46 侍女アルマの手腕2~胸の空虚が埋まる時
そこから、私とアルマは度々会話をするようになった。
今までは食事や暖炉の火の確認の時など、作業をし礼をして退室であったが、少しの会話がそこに追加された。
アルマも忙しいであろうから、あまり長い時間は無理だが。
「お主の息子は、フェブラント陸軍部隊『猛き風の守護』の隊長クレイグ=ウェルトウィックだと!?」
「あら、ご存じですか? あの子も有名になったものですね」
息子が誇らしいのか頬に赤みがさし、声も弾んでいる。
だが、私の声は弾まない。
「ご存じも何も……」
その男は、フェブラントに密入国する為の国境で私達の前に立ちふさがった男だ。
剣でアシュリーを押し止めながら流れるような召喚を決め、彼女を沈めてみせた。
長身で美丈夫というところは気にくわないが、あの見事な召喚は同じ術師として素直にたたえよう。
しかし、アルマの息子という事は、元々は平民だったのか。
そこから、貴族然としたあの振る舞いを会得したとは、並々ならぬ努力を重ねたに違いない。
……うむ。気にくわないカテゴリに入っていたが、少しだけ移動してもいいかもしれない。
『竜の涙』という花の名は、どの植物図鑑にも載っていなかった。
アルマにも、私が夢で見たあの花の事を聞いてみたが、心当たりはないらしい。
なら、あの花は一体……
何か、とても大切な花だったように感じるのだ。
思い返す度に、どこか胸の奥が切なくなる。
イリアレーナ王女との接見から約2日。
アルマは今日も甲斐甲斐しく世話をやいてくれる。
暖炉の薪をくべ、温かいスープやパンを運んでくれる。
「今日のスープはベーコン入りですよ」
私は基本、食事は片手で取れる軽食がメインだった。
本を読んだり勉強したりする合間に食べていたからだ。
だが、ここに来てからは食事中はアルマに取り上げられる為、きちんと食事を取っていた。
最初は抵抗しようかと思ったが、あの穏やかな空気と微笑みの前には、抵抗しようという気すらなくなってしまう。
少しだけ食べてまた本に戻ろうと思っても、アルマが作ってくれたものを残してはならないと完食をする毎日。
「まあ、今日もちゃんと全部食べられたのですね。いい子いい子です」
幼児に対する接し方ではないのかと思うが、私はそれを受け入れてしまっている。
まるで飼い慣らされた犬のように。
母親とは、こういうものなのだろうか。
……そうだ。アルマは実際に子どもがいる母親なのだ。
息子がいて、血の繋がらない王女の乳母になり愛情をそそぐアルマ。
そんな母親という存在の彼女に、私はどうしても聞きたくなった。
「母親というものは、一体どういうものなのだろうか……」
幼い頃から折檻を受けてきた。
嫌われていると、憎まれているとさえ思っていた。
だが、アイミュラーを脱出する時に身をていして庇ってくれた母上。
その時に思い出した、幼い頃の優しい母上の記憶。
折檻をしていた時の母上のヒステリックな罵倒と優しかった時の微笑みが、私の中でグルグルグルグルと回り続けるのだ。
何故という疑問符とともに。
「……そうですね。バルモルト様のお母様の真意はわかりかねますが、母親というものは、基本子を1番に考えるものです。昔の厳しい時代のフェブラントでは、親が子を犠牲にした事もありました。ですが、自分はどうなってもいいからせめて子どもだけは、と願い行動した親の方が断然多かったんですよ」
「……」
「十月十日。自分の血と肉を分け与え、片時も離れず生死をともにした存在です。子を思わぬ親など、いるでしょうか。バルモルト様。お母様は、少しも愛情を向けませんでしたか?」
……いや。身をていして私を逃がしてくれた。
『カミュ、私は駄目な母親でしたね。罪滅ぼし……というわけでもありませんが、最後くらいはちゃんと務めを果たさなくては。子を守るのは、親の役目です』
あの父上が、母上の身の安全など保障するはずがないのに。
私を子と言ってくれ、守るのは自分の役目だと言ってくれた。
「ならば、今はそのお母様を信じていても良いのでは? また会う事叶ったならば、聞いてみるという手もあります」
