」
苦悶の声をあげながら、項垂れていたローゼリアがうっすらと瞳を開ける。
「ローゼリア! 大丈夫なのか!? しっかりしろ!」
二人を隔てている透明な壁を叩きながら、私はローゼリアに声をかける。
駆け寄れないのがもどかしい。
「カミュ……? 何でカミュがここに」
驚きの中に混ざっていたのは、怯え。
「感動のご対面ですね。さあローゼリア皇女、愛しのカミュさんに教えてあげてください。貴方が隠している事を」
その言葉を聞いて、ローゼリアは明らかに身を固くした。
それを見て、私はあぁ……と察してしまった。
長い付き合いだ。
その行動だけでも、色々と解るものがある。
私から逃げるように顔全体を背けるが、イリアレーナは王女はそれを許さない。
片手で両頬をつまみながら、無理矢理私の方に向けてくる。
「ほら、教えてあげてくださいよ。自分はフェブラントのスパイだって」
「っ……」
「カミュさんはずーっと貴方の事を信じていたんですよ? あのローゼリアがスパイの筈がない! って。滑稽ですよねー」
ローゼリアを落とす為か、からかい、馬鹿にし、踏みにじっていく。
「あ、いつ皇女様がスパイになったか知りたがっていましたよね? そこは安心してください、つい数日前ですから。フェブラントに密入国したその日の夜に、お誘いしました」
国境で、フェブラント軍隊長のクレイグとやりあった日か。
「あの時は、絶好のチャンスでした。契約者のカミュさんも、どこぞの動物のように勘が鋭いアシュリーさんも。筋肉だるまさんも疲弊していましたからね。こっそり忍び込んだシヴァの魔力に気がつく人は誰もいませんでした」
喋り続けるイリアレーナ王女を横目に、私は見えない壁に右手をつく。
どこか、ひんやりとしていた。
「何か悩んでいたのか、誘いをかけたら簡単にのってきましたよ。アイミュラーの主権は放棄して自治領になっても構わない。その代わり、国民の安全だけは保障してくれってね」
ローゼリアは目を伏せうつむき、涙を流しながら口元を震わせていた。
――やめて、やめて、やめて――
謝罪なのか懺悔なのか、自責ゆえか。
「お優しい皇女様ですね」
ニコリと笑みをみせるが、そう思っていない事はタコにですら解る。
この王女が手放しで人を称賛するなどあり得ない。
「この皇女様は、イフリートの契約者 ルーシェの身の安全を保障する事はできないっていう私の条件を即答で呑んだんですよ」
何を暴露されるか理解したのであろう。
ローゼリアは目を見開く。
「自分の婚約者をいとも簡単に見捨てるなんて、薄情な皇女様ですよね」
婚約者。
そう、私の異母弟ルーシェは、ローゼリアの婚約者なのだ。
元々、そういう話はあった。
それが、イフリートとの専属に成功した事で確定した。
「あ……あぁ……」
悲痛な声を漏らし、涙を流し続けるローゼリア。
すまない、ローゼリア。
そなたにとっては、それほどまでに大きな事だったのだな。
それを私が知れば、更に私が傷つくと思い隠していてくれたのに。
何とかしたくて、私は壁越しに、なるべく穏やかに話しかける。
「泣かなくていい、ローゼリア。私は既に知っていたのだから」
「……え?」
ルーシェがイフリートとの専属に成功し、父上に初めて呼び出されたあの時。
ルーシェに家督を継がせるから出ていけ、と告げられたあの時に。
ローゼリアとルーシェの婚約も知らされた。
目の前の事にいっぱいいっぱいになってしまう私より、実力もあり社交的なルーシェと婚姻した方がローゼリアの為になると解っている。
それでも、ローゼリアの隣にあるのは自分でありたいと思ってしまった。
「すまない、辛い思いをさせてしまった。私がもっとできる人間ならば、ローゼリアを泣かす事なく終わらせられたかもしれぬのに」
バハムートを使役できたのなら、アイミュラーの皇帝陛下が何かを企む前に、あの女が何かをしでかす前に。
全てを終わらす事ができたと言うのに。
ローゼリアが何を思い、スパイの道を選んだのかは解らない。
ローゼリアにはローゼリアの考えがあるのだろう。
彼女がそうと決めた事で、私が何かを言う権利はない。
ローゼリアの意志は、ローゼリアだけのものなのだから。
だから、私が彼女に伝えるのはこれだけだ。
「ローゼリアが何をしようとも、どんな姿になろうとも。私がそなたを想う事に変わりはない」
汚泥を踏みしめ、腐臭にまみれようと。
傷だらけになり血を流し固まろうとも。
あの日、私が憧れ心を奪われたローゼリアの強さが汚される事はない。
「カミュ……」
少しだけ顔をあげ、私の瞳を見つめ返してくる。
そんな展開が気にくわなかったのか、イリアレーナ王女はまるで仇を見るかのような視線を向けてくる。
だが、そんな事はどうでも良い。
ローゼリアにかけより、その涙を拭いたいというのに、間にあるこの壁が邪魔だ。
掌で触れ、少しだけ力を込めると、ピシイッと小さなヒビが入る。
ローゼリアとイリアレーナ王女の驚いた顔が視界に入り込む。
……驚くような事であろうか。
私達が、このようなモノで困るはずがないというのに。
もやがかかったかのように視界が不明瞭になり、胸に錐が突き刺すような痛みがはしる。
声も音もどこか遠くに置き去りにし、指先が冷たくなる。
意外と丈夫だった。
なら、もう少しだけ。
ピシビシビシッ!と更に大きなヒビが壁一面にはいる。
映像も音も遠いのに、シヴァのクスクスという笑い声が耳に残る。
透明な壁が音をたて一斉に崩れ、白煙が辺りに立ち込める。
喉や鼻腔に冷たい空気が流れ込み、砕けて飛び散った氷の欠片が私の頬を軽く刺した。
白煙がおさまった時、氷に囚われたローゼリアもイリアレーナ王女もすでにどこかに消えていた。
壁を壊した時、イリアレーナ王女の口元には笑みが浮かんでいた。
あれは、まるでそうなる事を望んでいたかのような表情だった。
「っ、ぐぅ!」
胸と頭がまたもや痛み出す。
反動だろうか?
いや、そうではないと今の私は知っている。
私の中にいる、バハムートではない名前の知らない何か。
「お主は本当にじゃじゃ馬だな。バハムートに封印されている筈なのに、どうしてそう元気なのだ……」
イリアレーナ王女は、わざと私を煽るかのような発言や行動を繰り返していた。
これが、狙いだったのだろうか。
ああ、確かに彼女の策略通りに、私の感情や記憶は揺すぶられ、境界は曖昧になってしまっている。
「駄目だ……お前を目覚めさせるわけにはいかない。バハムート、もう少しだけ抑えてくれ……」
私の願いに応えるかのごとく、胸と頭の痛みがおさまっていく。
エリンが作ってくれた楔の猶予。
その1年の間に色々解決して、私が新たな楔になろうと思ったが……そんな時間的余裕はなさそうだ。
だが、こんなポンコツな私でも。
今何をやらなくてはいけないかは解っている。
思うように動かない自分の体を引きずりながら、私は行動を起こした。