「……そうだな」
アリーチェ殿の幻影にすがらなくとも、私には想ってくれている母上がいるのだ。
――貴方を殺す者よ――
ズキリ、とどこかが痛んだが、もはや倒れるほどの痛みではない。
あの時の寒さも、伸ばした手の寂しさも、決して消える事はないだろう。
だが少しだけ、自分の中の空虚が埋まったような気がした。
「ありがとう、アルマ」
にこりと微笑み、退室をした。
1人ソファーの背もたれに身を預けながら、天井を仰ぎ見る。
珍しいほどに、心が穏やかだ。
フェブラントに協力など、誰がしてやるものかと思っていたが、考え直してもいいかもしれん。
イリアレーナ王女に何かあったら、アルマが悲しもう。
恩人でもあるアルマを悲しませるなど、あってはならぬ。
それを見越して私に優しく接したのなら、アルマの手腕は見事と言うしかない。
イリアレーナ王女の為に私に優しく接したのだとしても、私はそれでもいいと思えるほどに、アルマに対しての牙を抜かれてしまっていた。
だから、改めてイリアレーナ王女に呼ばれたときに、そう伝えたのだ。
「この前は、色々とすまなかった。お主にも色々とあるだろうに、八つ当たりをしてしまった」
思えば、部屋に訪ねてくるのではなく、初めて会ったあの殺風景な広間に呼ばれたという事からおかしかった。
おまけに表情が消え、冷気の靄が立ち込み、いつも以上に顔が蒼白く隈まで作っていた。
我ながら、ちょろい男だと思う。
村の事で怒っていたはずなのに、イリアレーナ王女の過去や境遇を知りアルマにほだされた今、怒りの感情はどこへやら。
彼女を心配してしまっているのだから。
「どうした、体調が悪いのか? アルマを呼ぶか?」
問いかけにも答えず、身じろぎもしない。
「私が使役できない事でそこまでの苦労をかけてしまっているのか? お主がそうだとアルマが心配する。まだ記憶は戻っておらぬが、出来る限りの協力はしよう。アイミュラーが進軍してきているのは私のせいなのだから。ルーシェを止めるのは、兄の役目だからな」
少し驚いたかのように私を見上げ、一瞬瞳に光が灯ったかと思えばまた直ぐに暗くなる。
……違う。
確かに、イリアレーナ王女は会った時から傍若無人で傲慢で、勝手に私を拐ってきた気にくわない相手だ。
口を開けば嫌味ばかりで、何度舌戦を繰り広げた事だろう。
だが、そのどんな時でも、大小あれど瞳に光は灯っていた。
今のような、何も映さず何も見ていない瞳ではなかった。
このような瞳を、私は良く知っている。
幼い頃の……後継者争いの為に寝食を惜しみ、邁進していた私だ。
その瞳に灯る色は、絶望。そして、諦め。
駄目だ。
この状態のイリアレーナ王女を放っておくわけにはいかん。
私は知っているのだ。
内側でははち切れんほどの、自分ではどうしようもできないほどの感情がうごめいている事を。
何かの拍子に爆発すれば、周囲を巻き込んでの大惨事になる事を。
私の時はローゼリアやバドが救ってくれた。
だが、今のイリアレーナ王女の周囲には私しかおらぬ。
「一体どうしたというのだ? いつもの軽快な嫌味はどこへいった? 私で話しにくければアルマに話してみてはどうだ?」
「……」
ようやく唇が動いたと思ったら、ポツリと呟くほどの小さな声で聞こえなかった。
「今何と?」
うつむき、ギュッと下唇を噛み締めたかと思うとゆっくりと顔をあげ……
「ローゼリア皇女は、私が捕らえました」
わけの解らぬ事を口にした。
「何……だと?」
ローゼリア?
なぜ今ここでローゼリアの名前が出るのだ?
しかも、今……捕らえた?
思いもよらぬ名前を出され、単語を出され。
私の頭は情けなくも働かない。
そんな私を見て、イリアレーナ王女は僅かに口角をあげながら指を鳴らす。
パチン、と広間に甲高く乾いた音が鳴り響く。
すると突如、天井から何かが降ってきた。
ズシャリと音をたてる、大きく重たい物。
それが何か認識した時、ヒュッと喉が鳴り、息が詰まり、次いで絶叫した。
「ローゼリアァーー!!」
そうして、私は目覚めるのだ。





